05-16 迷宮五番勝負(一)




 何かの間違いなんだよな?

 

 侵入者の名前がステラだと知った瞬間、マッド・チュウニイの脚は第4階層に向かっていた。ヘルメスに格好をつけたその数分後には踵を返していた。気が付けば全力疾走に近いスピードで階段を駆け降り、指令室に向かっていた。


 ステラが侵入者であるはずがなかった。先ほどのアナウンスはウソに違いなかった。だが、万一ということもある。アナウンスが真実だったとしたら……マッドはそこで思考を止めた。


 迷いを晴らすためにもマッドにとって事実の確認は何よりも優先された。


 頭の中はステラでいっぱいだ。どうか無事であってくれ。


 仲間の承諾を得ず、勝手に動いていい状況ではないのはわかっていた。神滅超撃激流波はひとたび発動すれば空間全体を巻き込む飽和攻撃である。必中必殺の大出力エネルギー攻撃……自分の能力が、対リコリス・ミミルミルにおいてどれほど重要な位置を占めているかをマッドは理解していた。


 だが気が付いたときにはマッドは司令室へ向かっていたのである。自らに課せられた戦術的な役割を放棄し、ステラのもとへと駆けていた。メイも、ラビリスも、タフガイも意味不明な状況に混乱していた。その隙に抜け出すのは簡単なことだった。

 

 息を切らしながら廊下を突っ切り司令室の扉を蹴破った。扉の向こう側から焼け焦げた肉と血の匂いがした。


 暴力と死を否応なく連想し、マッドは腰に納めた武器――『ベレッタM9』に手を掛けた。『銃』という異世界の武器である。別に銃が得意というわけではない。ガレキの城に攻め入る際、ヘルメスが好きな武器を買ってくれると言うから、好きな武器を購入したのだった。マッドは転生者である。前世の記憶を持っている。ベレッタは前世のマッドがゲームで使っていた武器だった。これでデータ上のゾンビを倒していたのだが、現実の世界で通用するかはわからなかった。


「ふーん、ふふーん」


 指令室に足を踏み入れると、楽しげな鼻歌が聞こえてきた。歌い手はステラだ。


 ステラはいつもの白いドレスに着替え刀を腰に装着しているところだった。ステラの脚元には広大な血だまりがあった。動かないヴィクターとヘルメスがゴミかなにかのように転がっていた。ヴィクターの両腕は切断されていた。凄惨な殺人現場でステラは鼻歌を歌っていた。


 事実確認はこれで十分だった。ステラはおそらく壊れてしまっていた。だがマッドはその場から立ち去ろうとはしなかった。ステラをこのまま放っておけない。


「ステラちゃん」

 

 ステラはくるりと振り返った。ステラの瞳の色は血のような赤に染まっていた。以前の、透き通るような青い瞳は失われていた。

 

 どうする。なんて言ったらいい。こっちから話しかけておいて。


 マッドはステラに掛けるべき言葉を探した。しかしそんなものは見つからないから、結果として、気まずい沈黙が部屋を満たすこととなった。


「何か言ったらどうですか」


 と先に口を開いたのはステラだった。マッドの知るステラの声と一緒だったが何か違和感がある。


「ごめん、今どういう状況かわからなくてさ。何が起こったのか教えてくれないか」


 ステラは床に転がるヴィクターとヘルメスを顎で指して、

 

「これをやったの。わらわです」

 

 以上。これ以上の言葉はいらないでしょうという風にステラはマッドを見た。


「ステラちゃん、その、なんていうかな。ステラちゃんは仲間思いのいい子だったじゃないか。だから……今の君は普通じゃないんだろ。それはわかるからさ」

 

 わかるからなんなのだ。おれがステラの罪を許すとでも言うつもりか。吐いた言葉の続きが見つからずしどろもどろになっていると、ステラは言った。


「構えなさい」


「は?」


 マッドは目を見開いてステラを見た。

  

「どういう意味だい」


「ンー」


 と唸ったステラは、マッドに対して半身となり腰を落として前傾し、両手を刀に添えた。居合い抜きの構え。マッドの脳裏にステラに斬られた記憶が蘇った。


「あなたは今、敵と向き合っている。死にたくなければ構えなさい」 


「忠告ありがとう。ずいぶん親切な敵だ」


 おそらくステラは何者かに心を操られている。催眠術のようなもので。ヴィクターやヘルメスを手にかけるくらい強力な催眠術だ。だが一方で、ステラは術に抗ってもいるのかもしれない。問答無用で襲い掛かればいいところを、こうして会話をしてくれている。構え、戦いの準備をするよう促してくれている。強力な催眠術の最中、マッドが死なないように気を遣ってくれているのではないだろうか。つまりステラはまだ正気に戻れる可能性があるのではないだろうか。


 どうしたら良いだろうか。

  

 マッドはベレッタM9を抜けずにいる。ステラはため息をはいた。


「……なぜ構えないのです」


「君と戦いたくないからだ」


「なぜ戦いたくないのです」


「君のことが好きだからだ」


 ステラはわずかに赤らめうつむいた。

 

「今、なんて言いました」


「俺は君を愛している」

 

 偽りのない言葉だった。この言葉がステラに届いて正気を取り戻す可能性にマッドは賭けた。


「そう……あなたステラが好きなんですネ」


「さっきからそう言っている」


「でもステラはあなたのことが好きではありません」


「それでも構わない……愛は与えるもの。見返りを求めるものではない」


 ステラの赤い瞳がうるみ、ひとすじの涙となって頬を伝った。自分の言葉がステラに届いたのだろうか……?

 

「感動しました……わらわもそんな気持ちであれたら良かったのに……片思い、辛くて」


「愛せたことを喜ぶべきだよ」


「……それはそうです。わかっているのに」

  

 ステラは居合抜きの構えを解こうとしない。

  

「……少し話過ぎました。まもなく次の方がやってきます。言葉で語るのはここまで」


 耳を澄ますと確かにマッドの背後から足音がする。だれかが近づいている。


「ここからは武を以て語り合いましょう。あなたがステラを愛し、ステラを愛するに足る力を持つなら、止められるはずです」


「待ってくれ、もっと話をさせてくれ。君はステラじゃないんだな? ステラのことを好きな誰かが、」


「これ以上の問答は無用。構えなさい。さもなくば、死にますよ」


 と言った瞬間、ステラが床を蹴った。低い姿勢のまま影のように地面を滑ってくる。


「ちっ」

 

 これでもマッドは歴戦の猛者である。人並み以上に戦闘を経験している。その動作に込められた殺気を感じることはくらいはできる。ステラは本気でマッドを殺そうとしている。


 武を以て語る。武を以てステラを止める。


 マッドはステラの言葉を復唱した。言葉だけでは人は動かない。裏付ける力を示さなければ言葉は力を持たない。


 ステラはすでに刀の間合いに入りつつあった。銃撃は諦めざるをえない。マッドは銃から手を離した。身をかがめ、一歩前に出る。手を伸ばしながら『アイテムボックス(小)』を起動した。


 アイテムボックス(小)……マジックアイテムのひとつ。異空間『アイテムサーバー』に収納してあるアイテムを取り出すことができる。取り出せるアイテムは1回につきひとつだけ。再使用には1分間の時間を空ける必要がある。


 伸ばした手の先にアイテムボックスの異空間が現れる。そこからマッドの杖の先が飛び出した。マッドたちが『アイテムボックス』の存在を知ったのは、ガレキの城に攻め入る直前だった。このアイテムにメイとクーは夢中になった。そしてふたりはアイテムボックスの使用方法を研究した。


 アイテムボックスは大量のアイテムを持ち運べるという本来の使用方法とは別に、戦闘の技術として極め甲斐のあるアイテムだった。習熟次第で戦術の根底を覆す可能性を秘めていた。


 例えば装備品を一瞬で入れ替える『瞬間換装』。


 そして『射出攻撃』。


 剣や槍などの長物をアイテムボックスから取り出す時、アイテムボックスはノーモーションから十分な攻撃力を持った射出攻撃を可能とする。

 

 マッドが放った杖はステラの右肩に向かって飛びでた。

 

 居合の『起こり』である右肩……ここに杖を当てることができれば、斬撃の起こりを抑えられる。ここを抑えれば斬撃はそもそも発生しない。


 ……だが。マッドはステラの技の鋭さを身を以て知っている。きっとステラはアイテムボックスによる奇襲にも対応する。


 ステラの技量であれば居合抜きのモーションを早めて杖を叩き落すくらいのことはできる。しかし杖をたたき落とした分、動作のタイムラグが生じる。その隙に間合いをさらにつめ、超接近戦に持ち込むことができる。近づき、掴み、投げて、倒し、寝技に持ち込み、関節技で動きを封じる。


 という展開は頭の中にできていた。実際そのとおりに出来れば良かったのだが、ステラに向けて射出した杖は空を切った。そこにいたはずのステラの姿はどこにもなかった。想定外の事態にマッドは息を飲んだ。


「残像です」


 耳元でステラが囁いた。キラキラと輝く長い金髪がマッドの横を通り過ぎた。 


「しま……」

 

 しゃりん。


 鍔鳴りがしたとき、マッドはすでに斬られていた。

 

「四次元刀剣術――〈千華道もどき 〉」


 胴体に横薙ぎの斬撃を撃ち込まれ、次いで両手両足に激痛が走る。5つの傷口から勢いよく血が噴き出すと同時に、マッドはうつ伏せに倒れた。


「……あなたの愛は届かない」


 マッドは大きく息を吸った。背後から駆けつけた誰かに「迷うな」と叫ぼうとしたのだが、それは声にならず「ひゅ」と風が抜けるような音だけが鳴った。


 目を閉じたわけでもないのに視界が暗転する。マッドの脳裏に浮かんだのはステラではなく、残した仲間たちの顔だった。

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