03-29 魔女っ子の意地 その①




「傲慢」


 おごりたかぶって人を見くだすこと。また、そのさま。「―な態度」「―無礼」。


 ならば、この男を表すのにこれほどピッタリハマる言葉はない。他者に敬意を表することを忘れてしまったダンジョンマスター。その名を傲慢のバアルと言った。








「――バアル!」


 倒すべき相手が目の前に現れた――。そうと知った、ヘルメスの行動は早かった。叫ぶなり飛びかかり、振りかぶった右腕をバアルの澄まし顔目掛けてまっすぐに――。


「なんだい?」


 ――打ち抜く。振り抜いた右拳の先に固い感触があった。顔面の感触ではなく固い本の――ダンジョン目録の感触である。 盾代わりにしたダンジョン目録にヘルメスの攻撃は防がれた。


「バアル~!」


 びりびりと右拳が痺れたが、ヘルメスは次なる攻撃を繰り出した。すなわち左拳。右でダメなら左、という単純極まりない思考で繰り出した単調な攻撃は、当然――。


  ――防がれる。しかしそれはヘルメスにとって想定内の行動であった。


「ふ……」


 と鼻で笑ったバアルの顔に、次の瞬間、僅かに驚愕の色が浮かんだ。ヘルメスの肩から発射された炎の塊――〈魔弾〉。ジンリンによる0距離魔法攻撃がバアル目掛けて放たれたからだ。


『ほれほれほれほれほれ!』


 たちまちバアルの体が炎で包まれる。と同時にヘルメスは後方へと飛びずさり、バアルと距離を取った。


「ふ、奇襲成功……! 燃え尽きやがれ……!」


 焦げたアフロが妙な異臭を放っていたが、それだけの被害で済んだのは〈四の死デッド・フォア〉の恩恵だった。ジンリンは次々と〈魔弾〉を発射しその全てをバアルに命中させていく。着弾した魔弾は次々に小規模な爆発を起こし、爆炎が転移魔法陣の部屋を包み込む。


『何が燃え尽きやがれやアホ!  弱いくせに何も考えんと飛び込みおって!』


 そう毒づくや、ジンリンはヘルメスの肩から飛び降りた。


『指令室のステラたちを呼んでこい! 皆でフルボッコにするで!』


「ああ! わざわざ向こうから来てくれたんだ、絶対に倒すぞ!」


 意気揚々と応え、ヘルメスは廊下の方へと駆けた。扉から半身を乗り出し「おぉーい! 侵入者だぁー! 来てくれぇ!」と叫ぶ。


 ヘルメスの背後からは、〈魔弾〉の連発による、けたたましい爆音が鳴り響いており、今もジンリンがバアルへの攻撃を継続していることがヘルメスに伝わった。


(みんな、早く、来い)


 ジンリンの攻撃は直撃している。バアルは相当のダメージを負っているはずだが……。


 ヘルメスの胸の内にはいいしれぬ不吉な予感が漂っていた。


 あれだけやれば死んでるはずだろ……なのになぜジンリンはこうも執拗に攻撃を続ける……?


 思考すること1秒。20メートル先の司令室の扉が開き、ステラが飛び出してきた。


 おそらく他のメンバーもまもなく駆けつけるだろう。


 それを確認したヘルメスは、「よしみんなもうすぐ来るぞ」との声とともに、くるりと背を向け、そして、絶句した。


(無傷……!?)


 バアルは無傷だった。何事もなかったように薄ら笑顔を浮かべて突っ立っている。部屋一面を覆っていたはずの炎はきれいさっぱり掻き消えており、熱の名残すら感じられない。まるで何事も無かったような……。


 ヘルメスは床に転がっているジンリンを見た。魔術攻撃を停止したジンリンの姿はただの石ころにしか見えなかった。バアルはさっと銀髪を掻きあげ、同じく無傷のグリコに向き直ると、


「まあ、黒魔術は厄介だって言われてるけどさ。僕に言わせれば、攻略法のわかっている古臭い戦法なんだよ」


「例えるなら、タネの割れた手品、答えのわかっているなぞなぞ! ってとこグリ?」


「そのとおり。じゃあ僕がどうやって炎の魔術を無効化したかわかるかい?」


「簡単グリ! 黒魔術の仕組みを知っていればグリコでも無効化できるグリ!」


「どうやらわかっているみたいだね」


「はいグリ! 黒魔術の対策は簡単グリ! 相手が〈属性変化〉を使った瞬間にこちらも同じ属性に変化すればいいグリ! 自分と同じ属性の魔法を受けると受けた魔力を吸収できるグリ! これを〈同属性吸収作用エレメントアブソーバー〉というグリ!」


「そういうこと! ナイス解説だ。エレメントアブソーバーを用いた魔法攻撃の無効化は対黒魔術士戦闘の基本だ。まあ、高レベルの黒魔術士は無効化されないように瞬時に属性を切り替えながら攻撃するわけだけど……どうやらここの黒魔術士はそのレベルに達していないみたいだね……」


 バアルが言い終わった途端、グリコと呼ばれた少女は、床に転がるジンリンをちらりと一瞥し、「はん」と短く嘲笑する。


「レベル低すぎグリ! お話にならないグリ!」


 ケラケラと笑った。ジンリンをバカにされ、ヘルメスは激昂した。怒りに任せて突っ込もうとするヘルメスだったが、『待て』とのジンリンの声に制され、なんとか堪える。


 そんなヘルメスたちのことなどお構いなしでバアルとグリコは楽しそうに会話を続けた。


「ハハハ、まあ今日オープンしたばかりのダンジョンだからね……仕方ないさ」


「そっか! じゃあしょうがないグリ……」


「さてグリコ、君はあの石ころ低レベル魔術士をどうしたらいいと思う?」


「捕まえるグリ!」


「残念、それは残念な答えだよ。ヒントをあげようか?」


「はいグリ!」


「――有用な魔物ならともかくあんな低レベルの魔物を捕まえる必要はない」


 すう、とバアルの周りの空気の温度が下がって行くような、そんな錯覚がした。


「なるほどグリ! この場でぶっ殺すのが正解グリ!」


「その通り! ぶっ殺して食べちゃえ♪  効率的な殺し方はわかるよね?」


「はいグリ!」


 やばい!


 そう思った瞬間にヘルメスは床を思い切り蹴った。空中に身を投げ出し、ジンリンに覆いかぶさるように倒れる。床に接触した顔と肘に痛みが走るよりも早く、背中に冷たい衝撃が突き刺さった。


 背中に受けた衝撃でヘルメスは床をゴロゴロと転がる。1回転、2回転。3回転してようやく止まった体をすばやく起こしたヘルメスは背中に手を回して痛む箇所に触れる。


 まずヒヤリとした異物の感触があった。直径2センチ程の円柱が自分の背中に深く突き刺さっている。背中の奥がズキンと痛む。円柱の周りに触れると、ドロリとした液体の感触がした。


 ヘルメスは背中に触れていた自分の掌を見た。


「な、なんじゃこりゃあ!」


 血だ。掌にベッタリ付着したどす黒い赤色にヘルメスは思わず卒倒しそうになった。


 ドクドクと勢いよく血が噴き出し身もだえしそうな激痛が走ったが、しばらくすると何事もなかったように痛みが消えた。


 〈四の死デッドフォア〉。ポイントが続く限りあらゆるダメージを無効化するヘルメスのスキルである。


 ステラに散々殴り飛ばされて習得した忌々しいスキルにヘルメスはまたしても命を救われた。しかしヘルメスが抱いた感想は、命が助かったことへの安堵ではない。


(このスキルがあれば、ジンリンの壁くらいにはなれる……!)


 ジンリンの役に立てる。そう思った時にはジンリンの傍へ駆け出していた。


 攻撃を完封されたショックからかジンリンは未だに微動だにしない。


 眼前のバアルはうすら笑いを浮かべた余裕綽々の表情。隣の少女──グリコは次の攻撃の予備動作に入っている。ゾクリとする程冷たい目でヘルメスを見つめていた。  


「ふうん……。バアル様の言った通り、頭の悪いダンジョンマスターグリ。身を呈して魔物をかばうダンジョンマスターってそれ本末転倒グリよ……? グリコたち魔物の命はダンジョンマスターの命を守るためにあるのだから……グリ!」


 猫の手グローブ。とでも言ったらいいだろうか。


 可愛らしい肉球のついた掌を、窓ガラスをこするように、くるくると小さな円を描きながら横方向へと動かしていくグリコ。


 グリコが円を描くたび、ポツポツと空中に小さな氷の塊が出現する。氷の塊の先端はさながらナイフのごとく鋭い光を湛え、その切れ味をギラリと誇示していた。


 宙に浮かぶ氷塊の切っ先が向かうのは、無論――。


「ジンリン!」


 叫ぶや、ヘルメスは動かないジンリンの前に踊り出し、仁王立ちになった。


「守るべき主に守られる……そんな本末転倒は死ねッ! ……グリ」


 少女の外見にそぐわぬ凶悪な叫びと共にグリコが両腕を胸の前に突き出した。瞬間、空中で静止していた氷塊の群れが一斉に解き放たれた。


 ジンリンに向かって、まっすぐに飛んで来るそれらの攻撃は当然ジンリンの前に立ちはだかったヘルメスの体に、次々と突き刺さ――。


 ――らなかった。ギュッと目を瞑って、ギリと歯を食いしばり衝撃に備えたヘルメスだったが、いつまでたっても来ない衝撃に、おそるおそる目を開ける。


 ヘルメスに突き刺さるはずだった氷塊の群れは、ヘルメスの10センチ手前でピタリと停止。見る見るうちに空気の中に溶けて行く。


『……〈魔術力場【水】(マジックフィールド・ウォーター)〉。なんとか間に合ったな』


 ジンリンが形成した魔法の壁が、グリコの魔術攻撃をギリギリで止めたのであった。


 助かった。



 感慨もつかの間ヘルメスは気が付いた。目を凝らしてみると、ヘルメスの鼻の先の空気はふるふると震える透明な水の幕に覆われている。氷塊が溶けた空間には幾つも波紋が浮かんでいた。


 黒魔術――〈魔術力場【水】(マジックフィールド・ウォーター)〉。


 属性変化させた魔力で力場フィールドを形成し、属性に対応した魔術攻撃を遮断する。炎の魔術攻撃は炎の壁で、水(氷)の魔術攻撃は水の壁で防ぐことができる。無論、属性に対応していない魔術攻撃は防御できない。


 ほっと胸を撫で下ろしジンリンの方へ振り返ったヘルメスを待っていたのは、『バカもんが!!』とのジンリンの一喝だった。


『お前に守られる程うちは落ちぶれとらんで!』


  いつも通りのジンリンの声に頼もしさを覚えたヘルメスだった。しかし嫌な予感は拭い去ることができなかった。

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