05-17 迷宮五番勝負(二)
*
クーは見てしまった。司令室の扉の向こうで行われたステラの凶行を。ステラはマッドに必殺の剣技を振るった。マッドの攻撃を完璧にしのいだうえで正確に斬撃を叩き込んだ。マッドは全身から血を流して倒れた。クーは確信した。ステラは侵入者だ。倒さなければならない敵だ。
クーは足を止め、一瞬だけ目を閉じた。
クーの脳裏に、初めて出会った時のテーブルクロスを体に巻いただけのステラの姿が浮かんだ。あの、さらさらと流れるような金色の髪、長いまつげ、白い肌、歩くたびにボヨヨヨンと揺れるふたつの丘。あるだけで喜びを与えてくれる美しい存在をクーは倒さなければならない。
クーは『敵としてのステラ』のイメージ構築に努めた。ステラに何を付属させたら可愛くなくなるのか。角を生やしてみたり、羽を生やしてみたり、尻尾を生やした姿を想像したのだが、それはそれで可愛い。ふむ。どうしたらステラを敵として認識できるようになるのか。そこまで考えて、自分の思考がもはや妄想の域に足を踏み入れていることに気がついた。
いやいや。妄想してる場合ではない。だが良い兆候だ。妄想できるくらいには落ち着いた。ならば次の段階へ進む。クーはステラのことを横に置いた。代わりに他の仲間たちのことを思った。
ヘルメス、ヘビ男、トシャ、ヴィクター、最近は打ち解けてきた4人の人間達。このうちトシャ、ヴィクター、ヘルメス、マッドはステラによってすでに倒されている。
倒されてしまったのだ。
クーは激しい怒りを感じた。特にトシャのことを想うと怒りが沸き起こる……あの子とはつき合いは浅いが気が合った。しゃべるのが苦手な子だったが、戦うのが好きないい子だった。きっともっと仲良くなれた。そしてこのステラを放置すれば部下のヘビ男たちの命さえも危うくなるのだ。彼らはまだ生まれたばかり、クーにはボスときて彼らの将来を守る義務がある。
ここまでが一瞬であった。クーは目を開いた。
目の前には刀を鞘に収めるステラの姿がある。ステラと目があった。ステラの赤い瞳は輝きを失って、どこまでも深い穴を連想させた。ステラの白い服は返り血で赤く染まっていた。
「おねえちゃん、その服、汚れてるよ」
「……」
自分で言った言葉に自分でびっくりしてしまう。敵に掛ける言葉ではなかった。だがこの言葉には正気に戻って欲しいというクーの願いがこもっていた。
ステラは自分の服の端を指でつまみ、その後で服をつまんだ指を見た。服に付着した血が指に移っていないことに安心したのか、納得したように軽く頷いた。
「もう止めよう。ボク、おねえちゃんと戦いたくない。もう武器を置いてよ。きれいな服に着替えよう」
「……」
ステラは何も答えず泣きそうな顔でクーを見つめた。ステラはたぶん問答無用で仲間たちを殺りくする機械ではなく、ある程度自我を残した上で抗えない命令に従っているように見える。そうでなければステラが仲間を害することはあり得ないし、悲しげな顔をクーに向けることもあり得ない。
なんだ。ちゃんとおねえちゃんじゃないか。
クーはようやく自分の中に覚悟が生まれたことを自覚した。今からクーはステラと刃を交えるが、この戦いは残った仲間たちを救うだけでなく、ステラ自身も救うことにもつながっている。
ボクが止める。止めてみせる。
この役目は人間であるメイたちや未熟なヘビ男にはきっとできない。ダンジョンの魔物であり、武術の達人であり、何よりステラのことが大好きな、クーにしかできない。ステラを止める力とステラを想う気持ち、両方を持っているのはクーをおいて他にない。
「問答無用。構えなさい。語りたければ、武を以て語りなさい」
ステラがようやく口を開いた。
「……武を以て語れ? それ、ボクの一番得意なやつだから」
クーは背中に回した手でアイテムボックス(小)を起動する。アイテム収納サーバーという疑似的な空間から武器を取り出した。
名を『魔槍グエボルガ』といった。1.2メートルの長尺。穂先は笹の葉のような平べったい形状。ジャコビニ流星鉄とアダマンタイト魔鉱石、そして意思疎通の魔石サイコ……三種の希少素材を惜しげもなく使った魔導合金製である。柄の素材は宝樹ユグドラシル。決して折れず、振るう技に応じた最適なしなりと滑りを実現する希少素材である。さらにこの槍を鍛造した鍛治グエボルガによって、製造過程で複数のスキルを付与されている。ときに自らの意思を持つような挙動をみせることから、『魔槍』の名を冠するに至った。
クーはステラに対して半身に立つと、槍の穂先をステラに向けた。その瞬間、クーの隙のない構えと魔槍の威厳が合わさり、その場の空気は空間ごとビシッと固まった。
ステラは目を見開いた。
「お、おおおお~! すごい、すごーい!! 見ただけでわかります。あなた、強いのですネ。とてもとても強いのですネ」
「当たり前でしょ。誰に言ってるの?」
ステラは歓喜の表情とともに刀を構えた。クーに対し半身に立ち、脚幅を開いて腰を落とす。やや前傾して両手を刀に添える。ステラの最も得意とする居合抜き『四次元刀剣術――千華道』の構え。幾人もの敵を葬ってきたまさに必殺の技の準備が完了した。
必殺の技と必殺の凶器が、5メートルの距離で相対した。
ステラとクー。ふたりの間の空間がぐにゃぐにゃとうねった。クーの根底にはステラを殺したくはない、ステラにこれ以上殺させたくないという気持ちがある。だがステラはクーを殺す気でいることがわかる。こうして武器を取って向き合えば、言葉を交わさなくても互いの気持ちが伝わってしまう。戦いとはつまるところ、言語を介さぬコミュニケーションなのだ。
ステラが初めて剣を握ったのは、ほんの2週間前だという。しかしその技と才能は実戦の中で磨かれ、すでに達人の練度にまで達している。……とはいえ、技の練度は自分に分がある。年季が違う。さらに射程の面でもクーの方が有利だった。槍と剣の長さの違い。突きと斬撃の軌道の違い。どちらもクーが勝っている。ステラは武術と魔術どちらもこなすことができるが、武器による戦いに限れば、クーの負けはまずない。
ゆえに奇妙なのだ。互いに微動だにせず相対したまま、クーは違和感を覚えていた。武術では勝てない。それがわからないステラではあるまい。なのになぜステラは魔術を使おうとしない。ステラの構えから伝わってくるのは、『魔術を使わず武術だけで勝つ』という気概だった。
これをどう解釈したらいいのか。クーは戸惑っていた。舐められているわけではない。むしろ逆で、ステラの構えからはクーに対する敬意のようなものを感じる。油断なく、自分にできることを全力でやっている感じがする。
加えて解せないのは、ステラの構えに隙があるという点だ。クーも攻撃を誘うためにあえて隙を作ったりするが、ステラの構えにはそれとは別の意図を感じるのである。クーのそれは相手の攻撃を誘導し繰り出す技を限定することで読みを通すためのいわば『隙の偽装』だ。だがステラのそれはそういう感じではない。ステラの隙は、あっぴろげで、何の意図も感じられず、実際そこに打ち込めば勝利が決まる。要は勝ちに繋がらない隙なのだ。
ステラが素人だから……で片付けてしまえば話が早い。もしこの隙だらけの構えの主がヘルメスであったなら、クーは迷わず突きを繰り出している。だが相手はステラなのだ。甘く見ていい相手ではなかった。ステラにはなにか狙いがあるはずだ。魔術を使わず、隙だらけのステラ。クーにはステラが何を狙っているのかがわからない。
ステラとクーは相対するあいだ一言も言葉を発しなかったが、すでに膨大な情報をやりとりしていた。やりとりをすればするほど、ステラのことがわからない。ステラは一体何を考えているのだろう。何を見ているのだろう。
いけない。また迷いが。
クーにはステラがわからない。トシャもヴィクターもマッドも、ヘルメスでさえもステラを理解できなかったにちがいない。そこでようやくクーはトシャがステラによって殺されたことに考えが至った。しどろもどろになりながらどうにか場に溶け込もうと努力していたトシャの不器用な笑顔が永遠に失われたこと、彼女と背中を預け合って戦う未来が訪れることがないことに気が付いた。ステラのことは大好きだが、もしかしたらボクはトシャのことも好きだったのかもしれない。
そこでクーは自分の中で決心がついた。
ステラを自分から攻撃するという決心である。ステラの射程の外から、ステラが反応するより速く突く。単純。ゆえに対処するのは難しい。決まればそれで勝負は終わる。
先手、必勝だ。
じりじりとひりつくような緊張感の中、クーはミリ単位で間合いを詰めていく。槍の射程距離に入りつつある。
ステラの視線が揺れた瞬間、全身の力を抜く。重力によって体が地面に落ちる。落下する身体を骨の関節構造を利用して前へ進める。脱力による移動――からの直突き。『無拍子』と呼ばれる奥義である。筋肉を使用しない落下による移動は敵に動きを悟られることがない。技の『起こり』を完全に消し、最小効率で間合いを詰めたクーは槍の穂先をステラに向けて放った。
「セタンタ流槍術――【つむじ風】」
ステラにとってはクーが瞬間移動したかのように見えたであろう。現にステラはクーの槍が居合の間合いに侵入したにも関わらず、反応することができていない。
意識の外。射程の外ら、繰り出される、最速の突き。
――完璧だ。入る。
クーはあえて急所を狙った。魔槍グエボルガは持ち主の意図を慮る武器。クーが殺したくないと願う限り、急所を直撃したとしても対象を殺すことはない。急所を狙ったのは一撃で勝負を決めるためだ。槍の穂先がステラに触れた――その刹那、ステラから鮮血の花が咲く光景をクーは幻視した。
「“見切った”」
ステラの涼やかな声がクーの脳内に響いたのはその時だった。
*
そこは地平線のかなたまで草が生い茂る草原だった。見上げれば一面の星空が広がっていた。
ポツンと墓があった。墓標には『ステラ』と刻まれていた。
ああ、これは、おねえちゃんのお墓なんだ。とクーは思った。
ステラの墓の前には黒い棺が置かれている。その棺に釘を打ち付けている女がいた。知らない女だ。美人だが、なにか不吉な雰囲気があって怖い……
女の背中からは蝙蝠のような黒い羽根が生えていた。
女は棺の上に座っていた。
棺の中からは「出して! 出してよ!」と泣き叫ぶ声がする。ステラの声だった。女は棺の中にステラを閉じ込めているのだ。
クーはステラを助けようと、駆け出した。
「おねえちゃんをいじめるな!」
女が振り返った。クーと目が合った。今のステラと同じ、赤い瞳だった。その女はニヤアと邪悪な笑みを浮かべた。
*
奇妙なイメージがクーの脳内を通り過ぎ、クーの意識は現実に戻った。ステラの姿が消えていた。クーの槍は空を切っていた。背後から気配がする。クーは振り返った。瞬間しゃりんと耳鳴りがする。直後、クーの全身から血が噴き出した。
はっ!?
クーはすでに斬られていた。予備動作はおろか技の起こりすらない、『斬られた』という結果だけを与えられた。究極ともいえる斬撃。まるで止まった時の中放たれたようなカウンター。
「ま、じか」
これって、話に聞いていたリコリスの〈見切り〉そのものじゃないか……おねえちゃんも使えたのか。
ステラと相対したときにクーは想定しておくべきだった。〈見切り〉をステラも使えるという可能性を。なんてことだ。まだぜんぜんやれたはずなのに。ぜんぜん力を出し切ってないのに。まだ、戦闘形態になってもいなければ魔槍の力の開放もしていない。〈影縫い〉や〈鮭跳び〉の異能も使っていない。セタンタ流槍術の奥義だってまだまだ出していないのに。
まさに必殺。発動した瞬間、勝負が決着する。止める術のない究極の武術。
「くそぉ……」
遠のいていく意識の中、クーはここからの打開方法を考えた。凄まじく眠い。ヘビ男たちのためにも、眠るわけには行かない。瞼がものすごく重い。
楽になれよ。トシャが待っているよ……だんだんそれも悪くない気がしてきて、クーは目を閉じる。
暗闇の中、トシャが手を振っている。その隣には知らない老婆がいた。誰だよ。とクーは思った。
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