②
ポテトチップスなら、コンソメ味とのり塩味が常備されている。酒飲みの藤乃ちゃんの好物だからだ。
バランス栄養食がこの世に生まれていなければ、あの人は食事が原因で早死にしていたに違いない。
お菓子の棚を開けると、中サイズの袋がいくつか残っていた。好きに食べていいと言われているが、さすがにこれを昼食にするのは気が引ける。
「一応、あるけど」
『じゃあ、それと豆腐でグラタン作りましょう』
「え?」
何て?
「今、グラタン作るって言った?」
『言いました』
「豆腐とポテチで……?」
『豆腐とポテチで』
まじか。篠森って、もしかして魔法使いか何かなの?
『作ってみませんか。教えますから』
「やるやる。私でも作れるかな?」
『簡単なので。じゃあまず、ポテチを一袋持ってきてください。オススメはコンソメ味です』
「ちょっと待って」
スマホからイヤホンを外して、スピーカー通話に切り替える。
キッキンの壁にスマホを立てかけて、お菓子の棚へ向かう。
言われたとおり、中サイズのカルビーのポテトチップス(コンソメ)を持ってきてカメラに映した。
「これでいい?」
『はい。それじゃあ、袋のまま軽く潰してください』
「ほい」
指先に力を込める。パキパキと割れる感触が楽しい。
『ほどほどでいいので、耐熱皿に開けてください』
「カレー皿でいいかな?」
『ちょっと大きいですけど、大丈夫です。で、ポテチの上から牛乳を注いでください』
「どのくらい?」
『計量カップは──ないですよね。ひたひたになる一歩手前、くらいで』
「このくらいかな……」
割れたポテトチップスに牛乳を注ぐ。なんというか、子供の遊びみたいだ。本当にこれがグラタンになるんだろうか。
『次に豆腐を水切りしましょう。豆腐をペーパータオルで包んで、三分ほどレンジで加熱してください』
「かしこまり」
諸事情あって、我が家は誰も料理をしないのに道具だけは揃っている。残っている、という言い方が正しいか。
レンジが鳴るのを待つ間、スマホの前に移動する。
『そういえば、先輩は何してたんですか?』
「海外ドラマの続き見てた。今、シーズン2のクライマックス」
『海外ドラマって、やめ時わかんないですよね』
通話しながらだと、三分間は一瞬だ。
レンジからボウルを取り出して、たっぷり水を吸ったペーパータオルを捨てる。
『豆腐にマヨネーズと麺つゆを混ぜて、しっかり和えます』
「オッケー」
水を切ってぷるっとした触感になった豆腐をフォークで潰しながら、調味料を和えていく。
『牛乳を吸ったポテチに豆腐を載せて、チーズをたっぷりかけて、レンジで1分。そのあとトースターで焼けば完成です』
篠森の指示どおり、カレー皿をチンしてからオーブントースターに入れる。
再び待機。
チン、と軽やかな音が鳴る。
トースターを開けて覗き込むと、小麦色に焼けたチーズがふつふつ泡を吹いていた。
「なんかできてる! グラタンっぽいのが!」
『先輩、熱いので気をつけてください!』
さすがにそれくらいの分別はある。
ハンカチごしに皿を掴んで、火傷しないよう丁寧に鍋敷きへ載せる。
スプーンを用意し、スマホをティッシュ箱に立てかければ準備完了だ。
「いただきます」
『はい、どうぞ……って、ちょっとおかしいですね。見てただけだし』
「いや、半分は篠森の料理だよ」
私は言われたとおり作っただけだ。
こんがり黄金色に焼けたチーズに、スプーンを入れる。ポテトチップス、豆腐、チーズを余さず掬うと、白い湯気が立った。熱々だ。
そろりそろりと、慎重に口へ運ぶ。
「あひっ」
思った以上に熱かった。豆腐がトロっとした食感だから、余計にそう感じるのかも。
『先輩、大丈夫ですか?』
「う、うん。ちょっと油断しただけ」
めげずに二口目を掬う。
今のはちょっと熱すぎて、味がよく分からなかった。今度はもっとしっかり冷まさなくては。
スプーンに顔を近づけて、ふうふうと息を吹きかける。
『……なんかやらしか』
「え、なに?」
『な、なんでもないです』
そっか。
充分冷ましてから、ぱくりと口に放り込む。
舌に広がるふわふわの豆腐。そして、じゃが芋。じゃが芋? これはポテトチップスでは。いや、ポテトチップスはじゃが芋だから……ポテトチップスって何?
『どうですか? 先輩』
「なんか、ポテチがほくほくしてる。じゃが芋みたい」
『じゃが芋ですけど』
「そうだけど、そうじゃなくて」
ちゃんと芋ってことだ。いやこの表現もどうかと思うけど。
でもちゃんとポテトチップスのジャンクな味付けが残ってるから、食べやすい。
「あと、とろとろの豆腐がクリームみたいで美味しい」
『ダイエットするとき、代用品として良いですよ。低カロリー高タンパクで、本物のホワイトソースよりヘルシーなので』
「なるほど……」
ダイエットの予定はないけど、覚えておこう。
口が熱さに慣れてきた。食感が軽いから、すいすい食べられる。そりゃ本物のグラタンに比べたら物足りないけど、ちょっとした軽食としてなら充分だ。
なにより、自分で作ったという達成感がある。
篠森が料理にハマる気持ちが、ちょっとだけ分かった気がした。
「ごちそうさま」
『夜はちゃんと食べてくださいね』
「心配病だね、篠森は」
でも、今日は自炊にチャレンジしてみてもいいかもしれない。料理とは、大層なものでなくてもいいのだ。レンジで作れるレシピなら、私にも可能性がある。
もし雨が上がったら、藤乃ちゃんが買い出しに行くとき、一緒についていこうかな。
私は閉じたカーテンに近づいて、窓の外を見た。
「──あ」
そこに広がっていた光景に、私は咄嗟に窓を開けて、ベランダへと身を乗り出した。
つんのめるようにして、空へスマホを向ける。
「篠森、見える?」
『はい。見えてますよ、先輩』
「私、久しぶりに見たかも」
『わたしもです』
いつの間にか、六月の長い雨は止んでいて。
抜けるような蒼空に、七色の虹が掛かっていた。
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