整形

成瀬 栞

整形



 自分の顔が嫌いだ、この上なく。


 一重でのっぺりした目は卑しい泥棒みたいに濁ってるし、つぶれた鼻も唇も醜すぎて、見てられない。毎朝洗顔の際に触れる肌の荒さにはほとほと嫌気がさしてしまったし、そのたびに瞳に映り込む自分の顔が、一番の吐き気の原因だった。


 あちこちでスマホを掲げる女子共がいる。キャッキャウフフと私の神経を逆なでして、あちらこちらで沸いている。湧いている。


 一つのレンズに吸い込まれた自分自身を飲み込み直して、よくも笑顔でいられるなと常々思う。私もどうかとスマホを片手に、愛想笑いを張り付けたやつらの、断った際の眉根を寄せる様子にはほとほと飽きてしまった。


 ある日私は魔法を授かった。

 整形という魔法だ。

 自分の顔が好きになれないのなら、それを好きになれる顔にしてしまえばいい。

 何で今まで気が付かなかったのだろうか。

 いつもは憂鬱な気分でしか見れないそれの、電源を入れて発光した画面に指を走らせながら、仲間のレビュワーをかみ砕いた。


 心を躍らせながら整形を受けに出かけた。

 不思議と周りの目は気にならなかった。

 普段はどこへ行くにも極限まで息を殺して、帽子を目深にかぶって、まるで溝に潜った太っちょネズミみたいに惨めな気持ちで道路の脇を歩いていた。

 それが今から剥がれ落ちてくれると考えただけで、なんとも楽な気分だった。


 生んでくれた親への感謝? 素のままのあなたの素晴らしさ?

馬鹿らしい。自分事でないから、そんな偽善に満ちた科白を、さも相手のことを思っているような口ぶりで、顔で、嘯くことができるのだ。

 毎朝、心に突きたてられる、針の痛みを知っているのか。いや、判られたくもない。

 ただ、無知なまま喚けば良い。私の手元にはとうにあなたたちの言う感謝の一欠片も残ってなくて、それらが過去痛みを誤魔化すために、クレヨンの様にぐりぐりと浪費されたことを知らずに。

キャンバスは何か。私の顔だ。

私は私の親からの授かりものに、親への気持ちを塗りたくった。月光にてかる蝋は恥の証だった。

 今日それらを払拭する。全てを剥がす。それによって私は、生まれ変わるのだ。


 どうやらすべて好きに変えてくれるらしい。まだ自分に、自分の現実を見つめる余裕があった際に見つけた、いかにも万人受けしそうな子犬系女子の顔をリクエストした。

 これですべてが、変わる。

 書類にサインする手に力がこもる。

 魔法は自然に掛けられない。自分で掛けるしか他ない。それはその系譜の第一歩なのだと今実感した。


母親の微笑み掛けは、私に微笑みをもたらさなかった。つらい日々へ橋を架けたに過ぎなかった。愛と共に私に授けたのは、この醜い姿だった。どうせならもっとましなものを授けてくれればよかったのに。


壇上へ上がる。光が私を突き刺す。

後悔はしないですか、そんな呼びかけを一笑に付する。

後悔は溝にうずめて薄らいでいる。

親への罪悪感など等に丸めて吐き捨てて居る。はず。

麻酔針が腕に刺さる瞬間、心臓に一筋紅が走ったけれど、すぐに大量のかさぶたで覆いつくされて埋もれていった。


 目が覚める。鏡を手渡される。私のレンズと無機質な鏡が見つめ合った。

 そこにいたのは紛れもなく誇れる顔だった。


 笑う。唇がきれいな弧を描く。歪なトウモロコシは鳴りを潜めて、桜色の月に納まっていた。

 瞬く。瞼の上の渓谷が二本、シャッターを蓋で覆っては開けてを繰り返す。

 透き通る瞳で、ふっくらとした頬で、凹凸のくっきりとした鼻に整った眉を見て笑う。嗤う。


 これで私は魔法を授かったのだ。

 街へ出る。

 ヒトの視線がなぜだか心地よかった。

 突き刺すような視線は和らぎ、私にやさしく降りかかる。

 太陽の暖かさをここまで感じることができたのはいつぶりだろう。

 ウィンドウガラスに映り込んだ粗末な服に気恥ずかしくなる。この顔に相応しいものを用意しなければ。そんな気さえも湧いてくるのだから不思議だ。

 レースとフリルの洋服は、幼いころベビー服着たきりだ。のっぺり顔には分不相応と笑われれてから、柄さえも嫌いになっていた。

 鏡の前で笑う。店員の、どこか呆けたような桃色のため息が、ネズミの餌を泥からチーズに置き換えた。


 クラスメイトの表情に内心ほくそ笑む。

 あれだけ私を醜いといっていた奴らが、一部では可愛いと褒め称え、一部ではなお醜いと噂する。

 どうとでもいえばいい。

 魔法を授かる勇気がないやつらの、負け惜しみの様な視線を浴びながらカメラのレンズを覗き込んだ。

 キャッキャ何てしていない、そう過去の自分の慰めに思ってみるも、心が高揚するのを抑えられている気はしなかった。

 咀嚼した自分自身は、羨望のソースで彩られた、豪華な肉の味がした。


 母親の視線に眉を寄せる。

 どこか絶望したような、それでいて痛みをこらえるような表情に、何故だか罪悪感がこみ上げてくる。いや、あの日捨てたはずのそれが、皺だらけのまま広がった感覚がした。

 ずぶずぶと燻る漆黒の炎でそれにあちこちに穴が開いて、空虚な暗闇が目に広がっていった。


 何故だろう。

 魔法を授かったはずなのに。

 葡萄酒片手にソファに深々腰掛け、月光を背中に優越感の風呂に浸るはずだったのに。

母親の声が、顔が、涙が、蝋を剥がしとった新たな私の顔さえもべきべきと圧し折っていく。

豪華な食卓に期待して、舌の肥えたネズミを暗闇へと引きずり落としていく。

魔法がかかったところで、しょせんネズミの住処は、溝の中なのだろうか。口腔内に砂利が広がって、ざりざりと不快な音を立てた。



 気が付いてしまった。

 自分を愛するためだといいながら、その実ちっとも自分に向き合っていなかったことを。

 いや、判り切っていた。ただただ群に対する個である、自分に虚勢を張り続け居ていたに過ぎなかったことを。

 自分のことが嫌だといいながら、他人の目に映る自分をけなしていたのだ。

 相手の目というフィルターを通して、見つめ合った自分が嫌いなだけに過ぎなかった。

 万人受けしそうな、何て、自分のことが嫌いなのに、如何にも自分の意志で自分を変えるというような口ぶりをしていたくせに、新たな顔の価値基準を他人に投げやっているところから気づくべきだった。


 私は何のために魔法を授かったのだろう。いや、魔法じゃない。魔法を解く魔法、言い換えるのならそれは呪いだ。

 気が付きたくなかったことを、すべて私に降り注いで圧死させる。

 とめどなくあふれる感情が、栓の壊れた蛇口から流れ出る。


 呻吟してももうどうにもならない。

 自分の醜さに、愚かさに、胃がひっくり返ってしまいそうだった。

 かさぶたの隙間からあふれた鮮血が、どくりと広がっていく。

 

 コンクリートの地面に拳を振り落とし、誰もいない闇夜で泣いた。





 あの日の事実は、私を刻一刻と蝕んでいた。

 何をするにも虚無が広がっていた。

 以前と同じようにスマホを視ることはできなくなったし、他人の視線が気になった家から出ることもできなかった。




 もう耐えられなかった。



 気が付いた時には私は自分に手を伸ばし。

 そこから光を抜き取っていた。

 最後に見たのは吐き気をもたらすような可愛らしい顔。

 次に訪れたのは世界の暗闇で、母の絶叫だけが嫌に響いていた。



 暗闇の世界は良い。

 誰の目も気にすることなくいられるから。

 今の自分がどんな表情だろうと醜い顔だろうと気にする気すら起こらなかった。

 相変わらず手に触れる肌の荒さには笑ってしまうけれど、ようやく素の自分でいられるような気がした。

 自分の持っていない器官を、他人を通して感じることは難しいから、なんとも気が楽だった。

 



 誰も私の顔について何も言わない。私も考えない。こんなに心が軽いのは久しぶりだ。

 これからは四感で生きていく。

 ありのままで生きていける。

 ネズミは今も溝の中だけれど、清らかな泥風呂に浸って、ぬくぬくと過ごすことができている。


 そう思ったのに。

 そう決意したのに。


—————何故だろう。


 今度は喉から零れる自分の声に、吐き気を催した。

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