第13話 疾風勁草

1月27日 11時 暁広たちが出かけて2時間


 佐ノ介は1人自室の前の廊下を歩き回っていた。ただその姿はいつもの佐ノ介ではなかった。口元を手で隠しながら延々と何かを呟きながら歩き回っている。

「どこいったんだ…マリ…」

 誰にも聞こえないように佐ノ介はそう呟いていた。

「うぃーっす佐ノ介」

「おい数馬!」

 佐ノ介の後ろから軽い挨拶をする数馬に、佐ノ介は振り向きざまに大声を出す。数馬はわざとらしく頭をフラフラさせてから返事をした。

「どしたよ佐ノ?らしくねぇじゃ」

「マリを知らないか!?今朝から姿が見えないんだ!」

 数馬の言葉を遮るようにして佐ノ介は数馬に尋ねる。数馬は片耳を塞ぎながら考える。

「知らねぇけど」

「本当なんだな!?」

 佐ノ介は数馬の胸ぐらをつかみあげながら尋ねる。数馬は佐ノ介をなだめるようにして答えていた。

「おいおいおいおい落ち着けよ、ホントだよ」

 佐ノ介は数馬から手を離す。数馬は服を軽く整えると佐ノ介に尋ね始めた。

「どうしたんだよ?」

「マリが急にいなくなった…お互いに予定がある時は確認し合うようにしてて、今日はお互い何の予定もないはずだった。なのにこれだ、どこ探してもマリがいない」

「急用ができたんじゃねぇの?そんな慌てるようなことでもないだろ」

「だといいんだが…マリらしくなくて…」

「帰ってきてから何してたか聞けばいいじゃん。訓練までには戻ってくるだろ。ほら、飯いこーぜ」

 数馬が軽いノリで佐ノ介に言う。佐ノ介としては未だどこか腑に落ちていない様子だったが、どうしようもないので数馬についていき、そのまま一緒に食堂へ向かった。




同日 13時 暁広たちが出かけてから4時間

 訓練場に子供たちが集まる。

 幸長はいつも通り名簿と子供たちの数を数えたが、何人かいないことに気づいた。

「…数が少ない?連絡が入っていないが…誰がいない?」

 幸長は班ごとに並んだ子供たちと名簿を交互に見返しながら誰がいないのかを確認していく。

「魅神…原田…黒田明美…遠藤…星野…5人もいない?誰か事情を知らないか」

 幸長の問いかけに子供たちがざわつく。幸長の方も思いつくことを全て脳内で整理する。しかし何も思い出せない。

「教官」

 美咲が手を挙げて幸長に声をかける。早速幸長は美咲の方を向いた。

「なんだ、伊藤?」

「昨日の時点で魅神くんと原田さんは一緒に出かけると言っていました。黒田さんはそれを追っているはずです。だから少なくともこの3人は一緒にいると思います」

「どこに出かけているかはわかるか?」

「確か、パンケーキ屋って言っていたと思います」

「どこの?」

「そこまでは…」

「わかった、非常に助かった、ありがとう」

 幸長は美咲の言葉を聞いて早速横にいた佐藤に目配せをした。佐藤はすぐに答える。

「パンケーキ屋なんて正直いくらでもあるわ。さすがに広すぎる」

「だがこちらには人数がいる」

 幸長はそう言って子供たちの方を向き直った。

「諸君、今日は訓練の代わりに魅神たちの捜索を行う。だが、事件性があるかも知れない以上各自気を抜くようなことはしないように」

 幸長の口調は軍人のそれだった。子供たちは緊張感を持って返事をする。幸長は早速これから何を行うのかを説明し始めた。

「各班分担してそれぞれの店に聞き込みを行う。A班は東側、C班は北側、D班は南側の店舗に聞き込みを行ってくれ。効率のために班を分割するのも構わないが、くれぐれも君たちまで行方不明にならないように。B班はここで待機。魅神たちが戻ってきたら各班に連絡すること。質問は?」

 子供たちは沈黙する。いつでも任務に行けるという意味だった。

「よし、作戦を開始する。我々からも随時連絡を入れる。それと、各班佐藤から店の位置を確認すること。作戦開始!」

 幸長が言うと、各班の班長が佐藤の下に集まる。佐藤は早速持っていたタブレットに周囲の地図を表示し、班長たちにパンケーキ屋の位置を教えていた。一方で幸長は訓練場内の固定電話で武田に子供たちを動かすことを伝えた。

 そんな様子を数馬は少し離れたところから壁際に寄りかかって眺めていた。

「数馬」

 考え事をしていた数馬の横から竜雄が声をかける。数馬はおぅ、と軽く返すと、向き直って話し始めた。

「どした竜雄?」

「いや、単純にさ、トッシーたち心配だなぁって。なんか事件に巻き込まれちまったのかな」

「まさかぁ、サボりだろ」

「玲子がサボるかなぁ」

「…言われてみりゃそれもそうだな。あいつこれ以外生き甲斐ないはずだし」

「もう殺されてるかも」

「そりゃないと思うな。あいつ無駄にタフだから」

 数馬と竜雄が喋っていると、2人の共通の班長である遼が軽く2人を手招きする。2人は小走りで遼の下に集合した。

「俺たちが聞き込むお店はこの北側の4つ。今俺らは6人だから3人3人に分かれて聞き込もう。終わったらここに集合」

「メンバー分けは?」

「俺と香織と武、数馬と竜雄と桃の分け方。俺らはこっち2つ行くから数馬たちはそっち2つ頼むよ」

「おっしゃ」

「いくぞ」

 遼が伝えてみんなうなずく。そのままC班のメンバーは走り出した。




 早速C班は拠点であるビルから出ると、二手に分かれつつ北側に向かった。

 二手に分かれたうちの片割れである数馬は桃、竜雄と一緒に一番近いパンケーキ屋に向かっていた。

「こっちで合ってる?」

「間違いないと思う」

 数馬が桃に尋ねると、桃は地図を見たまま答える。

「どうもどうも。あいにく土地勘ないとこだと方向音痴なもんで」

 数馬の軽口に桃は少し肩をすくめただけで返事をする。愛想がいいとは言えない返事だった。

 微妙な空気のまま3人は5分ほど入り組んだ道を歩く。ようやく辿り着いたのは、すでに潰れてしまいそうな、薄暗くボロボロの店だった。

「…ここにあいつらが?」

「さぁ?」

 数馬が不思議そうに竜雄と桃に尋ねるが、桃はそれを軽くあしらった。数馬は少しため息をつくと、竜雄を指で呼ぶ。

「俺と竜雄で聞いてくるよ。桃はここ頼むわ」

 桃が頷いたのを見てから、数馬と竜雄は店の中に入っていく。少しどころかとても嫌そうではあったが、数馬は店の今にも壊れそうな扉を開けた。

 一方、ひとり残された桃は退屈そうに周囲を眺めていた。

「はぁ…本当に何をやってるんだか…」

 桃はいなくなったメンバーに向けて呟く。いなくなったメンバーの中でも玲子は桃の親友であり、だからこそ少し厳しく評価していた。

「…ん?」

 桃はすぐに動物の気配を感じた。どこか生暖かいような空気。

 桃はすぐに足元を見た。そのまま少しずつ目線を上げていくと、見慣れない銀色のような毛を持った犬がいた。その場に伏せて目を閉じている。

「…おぉ…」

 桃は動物が好きだった。特に犬は飼っていたこともある。懐かしさと好奇心が桃を突き動かし、その犬のところまでゆっくり歩いていた。

 近くで見るとその毛はなおのこと整っており、体格も大きいような印象を受ける。きっとよく育てられた犬なのだろう。

「ちょっと失礼…」

 桃は静かにその犬の背中を撫でる。犬は全く撫でられていることを気にせず、そのまま撫でられていた。

「お前はいい子だね…見た感じ…柴かな…?でもなんかちょっと違う気がするな…」

 桃は不思議に思いながら、だんだんと手を犬の頭の方に持っていく。尖った耳と耳の間の額に手を入れて撫でると、犬も少し気持ちよさそうにしていた。

「うちの犬が気に入ったかい」

 桃の後ろから声が聞こえた。桃は振り向きながら立ち上がると、背筋を正した。そこにいたのは、痩せ型の中年くらいの男だった。

「失礼しました」

「謝ってほしいんじゃない。気に入ったのならそういってくれ」

「はい。毛並みもすごく良くて、撫でているこちらが楽しいくらいでした。あなたが育てた犬ですか?」

「そうとも。よければ他の犬も見せてあげよう」

 桃は男がそう言った瞬間、並ならぬ殺意を放ったのを確かに感じ取った。

 即座に後ろに下がろうと脚を後ろに出した瞬間だった。

 さっきまで寝ていたはずの犬が突如として桃を押し倒したのである。

「かず」

 異変を知らせるために数馬の名前を呼ぼうとする桃だったが、その口を男はハンカチで塞いでいた。桃がいくら暴れても犬と男に押さえつけられ、次の瞬間には意識を失っていた。

「ギンー、うまくやったな。お前は本当にいい子だ。後でうんと食べさせてやるからな」

 男は意識を失った桃を横目に、犬の頭を撫でる。犬も嬉しそうに尻尾を振り、舌を出して答えていた。

 そのまま男は桃を担ぐと、犬を連れてどこかに消えていった。



「よぉ、桃、ったく大変だったぜ、あのジジイ話通じねんだもん」

「パンケーキ屋じゃなくてただの喫茶店だったしな。…あれ?」

 数馬と竜雄がぼやきながら出てきたのは男が消えた数秒後だった。

 2人がいくら辺りを見回しても、桃の姿が見えない。

「桃?」

 数馬はひとまず名前を呼ぶ。やはりというべきか返事は返ってこない。

「ヤベェな」

「探さないとまずくないか?」

「あぁ、はぐれないように」

 数馬は竜雄とお互いに確認を取ると、ひとまず周囲に何か手がかりが残っていないかと探し始める。

「数馬、アレ桃のじゃないか?」

 竜雄が地面を指差す。数馬はその方向に走ると、竜雄が指差していたものを拾い上げた。

「桃の携帯か」

 数馬は折りたたみ式のピンクの携帯電話を広げる。だが桃がどこにいるかを示すような情報はそこにはなかった。

「桃がそう簡単に携帯落とすわけねぇよ。きっとなんかあったんだ」

「…誘拐とか?」

 竜雄の考えに数馬も自分の考えを述べる。

 自分達の考えがあっていそうなのが2人としては逆に恐ろしかった。

 そんな2人の緊張を掻き立てるように桃の携帯がジリジリと着信音を立てる。数馬はすぐさまかかってきた電話に応答する。

「重村だ」

「数馬か…?」

 電話から聞こえたのは遼の声だった。数馬はうなずきながら、遼の様子が何かおかしいことに気づいた。

「あぁそうだ、どうした?」

「香織が…さらわれた…」

「マジか…こっちは桃がいなくなった」

「多分同じ犯人だろ…一旦合流したい」

「わかった、今すぐそっちに向かう、待ってろ」

 数馬は短く答えて携帯電話を折りたたむ。鋭い表情になっていた数馬を見て、竜雄は尋ねた。

「なんだって?」

「香織が誘拐されたらしい。これから遼と合流するけど、遼もなんかやばそうだ」

「わかった。急ごう」

 数馬が頷いたのを見て竜雄は走り出す。数馬も不安を押し殺すようにして全速力で走り出していた。




 佐ノ介たちA班は東側を任されていた。

「男女で二手に分かれて聞き込み。いくぞ」

 元々無口な佐ノ介はさらに無口になっていた。無愛想で接しにくい佐ノ介に、周囲のメンバーはやや気圧されていた。

 構わず佐ノ介は真次と広志を連れて街を歩く。

 あまりにも殺伐とした空気に、広志はその場の空気をなんとかしようと話を始めた。

「みんなで脱走してサボってんのかなぁ〜」

「そんなわけないだろ」

 広志の気遣いも鋭すぎる佐ノ介の言葉の前には無駄だった。広志も思わず口をつぐんだ。佐ノ介はすぐに自分の言動を反省した。だがそれよりも先に真次が小言をいう方が早かった。

「おい佐ノ介」

「すまん、悪かった」

「本当に反省してるのか?」

「今が反省会の時間だとは知らなかったよ」

 佐ノ介が真次に皮肉で返す。真次も何か言い返しそうな様子だったが、見かねた広志はすぐに間に入った。

「まぁまぁそんなギスギスしなさんな。俺がふざけたのが悪かった。非常事態なのにな。俺が悪かった。これでこの話は終わりにしよう」

 広志がなんとかその場を丸く収める。これ以上争う理由のない3人はここで口喧嘩を止めた。

 気がつくと3人は目的地に辿り着いていた。

 店の外にも座席が置いてある、一階建ての洋風のパンケーキ屋。佐ノ介は店の扉を開けると、カウンターに立っている若い女性店員に話しかける。

「すみません、これくらいの身長の小学生男子、来ませんでしたか」

 佐ノ介が適当に手のひらで高さを示す。すると、女性店員は店の奥の方を指した。

 3人がそちらを見ると、暁広が保冷剤で後頭部を冷やしながら椅子に腰掛けていた。

「トッシーじゃねぇか」

「すみません、ありがとうございます」

 佐ノ介が店員に礼を言う。店員は不安そうに状況を佐ノ介に伝え始めた。

「あのお客さま、9時ごろにここにいらしたんですが、いつ頃かわからないんですけどボロボロになってて…人通りの少ないところに倒れていたので気付くのが遅くなってしまったんですけど、ここで手当てして休んでもらってました」

「あなたが彼を回収したのはいつ頃で?」

「10時ごろだったと思います。意識を取り戻したのは11時ごろだったと思います。お客さまを助けた時にどこにも連絡しないでほしいと言われて警察や救急にも連絡はしていないです」

「彼1人でしたか?」

「最初にお店にいらしたときは女の子を1人連れていましたが…助けた時にはいなくなっていました」

「わかりました、本当にありがとうございました」

「大丈夫なんですか?何か事件じゃ…」

「大丈夫です。彼の件は本当にありがとうございます」

 佐ノ介は姿勢を正し、踵を揃えてから深々と頭を下げる。店員も遠慮がちに少し頭を下げる。佐ノ介はすぐに暁広の下に大股で歩く。

「おい、トッシー、大丈夫か?」

 佐ノ介は暁広に尋ねる。暁広の爽やかな顔は、ところどころに大きな青あざが出来上がっていた。

「あぁ…大丈夫だ」

「何があった?」

 佐ノ介の問いかけに暁広は苦い表情をして答え始めた。

「茜と一緒に出かけてた…そしたら…茜が誘拐されて…助けようとしたら…訳のわからない連中がそれを邪魔してきて…このざまだ…!」

 暁広は後頭部を冷やしていた保冷剤を強く握りしめる。保冷剤がミシミシという音を立てていたのがわかった。

「玲子と明美と遠藤さん知らないか」

「知らない…だが相手の手口を見る限り、女子を中心に誘拐しているようだから…もしかしたら誘拐されたのかも…」

 佐ノ介の質問に暁広が返すと、思わず広志が声を大きくした。

「おい、美咲たちやべぇんじゃねぇのか?」

「二手に分かれたのは最悪だったか…!」

 真次が呟く。4人は思わず固唾を飲んだ。

 窓の外にバンが走っていくのが見えた。佐ノ介はそれを見逃さなかった。

 彼の優れた視力はそのバンの中にさえと美咲と桜の顔があったのを見逃さなかった。

「最悪だ…」

 佐ノ介は店を飛び出てバンの走っていった方に駆ける。だがバンの速度は早く、すでに佐ノ介でも見えない距離まで走り去っていった。

「佐ノ介!」

 店から遅れて広志が出てくる。佐ノ介は苦い表情で振り向いた。

「あの3人も誘拐された。目的は達成できたから、仕方がないけど一度引き上げる」

 広志は一瞬複雑な表情をしたが、うなずいた。



同日 15時 茜が誘拐されてから6時間

 暁広を見つけた佐ノ介たちは自分達の本拠点である武田のビルに帰ってきた。

 すでに他の班は全て帰ってきていた。しかし、訓練場に集まった人数は明らかに少なかった。

「…そうか、これで全員か」

 幸長は班ごとに整列させて人数を確認する。武田も幸長の隣に立って子供たちの数を数えていた。

「各班のいない人間を確認する。A班、伊藤、遠藤、金崎、吉田。B班、星野、原田。C班、黒田明美、中西、山本」

 幸長が名簿と照らし合わせて確認する。異論が生じないということは、それがいないメンバーだった。

「誘拐犯を目撃したものは挙手」

 武田は至って冷静に子供たちに指示を出す。手を挙げたのは遼、暁広、佐ノ介だった。

「状況を教えてくれ。まずは安藤くん」

「自分は見かけただけなのですが、伊藤、金崎、吉田の3人をバンに乗せて走っているところを見かけました」

「斉藤くん」

「パンケーキ屋に聞き込みをしていたらいきなり黒服の男たちが現れて…香織を…山本を締め上げながらバンに乗っていきました。俺と武も抵抗したんですが、勝てなくて…」

「魅神くん」

「遼と同じような感じです。パンケーキ屋を出たところ、茜だけをさらっていき、俺は殴り倒されました」

 3人の目撃情報を聞き、武田はひとり静かにうなずいていた。

「なるほど、確かに女子だけを狙った犯行のようだな」

「今後、何か予定はありますか」

 暁広が尋ねる。武田は冷静に答えた。

「君たちは待機だ。敵の目的がわからない以上、君たちを下手に動かすわけにもいかない。二次被害を呼ぶだけだからな」

「警察とは協力しないのですか」

「絶対にダメだ。私たちの関係は公式には存在しないものだからな」

 暁広の質問に武田は淡々と返した。少し子供たちとしても納得がいかないような返事だったが、彼らとしても何も言い返せなかった。

「仕方がない。しばらく全員の外出を禁止する。同時に、各自常時臨戦体制を整えておくように」

 武田が子供たちに指示を出す。子供たちが返事をすると、武田は幸長の方に向き直った。

「幸長、おそらくこの後敵は直接ここに来る。『交渉』にな。ここを戦場にして、返り討ちにできるように作戦を練っておけ」

「かしこまりました」

「私はここで一旦失礼する。あとは幸長の指示に従ってくれ」

 武田は子供たちにそう言うと、黒いジャケットの襟を正してからその場を立ち去った。

 薄暗い地下の廊下を歩きながら、武田は敵のことを考えていた。

(敵の狙いは、私だろうな)




同日 16時 茜が誘拐されてから7時間

 美咲は、手を後ろに回されて縛られ、膝をつかされていた。両隣には、同じように縛られたさえと桜がいた。

 薄暗かった。何人もの人間がいるのがわかったが、同時に全員から悪意をひしひしと感じていた。

 桜もさえも、表情が硬い。特に桜がここまで表情を硬くしているのは初めて見たような気がする。だがこんな状況に置かれれば当然恐怖でこうなるだろう。

「手荒に扱って申し訳ありませんね。お嬢さんたち」

 そう言ったのは3人の正面に現れた男だった。全身を黒のスーツで固めながら、薄い防弾ベストを身につけ、一見どこにでもいそうな柔らかな物腰をしていた。だが、どんなに柔らかい物腰であろうと、どんなに丁寧に振る舞おうと、彼女たちはその瞳に映る邪悪さを感じ取っていた。

「私の名前は船広ふなひろはかり。君たちは、金崎さえさん、伊藤美咲さん、吉田桜さんであっているね?」

 船広はなぜか女子3人の名前を知っていた。少し驚いたが、あんな手段の誘拐を実行できる相手ならその程度は知っていても不思議ではなさそうだった。

「そんなに怖い顔をしなくてもいい。せっかくの可愛らしい顔が台無しだ」

「私たちをどうするつもり?」

 美咲は震える唇を誤魔化すようにして尋ねる。船広は少しニヤッとしてから答えた。

「君たちに危害は加えない。少なくとも私たちは」

「どういうこと」

「質問の多い女の子は嫌いだよ」

 船広はスーツの裾の部分を少し払う。船広の右の腰に、鈍く輝く拳銃があった。いざとなればこれで美咲たちを殺すという脅しである。美咲は大人しく黙り込んだ。

「さて、君たちの顔を見られてよかったよ。しばらくお友達と休んでいてくれ」

 船広が言うと、美咲たちの周りに控えていた屈強な男たちが3人の縛られた細い腕を掴んでどこかに連れていく。3人は3人なりに少し声を上げるなりして抵抗するが、全く意味はなかった。

 しばらくして鉄格子が一部分だけついた分厚い金属の扉の部屋に来ると、ゆっくりと音を立てて扉が開き、3人はその中に押し込まれ、再び音を立てて扉が閉まった。

「美咲!」

 部屋の中で、美咲は声をかけられる。見ると、茜が同じように後ろ手で縛られた状態でこちらに声をかけていた。

「茜!あんた探してたのよ」

「ごめん。いきなり襲われて…抵抗できなくて…トッシーまで好き勝手殴られちゃって…」

「大丈夫、茜だけじゃない」

 茜が話をしている後ろから、明美が言う。やはり明美も縛られていた。

「ここにいるメンバーはみんなそうだと思う」

 明美の言葉が気になって、部屋にいる美咲はメンバーを確認する。

 茜、明美、美咲、桜、さえ、玲子、マリ、桃、香織。

 全員見知った顔だった。

「…敵は何が狙いなんだろうね」

「殺されるのかな…私たち…」

 桜の言葉に、香織も悲観的な言葉がつい口をつく。美咲もさっきから悲観的なことしか考えられなかった。

「まぁ、私らは人質、でしょうね」

 玲子が壁に寄りかかりながら1人呟く。同時に、玲子の言葉にマリが乗っかった。

「だったら、殺される確率は低そうだね」

「生きてさえいれば…きっとトッシーたちが助けに来てくれる。だから信じて待とう」

 茜が言うと、他のみんなもうなずく。薄暗い部屋の中、彼女たちの気持ちは少し明るかった。





同日 19時

 誘拐されていない子供たちは、食堂で夕食を食べていた。

 暁広も例外ではない。いつもなら両隣にいる茜と玲子がいない中、浩助、圭輝と向き合いながらパンをかじっていた。その様子は、いつも以上に静かで、穏やかだった。

 浩助はなんとなくそれが気まずく、暁広に話題を振った。

「なぁトッシー、敵を誘い込む作戦、うまくいくかな」

「あぁ、絶対に成功させる」

 暁広はスープを飲み干すと、力強く断言する。

「茜をさらった悪党どもを許しはしない。絶対に俺たちの手で1人残らず仕留める。2人とも、協力してくれよ」

 浩助と圭輝が少し詰まった返事をする。それを聞く間も無く暁広は食べ終えたお盆をもって立ち上がった。

「やる気だな、トッシー」

「そりゃあな」

 驚いたように暁広を眺める圭輝に、浩助は短く返す。圭輝は一瞬不思議そうに浩助を見たが、すぐに食事を再開した。

 

 一連の様子を遠目で見ていたのは数馬、佐ノ介、竜雄、泰平の4人だった。

「何人か妙に殺気立ってるな。任務に影響が出なければいいが」

 泰平は暁広の様子を見て米を自分の口に入れながら呟く。数馬がそれに答えた。

「仕方あるめぇ。急に友達奪われたら頭にくるのも当然だろうよ」

「え、数馬も頭に来てるの?」

 数馬の言葉に竜雄が不思議そうに尋ねる。数馬は少し宙を眺めて考える。

「まぁ、自分のミスで1人さらわれてるからな。それ以上にイラついてんのは遼と暁広だろ」

「彼女を連れてかれたんだもんな」

 数馬は敢えて佐ノ介の名前を上げない。佐ノ介とマリの関係は泰平と竜雄にすら秘密なのである。

「彼らの境遇には同情するが、それならばなおのこと冷静になってもらいたい。感情的になって勝てる相手ではないだろうからな」

 泰平の言葉に佐ノ介が無言のままジロリと泰平を見る。そのまま佐ノ介はスープを飲み干してから空になったカップをお盆の上に乗せ、無言でその場を立ち去った。

「…そういえば、あいつも今日は妙にイラついてるな」

「生理なんでしょ」

 泰平の疑問に数馬が冗談で答えた。


 食堂を出た佐ノ介は、他に誰もいない廊下でたまたま遼と2人きりになった。

「佐ノ介か」

「ども」

 佐ノ介は短く会釈して会話を終わらせるつもりだったが、遼も目的地の方向が同じなので、お互い並んで話し始めた。

「ったく、女ばっか狙いやがって。汚ねぇ奴らだ」

「そうだな」

「…悪りぃな、目の前で香織さらわれてイラついてんだ」

「そうか」

「佐ノ介は冷静だな」

「…そうだな」

 遼の放ってくる言葉に対して佐ノ介はただ短く返す。あまり親しくない遼には、佐ノ介が不機嫌なのがわからなかった。

 佐ノ介が小さく息を吐く。どことなく2人の間に気まずい空気が流れると、それを裂くように2人の後ろから暁広の声がした。

「佐ノ介、遼」

 2人は一瞬立ち止まると、そこに暁広が横に並ぶ。3人は横並びになりながら歩き始めた。

「トッシーも災難だったな」

 遼が暁広に言う。だが暁広は首を横に振った。

「いや、俺よりも辛いのはさらわれた茜たちだ」

 暁広は右手を見て握りしめる。この手は、茜まで届かなかった。今度こそ、この手で茜の手を握りしめてみせる。

「奪われたものは、絶対に取り返す」

 暁広は静かに言う。その場にいた他の2人も、大切な女性を誘拐されている。だからこそ、瞳に決意を宿して静かに頷いていた。

「2人とも、頼むよ」

「もちろんだ」

 遼は短く言い切る。佐ノ介も静かに、あぁとだけ答えた。




翌日 朝9時

 朝食を食べ終えた武田は職務室で待機していた。そして、窓の外に耳慣れない車のエンジン音が響き、自分のいるビルの前で止まったのを聞き逃さなかった。

 すぐに机の前の電話を取ると、低い声で短く連絡した。

「幸長、始めるぞ」


 船広は武田が所有し生活するビルの前に車を停める。国産のオープンスポーツカー。他には誰も連れてきていない。人通りもほとんどない。

 運転席に備え付けてある小さい鏡で自分の襟元を正すと、黒一色で染めた自分のスーツを少し伸ばし、車を降りた。

 ビルの入り口は自動ドア。だが、船広がその扉に立つ前にドアはゆっくりと左右に分かれて開いた。

 ビルの中から出てきたのは3人組。全員船広の顔見知りだった。

「お出迎えとはありがたい限りですね、武田さん」

「…船広察…」

 武田はじっと船広の顔を見つめていた。船広はいかにも取り繕ってある温厚な微笑みをそのまま武田に向けていた。

「幸長も元気そうで何よりだ」

 船広は穏やかに微笑んだまま幸長にもその表情を向ける。幸長は船広を睨んだままそれを鼻で笑い飛ばした。

「房江…」

 船広は幸長とは武田を挟んで反対側にいる佐藤を見て先ほどまでとは少し違った微笑みを見せる。そのまま佐藤に近づくと、佐藤の顎を少し左手で上げさせた。

「会いたかったよ」

 船広はそれだけ言うと、佐藤の唇に自らの唇を押しつける。だがすぐさま佐藤はそれを振り払うように船広の頬に平手打ちを叩き込んだ。

「…ふふふ、相変わらずだね」

 船広はまだ笑っていた。普段感情を表に出さない佐藤だが、嫌悪感を一切隠そうとせず船広を睨んでいた。

「まさかお前が生きているとは思わなかったよ」

 武田が無表情で言う。船広は微笑みそのまま返した。

「そうでしょうね。烏海からすみさんですら生き残れなかったんですから」

「ご用件は?」

「武田さんと2人でお話がしたくなりまして」

 船広はやはりにこやかに返す。武田も少し口角を上げた。

「奥まで案内しよう」



 真っ直ぐエレベーターに乗った武田と船広の2人は、お互い目も合わせなかった。

「それにしても、いいビルですね」

「元はホテルだったからな」

「素晴らしい」

 船広と武田が社交辞令的な会話を交わす。エレベーターが到着を知らせるベルを鳴らすと、自動ドアがゆっくりと開き、武田のオフィスが現れる。

 武田はオフィスの扉を開ける。船広は軽く一礼すると、オフィスの中に入った。

 窓際に大きな机と椅子があり、それよりも手前側には低い長机とそれを挟むように長いソファーが二つ並んでいた。

「どうぞくつろいでくれ」

「お言葉に甘えて」

 船広は武田の言葉に答えると、手前側の長ソファーに腰掛ける。武田もそれと向き合うように反対側のソファーに腰掛けた。

「それにしても、本当にいい部屋だ。どれだけのお金がかかったのでしょうか」

「そんな昔のことは忘れてしまったよ」

 船広の疑問に、武田は冗談めかして答える。だが目は笑っていない。船広は微笑んでいた。

「なるほど。でもいくら昔のことでも、忘れられないことは当然あるでしょう」

「たとえば?」

「『秘密』、とか」

 船広は武田を真っ直ぐ見据えながら微笑んで言う。武田も余裕の表情を返した。

「本題は?」

 武田が尋ねる。船広の表情の微笑みは、邪悪さを増した。

「交渉に来ました」

「ほう」

「私はあなたの秘密を握っています。これをマスコミにリークするだけでも良いのですが、それでは我々にリターンがない。そこで、あなたと話し合いに来たのですよ、武田さん」

 武田は表情を変えずそのまま頷く。

 船広は片足をもう片方の膝の上に乗せて足を組み、さらに太ももの上で両手を組むと、穏やかな微笑みと声はそのままに声を発した。

「さて、交渉といきましょう」


「交渉にきたというからには条件があるはずだ。聞こう」

 武田は早速船広に言う。船広は深刻そうな表情になると語り始めた。

「我々は現在、非常に苦しい状況に置かれています。湘堂市を生き延びた私たち100人にはほとんど持ち合わせがありません。経済的に苦しいのです。どうか武田さん、ご融資をいただけないでしょうか」

 一見すれば追い詰められた人間が最後の頼みにすがっているようにすら見える。だがその実態は違う。

「断った場合はどうなる?」

「あなたの秘密をマスコミにリークします」

 深刻そうな表情は消え失せ、僅かに笑っているようにも見える表情で船広は答えた。この状況、優位なのは船広なのである。

「それは困るな」

 武田は少し困ったような笑いを浮かべて答える。船広は口角を僅かに上げたが、武田は話し続ける。

「しかしどの秘密だろうな。物によっては何もないかもしれない」

「ふふふ、それはどうでしょうか?」

 武田がとぼけて言うが、船広はそれを否定した。

「湘堂では実に3万人が死んだと言います。行方不明者の数は5万以上とも。戦後最悪のテロ。あなたがその首謀者の友人と知ったら世間はどう思うでしょうか?」

 船広はニヤリと笑って武田に尋ねる。武田はまだ微笑みを崩さなかった。船広はさらに脅迫をかける。

「国民に親しまれている毎朝新聞社が突如爆破されたこともありましたね」

「あったな」

「あれは在日支鮮華人の仕業と言われていますね」

「まさか本当は私がやったとでも言うのか?」

 武田は自分が言ったことに少し笑いながら尋ねる。船広は呆れたように笑いながら答えた。

「いいえ、真実は違います。毎朝新聞の偏向報道の被害者が逆上して復讐に走ったのがあの事件です」

「それと私がどう関係を?」

「考えてみてください。真犯人はどうなったのでしょうか?」

「さてな」

「あなたが殺したのですよ、武田さん」

 船広は真っ直ぐ武田を見つめて言う。

 2人の男は微笑んでいた。

「こんな陳腐なことを言うのは癪だが、動機と証拠は?」

 武田はまだ余裕そうにしている。船広は嬉しそうに微笑んで言葉を発する。

「毎朝新聞、この会社の正体は支鮮華から支援を受けているスパイ企業。かなりの発行部数と支持者を誇り、日本を代表するマスメディアと言っても過言ではない。裏を返せば、それだけ国民を支鮮華側の利益に誘導する力を持っている」

「そうだな」

「それが武田さんには邪魔だったんですよ」

「どうして?」

 武田が尋ねると、船広は息を大きく吸った。

「あなたの最終目的は日本に正規軍を作ることだ。憲法を改正し、スパイ防止法を制定し、この国の国防のあり方を変えること。だがそれを実現するためには支鮮華側に偏り、日本が軍事力を持つことに反対するこのメディアは邪魔だった」

「壮大だな。だが毎朝新聞を爆破した犯人は私ではないのだろう?」

「そう。それが解せなかった。だがあなたの最終目的から逆算すれば行動理由はわかる」

「聞こう」

「あなたは真犯人を殺した。その理由は、在日支鮮華のスパイ網に混乱を及ぼすため」

「ほう?」

「毎朝新聞は支鮮華のスパイ、それを同じ支鮮華人が爆破するわけがないでしょう?だから捕まった支鮮華人は偽物。真犯人が仮に警察に捕まって本当の理由を供述すれば、支鮮華のスパイ網は堅固なまま。武田さんの最終目的上、それは絶対に避けなければならない。だから真犯人を殺し、支鮮華人同士の仲間割れと思わせることでスパイ網に打撃を与えようとした」

 船広の推理を武田は黙って聞く。武田の表情から微笑みは消えていた。船広はそれを見てさらに口角を上げた。

 武田はゆっくりと口を開いた。

「面白い動機だった。次は証拠を見せてもらおう」

 武田に言われると、船広は右のポケットからスマートフォンを取り出す。画像アプリを起動すると、机の上に置いて武田に差し出した。

 そこに映っていたのは、縛られ1列に並べられた、誘拐された女子たちだった。

「これは?」

「ご冗談を。あなたが匿い、訓練した特殊部隊の隊員たちですよ」

 武田が尋ねると、船広は少し笑ってから答えた。

「彼女たちは湘堂、毎朝、二つの事件の真犯人を知っていて、殺した。世間は子供の言うことは簡単に信じますからね。あなたが子供たちに何をしたかもしゃべってもらえば、そりゃもう、ね?」

 船広はスマートフォンを見下ろす武田の顔を下から覗き込むようにして囁く。武田の表情は変わらなかった。

「ひとつ聞かせてくれ」

 武田は顔を上げると、船広を見据える。船広は背筋を少し正した。

「なぜ女子だけを誘拐した?」

 武田の質問に、船広は少し宙を眺める。そして顎に手を当てながら答えた。

「その方が高く売れますし、我々としても実用性がありますので」

 船広の声色は穏やかで、表情もにこやかだった。武田は無表情で頷き、机を滑らせてスマートフォンを返した。

 船広はスマートフォンをズボンのポケットに押し込むと、武田に最後のひと押しを始めた。

「武田さん、日本が軍隊を持って、自分の国を自分で守れるようになるのは、あなたの悲願でしょう?ここであなたのスキャンダルが出れば、それは一生叶わない。日本は一生抑止力を持てず、支鮮華の軍事力に怯えながら、いつか日本人は全員支鮮華人に同化され、日本は消滅する」

「それは困るな」

「でしょう?ならばあなたがやることは簡単です」

 船広は小切手とペンを机に置く。そしてニヤリとしながら武田を見た。

「5000億円です。あなたの全資産と、コネの全てを利用すれば容易いはずです。5000億であなたの望む世界を作れるのです。さぁ」

 船広は顔を武田に近づけながら囁く。にこやかで穏やかな表情と声。

 一方の武田は腕を組み、目を瞑っていた。

「さぁ早く」

 船広は動こうとしない武田を急かす。


 武田は目を開いた。


「船広、私と空ノ助は間違っていたようだ」

 武田は急に呟く。予想外の言葉に、船広は表情を失った。

「何をです」

「教育方針だ」

「何の?」

「お前のだ」

 武田は静かに船広を見据えて言う。さっきまで追い詰めていたはずの武田が急に落ち着き、会話の主導権を握っている。船広は固唾を飲んだ。

「どういうことです?」

「一番初めに教えるべきだったんだな」

「だから何をです」

 船広の声に若干の苛立ちが混ざり始める。武田はニヤリとして船広の表情を見ると、はっきりと声を発した。


「テロリストとは交渉するな」


 武田のオフィスの扉が蹴り開けられた。

 武田がソファーから飛び退きながら腰の拳銃を抜く。

 瞬時にまずいことに気づいた船広も前方に転がり、ソファーの影に隠れた。

「殺すな!尋問したいことがある!」

 武田が叫ぶ。その言葉が終わると同時に、銃声が鳴り響き始めた。

 船広は途中までソファーに隠れていたが、弾がソファーを貫通して船広の頬をかすめたのを見ると、拳銃を抜き、乱射しながら窓際の武田の事務机に隠れる。

「数馬!回り込んで抑えろ!他は銃撃!」

 暁広の声が響く。子供たちは入り口の壁や先ほどまで船広と武田が話していた机を倒してその影に隠れながら隠れている船広に向けて銃撃する。

(まずい…このままでは…)

 船広としてはここで拘束されるのは避けたい状況だった。そんな彼の思考を乱すように佐ノ介の銃撃によって窓ガラスが割れ、それが船広に降ってくる。

「っ…くそ!」

 船広は覚悟を決めた。窓ガラスが割れたのをいいことに、窓に手を伸ばし、そこに飛び乗ると、下を眺めて一番近いベランダに飛び降りた。

「逃げたか」

 武田が呟く。同時に子供たちはエレベーターを使って下の階に降りる。


 船広は無理に高いところから飛び降りたので、足を痛め、服も汚れながら自分の乗ってきたスポーツカーに転がりこむ。

「いたぞ!逃すな!」

 船広の横から子供たちの声がする。同時に飛んできた銃撃を伏せるようにして避けながら車のキーを回すと、アクセルを全力で踏み、来た道を全力で走っていく。

 子供たちも銃撃を浴びせたが、結局はそれを止めるには至らなかった。

「逃げ足の速ぇやつ!」

 遼はうんざりしたように言い捨てる。遅れてやってきた暁広が遼に尋ねる。

「どうなった!?」

「逃げられた」

「そうか」

 暁広がうなずいたのを見て子供たちは全員引き上げた。


 子供たちは早速1階のロビーに整列していた。子供達の前に立っているのは武田1人である。

「諸君、よくやってくれた。奴の車には吉村くんの作った発信機をつけてある。同時に、幸長と佐藤が車でも尾行している。じきに2人から連絡があるだろう。それまでは待機だ」

 武田が指示を出す。子供たちは整列したまま返事を返した。

「車両を待機させてある。全員いつでも出動できるようにしておいてくれ。解散」

 武田が言うと、子供たちは整列したまま車庫へ走り出した。

「絶対に助け出すぞ!」

 暁広が叫ぶと、子供たちはおう!と返す。武田はそれを背中で見送った。

「船広…抜かったな」

 武田は1人ニヤリとしながら呟く。彼はそのまま静かに自分のオフィスへ戻っていった。

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