ポテトチップスなら、コンソメ味とのり塩味が常備されている。酒飲みの藤乃ちゃんの好物だからだ。

 バランス栄養食がこの世に生まれていなければ、あの人は食事が原因で早死にしていたに違いない。

 お菓子の棚を開けると、中サイズの袋がいくつか残っていた。好きに食べていいと言われているが、さすがにこれを昼食にするのは気が引ける。


「一応、あるけど」


『じゃあ、それと豆腐でグラタン作りましょう』


「え?」


 何て?


「今、グラタン作るって言った?」


『言いました』


「豆腐とポテチで……?」


『豆腐とポテチで』


 まじか。篠森って、もしかして魔法使いか何かなの?


『作ってみませんか。教えますから』


「やるやる。私でも作れるかな?」


『簡単なので。じゃあまず、ポテチを一袋持ってきてください。オススメはコンソメ味です』


「ちょっと待って」


 スマホからイヤホンを外して、スピーカー通話に切り替える。

 キッキンの壁にスマホを立てかけて、お菓子の棚へ向かう。

 言われたとおり、中サイズのカルビーのポテトチップス(コンソメ)を持ってきてカメラに映した。


「これでいい?」


『はい。それじゃあ、袋のまま軽く潰してください』


「ほい」


 指先に力を込める。パキパキと割れる感触が楽しい。


『ほどほどでいいので、耐熱皿に開けてください』


「カレー皿でいいかな?」


『ちょっと大きいですけど、大丈夫です。で、ポテチの上から牛乳を注いでください』


「どのくらい?」


『計量カップは──ないですよね。ひたひたになる一歩手前、くらいで』


「このくらいかな……」


 割れたポテトチップスに牛乳を注ぐ。なんというか、子供の遊びみたいだ。本当にこれがグラタンになるんだろうか。


『次に豆腐を水切りしましょう。豆腐をペーパータオルで包んで、三分ほどレンジで加熱してください』


「かしこまり」


 諸事情あって、我が家は誰も料理をしないのに道具だけは揃っている。残っている、という言い方が正しいか。

 レンジが鳴るのを待つ間、スマホの前に移動する。


『そういえば、先輩は何してたんですか?』


「海外ドラマの続き見てた。今、シーズン2のクライマックス」


『海外ドラマって、やめ時わかんないですよね』


 通話しながらだと、三分間は一瞬だ。

 レンジからボウルを取り出して、たっぷり水を吸ったペーパータオルを捨てる。


『豆腐にマヨネーズと麺つゆを混ぜて、しっかり和えます』


「オッケー」


 水を切ってぷるっとした触感になった豆腐をフォークで潰しながら、調味料を和えていく。


『牛乳を吸ったポテチに豆腐を載せて、チーズをたっぷりかけて、レンジで1分。そのあとトースターで焼けば完成です』


 篠森の指示どおり、カレー皿をチンしてからオーブントースターに入れる。

 再び待機。

 チン、と軽やかな音が鳴る。

 トースターを開けて覗き込むと、小麦色に焼けたチーズがふつふつ泡を吹いていた。


「なんかできてる! グラタンっぽいのが!」


『先輩、熱いので気をつけてください!』


 さすがにそれくらいの分別はある。

 ハンカチごしに皿を掴んで、火傷しないよう丁寧に鍋敷きへ載せる。

 スプーンを用意し、スマホをティッシュ箱に立てかければ準備完了だ。


「いただきます」


『はい、どうぞ……って、ちょっとおかしいですね。見てただけだし』


「いや、半分は篠森の料理だよ」


 私は言われたとおり作っただけだ。

 こんがり黄金色に焼けたチーズに、スプーンを入れる。ポテトチップス、豆腐、チーズを余さず掬うと、白い湯気が立った。熱々だ。

 そろりそろりと、慎重に口へ運ぶ。


「あひっ」


 思った以上に熱かった。豆腐がトロっとした食感だから、余計にそう感じるのかも。


『先輩、大丈夫ですか?』


「う、うん。ちょっと油断しただけ」


 めげずに二口目を掬う。

 今のはちょっと熱すぎて、味がよく分からなかった。今度はもっとしっかり冷まさなくては。

 スプーンに顔を近づけて、ふうふうと息を吹きかける。


『……なんかやらしか』


「え、なに?」


『な、なんでもないです』


 そっか。

 充分冷ましてから、ぱくりと口に放り込む。

 舌に広がるふわふわの豆腐。そして、じゃが芋。じゃが芋? これはポテトチップスでは。いや、ポテトチップスはじゃが芋だから……ポテトチップスって何?


『どうですか? 先輩』


「なんか、ポテチがほくほくしてる。じゃが芋みたい」


『じゃが芋ですけど』


「そうだけど、そうじゃなくて」


 ちゃんと芋ってことだ。いやこの表現もどうかと思うけど。

 でもちゃんとポテトチップスのジャンクな味付けが残ってるから、食べやすい。


「あと、とろとろの豆腐がクリームみたいで美味しい」


『ダイエットするとき、代用品として良いですよ。低カロリー高タンパクで、本物のホワイトソースよりヘルシーなので』


「なるほど……」


 ダイエットの予定はないけど、覚えておこう。

 口が熱さに慣れてきた。食感が軽いから、すいすい食べられる。そりゃ本物のグラタンに比べたら物足りないけど、ちょっとした軽食としてなら充分だ。

 なにより、自分で作ったという達成感がある。

 篠森が料理にハマる気持ちが、ちょっとだけ分かった気がした。


「ごちそうさま」


『夜はちゃんと食べてくださいね』


「心配病だね、篠森は」


 でも、今日は自炊にチャレンジしてみてもいいかもしれない。料理とは、大層なものでなくてもいいのだ。レンジで作れるレシピなら、私にも可能性がある。

 もし雨が上がったら、藤乃ちゃんが買い出しに行くとき、一緒についていこうかな。

 私は閉じたカーテンに近づいて、窓の外を見た。


「──あ」


 そこに広がっていた光景に、私は咄嗟に窓を開けて、ベランダへと身を乗り出した。

 つんのめるようにして、空へスマホを向ける。


「篠森、見える?」


『はい。見えてますよ、先輩』


「私、久しぶりに見たかも」


『わたしもです』


 いつの間にか、六月の長い雨は止んでいて。

 抜けるような蒼空に、七色の虹が掛かっていた。

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