05-4 湖の乙女と怪物の父 その②

 



「では! 次に行きましょう! 湖の乙女、カモン!」


 ヴィクターの名づけがスムーズに済んだことですでにヘルメスは楽しくなってきている。湖の乙女はどこかに隠れていると言っていたが、果たしてどこに……?


「う!」

 

 と思っていたら、突然ムスヒの顔色が青ざめた。うずくまるムスヒにヘルメスが駆け寄ると、ムスヒは「オロロロロロロ」と口から大量の吐しゃ物を放出した。その量たるや部屋の床に直径2メートルの水たまり……もといゲロたまりができた。この吐しゃ物の量は尋常ではない。


「う、うおう!? 大丈夫ですか!?」


 汚ねえな! とか余計なことは言わずムスヒを気使う。病気だったのだろうか? ヴィクターに見てもらったほうがいいんじゃないかと心配していると、


「なーんちゃって!」


 とムスヒが立ち上がり、笑顔で頭をこずいて舌を出した。


「は?」


「さてさて! この私が吐き出した水たまり……ただの水ではありません! これこそ【湖の乙女】でございます! さあ本当の姿をヘルメス様に見せてあげて!」


 ヘルメスが驚いていると床の水たまりはゴムのように形を変えていく。球体のようになると空中に浮かびあがり、星型を形成。星の角が頭部、両腕、両脚に代わり、徐々に人間の形になっていく。やがて水たまりは女性の姿となった。


 青く長い髪が、そよ風に揺れる水面のように波打っている。顔立ちは凄まじい美形なのだがもの憂げで、触れれば泡のように消えてしまいそうな儚さを感じる。透き通る極薄のヴェールを頭に被り1枚布を体に巻き付けたようなドレスを身につけていた。陽光を受けてきらめく湖畔を思わせる青いドレスだ。


「……」


 湖の乙女は何も語らず、ヘルメスとステラの顔を一瞬だけ見ると、顔を伏せ両手で顔を覆った。


 ムスヒは一瞬困ったような顔を見せたが、すぐに笑顔に切り替え、


「美しき魔物、湖の乙女! この魔物は〈白魔術〉のエキスパート! 回復からバフ蒔きまでこなし味方をサポート! さらには〈黒魔術〉も使用可能! 水属性に属性変化エレメントチェンジした際は、体が水そのものに変化! 物理攻撃を無効化できる! さらにさらに! 魔物でありながら〈神聖魔術〉を使用可能! 悪魔属特攻! 不死属特攻! 吸血鬼特攻! 呪いの解呪も可能! 回復から戦闘までなんでもできる! ハイスペックな湖の乙女に拍手を!!」


 パチパチとヘルメスとステラはまばらな拍手をした。正直、ムスヒの体内から飛び出す演出がキモすぎてドン引きしていたが、極力態度に出さないように努めた。


「さて、湖の乙女! ヘルメス様になにか言いたいことはありますか!?」


「……」


「み、湖の乙女さん……?」


 湖の乙女は何も答えず顔を両手で覆ったままうずくまった。肩を震わせている。泣いているのかもしれない。


 ムスヒの顔に一瞬不安が過ったがすぐに朗らかな表情に切り替え、「はい! 特に言いたいことはないみたいです! それではヘルメス様、名づけをどうぞ!」と強引な進行をした。


 つまりぶっ壊れた空気を修復もせずにヘルメスに丸投げしてきたのであった。ヘルメスは呆れたが、やることは決まっている。

 

 居心地の悪い沈黙を振り払うようにヘルメスは湖の乙女に向かって踏み出した。


「や、やあ……」


 とヘルメスが前に立つと、湖の乙女はようやく顔を上げ、指の隙間から瞳をのぞかせた。ステラと同じ青い瞳にくぎ付けになっていると、湖の乙女が口を開いた。


「あ、あ、あ、あ、あ、あの!」


 ああそうか。とヘルメスはその時悟った。


「わ、私! み、湖! み、みずうみ! 湖の、おとめ! よ、よ、よろしく、お、お願い、しまぶ!」


 と言い終わると湖の乙女は再び顔を両手で覆った。


「か、噛んだ、うわああ、うわああ」


 と泣き出してしまった。湖の乙女はコミュニケーションに難がある……いわゆるコミュ障というやつなのか。


 ヘルメスはしゃがみ込み、湖の乙女と目の高さを合わせた。

 

「泣くことないよ、立派な自己紹介だったよ」


「ほ、ほんと、ですか!?」


 顔を覆う指の隙間から、チラリと目を覗かせながら言った。ヘルメスは「ああ」と頷いた。


「実はおれも自己紹介は苦手なんだ。なんせ名前が名前だからね。おれはヘルメス。ヘルメス・トリストメギストぶひぇ。こんな名前でもダンジョンマスターなんだぜ……」

 

「ぶ、ぶ、ぶひぇさん! ですか! か、変わったお名前、ですね!? ウヒヒ!」


 と、湖の乙女は両手で顔を覆うのを止め、ようやく笑顔を見せた。変な名前が役に立ったのは初めてかもしれない。先ほどまで泣いていた女の子を笑わせることができたことがうれしかった。が、よく考えるとバカにされているだけなのでヘルメスは複雑な気分になった。


「で、あっちにいるのがステラ。ステラは今、呪いに苦しんでる」


 湖の乙女はまじまじとステラを見た。


「ち、血と! 血の! 交わりの! 呪い! ひ、ひ、ひぃ!!! き、吸血鬼の、呪い!」


 見ただけでステラの呪いがどんなものかを察したようだった。


「助けられるか」


「は、はい!! わ、わ、わたしの、し、しん、〈神聖魔術〉は! 呪いに! 効く! ます! すごく!」


 湖の乙女は激しく首を上下に振りながら言った。


「ステラを、助けてくれるか」

 

「も、もちろんです! ぶ、ぶひえ、さん! わ、わたしに! な、名前、ください! 名前! 欲しい! です!」 


「ありがとう。できればぶひえさんではなく、別の呼び方がいいけどね」

 

「す、す、す、すいませ!」

 

 アワアワしだした湖の乙女に「いいんだ」と言うとヘルメスは目を閉じ、逡巡した。実は前もって名前は考えていたのだ。湖の乙女が登場する神話にちなんで『ヴィヴィアン』という名前を付けようと思っていたのだが……なんかこの娘はヴィヴィアンじゃない気がする。

 

 なにかこの魔物に合う名前は……そうだ。

 

「決めたよ――お前の名前は【トシャ】にする」


「お、お! おおおお!? ト、トシャ! ほふる、者! で【屠者トシャ】!? か、か、か、か、かっこ! いい!!!」


 『屠者としゃ』――そんな物騒な言葉ではなく、吐くことと腹を下すことを意味する『吐瀉としゃ』から来ている。だがヘルメスは「昔にいた聖女の名前からとったのさ」 とウソをついた。屠者にせよ吐瀉にせよどちらにせよ微妙だからそういうことにしたのだった。これまでの経験を通して都合が悪い情報は極力開示しないくらいのことはできるようになっていた。


「せ、せいじょ!? と、トシャという聖女がい、いた!? ダ、ダ、ダブルミーニング!! ハ、ハイ、ハイセンス! う、うれしい! わ、わたしは! 今から【トシャ】! です! 名前に、恥じないよう! が、がんばりま、ます! よ、よろしく、お願いします!」


 聖女はうそなので実際には屠者と吐瀉のダブルミーニングなのだが、名前を受け入れてくれたようだ。ヘルメスは二体の名づけがスムーズに済んでほっとした。


「よろしく、トシャ」


「よろしくね、トシャちゃん」

 

 ヘルメスとステラが挨拶をすると、トシャは「ウヒヒ」と不器用に笑った。見た目は美しいだけに残念さはあるが、これがトシャという魔物なのだ。

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