愛した彼女はNPCでした

ssoio

第1話

「自分以外の人間に、本当に感情があるのだろうか?」

 こんな疑問を抱く人間のうち大半は、時間の経過につれて、こんな疑問に向き合っても仕方がないことに気がつくか、日々の生活に忙殺されて考える暇もなくなってしまうかのどちらかに行き着くのだろう。

 本宮 悠里ほんぐう ゆうりは、25歳にもなっても、ふとこんなことを考えてしまう自分を少し恥ずかしく感じてしまった。こんな非現実的な妄想をしてしまうのは、これまでのあまりに平凡な人生への反動なのかもしれない。とはいえ、本宮は決して自分の平凡な人生に不満を抱いていたわけでもなかった。大学を卒業して2年が過ぎ、社会人としての生活も身体にすっかり馴染んできた。大学生のころから付き合っていた彼女に、そろそろプロポーズをしてもいい頃ではないか、と考えていた。


「見て、アクアパッツァを作ってみたの」

 仕事を終え携帯電話の通知を見ると、彼女の佐藤 結衣さとう ゆいから、鍋に入ったアクアパッツァの写真が送られてきていた。先日一緒に見たテレビ番組の影響だろうか、などと考えながら本宮は彼女が待つ家に帰った。


 家に帰ると、1LDKのマンションの玄関に魚介とオリーブオイルの匂いが充満していた。リビングに入ると既にダイニングテーブルに料理が並べられていた。

「私って偉いでしょう」

 自慢げに結衣が微笑んだ。本宮はテーブルに並ぶ豪華な料理を見て、なにか記念日を忘れてしまっているのではないかと不安になった。今日の日付を思い出し、どちらかの誕生日でもなく、付き合った記念日でもないことを確認し、おそるおそる聞いてみた。

「今日って何かの記念日だったっけ?」

「さあ?なんの日でしょう?」

 結衣が悪戯っぽく目を丸くした。

「誕生日でもないし、記念日でもないしなあ。初デートの日とか?」

「正解です!」

 まさか正解するとは思っていなかったらしく、結衣は驚きながら言った。結衣と付き合ってから、初デートの日を祝ったのはこの日が初めてだったからだ。

「この前実家に帰ったときに、私と悠里くんが付き合った年のスケジュール帳が出てきたの。」

 ダイニングテーブルの隅の方に置かれたスケジュール帳を結衣が指差した。結衣はスケジュール帳を手に取り、栞が挟まれたページを開いて本宮に向かって見せてきた。大学生のときに使っていたスケジュール帳だったこともあり、レポートの締切日やアルバイトの時間帯、飲み会の予定などが、綺麗な文字で几帳面に書かれていた。

「見て、初めて悠里くんと初めて二人で出かけた日だよ。」

 結衣が指差した枠の中に、少し控えめな字で「本宮くんとご飯」と書かれていた。この頃はまだ名字で呼ばれていたのか、などと思いながら本宮は二人がまだ付き合う前だった頃のことを思い出していた。

「この頃の私って可愛かったんだなあ。初デートの前日に美容院とネイルサロンなんか行っちゃったりしてさあ。」

 スケジュール帳を見ながら、その頃を懐かしむように目を細めている結衣の姿がなぜだかたまらなく愛おしく感じた。


 その日、二人は夕食を食べながら、二人で過ごした時間の長さを確かめるように、今までの数年間の思い出話を語り合っていた。二人の間で思い出話をすることは珍しくなかったため、特段目新しい話題があったわけではなかったが、それでも心地の良い時間だった。眠りにつく頃には、深々と寝息を立てる結衣の横顔を見て、どんなプロポーズをすれば彼女は喜んでくれるだろうか、などと考えながら、本宮は目を閉じた。


 次に目を開けたとき、彼の視界は半透明のガラスの蓋に覆われていた。左右のスペースも殆どないような空間に彼は横たわっており、手で周囲の壁に触れて初めて、自分がカプセル状の装置の中にいることを自覚した。装置から出ようと体を動かしてみると、彼は自分の頭にヘッドセットが取り付けられていることに気づいた。ぼうっとする頭のまま、取り付けられたヘッドセットを外し、目の前の蓋を押し上げると、ほとんど力をかけずとも半開きの状態となった。周囲を見渡すと、カプセル状の装置は太いケーブルで巨大なコンピュータと接続されていることに気がついた。

 朦朧とした意識は時間とともにクリアになっていき、数分ほどたった頃、彼が「本宮 悠里」として生きていた25年間は、すぐそばのコンピュータでシミュレートされた仮想の人生だったことを思い出した。

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