第24話 消えた旦那様とあの日の精霊

「はい、アナ! ハミルトン伯爵もまだ国境に着いてないみたいだし、待ってる間にこれでしっかりお勉強しておいてね!」


 私が精霊使いの認定を受けた翌日。つまりアウストブルクに到着してから三日目の朝。


 旦那様も早ければそろそろこっちに着くかなー、なんて考えていた私の目の前にドサっと分厚い紙の束が置かれた。


「お、王女殿下。これは……?」

「アナが精霊使いとして正式に認定されたから、国家機密に関わる事でも教えられる様になったのよ。これは取り急ぎ覚えて欲しい事と、知っておく方が便利な事を私がまとめた物よ!」


 わぁーお……。

 ミシェルの書に勝るとも劣らないこのボリューム。

 うん、カーミラの書と名付けよう。


 パッと見でも頭がクラクラする程の量がありそうだが、通常とは違う手順で精霊使いの認定を受けた私の為に、王女殿下が自らまとめて下さったというのだ。

 これはもう覚えるしかない。


 領地でゴロンゴロンされながら必死にミシェルの書を暗記していたのを懐かしく思い出しながら、ページをぱらぱらとめくる。


 カーミラの書の中身は、認定を受ける際にも説明を受けた『精霊使いはその身を国に保護される代わりに、有事の際には国の為にその力を使う』といった制約の類いから、『精霊と魔力交換をする際の注意事項』など実践的な物まで、非常に多岐に渡っていた。


 あっ! 精霊用の加護付き装飾品についても書いてある!


 以前、パレード用に精霊トリオの服の作り方を王女殿下に教えて貰った時、『加護付き』という言葉を聞いてずっと気になっていたのだ。


 あの時は加護付きの服に関しては機密に関わるからと教えて貰えなかったんだよね。


 アウストブルクでの精霊事情について知るにつれて、私は精霊とは決して『無敵』な存在ではないと知った。

 フェアランブルと違い、精霊の存在を信じて認めている国は多い。そして、『信じて認めている』という事は『それに対抗する策』も同時に練られているという事に繋がるのだ。


 実際に、アウストブルクには精霊を近付けない様にする魔道具なんかもあるらしい。


 精霊界との盟約で精霊を傷付ける事は固く禁じられているのだが、それを破る人間が絶対にいないとは言い切れないだろう。

 加護付きの装飾品を身につける事でフォスとクンツとカイヤがより安全に過ごせるというなら、それはぜひとも手に入れたい。

 有益な情報に、思わずページを捲る手に力が入る。


 精霊の加護を付与した人間用の装飾品、なんてものも作れるんだ!


 精霊トリオはもちろんの事、私は大切な人達を誰も危険に晒したくない。

 私に守れる力があるのなら、それを活かしたい。


 旦那様の祖父母であるサミュエル様とナジェンダ様には、旦那様がこちらに到着してから一緒に会いに行く事になっている。

 つまり、旦那様が到着するまで私に出来る事は特にないのだ。


 よし、それまでは勉強に集中しよう!




 しかし、人生というのは中々に皮肉な物で。


 そんな風にみんなを守る力が欲しいと張り切って勉強している私のもとに、ある知らせが届いた。


 何だかお城が騒ついているな? と思っていたら、青い顔をしたカーミラ王女殿下が部屋に飛び込んで来たのだ。




「旦那様が……姿を消した!?」


 国境警備にあたっている騎士団からの報告を受けたという王女殿下が、こちらを気遣う様な何とも言えない表情で頷く。


「ど、どういうことですかですか? 一体何が!?」

「それが、まだ第一報が届いただけで、細かい事は分からないの。国境の警備にあたっていた騎士が、ハミルトン伯爵家の使者に、とにかく私とアナにこの事を伝えて欲しいと言われたらしくて、ただ…」

「ただ、何ですか!?」

「ハミルトン伯爵が姿を消す前に、フェイラー辺境伯の関係者と会っていたらしいの」


「辺境……伯……」


スーッと胸に冷たい何かが伝わっていく様な、身体から血の気が引いていく様な感覚がして、全身から力が抜けていく。



「アナ!」

『『『アナ!!』』』



 カーミラ王女殿下と精霊トリオが心配してくれているのは分かるけれど、考えがまとまらない。


 どうして? 何で旦那様が!?


 足が情けなくガクガク震えて、その場にペタリと座り込んだ。


 こんなんじゃ、駄目だ。

 こんな時こそ、きちんと考えないと。

 考えろ、考えて……!


 辺境伯の関係者が旦那様を攫ったとするのなら、何か目的があるはずだ。

 だから、えっと……だから……


 必死に思考を組み立てようとする頭の中に、津波の様に恐怖が押し寄せて来る。



 ——— どうしよう。もし、旦那様までお父さんやお母さんみたいに、このままいなくなってしまったら?



「あ、あ……あぁ…………」



 こらえていたはずの涙がボロボロと溢れる。


 私はいつの間にこんなに弱くなってしまったんだろう。こんな風に泣いたのは、お父さんとお母さんがいなくなったあの日以来だ。



『涙は、女の最終兵器なのよ?』



 時々とんでも理論を振りかざすお母さんの、そんな言葉が頭を過ぎったその時———





『アナ、なかないで。なかないで』



 ふと、小さな小さな声が聞こえた。



『ジーン、だいじょうぶ。アナ、なかないで?』



 声に導かれる様にのろのろと顔を上げた私の目の前には、小さな小さな光。



 それは、お父さんとお母さんが消えたあの日に私に危険を教えてくれた、あの小さな精霊だった。

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