回想ナポリタン

「青葉会長!」


 慈恩寺竜胆は、勢いよく美浜大附属高校生徒会室の扉を開け放った。

 空調の涼風が頬を冷やす。けれど、竜胆の怒りは冷めない。上履きを鳴らして、正面のシステムデスクへと迫る。


「あ、お、ば、会長!」


 呼びかけた相手は、反応を示さない。

 竜胆は、デスクに立てかけられたタブレットの電源ボタンを押した。画面が暗転する。もし何かの作業中ならデータが飛びかねない蛮行だが、この人に限ってその心配はない。

 どうせ、YouTubeか配信サービスを見ているだけなのだ。

 タブレットを消したことで、さすがに反応があった。

「どうしてそんな酷いことをするの?」とでも言いたげな顔で、顔を上げる。

 鶴ヶ谷青葉。

 海浜高校の生徒会長。


「そんなに慌ててどうしたの、竜胆さん」


 鈴の鳴るような声で呼ばれて、竜胆は思わず鼻白んだ。少しぐらいは悪びれてほしい。

 サイドポニーで纏めた淡い色の茶髪と、すっと通った眉。親しみを感じる目尻。形の良い耳には、案の定Bluetoothイヤホンが嵌っている。

 気圧されないよう腰に手を当てて、竜胆は身を乗り出した。


「どうしたの、じゃないですよ! 海浜高校との合同学園祭ってなんですか。わたし、初耳なんですけど!」


「そうだったかしら」


「あと一ヶ月しかないじゃないですか!」


「竜胆さんがいれば、一ヶ月で充分間に合うわ。合同といっても、お互いに生徒の行き来を許可して、生徒会が合同で出店を出すだけだし」


 さらりと言って。システムチェアの背もたれに体重を預ける。

 竜胆はデスクに手をついて、ぐっと顔を近づけた。


「その出店が問題だっていってるんです! なんにも決まってないじゃないですか」


「案はあるわよ。両生徒会合同の純喫茶。どう? 素敵だと思わない?」


 思った以上に真っ当なアイディアが出てきて、思わず言葉に詰まる。いや、いやいや。


「だ、妥当だとは思いますけど。そもそも初対面同士でそんなスムーズに『じゃあこれで』なんて決まるわけないでしょう……」


 お互い、顔も知らないもの同士。そのうえ、同時期に大仕事を控えている身だ。互いに面倒事を押し付け合う、地獄の逆綱引きが始まるに決まってる。


「大丈夫よ。向こうの生徒会長、忙しいみたいだから。多分、副会長が出てくるはず」


「いやイミフなんですけど。副会長が相手だと、なんで『大丈夫』なんですか」


 モナリザみたいにあやふやな笑みを浮かべた青葉は、タブレットの電源ボタンを押し、細い指先で画面を撫でた。

 スリープモードから切り替わって表示されたのは、YouTubeの再生画面だ。一時停止中の画面には、海浜高校の制服を着た生徒たちが映っている。


「なんですか、これ」


「海浜高校の学校紹介ムービー。今の生徒会役員がみんな出てるの」


 青葉の指先が、一時停止中の画面に映る少女を指差した。


「この子、私の元後輩なのよ」


「え、そうなんですか。同中的な?」


「そうそう。随分、雰囲気変わっちゃったけどね」


 むう、と竜胆は喉を鳴らした。確かに協力的な知り合いがいるなら、話は進みやすいかもしれない。それが先方の窓口担当なら尚更だ。

 しかし、偶然にしては出来過ぎ──いや。

 もしかして、逆か?

 海浜の生徒会に知り合いがいるから、こんな企画を言い出したのか?

 画面に映る少女の輪郭を指でなぞって、青葉が優しげな笑みを浮かべた。


「懐かしい。久しぶりに会えるのね、桜さん」


  †


 私が、蘇芳桜が、まだ戸叶桜だったときの話。


 私の父親は、とある外食レストラン系チェーンの上場企業で、代表取締役──社長をしていた。

 会社の規模はかなり大きく、たとえ社名は知らなくても、運営しているお店の名前を聞けば大体の人が「ああ、あそこね」となるだろう。ラーメン屋とか牛丼屋のブランドも運営しているから、ある意味、10代の学生たちにも馴染み深い会社だ。

 飲食店というのは、創業者一族が代々代表を務めていたりするのだが──父の場合は特にそういうのではなく、純粋に手腕を評価されての抜擢だったらしい。まあ、創業者である前社長に気に入られたということだと思うけど、人一倍仕事熱心だったのは間違いないと思う。

 そういう父親だから常に忙しく、土日祝であっても家で見かけることはほとんどなかった。母は母で父の不在を悲しむでもなく、よく身綺麗な格好をして外出していた。

 そういうときは大抵、四十歳くらいのお手伝いさんが家にやってきて、何か食事を作ってくれた。

 料理の味自体は美味しかったと思うけど、一緒には食べてくれなかった。


 中学二年生の夏。

 そんな父が、脱税の容疑で逮捕された。

 当時のことはあまり知らない。私は一時的に、叔母の藤乃ちゃんの家に預けられていたからだ。多分家宅捜索とか、そういうことがあっ

たのだと思うけど。

 とにかく、ロクに会話もできないまま、父は「犯罪者」ということになった。法的にというより、社会的に。

 さらに、父の部下たちが父の日頃の行いを告発し始めた。彼らによれば、父はいわゆるパワハラの常習犯だったらしい。

 これがSNSで大炎上した。

 炎上について、私は何かを語る口をもたない。父を庇うつもりはないし、たぶん。叩かれて当然なんだろう。

 ただ、無関係な人が声高に父を非難することが正義とも思わない。

 とにかく、父は炎上した。

 そして、余波は娘の私に及んだ。

 潮を引くように私の周りから人がいなくなり、誰もが「戸叶桜」の存在を見て見ぬフリをするようになった。前に会話したのがいつかもわからない父親が犯した罪によって、私はどうしようもなく孤立した。

 とくに悲惨だったのがお昼休みだ。

 授業間の休憩時間は、席で文庫本でも読んでいればいい。放課後はさっさと家に帰ってしまえばいい。ただ、昼休みだけはどうにも苦痛どった。

 私立中学ではままあることだが、私の学校もお弁当制だった。チャイムがなると、皆が各々グループに分かれて机を合わせ、和気藹々と食事を始まる。

 事件の前までは、私もその輪の中の一員だった。けれど……。

 ひとりぼっちの教室で、お手伝いさんが作ったお弁当を食べることに耐えきれず、とうとう私は逃亡した。

 とにかく人気のない場所を探した。

 なるべく誰も通らないような階段を探して、埃っぽいそこに座って膝の上にお弁当箱を広げた。

 二段重ねのお弁当を見ると、目の前が涙で滲んだ。どうして私がこんな目に。そう思うと、なんだか堪らなく悲しかった。

 鼻を啜った拍子に箸が指の間から滑り落ちて、階段を転がった。

 最悪だ。

 とうとう涙が溢れかけたとき、階下から、鈴が鳴るような声がした。


「えーと、そこのあなた。今、箸を落としたあなたよ。もしよかったら──」


 足音が階段を登って近づいてくる。

 サイドポニーが揺れた。

 ひょこりと顔を出したのは、一方的に知っているだけの先輩だった。


「お昼、私と一緒に食べない?」


 それが私と、青葉先輩との出会い。

 私が救われた日の話。

 

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