05-6 ガレキの城の空白Ⅱ
*
ガレキの城96階層はガランとしていた。ふたりの侵入者によって【リコリス】と【骨喰藤四郎】を除くすべての魔物が倒され、もぬけの殻のようになった階層にヒールの足音がコツコツと響いていく。このような惨状を引き起こした侵入者たちの脅威度を肌で感じながらミミルミルは歩いた。
現在、この階層にいるのはリコリスと骨喰藤四郎のみ。そのふたりも別の階層へ移動することになる。96階層は事実上解体されたからだ。ふたりは第1階層『死の音がする森』への転属を希望していた。しかし戦闘能力が極めて高い彼女らを第1階層などに配置したら、ダンジョンの『養分』である周辺の人類が絶滅してしまう可能性すらある。せっかく苦労して各国の人口をコントロールしようとしているのに、そんなことをされてはすべてが台無しだ。
「適材適所。強い魔物は高い階層に……だわ」
ミミルミルは独りごちると、寂れた96階層を進んだ。つい最近までハイエルフやミノタウロスたちによる訓練が行われ、活気のあった96階層は死の気配が漂う空間と化している。この階層で死んだ者の霊魂や死体はヘクトリッテによって別の魔物へと生まれ変わった。死後もガレキの城のために役立ってくれるだろう。
「ミミルミルだわ。入るのだわ、リコリス」
とミミルミルは扉を開いた。部屋の名前は14浴室といった。リコリスは侵入者を取り逃がしたその日からこの部屋にこもっているという。リコリスを慕う魔物たちが入れ替わり立ち替わり訪れて慰めているというが……さぞかし失意に沈んでいるだろう。
扉を開いた瞬間、凄まじい殺気が吹雪にように吹き付けてミミルミルの全身に鳥肌が立った。恐怖で震えそうになった体を意地で押さえ込む。リコリスと相対するとき、ミミルミルはいつも無意識に死を連想する。
部屋の中央には人ひとり入るのがやっとの小さなバスタブがポツンと置いてある。リコリスは女性型の魔物――たしか95階層の化け狐の娘――と浴槽に浸かっていた。魔物の首筋に齧りついていた。
女性型の魔物の肌は血の気を失い、見開いた目は生気を失っている。リコリスに血を抜かれ死んだのだ。にもかかわらず、死んだ魔物の表情には歓喜の色が見えた。リコリスのために喜んで命を捧げた、そんな風に見えた。
「アラ……どうしましたカ?」
リコリスが振り返ると、口元がべったりとした血で汚れていた。ミミルミルの肌が再び粟立つ。リコリスは死んだ魔物の青ざめた唇に、自らの唇を重ねると、バスタブから立ちあがった。
バスタブの中に娘の死体が沈んでいく。
ほどよく鍛えられた肉体は女性的な美しさを維持しながらもよく引き締まっていた。リコリスは一糸まとわぬ姿であるにも関わらず、一切恥じらいというものを見せなかった。全身にべったり張り付いた血液こそが自分の衣装だと言わんばかりに堂々とした表情と態度でミミルミルに向き合った。
「こんな格好でごめんなさいネ……食事中だったのです」
リコリスが悪びれもしない態度にミミルミルは眉をひそめた。
「……食事のたびに仲間を死なせるのはやめろと言ったはずだわ」
死に至るまで吸血しなくとも十分腹は満ちるはずだ。そもそも名づけを済ませた魔物は、食事をする必要すらない。魔物はダンジョンにとって最大の宝。その命を特に意味もなく奪うことは、誰にも許されない。四天王であっても。
「意味もなく仲間を殺して……これ以上仲間を傷付けるようなら、私が黙っておかないのだわ!」
激昂するミミルミルを前に、リコリスはニヤニヤした微笑を絶やさなかった。
「意味はあるのですヨ。わらわのための食事ではありません……わらわのおともだちのために血が必要なのです……たくさんの……力ある者の命が……」
リコリスの全身に付着した血液が消えていく。血の赤がすうっと白い肌に吸い込まれていく。リコリスは背中の黒い羽根を広げバサバサと動かした。血の匂いがする強い風が吹き荒れ、ミミルミルは眼をしばたたかせた。
「ネエ、ミミルミル……あなたほど力のあるものの血を飲めばさぞかし力がつくのでしょうネ……わらわたちのために、死んでくれませんカ? なんてネ」
リコリスの全身からねばねばとした殺気が少しずつ漏れ出した。ミミルミルも目を見開いて殺気を放出し、リコリスのペースに飲み込まれまいと抗う。冷たい汗が額から滴るのがわかった。
「……タチの悪い冗談はやめるのだわ」
「ホホホ」
リコリスは笑うと床に脱ぎ捨てられていた、黒い下着を身に着けた。リコリスの愚行を咎めようという意思はすでに霧散し、この危険な魔物をどうコントロールするのかを考えるので頭がいっぱいだった。
戦闘能力や頭脳でリコリスに負けているとは思わない。しかし、リコリスの狂気じみた矜持、いかなる状況でも自分を貫こうとする姿勢……この一点においてミミルミルはリコリスを恐れている。同時に少し憧れてもいた。
リコリスが普段着ている黒いドレスに袖を通し始めるとミミルミルはわずかに乱れた呼吸を悟られないよう整え、リコリスに話しかけた。
「バアル様の意識が戻られるまで、わたしたち四天王でガレキの城の運営を行おうと言っているのだわ。これからみんなで話し合いをするから、リコリス、あなたも参加してほしいのだわ……あなたも四天王なのだから」
「ンー」
リコリスは口元に指をあて何かを考えている。その時になってミミルミルは自分がリコリスに懇願するような発言をしていたことに気が付いた。参加してほしいではなく、参加しろというべきだった。
「わらわは部下を失って侵入者を逃がし、ファム・ヴァージにも敗北しました。四天王の座に収まっているのは、他のものに示しがつかないんじゃないでしょうカ。わらわ、責任をとるため四天王を抜けてもかまいませんワ。5人いる問題もこれで解決します」
もっともらしいことを言っているが、言葉尻から厄介ごとから逃れようとしている魂胆が見える。リコリスはガレキの城の意思決定など面倒なことをしたくないのだ。その気持ちはわかる。ミミルミルだってそんな面倒なことやりたくはないのだ。ただ、バアル不在の期間、どうにかガレキの城を存続させなければならない。四天王の肩書をもつ者にしかできないことがあるのだ。
「だめだわ! 失態を犯したからと言って四天王は辞められないのだわ! 一度引き受けた以上、最後まで責任を持って職務を全うするのだわ! どうしてもやめたいのなら、私たち全員を倒してからにするのだわ!」
と叱りつけると、リコリスは少し困ったような表情を見せた。四天王の肩書は魔物にとって実力を称えるトロフィーだが、同時に、同程度の力量の魔物たちによる相互監視網……檻でもある。リコリスのような狂気の魔物を閉じ込めるための。
「しょうがありませんネ。あなたがそこまで言うのなら」
リコリスが折れると、ミミルミルは内心ほっとした心をひた隠し言った。
「1時間後、100階層に集合するのだわ! お菓子も用意してあるから楽しみにするのだわ!」
「うふ……」
ミミルミルは着替え途中のリコリスに背を向けないよう慎重に後ずさると、素早くドアを閉めた。
(お菓子も余計だったのだわ……)
ため息をつき目じりからじんわり溢れてきた涙をミミルミルは指でぬぐった。ああ怖かった。まだ胸がドキドキする。リコリスに血を吸われていた娘の姿が脳裏をよぎり、ミミルミルの首筋がゾクゾクした。こんなところにいられないのだわ。ミミルミルは逃げ出すように97階層――シンロンの元へと駆けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます