友情無水トマトカレー

 昼休憩のチャイムが鳴った。

 私は席に座ったまま、半分開いた窓から空を見上げた。澄んだ青色の中に、綿あめみたいに白い雲が浮いている。

 六月もそろそろ終わりに近づき、夏の気配が日増しに色濃くなっていく時期だ。

 どこからか聞こえるトランペットの音色は、吹奏楽部だろうか。

 この暑い最中、ご苦労なことだと思う。


「さーくー、らっ」


 耳馴染みのある声に振り返る。

 クラスメイトの女の子が、お弁当箱片手に立っていた。

 お団子に結んだチャコールグレイの髪が、桜色のサマーカーディガンに垂れている。

 全体的に整った顔立ちしているけれど、特に目尻が印象的だ。いかにも勝ち気そうな吊り目で、実際彼女はそういうところがある。

 等々力椿。

 一年生のときからのクラスメイトで、多分、クラスで一番仲の良い。

 軽快な足取りで近づいてきた彼女は、軽く私の肩を叩いて言った。


「今日も大活躍だったじゃない。二限のバレーボール。かなり目立ってたわよ。隣のコートで、一年生が騒いでた」


 椿は私のひとつ前の席の椅子を引いて腰掛けた。持ち主の前田くんは、別の椅子に座って男子グループと話し込んでいる。


「この分なら、次の生徒会選挙も楽勝なんじゃない?」


「選挙は十一月だよ。まだまだ先」


「まあ、そりゃそうか」と、椿が顎を撫でる。


「間に学園祭も夏休みもあるし。あ、今年も行くでしょ、お祖母ちやんの家」


 椿の祖母は、ここから車で一時間半ほど走った先にある街で民泊を営んでいる。

 こういってはなんだけど、特に見どころがある街じゃない。海辺ではあるけれど岩場ばかりで砂場まではなく、一応温泉も沸いているものの、近隣の温泉街のほうが百倍有名だ。

 名物らしい名物のない、静かな観光地。

 だけど、他の旅行先にはない圧倒的なメリットがある。孫の椿と一緒に行く場合、なんと素泊まり無料で泊めてもらえるのだ。

 しかも椿のお母さんが車を出してくれるので、交通費もタダ。学生からすれば、とてもありがたい。

 民泊といっても、祖父母夫妻が住む家とは離れているので、誰の目も気にせず自由に過ごすことができる。

 結局、どこへ行くかよりも誰と行くかだ。気の置けない同級生と一緒なら、シャッター街でも楽しい。

 去年は私と椿、それから菫という元クラスメイトの三人で泊まりに行った。慣れないカレー作りに悪戦苦闘したり、テレビをスマホに繋いで映画を見たり、夕暮れの海岸沿いを歩いたり。中々、良い思い出になったと思う。

 ただ今年は少し、考えていることがある。


「一応、そのつもりだけどね」


 私は曖昧に濁し、机に掛けていたレジ袋の中身を取り出した。朝のうちに購入しておいた、私の昼食だ。

 出てきたものを見て、椿が呆れたような心配するような、なんとも微妙な顔をした。


「またサンドイッチ? アンタ、よく飽きないわね」


「普通に飽きてるよ。ていうか全メニュー飽きてる。だから、野菜が入ってる分これかな、って」


 海浜高校の購買は安いがメニューが少ない。どこもそんなものかもしれないが。

 申し訳程度に挟まったレタスとトマトが零れないよう慎重にサンドイッチを食べていると、椿がすっとお弁当箱の蓋を差し出した。


「しかたない。優しい椿さんが、今日もお弁当を分けてあげるわ。感謝なさい」


「ありがと」


 どういうわけか、椿は食べ物のシェアが大好きだ。毎日何かと理由をつけて、二段重ねの弁当箱の中身を分けてくれる。

 椿のおばさんのご飯は美味しいので、正直すごくありがたい。

 筍の煮物、ミニトマト、ほうれん草の胡麻和え、ミニハンバーグ。

 お弁当の蓋に並ぶと料理に舌鼓を打っていると、椿が「そういえば」と言った。


「あんた最近、ご飯ちゃんと食べてんの? 前、家だと冷食ばっかりって言ってたけど」


「んー」


 デミソースが掛かったミニハンバーグを食べながら、私は答えた。


「最近、ご飯食べさせてくれる人を見つけてさ」


「ふうん……──は?」


 ぽろり、と椿の手から箸が落ちる。私はとっさに手を伸ばして、ピンク色の箸が床に落ちる前にキャッチした。

 我ながら素晴らしい反応だ。なのに椿は私の神リアクションを無視して、長い睫毛に縁取られた瞼をぱちぱちしている。


「え、なに。どういうこと……?」


 どういうこと、と言われても。


「昨日は中華で、一昨日は和食だったかな。うん、ちゃんと食べてる。どっちも美味しかったよ」


「ふ、普通に外食って意味よね?」


 外食? まあ学校で食べているから外食か。でも。


「外食だけど、普通、ではないかな……私、お金払ってないし。食べた分くらいは払おうとしてるんだけど」


「…………。」


 気のせいか、椿の顔から血の気が引いていた。なぜ。


「……あの、ねえ。ちょっと桜。アンタもしかして、ご飯の代わりに何かされたりとか、その、してあげたり、とか……」


「ああ、うん。だいたい何かお願いされるから、それに付き合ってるよ」


「それって、具体的には……?」


 私は脳内で篠森の「お願い」を思い返す。マックやミスドに行きたいとか、そういえばこの前は服を買うのに付き合ってほしいと言われたっけ。


「えっと、一緒に出かけたりとか」


「駄目でしょ!!」


 ガタタッ、と椿が椅子を蹴って立ち上がる。

 教室中の注目が集まったのを感じて、私は慌てた。


「ちょっと、椿」


「やだ! だめ! 絶対だめ! さ、桜が本当は食いしん坊なの、知ってるけど! ご飯につられてなんて、そんなの絶対ダメなんだからね!」


「はい?」


「お、お弁当なら、あたしがいくらでも食べさせてあげるから。あたし、ヤだからね。桜がそんなことするの」


 目尻に透明な粒が浮かんでいる。

 なんだか知らないけれど、何か盛大に勘違いしていることだけは分かった。


「えっと。あの、何の話?」


「……えっ?」


  †


「ごめん!」


 ぱん、と椿が両手を合わせた。

 どうやら彼女は、私がご飯目当てでパパ活に手を出したと誤解したらしい。

 いくらなんでも早とちりがすぎる。私は食欲の化身かなにかか?

 さすがに疑われたままでは気分がよくないのて、私は篠森との関係を頭から説明することにした。

 料理好きの後輩が立ち上げた料理研究同好会に加入したこと。

 彼女と一緒に、放課後の家庭科室で晩ご飯を食べていること。

 彼女が作る料理がやたら美味しいこと。

 ついでに、その後輩がつんけんしてて可愛いこと。

 別に、篠森のことを隠していたわけじゃない。

 ただ、なんとなく篠森のことを誰かに話す気にならなかった。自分でもよくわからないけれど、彼女のことは何となく秘密にしておきたかったのだ。

 ひととおり話を聞き終えた椿は、「その同好会、今日だけあたしも行っていい?」と言った。


「いいけど、いいの? 椿のおばさんの料理、美味しいのに」


「だって気になるじゃない。桜のお気に入りがどんな子か」


「お気に入り、って」


「違うの?」


「……可愛い後輩だとは思ってるよ」


 でも、それだけだ。

 それだけだと、思う。

 やむなく、私は椿の件を篠森にチャットした。

 送ったメッセージにはすぐ既読がついたけれど、放課後になっても返信は無かった。

 不安だ……。

 私が見る限り、篠森は人見知りだ。

 初対面のときは警戒心剥き出しだったし、クラスに友達がいないと言っていたから間違いないだろう。

 一方の椿は、初対面でも割とぐいぐい来る上に、ちょっと性格がきついところがある。


「大丈夫かな……」


 正直、心配しかない。

 篠森、椿に怯えて借りてきた猫にならなければいいんだけど。

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