第2話

 別の人生を4~5時間で擬似的に体験できる装置として、2084年に販売された「メメント」は、全世界で人気を博していた。動作原理は非常にシンプルで、人の一生の疑似体験がコンピュータ上でシミュレートされ、人生が終了した(シミュレーションが完了した)後に、記憶のみが、適切な形に加工されて接続先の脳に流し込まれる。先進国の平均的な寿命である80年~90年あまりの人生でもコンピュータ上でのシミュレーション時間は4~5時間のみで終了する。販売初期こそメメントは、専用の施設でしか取り扱われておらず一般大衆が体験できる代物ではなかったが、販売から10年余りたった今ではネットカフェに機器が置かれる程度には広く普及するようになっていた。

 メメント上での擬似的な人生は、本質的には現実と区別することができないため、人々の精神のあり方を大きく変えた。メメントでは、シミュレーション上の主体の人生が終了した時点で人生の疑似体験が終わる。そのため、メメントでの人生を一度でも体験した人間にとっては、死が身近なものとして感じられる一方で、今の自分が現実世界を生きているという確信は薄れていく傾向にあった。その結果として、世界各国で自殺率は緩やかに上昇していた。


 先程まで「本宮 悠里」としての人生を体験していた彼も、それに近い精神状態であった。メメントで人生を体験するようになってから、現実世界での出来事がどことなく絵空事のように見え、日々の充実感が薄れていくようになった。一方、メメントで体験をしている中では、自分がシミュレーション上の人間であることを自覚せずに人生を過ごせるため、彼はメメントにのめり込むようになった。そのため、日々の唯一の楽しみであるメメントでの人生を、(恐らく機器のトラブルで)中断された彼は、憤りを感じるとともに、久しぶりに自分が憤りを感じたことを自覚して、少しの懐かしさも感じていた。壁に取り付けられた職員呼び出しボタンを押して2~3分経つと、職員が部屋をノックする音が聞こえた。

「失礼いたします」

 抑揚のない声で職員が言った。部屋に入ってきた職員に事情を説明すると、先ほどと同じような抑揚のない声で彼に謝罪し、メメントに取り付けられた操作パネルを使い、何やら操作をしだした。無表情で淡々とパネルを触るこの職員は、本当に血の通った人間なのだろうか、と彼はふと考えてしまった。

 そんなことを考えながらさらに数分ばかり待つと、操作が完了したらしく、職員が彼の方に振り向いて言った。

「大変お待たせいたしました。先ほどの続きから再開する形でよろしいでしょうか?」

「はい、それでお願いします。」

「かしこまりました、それでは中へご移動お願いいたします。」

 職員に促されるまま、彼は再びカプセル型の装置の中に入った。職員は慣れた手つきで彼の頭にヘッドセットを取り付け、ガラス製の蓋を閉じた。彼は目を閉じて、職員が再びメメントを起動させるのを待っていた。「本宮 悠里」としての今までの人生はどんなものだっただろうか、と思いだしているうちに、メメントの起動が終わったらしく、彼は全身麻酔を受けるように、十数秒余りで再び眠りについた。

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