強いて言えば都合が良かったのです。お互いに。
@ktsm
第1話
母が再婚することになった。
めでたいことである。
ちなみに、妹二人は既に結婚済みだ。
今度、子どもが生まれるとそれぞれから連絡があった。
素晴らしい。
一つ、問題があるとすれば。
「私よねえええぇぇぇ」
長女が行き遅れていることだろう。
***
再婚相手には、一緒に暮らしている子どもがいる。
ここまでなら理解ある相手はにこやかに頷いてくれるだろう。
では、その子どもが二十七歳の行けず後家だとしたらどうだろうか。
ちなみに、世間の平均結婚年齢は二十歳である。
先の戦争から医療が発達し、経済が安定するとともに貴族の平均結婚年齢も多少高くなったが、二十七歳で未婚の貴族令嬢はかなり珍しく、何もなくても何かあるんじゃないか、とひそひそされる。悲しい現実だ。
理解ある相手もさすがに顔を痙攣らせる案件である。間違っても一つ屋根の下で暮らしたいとは思うまい。
ところがどっこい、母の再婚相手は、とんでもなく度量の広い男であった。
「いいじゃない!」
あっさりにっこり頷いたそうである。
慄いたのは、二十七歳の行けず後家当人コーリー・ノルマンである。
「待って、いくらなんでも新婚さんのお邪魔はできないわ!!」
「至らないところも多いかと思うんだけど、一緒に暮らしてもいいかな?」と挨拶に来てくれた母の再婚相手は、それはもう素敵ないい人で、苦労してきた母が幸せになるのだと思うと、小躍りするほど喜ばしかったが、どう考えてもコーリーはお邪魔虫でしかなかった。
なんとしてでも、早く嫁ぎ、母と再婚相手が安心して新婚生活を送れるようにしなければならない。
久々に抱いた長女の使命感であった。
そうして、突然きた母の春に泡を食って、婚活に勤しむことにした。
──のだが。
「そうそう、うまくいくわけないわよね」
ハハハ、と乾いた笑いを浮かべてみても現実は変わらない。
公爵家主催の夜会にて、彼女は見事に壁のシミになっていた。花ではない。シミだ。なにしろ、誰とも一度も踊ってない。どころか、誰からも声すら掛けられない。こんな年増でもせめて、面白半分の声かけくらいはあるんじゃないかと期待していたが、それすらなかった。もはや、笑うしかない。
こういった場において、女性から男性を誘うのはマナー上、褒められた行為ではないが、挨拶は大事だと思い、可能な限り丁寧にこちらから声を掛けた。
挨拶に終わった。
みんな、「ああ」「うん」「そうですか」「じゃあ、良い夜を」とにこやかに去っていく。
おのれ、年齢相応の容貌が恨めしい。
というか、そんっなにダメか。二十七歳。
確かに徹夜は厳しくなってきたけども、家事は得意だし(※貴族の女性は普通家事をしない)、畑の世話も家畜の世話もできるし(※貴族の女性は普通汗をかいて働かない)、なんなら薪割りだってできる(※貴族の女性は斧を握らない)から、一家に一台あればお役立ち間違いなしです、と宣伝して回りたい。
……どう考えても屋敷の女主人には向いていないのは、自覚している。優雅とか気品とか縁遠い。だから、狙うは若い軍人だ。まだ、寮住まいで、家事が苦手ならなおよし。多少、歳は上ですが、ごはんと掃除なら任せて安心お得ですよと売り込みたかった。
だがしかし、結婚を意識している若い軍人さんは当然ながら適齢期の若くて可愛い女の子しか眼中になかった。
しかも、鍛えた精悍な肉体をかっちょいい軍服で包んでいるのだ。例えるなら、リボンのついた宝石である。声を掛けられた女子も頬を染めて満更でもない顔になろうというものだ。
むしろ『その宝石わしがもらったあああああっ』と背景の文字が見えそうな気迫を持って優雅に結婚へのチャンスを掴み取るご令嬢多数である。
押され弾き出されたコーリーは見事に壁のシミとなった。
ぶんちゃっちゃぶんちゃっちゃとワルツが流れるダンスフロアを眺める。
シャンデリアも花も男女も輝いている。
キラキラだ。壁のシミにはちょっと眩しすぎた。
コーリーは、恋がしたいわけではない。
母たちの春を邪魔しないよう家を出れさえすればいいのだ。
だから、最初は住み込みで働ける仕事を探していた。しかし、面接先にて正直に「母が再婚するので、それまでに家を出たい」と話したところ「え、再婚相手から追い出されそうなの?」と誤解されて、ぶっ倒れそうになった。
なんとか誤解は解いたものの世間からはそういう目で見られる可能性があると知って、住み込みの仕事はきっぱり諦めた。
一人暮らしも考えてみたものの、同じ理由で却下した。
母と青年の名誉のためにも、いらぬ憶測と誤解を生みたくはない。そして、なんとか円満な解決法はないものかと頭を悩ませ、婚活に踏み切ったのだ。
若い軍人の多い王都なら可能性はゼロではないはずだと意気込んだんものの、結果は惨敗。
コーリーは虚ろな目で遠くを見つめた。
高望みだったのかしらね。
うん、と自分で頷いてみる。
もうちょっと、頑張って他の方法を探そう。
そうして、眩しい会場から逃げるよーに、よたよたと外へ出た。
***
公爵家の庭は、薔薇が有名だ。奥方が薔薇好きなため、多種多様の薔薇を腕のいい庭師が管理している。
特にこの季節は、多くの品種が咲くため、そこかしこから薔薇の香りがする。
会場の熱気に当てられたコーリーには、静かな夜の庭が心地いい。
しばらく、散策してから戻ろうかと歩き出した時だ。
乾いた音がした。
掌が皮膚を打つ音だ。
この時点で引き返しておくべきだったが、茂みから飛び出してきた女性にぶつかって尻餅をついてしまった。
ぶつかってきたのは、華やかな美人である。その顔に見覚えがあった。なにせ、夜会の主催者の娘だ。美しいと評判の彼女は、コーリーをキッと睨み、そのままヒールを打ち鳴らして走り去った。
コーリーは、顔が引き攣るのを自覚した。
たしか、来月、隣国へ嫁ぐと耳に挟んだような。
修羅場、かな。
コーリーは咄嗟に保身に走った。
公爵家の醜聞を知っているとなれば、公爵家から睨まれるのは必須。この上、お相手の顔まで知っているのはまずい、何食わぬ顔を作って会場に戻ろうと考えた。
しかし。
「おや、誰かな?」
相手の方が先に出てきた。
なんてこった。
茂みからひょっこり現れたのは、黒褐色の髪と瞳を持つ美丈夫であった。
ウィルコット侯爵家の六男。
オーティス・ウィルコット 。
社交界の貴族事情に疎いコーリーでも知っている当代一のモテ男である。
この男の凄いところは、男女問わずモテる点であろう。
関係を持った男女をことごとく骨抜きにし、時に流血沙汰を起こし、にもかかわらず奇跡的に背中を刺されず生きている伝説の人である。
そんな男が、目を丸くして尻餅をついたコーリーを見ている。その頬には平手の跡がある。
コーリーは、がっくりと項垂れた。
ガッデム。
思ったが口にしなかっただけ、褒めてもらいたい。
「大丈夫かい? 立てる?」
コーリーの心情など知らず、オーティス・ウィルコットはほけほけと手を差し伸べてくれる。さすが、モテ男は親切だ。
しかし、コーリーはその手をやんわり拒んだ。自分で立ち上がり、微笑む。
「ありがとうございます」
あくまで、何も見てませんよー、聞いてませんよー、関わりませんよーと気持ちを込めて踵を返したが、ガシッと後ろから肩を掴まれた。
「まあ、待ちなよ」
にこやかな声が憎い。
「あらやだ、うふふ。失礼しますー」
そっと手をどかそうと試みたが、この男意外に握力が強かった。指が食い込んで痛い。くっ。
ちらっと振り返るとオーティス・ウィルコットはにっこり微笑んでいる。
あ、こいつ性格悪いぞ、とコーリーは思った。
「まあ、そんな急がなくてもいいじゃないか」
さらに、ギュウッと肩を握られた上、引き寄せられた。ええい、痛いじゃないのよ。
なんの、負けるものか。
「ごめんあそばせ。私、まだ何も食べてなくて。急がなきゃっ、肉が無くなってしまうわ。オホホ」
適当なことを言って、足を踏ん張るが、踵の高い靴では限界があった。
ひょいっとつま先が浮いて、腰が拐われたと気がついた時には、茂みの向こうに連れ込まれていた。
咄嗟に叫ぼうとした口は塞がれる。肩を掴まれなくなったのは喜ばしいが、危険は増した。大ピンチである。
「まあまあ、そんなに急がずとも、お肉は逃げないよ。なんなら、今度好きなだけお肉食べさせてあげるからちょっと付き合って」
コーリーは、ピタリと抵抗をやめた。
今なんと。
好きなだけお肉を食べさせてくれると仰ったか。
急に大人しくなったコーリーをオーティスは不審に思ったらしい。慎重にコーリーの顔を覗き込み、瞬いた。
「……お肉、好き?」
はい、とっても。
口を塞がれている関係で首は動かせないので、大きく瞬きすることで、答えに変えたが、伝わったようだ。
オーティスは、微妙な顔になった。
「うん、そっか⋯⋯ 」
そっと拘束が外された。
「よければ、座って話さない?」
オーティスの方を向くとその向こうに東屋が見えた。近くに小さな噴水もある。
「わかりました」
一応密会なので、声を潜めて頷けば、当たり前のように手を差し出された。エスコートしてくれるらしい。
今夜初の淑女扱いに、コーリーは苦笑する。
こういうことを誰に対しても自然にできるからオーティス・ウィルコットはモテるのだろう。
けれど。
「その手は大事な方のために取っておいてください」
コーリーは断った。
「貴方は、もう少しご自分を大事になさった方がいいです」
そうやって、誰にでも親切にしちゃうから頬叩かれるようなことも起こるんですよ、と突っ込みたい。
それに。
「女も二十七になれば、自分で歩けるので御心配なく」
尻餅ついても自分で立ち上がれるし、自分が行きたい方向も決らめる。
からりと笑ったら、オーティス・ウィルコットが目を丸くした。それから、差し出した自分の手を見て、苦笑する。
「残念。けど、一度出したものって、引っ込めるのが難しいんだよね」
そう言って、コーリーの手を取り腕にかけてしまった。あ、という暇もない。早業である。
「て、手慣れてる」
思わず口から出た感想に、オーティスが吹いた。
「うん、手慣れてますとも」
すぐに外そうとしたが、東屋まで大体十歩くらいだ。いいか、このくらいと諦めて、コーリーは歩いた。
男性と腕を組んで歩くのは初めてだったが、思いの外歩きにくさは感じない。たぶん、オーティスが歩幅を合わせてくれているのだろう。
それに。
(あらこの人、意外に筋肉あるわ)
ちょっぴりときめいた。現金な自覚はある。
「貴方の真似をしたら私もモテるかしら」
つい口に出た戯言にオーティスがまた笑った。
「僕の? やめておいたほうがいいよ」
「あら、どうしてですか?」
オーティスは答えなかった。
東屋に着いたからだ。彼は、ベンチに自分のハンカチを敷いて、コーリーに座るよう促してくれたが、コーリーは丁寧に辞退した。
だって、そのハンカチ絶対、コーリーのイヤリングより値段が高い。そんなのお尻に敷けない。
きちんと畳んで、お返ししてからベンチに座ったら、オーティスは口元を押さえて笑いを堪えているところだった。肩が震えている。
「僕、ハンカチを返されたの初めて」
「そうなんですか? じゃあ、初体験おめでとうございます」
なんか違う気もしたが、とりあえず祝っておく。
オーティスはさらに笑った。
意外によく笑う人だ。笑い上戸なんだろうか。
にこやかな印象はあれど、目元は涼やかだし、口を開けて笑うイメージがないから、世の男女は彼のこういうギャップにやられてしまうのかもしれない。
感心して見ていたが、笑っている彼の頬が腫れているのに気がついて眉をひそめた。痛そうだ。
コーリーが立ち上がろうとすると、すかさず肩を押された。浮いた腰がベンチに戻って、きょとんと見上げた先に、笑いを収めたオーティスがあった。
「どこにいくのかな?」
笑いの余韻を残した声は柔らかいが、目付きは鋭い。
どうやら、逃亡を疑われたようだ。
コーリーは素直に近くの噴水を指差した。
「あっちに行きたいんですけど」
「どうして?」
どうしてって。
「その頬、冷やした方がいいですよ。腫れてます」
オーティスは「ああ」と今気がついたように頬に触れ、「貴女は優しいね」と微笑んだ。
けれど、どこか冷めた声だった。
つまらない物語を見たときのような反応に、コーリーは、びっくりして、
「結構面倒くさい人だなあ」
と、思い、うっかり口にしてしまった。
薔薇の香りが立ち込める中、コーリーとオーティスは見つめあう。
片や、名門侯爵家令息。
片や、平伯爵令嬢。
この場合、立場的にどっちがまずいかなど、火を見るよりも明らかである。
沈黙は長かった。
「あの」
コーリーは、カラカラに乾いた口を開いた。
「うん」
オーティスは、真顔だ。
「き、聞こえちゃいました?」
「うん」
で、ですよねーー!!
「空耳だと思いますんで、忘れてください」
うふふーっと笑って見たが、にっこり「やだ」と却下された。
「僕は面倒くさい人間なので、忘れません」
ああ、しっかり根に持たれた⋯⋯ 。
「さて、お話、しようか」
「ハイ」
***
オーティス・ウィルコット は、腫れた頬もそのままにコーリーの隣へ腰を下ろした。
きちんと人一人分空けて座ってくれるあたりは、紳士だと思うが、その整った顔が腫れていると思うと、どうにも落ち着かない。
「あの、ウィルコット様、大変差し出がましいようですが、せめて、顔を冷やしながら話しませんか」
一応提案してみたが、「慣れてるんでお気になさらず」と笑顔で却下された。
「このくらいなら、すぐ治るので」
コーリーは口を噤んだ。慣れるほど殴られてきたのかと、突っ込んだらいけない気がする。
「では、あの、その手の口紅だけでも拭いていいですか」
オーティスの掌には、コーリーの口紅が付いてたままだった。さっき口を塞がれた時についてしまったらしい。
きょとんとわかっていない様子に、掌を指し示す。彼は瞬いて「ああ」と頷き、何を思ったのか、掌を顔に近づけて、ぺろり、となめとった。
「え。えええええ」
ドン引きである。
なんだそれ。なんだ、それ!
普通舐めるか。
しかも、本人の前で。色気ダダ漏れだ。
すごいな。
でも、嬉しくはないぞ!
断じてない!
うわああ、なんてことしてくれるんだ。
口紅を舐めるなんて。
「ハンカチで拭ってくださいよ! どうして舐めるんです!」
「女性の紅は落ちにくいんだよ」
しれっと宣う。
ねえ、それは、経験談ですか。きっと、経験談なんでしょう。ちくせう、モテモテさんは違うぜ。
「たしかに、そうですが! 口紅は汚れた方をタオルにつけて、裏からアルコールで湿らせたガーゼで叩けば、落ちますから」
「それ、タオルが汚れるでしょう」
「ええい、もう、私がまとめて洗濯してやりたい」
「⋯⋯ あなた、洗濯できるの」
貴族なのに? という含みを持った驚きに、コーリーは溜息をついた。
「できちゃいけない法律でもありますか。家事が好きなんですよ。洗濯のシミ抜きも得意です」
「へえ」
その「へえ」は、平坦だった。感嘆か皮肉か読み取れない。
だが、読み取れなくても問題ない類のものだ。
コーリーはもう一度吐きかけたため息を飲み込んで、話を先に進めるために口を開いた。
「それで、お話と言うのは」
「結婚相手を探しているんだって?」
コーリーは面食らった。
てっきり、さっき見たことは誰にも言うなとか言われるかと思っていたのだ。
「はあ、まあ」
なので、回答も曖昧なものになる。
なんで知ってるんだろう。
彼は軽く頷き、コーリーを真っ直ぐに見つめた。
「じゃあ、僕と結婚しようよ」
「けっこん」
「結婚」
「誰と誰が」
「僕と貴女」
「冗談、ですよね?」
私たちさっき出会ったばかりですけども。
「いや、本気。だって、貴女、かなり切羽詰まってるでしょう。僕もなんだよね」
兄から結婚しろって、言われちゃってと続いた理由に、なるほどなあと納得してしまった。
そりゃあ、こんな三百六十度全方位からモテまくってるうえに、女性にビンタされても「慣れてる」と宣うような弟がいれば、心配で仕方ないだろう。
きっと、そのお兄さんは、結婚することで弟が落ち着くことを望んでいるに違いない。
しかし。
「ウィルコット様は、ご結婚されたところで、変わらないように思いますけどねぇ」
結婚したからと言って美麗な容姿が変わるわけでもなし、むしろ政略結婚もある貴族においては、結婚後に別の人物と恋愛することだってよくある話なのだ。
しみじみ言ってから、失言だったかと慌てたが、オーティスは何も言わなかった。
ほんの少し黙ったままコーリーを見る。そこにはなんの色もなかった。
「まあね」
ただ、さらりとそう言って流した。
少なくとも怒ってはないようだ。
「それで、どう?」
ちらりと、黒褐色の瞳で見られて瞬く。
「どう、とは?」
「だから、結婚」
うーんと唸る。
「契約って仰いましたよね」
「そう」
「なら、まず、契約内容をお聞かせ願えますか」
「おや、前向き」
意外そうに目を見張られたので、焦って首を横に振る。
「え、違いますよ!自衛です!」
詳細を確かめず契約すると痛い目に合うと知っているだけだ。契約するかどうかは、別問題である。
言外に胡散臭い話だと思っていることを暴露したも同然だったが、オーティスは機嫌よく笑っただけだった。
「あはは、いいね。前向きで慎重だ」
それから、オーティスは、少し考えるそぶりを見せた。次いで、ちらりと視線だけをコーリーに向ける。
「君が知りたいことから答えていこうか。まず、何からがいい?」
おや、コーリーに、話の主導権を譲ってくれるらしい。コーリーは、少し考えた。
「そうですね、まず⋯⋯、 なぜ、私に契約を持ちかけたのかから伺いたいです」
そう、一番怪しいのは、そこだ。
オーティスは、有名人だ。
彼と結婚したい人は男女問わずたくさんいるだろうし、何を考えて初対面のコーリーに声を掛けたのか。
これが、普通のプロポーズなら(無に等しいとわかった上で)一目惚れという可能性も視野に入れてよかったのかもしれないが、オーティスが持ちかけてきたのは「契約」だ。
ということは、つまり、オーティスから見てコーリーに利益となる点があったということである。それが気になる。
果たしてオーティスは、コーリーの言いたいことを察したようだった。
「利害が一致すると思ったからだよ」
形の良い唇が、ずはりと言い切る。
しかし、コーリーには、その利害がなんであるのかまだわからない。
「君はさ、恋愛を結婚相手に求めているわけではないだよね」
はつり、と瞬く。
あれ、なんで知ってるんだろう。
「⋯⋯ もしかして、顔に出てました?」
尋ねたら苦笑された。
回答を避けるのは、オーティスなりの優しさなのかもしれない。
代わりのように、彼は「僕もなんだよ」と笑みを和らげた。
「僕も結婚に恋愛は求めてない」
「はあ」
そうなのか。
ということは。
コーリーが可能性に思い至ったのを察したようにオーティスはにっこりした。
「とにかく、兄に結婚したと報告できればいい。離婚についてはとくに言及されてないから、いつでもできる」
なるほどなぁ。
「つまり、結婚を契約と割り切れて、ウィルコット様の行動に口を出さない都合のいい人が入り用なんですね?」
この御仁、やっぱり結婚後も遊ぶ気満々なのである。
「ご名答。君、僕にさして興味ないでしょ? 自分で言うのもどうかとは思うけど、僕に感情を向けない人って珍しいんだよ。というか初めて」
「えー、わからないですよ、そんなの。そりゃ今は初対面ですから、さしてなんとも思ってませんけども。毎日そのお顔を拝見していたら、くらっと来るかもですし。いざ、離婚つてなったときに、いやーって執着するかもですし」
「逆に僕が君に惚れ込んで『絶対別れない!』って言うかもしれないし?」
楽しげにちゃかされて、コーリーは口をへの字に曲げた。
「ないってわかってて言うのはなしですよ」
「君もね」
ひょいっと彼は大きな肩を竦めてみせる。
「さっきから、妙に私のことを信頼してませんか? なぜです?」
初対面なのに。
心底わからなくて首を傾げれば、彼は腫れてない方の頬に手を添えて、頬杖をついた。上体が曲がって、コーリーを覗き込むような形になる。
その顔は、楽しげだった。
「僕を誰だとお思いだい?」
煙ぶる睫毛に縁取られた黒褐色の瞳は夜の煌めきを宿し、口許は蠱惑の色に染まる。
今更ながらに思い出す。
ウィルコット侯爵家の代名詞は、ディティアナの一族。
ディティアナは、美と愛を司る女神であり、古代の神の中でも最も美しいと謳われた美神だ。
「ウィルコット家の末息子。恐れ多くも国王陛下をして『最もウィルコットらしい』と言わしめた国一番の放蕩息子だよ。男も女もみーんな僕の前では恋をする。僕は誰よりも恋する人間の顔を知っている。だからこそ、絶対に恋に落ちない人間の顔もわかるのさ」
君は人に親愛を抱いても恋愛感情は抱かない。相手を独占したいとすら思わない。手放しで愛する人の幸せを喜べる。嫉妬とは無縁の人間だ。
その上、本質的に生きていくにあたって他者を必要としていない。
いつでも、一人で生きていけるだけのスキルまである。
「君みたいな人に恋をして夫になった男は悲劇だよ。ずっと片想いだもの。天秤が釣り合わない。悪いこと言わないから僕にしときなさい」
お互いのためにもね。
コーリーはぽかんと間抜け顔でそれを受け止めた。
なかなかなことを言われたのだが、圧倒的な美貌に目がチカチカして、思考が回らないのだ。
人間、限度を超える美を前にすると脳が処理しきれず落ちてしまうものらしい。
「は、はぁ、じゃぁあのよろしくお願いします?」
空っぽの頭でよくわからないままコーリーは結論を出し、オーティスはにっこりと微笑った。
強いて言えば都合が良かったのです。お互いに。 @ktsm
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