ポテトヘッド
蒼井どんぐり
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目の前にはたくさんの丸が並んでいる。
大学の講義室、立ち並ぶ顔、不思議そうに見つめる目がじっと壇上のこちらを覗き込んでいる。漆黒の黒い二つの丸の下には、小さな口からため息が漏れ、虫のように蠢いている。
「あ、えっと、今回の研究テーマは、拡張現実を使ったし、視覚と知覚のえ、影響を……」
壇上で説明をしていると、たくさんの顔を意識して、次の言葉が全然浮かんでこなくなった。目の前のゼミ仲間達は興味なさそうに発表を聞いている。真面目に研究テーマを考えているのは私だけ。どうせ内容なんて対して聞いていない。それはわかっているのに、私は言葉を続けることができず、つい反射的に顔を伏せてしまう。数秒の沈黙が、また心臓の鼓動を早くさせる。
「うん、じゃあ今日の中間発表はここまでにしようか」
ゼミの担当教授である連城教授が席を立ちながらそう言った。
「研究テーマはみんな湯浅君みたいにちゃんと考えてくるように」
「いや、湯浅君の発表、全然聞こえなかったんですけど?」
滅多に研究室にも来ない、先輩の中島さんがそんなことを言うと、見ていたゼミ生達もくすくすと笑っていた。
そんな様子を無視するように、連城教授は手を振って、解散を促した。それを見たみんなは一様に講義室を立ち去っていった。
「湯浅君、そんな気を落とさずに」
壇上の私に、連城教授は優しい声色でそんな言葉をかけてくれた。
「君は真面目に取り組んでいるんだから。もっと自信を持って発表しなきゃなね」
「はい……」
教授は顔を伏せたまま上げられずにいる私を、本当に大丈夫だろうかと心配そうに見ているようだった。顔は見てないけど、声のトーンでわかる。憐れんだような目。あなたまでそんな目で見ないでほしい。
とんとんと、私の肩を叩き、去っていく連城教授の背中を確認して、私は発表スライドを写していたPCを閉じた。
子供の頃からいつもそうだった。
「顔を見て話しましょうね」小学校の時の先生はよくそう言っていた。
それをできない人間の苦しみを、まるでわかっていない心からの笑顔で繰り返す。私はそんな顔にも、そうじゃない顔にも、相対すると声が震えてしまう。言葉が詰まって、なぜか緊張してまともに喋れなくなる。
なんで周りのみんなは、人の顔を見て話すことができるのかわからなかった。あの目、あの顔、何かを不思議そうに見つめるその表情に恐怖を抱かない理由が。
「ただいまー」
玄関から芽衣子の声が聞こえ、目を覚ました。
発表の失敗のせいで自宅に帰ってからもじっと過去を振り返ってソファに寝転んでいたら、いつの間にか夕方過ぎになっていた。
私が大学院に進んだのとは違い、芽衣子は大手の製薬会社で事務職をやっている。日中は働き通しのため私の方が家に先に帰ることも多い。
付き合って3年、彼女の卒業と同時に始めた同棲ももう半年経つが、まだ同じ家で暮らしている、ということに慣れない。
「うん? どうしたの?」
寝転び、縮こまっていた私の顔を、じっと芽衣子が上から覗き込む。
正直、私は彼女の視線でさえも少し苦手だった。たとえそれが決して嘲るようなものではないと知っていても。だから、いまだに突然面と向かわれると、無意識に顔を背けてしまう。
「いや、なんでもないよ」
「そう……。もしなんかあったら言ってね。湯浅君。なかなかそういうこと、口に出してくれないから」
彼女が寝静まった夜中、私はPCを開き、発表資料を見返す。テキストファイルの一番上には「拡張現実による、知覚の影響について」と書いてある。
拡張現実、いわゆるARについての研究が私のテーマだった。見られることが苦手な私が、視覚についてを研究テーマにするのも何かの因果なのだろうか。
PC画面から顔を逸らし、腕に巻いた入力デバイスを操作する。視界に幾つかの半透明なオブジェクトが浮かび上がった。もう当たり前のように使い続けているコンタクト型のARレンズ。すでに技術も普及し、社会実装されたものを研究対象にする人なんて珍しい、と連城教授は言っていた。
その中からARフィルターのアプリケーションをいくつか物色する。先行事例の調査のため、いくつか使用して、それによる影響を実験として調査しようと考えていた。
そして、見つけたのだ。その中の一つに。
「ポテトヘッド?」
なんだが目を惹くタイトルがつけられたアプリケーションが目に入る。ポテト……、ジャガイモ?。説明を見ると「人の顔をイモにしてしまう! あいつも、こいつも、どうせ芋頭と思えば生きやすい!」とかなんとか書いてある。なんだ、いわゆる面白ネタ的なARフィルターアプリだろう。
ふと、このフィルター越しに見える、中島さんの顔を想像した。ただの芋頭が気だるそうに僕の発表を聞いている。偉そうに嘲笑する顔は見えない。見えるのはただ、そこにふんぞりかえる、ポテト。そう思うとなんだか面白いじゃないかと思った。
心の中に燻る黒い憤りをぶつけるように、つい楽しくなり、そのアプリケーションを用いた実験や思考のアイデアをテキストに落とし込んでいった。
顔に当たる、眩い光に当てられ、目を覚す。カーテンから漏れた光が眩しい。気がつくと、モニターの前に突っ伏していたようだった。いつの間にかそのまま寝てしまったらしい。重い頭を持ち上げ、私は顔を洗おうとリビングへ向かった。
「おはよう」
声が聞こえ、気だるく振り向くと、そこにはジャガイモの頭をした人間が立っていて、一瞬思考が停止した。いや、あれは、
「うん? どうしたの? 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして。ご飯作るね」
「え、ああ」とだけ返し、横切る彼女の顔をじっと覗き見る。それは紛れもなくジャガイモ。だいぶリアルな3Dモデル。
「今日も仕事で私遅くなりそうなんだけど、湯浅君も今日は研究室?」
朝食を囲み、
「ねえ、聞いてる?」
「あ、いや、なんでもない。そうだね、今日はちょっと研究室の作業で遅くなると思う。だから今日は先に寝てて」
目の前のシュールな光景に意識を取られ、適当な相槌を打ってしまった。すると
「うん、何?」
「いや、なんか今日の湯浅君、いつもより私の顔を見て話してくれるなーと思って。いつも、なんだか目を伏せがちだから」
「そう?」
言いつつ、なぜか自分の中でも不思議に感じていた。相手の顔がジャガイモだと目線が気にならない。いつもはうまく相手の顔を見て話せないのに。あの迷信は言葉以上に効果があるらしい。
家を出て、研究室に向かう道すがらはまさに異世界にやってきたような世界が広がっていた。横断歩道を歩くと周りは
不思議な世界に立ち入った高揚感のまま研究室に入ると、丸っこい小さなジャガイモがこちらに迫ってきてびっくりした。なんだ。
「あ、湯浅君、大丈夫かい?」
「ええ、もう大丈夫です」
そう、はっきりとして言葉で伝えると、
教授がさっていく様子を見守りながら、顔を上げて研究室に目を向けると、ちょうど横のテーブルで
「なあ、研究テーマ決まった?」
「えー、まだ」
「いやー、また怒られるって」
「あ、そうだ今日、飲み会、というか合コン、やるんだけど、浅賀さんはどう?」
「えー今日? ごめん夜はバイトだわ」
「えーマジかー。あー、そうだ、湯浅君、行く?」
最初、
え、行かないでしょ、と
見下したような嘲る声。でもなぜだか今は恐怖より、憤りの気持ちの方が強く浮かんだ。
僕ははっきりと聞こえるように強い声で、
「いくよ、合コン」
「え、あ、そう? じゃあ、今日19時から駅前の居酒屋だから! 後でまた連絡するわ」
きっと二人は驚いていることだろう。僕自身が一番驚いている。
いつもならあんな言葉を面と向かって言うことなんてできなかっただろう。何も返せず、ただ嘲笑されるがままになっていたはずだ。
つい勢いで言ってしまったが、今の自分なら合コンだろうがなんだろうが、臆せず、こなせるだろう、と言う気がしてくる。
次第に昂った感情が落ち着いてきても、いつもは持ち得ない自信だけはずっと心の中にぐるぐると蠢いていた。
ああ。驚嘆する二人の表情をもっと見てやりたかったなぁ。二つの、あの、
今更ながら芽衣子のことが頭を掠めた。ただ、今日は研究で遅くなる、と伝えてある。それに、合コンと言ってもただの飲み会だ。別に悪いことではない、はずだ。
今は変わったこの自分を試したい、その感情が、私の足を自然と前へ前へと進めていた。
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