03-31 魔女っ子の意地 その③





 魔術の氷塊は侵入者を飲み込むや立方形を形成した。氷の棺は空気のごとく透き通り、内部に閉じ込められた2人の姿がはっきり見える。


 苦悶の表情のまま停止したグリコ。それに対しバアルはにこやかな表情を浮かべたままスタイリッシュなポーズで停止していた。


 ヘルメスには侵入者たちを観察する余裕はなかった。


 ヘルメスの掌の上で動かなくなったジンリン。弱点属性の直撃を受け、まさに砕け散って行く最中にある彼女のことで頭がいっぱいだった。


 静まり返った室内に、ヘルメスの嗚咽と、ジンリンの体がひび割れる音だけが響いていた。


 何て言葉をかけてあげたらいいんだろう。何て言って欲しいのだろう。


 わからない。


 それでもヘルメスは、何かを言わなければと必死で言葉を探し続けた。


 しかし見つからない。


 何も言えないまま、涙だけ頬を伝って流れてゆく。


『うちの仕込みは、うまく、いったようやな……』


 やがてジンリンの小さく、弱く、とぎれとぎれの声が沈黙を破った。


「あ、ああ……」


 ヘルメスはただ頷くことしかできなかった。こんな時に気の利いた言葉もあげられない。それが悔しい。小さくなってゆくジンリンの声――最後の言葉を聞き逃すまいと、耳を傾ける。


『ええか、ヘルメス、聞け。このままやと、まずいことに、なる。どうやらヤツらは、まだ生きとる……ただ、うちの術の利いとるあいだは、指一本、動かせん。うちの、魔女っ子の意地にかけて、封じこめてみせる。だが、うちの体は、もうすぐ、砕けてしまうやろ? そしたら、術も解けてしまうんや……せやから、ヘルメス、すまんが、とどめを、刺してくれんか? お前の能力で、“砕魔の槌”を作ってな……氷ごとヤツらの体をぶち砕くんや……お前の手を、汚させることになるが……やってくれんか?』


「……もちろんだ」


 ヘルメスはジンリンに伝わるようにしっかりとした口調で答え、そして、意を決したように眼差しを強め、


「――“承認”」


 承認した。瞬間、ヘルメスの頭上に白い光の球が発生。ヘルメスはジンリンの体を左手で抱えて立ち上がり、残った右手を光のなかに突っ込むとギュッと握りしめた。


  その手には、金属の柄がしかと握りしめられている。1.5メートルもあるその柄の先には、ヘルメスの胴体ほどもある円柱状の金属塊が無骨な迫力と共に付属している。


 “砕魔の槌”――魔力で形成された物質を無条件に粉砕するスキル〈砕魔【極】マジッククラッシュ・アルティメット〉が付属した魔具。その総重量は約1トン。尋常でない重さであったがヘルメスはそれを軽々と片手で持ち上げていた。


「腕立ての成果か……」


 ヘルメスは眼前の氷塊を見据え、ひゅう、と大きく息を吸いながら、砕魔の槌を振りかぶる。振りかぶる最中、ジンリンとの思い出の断片が湧きあがってきた。とても短い間の付き合いだった……しかし鮮明に残っているジンリンの姿がヘルメスの脳裏に鮮やかによみがえってゆく。


 忘我の術を掛けられていたジンリン。


 忘我の術が解けても、ヘルメスに協力してくれたジンリン。


 バター男爵との戦いで窮地に陥ったステラを救ってくれたジンリン。


 魔女っ子をつけるつけないでステラと争ったジンリン。


 第2階層の植物型魔物の世話をしてくれたジンリン。


 マッドとの戦いで老婆の体を失ったジンリン。


 ヘルメスの夢はじぶんの夢だと言ってくれたジンリン。


 そして、命を賭して強大な敵を倒したジンリン。


 ヘルメスのために力を尽くしてくれたジンリン。


 感謝してもしきれない――砕け散って行くジンリンのために、おれができることは。おれが言うべきことは。


「ジンリン――」


 ポツリと呼びかける。そして最大限まで振りかぶった砕魔の槌を力いっぱい振り下ろす。超重量の砕撃が破壊のスキルを伴って氷塊に叩きつけられた。


 瞬間、パリンとグラスがわれるような音とともに、分厚い氷塊が中の侵入者もろとも砕け散る。血で赤く染まった氷の粒子がキラキラと冷たく輝きながら、花びらのごとく宙を舞った。


「――ありがとう」


 そして、その瞬間、ヘルメスの掌の中にあったジンリンの体が、真っ二つに割れる。それはまさしくジンリンの命が尽きた瞬間だった。


『こちらこそ、おおきに……ええ夢を見せてもろた……ほな、さいなら』


 ふ……、とジンリンの声がヘルメスの耳元を通り過ぎ、消える。


 砕いた氷塊の塵が宙を舞い、雪のように降り積もってゆく。







 ぎい。 叩いても蹴ってもビクともしなかった扉が突然開いた。ジンリンの〈出入り禁止結界〉が解除されたのだ。


「マスター!」


 突然部屋の扉が開くと同時に、ステラは真っ先にヘルメスの元へ駆け寄る。ヘルメスは俯き泣いている。ヘルメスの視線の先には、ひび割れ真っ二つに割れた石ころ――ジンリンの姿があった。


「おばあちゃん……」


 ステラは口を両手で覆って、その場に立ちつくした。その瞬間に〈ステータスチェッカー〉のスキルが発動。この部屋で何が起きた悲劇の詳細がステラに流れ込んでくる。


「『出入り禁止結界、回避禁止結界、属性変化禁止結界が解除されました。ダンジョンの防衛システムが復旧。転移回線の状態を確認します……確認完了、転移回線にクラッキング痕を確認。転移回線管理局に通報し、転移回線を遮断します。転移回線遮断中……転移回線遮断完了。スタンドアローンモードに移行しました。

  死体屋とモンスターの交戦を確認。、およびグリフォノイド・ロードを侵入者と認定します。

 グリフォノイド・ロードを撃破。700,000ポイントを獲得しました。強敵を撃破したことにより70,000ポイントのボーナスを獲得。なおグリフォノイド・ロードの死体は損傷が激しいため、ポイントに変換できません。

 侵入者撃破により“ジンリン”のレベルが58に上がりました。ジンリンのスキル〈黒魔術【達】〉が〈黒魔術【超】〉になりました。

 グリフォノイド・ロードに“ジンリン”が撃破されました。“ジンリン”の死体を30ポイントに……』」


「やめろ!」


 ステータスチェッカーで得た膨大な記録ログを読み上げるステラを、ヘルメスの怒鳴り声が止めた。


「ごめんなさい……それよりマスター、下がってください。ここは危険です」


 ヘルメスがピクリと顔をしかめ、「どういうことだよ」と問う。


「侵入者……ドッペルデビルはまだ生きています」


「マジかよ……」


 粉々に砕けて降り積もり、シャーベット状になった氷の欠片。その上に落ちている赤いシミ。それをまじまじと眺めながらヘルメスは言った。


「マジです。どれだけ体をバラバラにしても元通りに再生するスキル〈再生リジェネレート〉。それプラス定まった形を持たず物理攻撃をほぼ無効化するスキル〈不定形インデターミネート〉。プラス、姿かたち、あるいは性格やスキルまでもを模倣するスキル〈模倣イミテート〉。それらを併せ持つ最上級悪魔属――ドッペルデビルは死んでいません。時間はかかるでしょうが、きっと元通りに再生してしまうでしょう」


「不死身かよ……恐ろしいバケモンだな……で、そのバケモンを“”……?」


 瞬間、ステラの背筋にゾクリと悪寒が走る。“どうやったら殺せるんだ”。ヘルメスが、当然のように言った言葉に、ステラは激しい違和感を覚えたからだ。


「……3つの方法を提案できます。①弱点属性の魔法で攻撃する。②神聖魔術攻撃で消滅させる。③対悪魔属トラップ、もしくはアイテムを使用する」


 ステラはドッペルデビルを実際に見たわけではないから、実際に相対したヘルメスの意見を聞く必要があった。


「①はやめた方がいい。コイツらは魔術に関してはすご腕だった。ジンリンの魔術攻撃でさえほぼ完封されちまった。ヘタな魔法を撃てば回復されちまうかもしれねえ……②の神聖魔術を使えるヤツはいない……③が一番確実に殺せるはずだ……」


 いつもの明るさを感じさせないヘルメスの口調にステラは戸惑ったが、それも仕方がないことかもしれないと思った。


 ヘルメスは目の前でジンリンを失い、敵を自らの手で殺害したのだから。


「わかりました。ではこの部屋自体を封印・トラップ化させる方法を提案します。相手は最上級の魔物……対悪魔属トラップを以ってしても撃破できない可能性もあります。撃破を確認するまでこの部屋は封印し出入りができないようにした方がいいかと」


「ああ……そうしよう……」  


 ヘルメスとステラは部屋を出て、固く扉を閉ざした。そして、


「“30,000ポイントを使用して、転送魔法陣室に“神聖光トラップ【大】”を設置しますか?“」


「“承認”。設置次第、稼働させてくれ。稼働と同時に転送魔法陣室を封印」


「了解しました。トラップの設置を確認。ただちに稼働します。神聖光の照射を確認。続いて、転送魔法陣室を封印します……封印完了しました」


 閉ざした扉がすうと消えて、壁との境目が無くなった。もはや出ることが叶わぬ密室。ここに閉じ込めておけば、ドッペルデビルはいずれ死ぬだろう。


 ステラはほっと胸を撫で下ろしたがヘルメスは意気消沈し生気を失った暗い眼差しを割れたジンリンの体に注いでいた。


「マスター……」


 後悔と、無力感と、そしてバアルへの憎悪。ヘルメスの胸の内ではきっと、それらの感情が激しく渦巻いている。


 それを感じ取ったステラはいたたまれない気持ちになる。


 ヘルメス・トリストメギストぶひぇという人間の魂が根本から揺らぎ、全く別のものに変質してしまう……そんな気がして、激しく胸が波打っている。


 気がつけばステラは衝動に任せてヘルメスに駆け寄り、背中からぎゅっと抱きしめていた。


「マスター……私はあなたのことが心配です……どうか自分を責めないで……」


 ステラは自分の気持ちを上手く言葉にできない自分をもどかしく思った。ヘルメスは力任せにステラの腕をほどくと、くるりと振りかえった。


「ごめんステラ。おれは、たぶん許せない。ジンリンを救えなかった自分を」


 そう言うとヘルメスは眉間に皺を寄せ、唇の端から血がでるほどにぎりぎりと奥歯を噛みしめた。ステラは「ううん」と首を横に振り、


「くやしいのは……悲しいのはマスターだけじゃない……私だって……お願いですマスター、ひとりで背負わないで……どうか変わらないで……!」


 何を言っているんだろう。自分が吐いた言葉にステラ自身が戸惑っていた。ヘルメスを立派なダンジョンマスターに育て上げるのが自分の使命のはず。なのに何故“変わらないで”などと……ぎゅっと拳を握りしめ、ステラはヘルメスを見つめた。


「……ああ」


 ヘルメスはただ頷いた。その瞳は暗い影に濁って、彼の心を覆い隠していた。







************

つづく



NEXT「04 ガレキの城漂流編」


************






あとがき


 ここまで読んでくれてありがとうございます。

 第3章はこれにて終わりです。第4章もがんばります。

 第4章は最後まで書いてから公開したいと思っています。


 まあぼちぼち書きます。


 時間はかかるかも知れないですが、5月中の公開を目標にがんばります! 

 ここまで読んでくれて本当にありがとうございました。よければまた第4章で!

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