第十三話 古い友人

 クルダーが小屋の扉を数回叩けば、軋む音を立てながらゆっくりと扉が開かれる。

 その先には、俺と然程さほど歳は離れていないであろう、青年の姿。


「夜遅くにすまないな、キーンメイク」


「なんだ……君か……こんな遅くに何の用だい?」


 見るからに不機嫌そうな表情をクルダーへ向け訪ねる。

 まぁ、こんな時間に押しかけたのだから当然だろう。


 クルダーは事の詳細を伝え一晩、休息を取らせて貰えないかと交渉をしている。

 一通り説明を終えると、キーンメイクと呼ばれる青年は小さく一つ溜息を付き口を開く。


「はぁ……もう少し計画性を持って行動したらどうなんだい?まぁ、こんな所に放り出しておくのも、気が引けるし……今晩は泊まって行くと良い」


「あぁ、ありがとう助かるよ」


 依然として不機嫌そうな表情は変えずに、クルダーを中へと招き入れると、少し緩めた表情を此方へ向ける。


「お連れの方もどうぞ……馬は付近の立ち木にでも繋いでおいてくれて構わないよ」


 言葉通りに馬を付近へと繋ぎ、小屋の中へと足を踏み入れる。

 すぐに目に入ったのは、大量の書物と部屋の中央へ置かれた机、そして其処へ広げられた草木の根っこの様な物、乾燥した植物などだ。


 青年は机上に広げられた、それ等を無造作に端へと押しのけると、続いて戸棚を漁り始める。


「散らかっていて、すまないね……好きに掛けておいてくれ」


 此方へ背を向けながら促す青年に従い、羽織っていた外套を椅子へと掛け身に着ける胸甲を取り外し床へと下ろす。

 腰へ携えた長剣を机に立て掛け、解放感を十分に堪能しながら大きく背を伸ばし椅子へと掛ける。


 すると間も無く、液体の入った瓶とコップを手に持ち此方へ……瓶の中身をコップへ注ぎ、それを此方へ差し出す。


「柑橘類の果汁と疲労回復効果のある複数の生薬を混合した飲み物だ……正直、味は飲めた物じゃないけど効果は保証するよ」


 見るからに毒々しい色をした飲み物だと言う、それを目の前に思わず唾を飲み込む。

 横目には先立って口をつけ顔を歪めるクルダーが映り、少々躊躇するが、意を決して一息に喉へと流し込む。


 舌に残る酸味、ピリピリと痺れる様な喉の感覚……よく効く薬ほど不味いと言うがこれ程なのか。

 なんとか喉の先へと送る。


 対面に座る青年は、何処か憎たらしい様な笑みを浮かべていた。

 遅れて横で飲み干したクルダーはコップを机へ戻すなり喉の奥が見える程の大きな欠伸をし、机上へと顔を伏せてしまう。


「まったく、図々しい人だな。まだ、作業が残っているというのに」


 ぼやきながら、半ば引きずる様な形で部屋の隅にある簡素な寝床へとクルダーを運んで行く。

 戻って来た青年は俺へと尋ねる。


「お連れさんは、寝ないのかい?」


「あぁ……夜中に押し掛けた上で申し訳ないんだが、慣れない環境だと眠れなくてな……」


「へぇ、繊細なんだね……いや、なにギルドの人間はクルダーの様な図太い神経の持ち主ばかりだと……僕はまだ此処で作業が有るから、好きにくつろいでくれて構わないよ」


 青年はそう言いながら先程、押しのけた物を再び広げ作業を始める。

 薬師と言うのだから薬剤の調合だろうか?材料を天秤に乗せては別の容器へ、また乗せては別の容器へと繰り返す。


 ふと傍らへ置いた胸甲へ視線を向けると、戦闘の際に付着した大量の汚れが目に入る。


「なぁ……」


「ん?……あぁ、キーンメイクで構わないよ」


「キーンメイク、装備品の手入れをしたいんだが」


「遠慮なく……唯、棚の物を落としたりしないでくれよ……貴重な素材が沢山、保管してあるから」


 俺の背後に設置されている、多くの小瓶や木箱が整然と並べられた棚を指しながら微笑み、答える。

 俺はその快諾に甘え、立てかけた長剣を手に取った。


 胸甲の汚れも気になるが、鞘に収まり見えないからこそ無意識に剣へと手が伸びてしまう。

 鞘から剣を抜くと案の定、脂や血がこびり付いている。


 椅子へと掛けた外套の裏地に縫い付けられた衣嚢から布切れを取り出し、付着した汚れを拭うと、次第に刃の輝きが蘇り、再び鏡の様な美しさを取り戻し始める。

 その後も、手に持った剣を様々な角度から確認し磨き上げる。


 そんな作業を繰り返す最中、対面からの視線を何度か感じ取る。

 キーンメイクが作業の傍らで向けていた視線は、徐々に此方へと釘付けになっていく。


「すまないな、物騒な物を出してしまって」

 

 間髪入れずにキーンメイクが答える。


「いや、違うんだ。その剣……鏡の様に磨き上げられた刃……まるで美術品のみたいだ。きっと凄く腕の立つ職人が打ったのだろう?」


 少し興奮した様な口調で述べられた所感には、この剣を打った本人では無いがつい嬉しさを覚える。


「あぁ、ガスパーあの鍛冶屋程の腕はバーキッシュ領この地域を探しても居ないだろう」


 会話の最中も俺は手を止める事無く次の作業へと移り、鞘へと縛り付けた鉄製の容器をほどき、その中身を布切れへ染み込ませる。


「それは、何をしているんだい?」


「油を表面に塗っている……錆を防ぎ、汚れを落とし易くする為の物だ」


 この剣に、それともこの作業に興味があるのか分からないが、いずれにしても、こういった事には余り触れて来なかったのだろう。

 そして、次に俺の方からキーンメイクが行っている作業について尋ねてみると、先程の喜々とした様子は少々薄れさせながらも答える。


「……これは、殺菌剤だよ」


「殺菌剤?野菜や植物の病気を防ぐ物か?」


「いや、人体……傷口に使うものだよ……唐突、なんだけど人が死んでしまう原因で寿命を除いて多い物は何だと思う?」


 正に文字通り、唐突な質問に暫し考えを巡らせる。


「病気とかじゃないのか?」


「そう、病気なんだ……唯、でも君の想像している様な病気ではなく……大小問わない怪我の傷口などからの感染症が多くを占めているんだ……勿論、現在も殺菌剤や消毒薬が存在しないわけでは無いんだけど、それ等は全て液体の物なんだ……ほら、液体だと持ち運ぶとしても容器に入れないと持ち運べないだろ?そこで僕が、作ろうとしているのはの殺菌剤なんだ。」


 感染症か……確かに言われてみれば、調理の際に切ってしまった指先、子供が駆けまわって転び擦りむいた膝の傷など気にも留めないだろう。

 特に戦場などでは受けた傷など、手当てもせずに戦闘を続けることも普通だ。


 挙句、その傷を放置し、やがて感染症を引き起こす。

 まぁ、小瓶などに入れ携帯することも可能だが、戦闘の最中に割れて中身が零れてしまうのが関の山だろう。


「……実は昔、感染症それが理由で友人を亡くしているんだ……だから一人でも多くの人を助けたいと思って、この研究に没頭してるんだ……あと一歩の所なんだけどね……」


 友人の死か……何かを失って得る力は大きなことを成し遂げる為の力へと変わるのだろうか。

 主を……恩人を失った俺は何か力を得たのだろうか?だとしたら俺は……。


「んー、こんなに誰かと話したのは、久しぶりだよ。こんな話に付き合わせてしまって悪いね、僕は寝るから好きにくつろいでくれて大丈夫だよ」


 キーンメイクは椅子から腰を上げ大きく身体を伸ばしながら、そう残し長椅子へと倒れ込んでそのまま眠りに就いてしまう。

 自分自身も会話を楽しんでいたのだろう。


 ふと感じてしまった、少しの虚無感を紛らわす様に胸甲を床から拾い上げる。

 剣と同様に汚れを拭い表面へ油を塗布する手慣れた作業に没頭する中、視界のかすみと突然の眠気を感じる。


 俺はそれに抗う事は無くそのまま机に突っ伏し……。



 ◇◇◇◇◇◇



 ――小さな物音がする、暖炉では炎が揺らぎ、窓からは暁光が差し込む。

 ぼやける視界で周囲を見回せば、きのう眠りに落ちる直前まで目にしていた光景が映る。


 その光景を未だ、思考が巡らないままで眺める。

 作業に没頭する真剣な面持ちが突として歓喜の表情へと変わり、小さく呟く。


「よし」


 キーンメイクと視線が重なる。

 どうやら俺が目を覚ましていた事、作業風景を眺めていた事に気付かない程に集中していた様だ。


「――やぁ、今朝は素晴らしい朝だよ」


 表情筋を総動員し表した様な笑顔を此方へ向ける。

 ふと目を向けたキーンメイクの手元に置かれる小さな容器、その底には砂粒大の白い何かが広がっている。


「遂に、薬剤の結晶化に成功したんだ!後は、これを粉砕、粉末状にして最後に液体時の作用と変わらなければ完成だ」


 容器の底に広がる物は昨夜、話していた殺菌剤が結晶へと変わった物らしい。

 昨夜の話しぶりからすれば、こんな表情を浮かべてしまうのも無理は無いだろう。


「なんだ?……朝から騒がしいな……」


 いささか興奮気味に声を上げていた事で、クルダーが寝床から起き上がり、何処か覚束ない足取りで此方へと近づき、そのまま俺の隣へと腰を下ろす。


「此処は僕の家なんだから、文句は受け付けないよ」


 キーンメイクはぼやく、クルダーを一蹴すると、立ち上がり炎が揺れる暖炉へと向かう。

 僅かな間を置いて両手に、湯気の立つカップを持って再び腰を下ろす。


「大丈夫、味は保証するよ。特に良い効果は無いけどね」


 そう言いながら俺達の前にカップを差し出す。

 澄んだ赤茶色の液体から立つ湯気と共に果実の様な爽快な香りが鼻を抜ける。


 雑話を繰り広げカップの中身を飲み干した頃、クルダーが立ち上がる。


「そろそろ、出発するか」


 差し込む暁光が、眩しく鮮明な朝日へと変わる頃、再度の出立ちの準備を始める。

 手早く支度を済ませ、一足先に外へと出向き繋いでいた馬の元へと向かう。


 少し遅れてクルダーが、それに続きキーンメイクが外へ……二人はその場で立ち止まる。


「キーンメイク、お前みたいな奴が居てくれると、やはりギルド俺達も助かるんだが……」


 キーンメイクは大きく溜息を着き、呆れた表情を浮かべる。


「また、その話か……言っただろう?僕は何処かの組織に属して共に行動する事はと……何かに縛られず、こうして自由に動く方がより多くの命が救えるんだ……組織の一員として行動するなんて」


 物哀しげに返って来た言葉を、渋々と了承しクルダーも馬へと跨る。

 出発しようかと言うその時、キーンメイクが此方へと呼び掛ける。


「お連れさん、名前を聞いてなかった……良ければ、教えてくれないか?」


 言われてみれば、名前を聞いておいて自らは名乗っていなかったな……。


「リアム……リアム・ノーレンだ」


「リアムか……良い名前だ、必ず憶えておくよ……薬が必要になったら何時でも出向いてくれて構わないよ。じゃあ、気を付けて」


「あぁ、何かあった時は頼らせてもらうよ。キーンメイク、世話になったな」


 別れの言葉を交わし、手綱引く。

 俺達は残りの道程を再び駆ける。




 ――互いの存在を確認する程度の、短い会話を繰り返しながら只管ひたすら駆け、幸い道中の障害も無く、辺りが闇に包まれる頃には、本部迄の道程の約八割ほどを進んでいた。

 数歩先の視界を確保する事すら困難な程、辺りは夜陰に染まる。少しづつ速度を緩め、そびえ立つ大木の傍へと降りる


「これ以上、進むのは危険だな……今日は此処で休息を取ろう」


 日夜問わず、走り続けた二頭の馬は疲労を露わにしていた。

 道中、採取した果実を与え付近に流れていた川辺で水を与える。


 それ等を終え、戻る頃にはクルダーが火を起こし倒木へ腰を掛けていた。


「馬は、大丈夫か?」


「あぁ、だがかなりの疲労が溜まっているみたいだ……可能なら、明日の出発は少し遅らせた方が良さそうだ」


「問題無いだろう、此処から本部へは急がずとも半日程度で着く。しっかりと休息を取らせてから出発しよう」


 此処から半日程か……当初の予定と比べ距離を稼げている。

 到着後に攻撃への対策を練る時間そしてギルドマスターと話す時間は十分にありそうだな。


 焚火の熱が漂い、二人の間に暫しの沈黙が流れる。

 その静寂を裂くように俺は、言葉を投げる。


「彼……キーンメイクとはあったみたいだな……」


 一瞬の沈黙を挟み口を開く。


「何かあった……か。ギルドが結成される以前の事だ」


 ぽつり、ぽつりと少し、悲し気に語り始める。

 クルダー達がまだ、民兵組織だった頃の話だそうだ……。


 数多の国を巻き込んだ大戦時、とある村への侵攻を多くの被害者を出しながらも食い止めた……その被害者の中にはキーンメイクの友人も含まれていた。

 そんな大勢の負傷者を出した、ほんの数日後の出来事。


 またしても大規模な侵攻を受けた地域へクルダー達は出向く事になった。

 民間人や兵氏に多数の犠牲が出る事が予測され、キーンメイクにも召集が掛かった。


 その当時はクルダー等、民兵組織の者達は携帯性の悪さから応急処置の道具すら持っていなかった為、薬師や医師は必ず召集が掛かっていたらしい。

 そこで、クルダーは後悔したと言う。


 キーンメイクを止まるべきだったと。

 彼の友人は、先の戦闘で受けた傷によって起こした感染症で苦しんでいたそうだ……日夜、常に監視と治療が必要な程に。


「俺は、奴の気持ちに気付いてやれなかった。自身の友人、一人の為に大勢の犠牲が出る事を危惧し奴は戦場へと向かった……だが結果は、否だった。王立軍からの援軍により負傷者を出さずに侵攻を退けた……奇跡的な出来事に歓喜で湧き上がる中、帰還して、飛んできたのは彼の友人の訃報だった」


 気持ちの悪い静寂を、風が立ち並ぶ木々を揺らし切り裂く。


「俺達が発った、直後に別の地域からの支援要請があった……そこで召集が掛かったのは、もう一人の医者だった……無論、薬の投与などの指示はしていた様だが、急な容態の変化には対処できずに友人を含む数名が亡くなった。その出来事をきっかけに、奴は俺達と行動を共にしなくなったんだ。戦いの度に呼び出されては今、怪我や病に苦しむ人を助けられない、そして新たな薬の研究もできやしないってね……」


 キーンメイクが亡くしたと言っていた、友人とはこの事だったのか。


「すまないな……湿っぽい話になってしまって」


「構わない……嫌な過去を掘り返させてしまって、すまない」


「いや、良いんだ……同じ過ちを繰り返さないための、戒めさ……」


 その晩はクルダーが過去を打ち明けた事により、互いに自分をさらけ出す様な会話を夜通し続けた――

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