04-55 それぞれの戦いへ




 パチ、パチ、パチ……


 リコリスのまばらな拍手が部屋に響いた。口元に邪悪な微笑みを湛えたリコリスは、人差し指を目の下にあてると、つうと頬をなでた。涙を表すジェスチャアだ。


「泣きそうになりましたワ。美しい主従関係です。主人が未熟だと仕える魔物は大変ですネ」


「……ふう」


 ヘルメスを無事に行かせたことに安堵したステラは思わず膝を折りそうになったが、両腕をついてどうにか支えた。リコリスから受けたダメージはいくぶん回復したが、立っているのもつらい。

 

「ホホホ……あえて見逃してあげたのですヨ? ステラ……わらわあなたとずっと二人きりになりたかった……やっとなれましたネ……楽しみすぎてどうにかなってしまいそう……」 

 

「そんなに私と戦うのが楽しみなの?」


「ええ……ステラとのおしゃべりが楽しみなのです。おしゃべりはすればするほど仲良くなれますからね……わらわとステラがおともだちになって……仲良くなった姿をあの男の子に見せてあげるのです……そのとき彼がどんな顔をしているのか……ゾクゾクしますワ」


「リコリスちゃん性格悪いよね」


「ステラに言われたくありませんネ……これ以上言葉の会話で時間を稼がせるのもナンですし、そろそろはじめましょうカ」


「バレてたか……もっとおしゃべりしたかったんだけどな」


「ホホホ……言葉なんて……本当の”おしゃべり”とは言えませんワ」


 こうして戦いは始まった。ステラにおあずけを食らっていたリコリスはもう待ちきれないとばかりに邪悪な笑みを浮かべながらゆっくりと歩きはじめた。一見して武術の“ぶ”の字も感じられない隙だらけの歩行ではあるが……時間を停止させる技――〈見切り〉を発動させるために、リコリスはあえて構えず隙を作っているのだった。


 ステラはふうと重苦しい息を吐きながら、リコリスに対して半身に構えた。腰を落とし刀に両手を添える。ステラの最も得意とする技。四次元刀剣術――千華道の構えである。

 

 先の戦いでステラはリコリスに接近戦を仕掛け返り討ちにあった。遠距離から攻撃すれば勝機はあるか……と思っていたステラだがそれも先の戦闘で否定された。リコリスの〈見切り〉は魔法攻撃や遠距離攻撃を受けた場合も発動できることがわかってしまった。


 リコリスに攻撃すると時間が止まる。あらゆる攻撃はリコリスにとっては時間停止のスイッチにすぎない。そして一度能力が発動してしまえばリコリスは無敵だ。攻撃を加えた者は止まった時の中でリコリスの反撃を受け、何が起こったかも認識できずに敗北する。 


 ただ、付け入る隙はある。時間停止という最強に近い能力の発動時、ステラは体は動かせないまでも意識を保つことができていた。自分自身が吹き飛ばされた時も、ミノタウロス(♀)が倒されたときも、魔弾を指で弾いて大規模な爆発を引き起こしたときも、リコリスの動きを見ることができていた。


 ステラは目にした技を修得コピーするスキル〈天武の才〉を持っている。おそらくそのことが関係している。


何度もリコリスの技を体感したことで、ステラは”見切り”を突破する方法を何パターンか見いだしつつあった。それが通用すれば、リコリスに勝てるかもしれない。勝算というにはあまりにか細い可能性だが……いまはそれに賭けるしかない。


 カラダもってくれよ……! 無茶をしなければ勝てない……!


 リコリスがゆったりとした足取りで迫ってくる。顔には余裕の笑みを張り付けている。


「あと一歩で技の間合いですわネ」


 リコリスはニヤニヤと笑いながら、その一歩を躊躇なく踏み出した。






 ズウン……と隣の部屋から重い低音が響いた。ヘルメスが放った土砂が隣の部屋で炸裂した証だった。


『ハイエルフを2体撃破しました。60,000ポイントを獲得しました』


 このアナウンスでヘルメスは自分の放った土砂がその質量で隣の部屋にいたハイエルフ2体を圧殺したことを知った。殺した敵がどんなヤツだったか……それを知る機会は永遠に失われた。


 メイたちのように話せばわかり合えたかもしれないのに……そんな思いが脳裏をよぎり、瞬間ヘルメスは吐き気を催した。慣れたと思ったらこれだ。


「う……ぐ」


 吐しゃ物をぶちまけ、床にうずくまりたい衝動に駆られたがヘルメスはそれをこらえた。すっぱい胃液はすでに口腔内へとせりあがっていたが、飲み込む。罪悪感にとらわれている場合ではない。ヘルメスは前に進まなければならない。


 ステラと一緒にダンジョンに帰る。そのために……ヘルメスは弱い心を捨てると決めたのだ。


「承認」


 パチンと指を鳴らし、作成した土砂をポイントに変換すると、ヘルメスは次の部屋に続くドアを開いた。気を抜くわけにはいかない。土砂による攻撃は非常に強力だが、液体化などの能力を持つ魔物が残っている可能性がある。


 ステラのような感知系スキルをもたないヘルメスは用心深く部屋の中を見回した。がらんとした部屋の一角に赤黒い血だまりとそれに沈むひしゃげた鎧、それにリボンと思わしき細長い布切れが落ちていた。


 ヘルメスが殺した2体のハイエルフのものだと気づいた時には、ヘルメスは再び吐き気に襲われた。 


 ――逃げよう侵入者が迫っている。


 ――ダメだよ。魔方陣を守らなきゃ!


 ――そうか……そうだな……

 

 ――がんばろう!


 ――ああ! がんばろう! 


 ふたりのハイエルフはそんな言葉を交わしていたかもしれない。それをヘルメスは無機質な土砂の攻撃でただ無慈悲に殺害した。


 だれだって死にたくはないはずだ。敵と味方……見えない境界が引かれただけでおれたちはどうしようもなく殺し合っている。そのことに違和感を覚えずにいられない。殺されるのは嫌だし殺すのだって嫌だ。精神の構造が根本から戦いに向いていないのかもしれない。

 

 それでも。変わらなければ。


 今もリコリスと対峙しているステラを助けるために。ステラやダンジョンのみんなと一緒にこの世界で生きていくために。そのためならなんだってやってやる。いくらだって変わってやる。


 おれはステラに送り出されたダンジョンマスターだ。こんなことでつまづいていられない。


 あと1部屋だ。おれの戦いはここからだ。


 ヘルメスは吐き気をこらえながら部屋を駆け抜け、転送魔方陣の部屋に続くドアを開いた。

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