解決編

「それではこれから……被害者の萩原さんに包丁を突き立てた憎き犯人の正体を、明らかにしたいと思います」

 探偵がそう宣言すると、周囲に緊張感が走った。


 その探偵が犯行現場の部屋に集めたのは、この事件の関係者の三人の男女だ。

 先月まで被害者と付き合っていたが、最近手酷く振られたという女性。

 その女性から寝取る形で被害者の恋人になった女性。

 そして、被害者が通っていたトレーニングジムのトレーナーをしていた男性。


 三人とも被害者と面識があり、犯行推定時刻の十二時――これは、午前と午後の両方――にアリバイがなかったので、容疑者として浮上したのだ。


 ただ、殺害現場が被害者の自宅で、凶器も被害者宅の包丁だったこともあって、動機は恋愛関係のイザコザによる突発的なものという見方が濃厚。そのため、実質は女性二人のどちらかが犯人だということまでは、周知の事実だった。


「さて……」

 当然、すでにそのどちらが犯人なのかを分かっていた探偵は、その彼女に対してプレッシャーをかけるように保っていた沈黙を破り、重い口を開く。

 そして、ついにその真相を口に……、

「まずは、犯行が行われた正しい時刻を確認しておきましょうか?」

 ……したりはしなかった。


 た、探偵はまず、ウォーミングアップとして、犯行時刻を確認することにしたのだ。つまり、時計が指していた「十二時」とは、午前午後のどちらなのかということを……。


「皆さん当然ご理解されていると思いますが、被害者の腕時計が指していた『十二時』は、犯行時刻とは全く関係ありません」

 ……え?

「まあ。こういう場合に、犯行が行われたタイミングで時計が都合よく止まるなんて、今どきフィクションの世界でもありえないことですが……そもそも、あの時計はデジタル時計でしたからね? 単純に、故障してデフォルト表示に戻っただけ、と考えるのが自然です」

「そんなの、当たり前でしょ!」

「はは。どこのバカが、『犯行時刻が十二時』だなんて言ったんだ?」

「全く……この期に及んで、つまらない冗談を言わないでくださるかしら?」

 ……。

 …………。


 ……口々に、探偵の言葉を肯定する容疑者たち。


 そ、そう……。もちろん、犯行時刻が十二時なんてことは、ありえないことだった。

 そんなことは、誰の目にも明らかだった。最初から、分かりきっていたことだ。間違えるやつなんて、いるはずがない。いたとしたら、相当のうっかり者だろう。

「ただ、その時計は実はスマートウォッチでしたので、アプリの通信記録を調べることで、壊れた時刻は正確に分かりました。本当の犯行時刻は、午後の5時32分です」

 そ、そもそも、こういうときの「止まった時計」というのは、ある意味ただの舞台装置というか? 現実的にはありえないことを誰もが分かったうえで、それでもあえて乗ってあげる「お約束」というか? だから、仮にそれを信じていた人がいたとしても、それはその人が「見え見えの設定」にも乗っかってくれるような優しい人である、という意味であって、少しも恥ずかしいことなんかではない。っていうか、時計がスマートウォッチだとか、聞いてないし? ぱっと見で、分かるわけないし? そんな後出しみたいなこと言われても全然フェアじゃないっていうか、普通にズルだし? むしろ、そんなズルくてお粗末な推理で探偵とか名乗って、恥ずかしくないんですかー、的な……。

「まあ、『薄暗い部屋』……つまり室内ライトをつけない状態で『野菜を切っていた』時点で、『調理を始めるときは明るかったのに日が沈んで暗くなった』という状況は明らかでした。だからスマートウォッチなんて調べるまでもなく、だいたいの犯行時刻は最初から私には予想がついていましたけどね」

 ……。

 …………。

 ……はいはいはい、分かりましたよ。あー、すごいすごい。


 ってか、もういいって。

 いつまでも、そういうどうでもいい細かい話をグチグチ言ってても、仕方なくない?

 結局、一番大事なのは誰が被害者の荻原を殺したのか、っつう話であって、それ以外のことなんかみんな興味ないのよ。だから……。

「それでは、そろそろ本題に入りましょうか? つまり……誰が萩原さんに包丁を刺したのか……」

 だーかーらー……もったいつけるな、っつってんの。

 荻原を殺した犯人は、もう分かってんでしょ? だったら……ん? んん? あれ?

「そう……実は、萩原さんを刺した犯人は、この中にいるのです!」

 お、荻原……でしょ? オギワラだよね? 合ってるよね?

「な、なんですってーっ⁉ この中に……は、萩原さんを刺した犯人がいる、ですってーっ⁉」

 は、萩原? ハギ……? 荻原、じゃなくて……ハギワラ?

 微妙に、漢字が違うの?


「犯人を突き止める決め手となったのは……ズバリ、凶器の包丁です」

 そ、そう言って探偵は、荻原……い、いや、萩原の部屋のキッチンに向かう。

「あの日、この萩原さんのマンションで料理を作っていた犯人は、途中で口論になり、持っていた包丁で被害者の心臓を一突きにしました。その一撃は、まさに致命的と言えるほどの衝撃だったようです」

 探偵は、この部屋に犯行当時の状態を再現しておいたらしい。

 だから萩……いやいや荻……いやいやいや、だから萩原、じゃなくて荻……萩……荻……あーもう! どっちでもいいよ!

「実はその事実こそが、すでにこの事件の犯人が誰であるか、ということを教えてくれているのです!」

 コ、コホン……。

 探偵は三人によく見えるように、…ギワラを刺した凶器と同じ型の包丁を持ち上げた。

「え、そ、それって⁉」

「……まあ、当然そうですわよね?」

「……」


「関東では、一般的に野菜を切るための包丁というのは刃の形が長方形なんです。つまり……出刃包丁やナイフのように先端が尖っていない。そんな包丁で、犯人は被害者の萩原さんに『致命的』な衝撃を与えた……こんなことは、誰にでもできることではありません。か弱いレディのお二人はもちろん、普通の男性でもきっと無理でしょう。できるとするならそれは、普段から体を鍛えている人物……例えば……ジムのトレーナーとか?」

 そして探偵は、容疑者の一人のトレーナーの男性に視線を向けて…………って、え?

 犯人、そいつなの?


 いやいやいや……それはおかしくない?

 だって、動機は痴話喧嘩でしょ? だから、被害者のモトカノか今カノの女のどっちかが犯人だって話だったんじゃん? なのに、男が犯人じゃあ……。

「なるほどね。最近、萩原ちゃんが言ってたストーカーというのも、その男だったわけね?」

「ええ、そうです」

 ん?

「彼は、自分が務めるジムの会員に過ぎなかった萩原さんに一目惚れし、すでに彼女には恋人の女性がいたにも関わらず、つきまといのような行為をしていたのです」

 え? え? 彼女? 恋人の女性?

「そして、やがてその一方的な想いをエスカレートさせ、逆上して……ついに彼女を包丁で刺してしまったのです。先の尖っていない野菜用包丁を、力いっぱい彼女の心臓に叩きつけたのです。鍛え上げられた筋肉から繰り出されたその衝撃は、心臓が停止してしまうくらいに凄まじいものだったのでしょう」

 被害者は彼女で……だけど、女の恋人がいて……?

 えーっと……もしかして、そういう感じ? いまどきの、アレの感じのヤツ?

 ……あー、ややこしいっ!

「し、仕方なかったんだーっ! だってあいつが、俺の気持ちに応えてくれないから! だ、だから……だから……う、ううううぅぅぅー……!」



 ……と、ともかく。


 こ、これで、この悲しい事件は終わった。

 探偵の活躍によって、殺人事件の犯人は明らかになったのだ。


 しかし、こんなことに何の意味があるというのだろう? もう、全ては終わってしまったのに。一度失われた命は、もう二度と戻ってくることはないのだから……。



「じゃ、これでもう終わりよね? それなら、あなたたちはもう帰ってもらえるかしら? 今日は、萩原ちゃんが病院を退院して戻ってくる予定なのよ。事件のとき、包丁で突かれて心停止状態になっちゃったあと、すぐに息を吹き返すことが出来たとはいえ……。やっぱり、精密検査とかいろいろしなくちゃで、しばらく会えてなかったからね。もう、私の中であの子への想いが高まっちゃって……」

 被害者の今カノは、そう言って…………は?

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ⁉ その件については、私も萩原さんに話があるのよっ! あんなに私たち愛し合ってたのに、急にこんなヤツに乗り換えるなんて、絶対おかしいわ! きっと萩原さんのことだから、こいつに何か騙されて……」

 あ、ああー…………。

「たっだいまー! わーい、久しぶりの我が家だー! って、あれー? どうしたの、二人とも揃ってー? てか、二人って面識あったんだっけー? って……うげげっ⁉ ジムのストーカー男が、また私の家にいるんだけどーっ⁉ あ、探偵さんこいつです! こいつがこの前、勝手に私の家に侵入して、勝手に料理作ってたやつです! しかもそのあとで、通報しようした私を包丁で……」



 いや……被害者死んでなかったんかーい!

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信頼できなすぎる語り手 紙月三角 @kamitsuki_san

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