第三話 うらはら

「手伝えって? ……何を?」


 近藤がそう言うと羽村は楽しげに笑いながら答える。


「目の前のコイツを止めるのさ」

「止めるって……」


 どうやって? ……と言いかけた近藤を、羽村は赤く輝く瞳で制する。


(羽村の目……なんで赤く……)


 その疑問にあることを思い出す近藤。


「……矢凪……」


 それはかつて自分の同級生であったとある少年の姿である。数か月前に転校していったらしいが、その少年には特殊な霊能力があると言われていて……。


「羽村……お前」

「クク……そう困惑するな。おれは……本当にただの羽村誠だ。ただちょっと普通じゃ思い出せない記憶を思い出しちまっただけでな」

「なんだ……、記憶?」

「そうだ……いまのおれは羽村誠ではあるが、とある人物の記憶も持っている」


 それは……、そう言いかけた時、それまで黙ってうめき声をあげていた堀尾が大きく叫んだ。


「きいいあえええええええええええええええ!!」


 その叫びに近藤は耳を押さえるが、羽村は笑顔を消して堀尾を見つめたのである。


「かわいそうに……、誰かに呪詛をかけられてんな」

「え? なに?」


 その羽村の呟きを近藤は聞き返すが。黙って羽村は手のひらを近藤に向けた。


「近藤……今から三分だけ足止めを頼む」

「は? 足止めって?」

「その間におれは……」


 ……と、不意に堀尾が叫びを止めて、超高速で羽村に向かって襲い掛かってくる。それを羽村は……、


「ち……、反応が……鈍い」


 顔を歪ませながら身をひるがえして、その堀尾の拳を避けた。


「羽村?!」

「ほら!! 償ってくれるんだろ?! 早くこいつの相手を……」


 そう叫ぶ羽村に、意を決して近藤は、両者の間に割って入った。その肩に羽村がそっと手を触れる。


「ノウマクサマンダボダナンカカカソタドソワカ……、その霊威を以て守り給え……」

「え?」


 羽村の口から発せられる、妙な呪文に困惑する近藤。その言葉を発した羽村は、目に見えて顔を青ざめさせた。


「ち……、簡単な呪文一つでこの様かよ……クソが」


 そう悪態をつく羽村は、相対する堀尾と近藤をその場において、背を向けて公園の入口へと駆けて行った。


「羽村ああああああああ!!」

「逃がすか!!」


 羽村が逃げたと思った堀尾は怒りの表情で羽村を追おうとする。それを近藤が制して押しとどめた。


「『ぶっ殺す』ぅ!!」


 そう叫びつつ近藤の襟をつかんで投げ飛ばそうとする堀尾であったが。


「ぐ?」

「え?」


 不思議なことに近藤はびくりともせず、その力を押しとどめることが出来た。


(あれ? こいつの力……明らかに強いはずなのに……、なんでこんなに軽く感じるんだ?)


 近藤は困惑する。それもそのハズ、足元の地面は自身が踏みしめる力でひびが入り、土が半ば盛り上がっており、堀尾自身が発揮する人外の腕力を証明していたのだ。それを自分は事もなく制してしまっている。


(まさか……さっきの呪文のようなもの?)


 それは不思議で普通ならあり得ない事であったが、かつて矢凪潤という少年と邂逅した近藤は、自然にそういった異能の存在を感じてしまっていた。


「これなら……」


 近藤は意を決して堀尾の腕をつかむ。堀尾はとうとう悲鳴を上げて腕を振りほどこうとした。


「もうやめろ堀尾!! 何があったのかは知らんが、もうこれ以上は……」

「『ぶっ殺す』ぅううううう!!」


 堀尾の怪力がさらにアップする。すると……、


 ブチブチ……。


 嫌な音が堀尾の身体から響いてきた。その音を聞いてさすがに驚いた近藤は堀尾の身体を観察する。


「な?! 血?」

「がああああああああ!!」


 近藤が目にしたのは、堀尾の全身から噴き出す鮮血であった。


「なんで?!」

「それはな……」


 不意に近藤の背後から声が響く。それは、息を荒くしながら公園中を走り回る羽村の声であった。


「え? 羽村? 逃げたんじゃ……」

「馬鹿言うな……、おれお前みたいに薄情じゃねえよ」


 顔を青ざめながら走り回る羽村は、地面に何やら手にした石で文字を書いている。


「何をして……?」

「そんなことはどうでもいいだろ? ……で、そいつの全身から噴き出ている血だが……、身体が呪詛が発揮する力に追いついていないんだ」

「呪詛?」

「その通り……、そいつの『ぶっ殺す』ってセリフが力の源になってる」

「な……」


 その羽村の言葉に驚きを隠せない近藤。


「そいつの強い想いがその言葉に入っていやがる。その想いを根源に呪詛が構成され、その馬鹿の身体を強制的に動かしてるのさ」

「それって……」

「”言の葉”を使う呪術はいろいろあるが……。そういった類の呪詛師の仕業だな」


 そう言って会話する間にも、近藤に動きを止められている堀尾は全身を血まみれにしている。


「おい!! それならどうすればいいんだ!!」

「まあ……そのままそいつが死ねば、普通に呪詛も消えるがな」

「な……そんな事」

「……無論、そんな事は考えないさ。おれが見たからには、こんな外法は許さん。それに……」

「……」


 顔を青くしつつ羽村はニヤリと笑って近藤を見る。


「そいつを助けたいんだろ? 近藤……」

「俺は……」


 その言葉に困惑の顔で返す近藤。


「大丈夫……わかってるさ。お前はあの時『あいつらのいじめをやめさせる』っって言ってた。懲らしめるとかではなく、彼らが立ち直ることをこそのぞんだ」

「羽村……」

「恨みがあるら殺せばいい……、それで終わり。でもお前はそうじゃない」

「俺は……」


 羽村は最後の文字を地面に刻みながら優しく笑う。


「立ち直る保証はどこにもないさ。また理不尽に恨まれて、嫌な思いをするかもしれない。でも……お前は助けたいんだろ? 自分が……、自分こそが立ち直って生きて行こうとしているから」

「羽村……」

「そいつに今一度のチャンスを……、少なくとも俺はそいつを許す」


 そういった羽村の目には強い意志が宿っていた。近藤はその目を見つめた後、確かに頷いたのである。

 近藤は堀尾の方を振り向いて言う。


「お前のその口癖……よく聞いていたな。その言葉は……、仲間内にしか言わなかった」

「うががががががが……」

「それはお前の照れ隠しの言葉だ……、本気で殺そうとか言ってるわけじゃない。俺はそれをよく知ってる」

「『ぶっ……殺す』……」

「わかってる……、お前になら殺されてもいいさ。……そいういう事だろ?」

「うううう……近……ど……う」


 不意に意味のある言葉を堀尾が口にする。その目には……、


「お前……泣いて」


 それは堀尾の目から流れる涙であった。


「助け……て、こん……ど……」

「わかってる!! 必ず助ける!! ……そうだよな? 羽村!!」


 近藤は泣きながら羽村の方に振り向く。その目を確かに羽村の強い意志の籠った瞳が受け止めた。


「当然だ!! ――だったら、テメエに見せてやるよ!! 外法を砕く蘆屋の極意を!!」


 その瞬間、森部児童公園の地面全体が、まばゆい光を放った。



◆◇◆



 ――消えていく、――消えていく。

 我が想いが――、せっかく、彼の想いを現実にしたのに。

 ――それを邪魔するものが現れた。


 何者かは知らぬが――、まあいい、これから我は人々の夢を現実とする。

 その偉大な儀式をしなければならないのだから――。


 今宵は――ここまでとしよう。


 まばゆく輝く児童公園を遠くで眺めつつその者は背を向ける。

 月明かりのみが、その者”のろい主”を見つめていたのである。

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