第12話「鵺(ぬえ)」

 黒須は獣に変貌を遂げていた。灰色で巨大な体躯。目は赤く爛々と光り、口は耳まで裂けて無数の牙、手足には鋭い爪があり、顔はまるでネズミのようで、甲高い雄叫びを上げていた。

 

「おい、そこの……堂島って言ったな、ありゃあ、何だ? 何で黒須さんがあんな化け物になった?」

 麟の問いかけに、堂島は地面にガンガンと頭を打ち付けた。

「鵺(ぬえ)だ……」

「何?」

「黒須さんは自ら魔に堕ちた。この世に浮かぶ小さな魔を取り込んでな……魔の集合体、俺たちは、それを総称して『鵺』と呼んでいる……」

「魔の集合体? 鵺だと?」

「ああ、こうなったら、もう人としての理性はない。鵺は本能のままに暴虐の限りを尽くすだけだ……」

「そ、そんな……! 黒須さん! 黒須さん!」

 麟の腕の中で伽耶が叫んだ。


「出でよ! 青龍! 朱雀!」

 麟が二枚の札を天に掲げて叫んだ。

 すると、青と赤の閃光が走り、目の前に青龍と朱雀が現れた。

「アイツを倒せ!」

 麟が呼びかけると同時に、灰色の獣が口を開き、口から大量の火炎が吐き出された。

 青龍と朱雀は麟たちの前に立ちはだかり、炎に立ち向かった。

 青龍が両手を回すと、水の壁が現れて火炎を鎮火した。一方で朱雀は両手を合わせると炎の壁が現れて、鵺の炎を相殺した。

「……かなりの威力ですね」

「ええ、並みの火炎じゃないわ」

 青龍と朱雀の顔色が変わり、ふたりは戦闘態勢を整えた。


 青龍が片手が上げた。手の先に水蒸気が集まると、鋭い氷の刃が現れて刃は獣に襲い掛かるった。

「くらえ!」

 氷の刃は獣を切り裂こうとするが、獣の灰色の毛皮は分厚く、刃は皮膚まで届かない。

「それなら!」

 朱雀が手のひらを獣に向けて照準を合わせた。

「とびきりの炎よ、真っ黒こげになるといいわ!」

 朱雀の手のひらから火炎が放出されると、獣は炎に包まれた。しかし、その炎はなぜか獣の毛皮に吸収されるように鎮火した。それどころか身体は火を吸収して光り輝いた。

「え、ええ!? 私の炎が効かないなんて……」

「私の氷の刃、朱雀の炎も受け付けないとは、この獣の正体は一体……?」

 ふたりの顔に焦りが見えた瞬間、獣の口が再び火を噴いた。それは先程の倍はある爆炎だった。

「うわ!」「キャア!」

 想定外の炎の威力に対処できず青龍と朱雀は吹き飛ばされた。


「お、おい、堂島!」

 麟は木の根っこで縛られて地面に転がっている堂島に呼びかけた。

「何だ、あの獣は!? 黒須さんは、一体何に変化したんだ!?」

「し、知らん! あんな化け物……見たことも聞いたこともない!」

 グルルルル……。唸り声を上げる獣、そんな獣に向かって伽耶は近づいた。

「く、黒須さん……」

「危ない! 伽耶!」

 麟は咄嗟にありったけの呪術符を伽耶に向かって投げた。獣は口から炎を吐いたが、麟が投げた呪術符が炎から伽耶を守った。呪術符に守られた伽耶は炎の威力に押されてその場に倒れ込んだ。だが、伽耶は立ち上がると再び獣の方を見た。


「黒須さん、もうやめて……」

「伽耶、もうそいつに人間だった頃の記憶はない! 近づくな!」

 麟の呼びかけに思わず伽耶は歩みを止めた。

 その時だ、唸り声を上げていた獣が急に動きを止めた。


「カ、カヤサマ……」

 獣が喋った。黒須の声だった。

「黒須さん! 意識が戻ったの!?」

「カヤサマ……ク、クルシイ……」

 獣は黒須の声で伽耶に苦しみを訴えた。その言葉を聞いた伽耶は思わず獣に向かって走った。

「黒須さん!」

 その時、麟は獣が口を大きく開けるのを見た。

「止まれ、伽耶! 罠だ! 近づくな!」

 だが、伽耶は構わずに獣に向かっている。

「お前ら、伽耶を守れ!」

 麟の命令で、走る伽耶の目の前に青龍と朱雀が飛び込んだ。だが、その瞬間、獣が再び爆炎を吐いた。

 青龍と朱雀はいきなり放出された爆炎に対処できず、炎をまともに浴びて、その場に倒れ込んだ。


 獣は身体を震わせて全身の毛が逆立っている。

「く、黒須さん……?」

 伽耶はその時、獣がもう黒須の声を発していないことに気付いた。伽耶は後退りしたが、獣は唸り声を上げると、伽耶に向かって爆炎を吐いた。

「キャアアアア!」

 爆炎が伽耶を襲う。青龍と朱雀はようやく炎を振り払った状態で、助けにいける状況ではなかった。

 麟は懐に手を入れると、白い札を取り出して叫んだ。


「出でよ、白虎!」


 ドカン! と爆音が轟き、伽耶はその場に座り込んだ。顔や身体に焼き尽くすような熱風を感じた。だが身体には傷ひとつ付いていなかった。

(ど、どうしたの? 私……? 炎に包まれたはずなのに……?)


「おう、危機一髪だな。間に合って良かったぜ」

 頭の上から男の声がした。伽耶は顔を上げた。眼の前に真っ白で大きな獣が立っていた。真っ白な獣は伽耶を守るように仁王立ちしていた。

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