第132話 はじまりの紅

 正治さんと出会ってからいろんなことが変わった。

 ボロ雑巾のような俺を拾ってくれた正治さんは、家に住ませてくれただけでなく職も紹介してくれた。

 酒飲みのバイト戦士だった正治さんはえげつないほどに人脈が広く、彼の紹介で俺は何とかヘアサロンに勤めることができた。


 部屋を借りるときにも正治さんは力を貸してくれた。

 正治さんの知り合いのツテで格安の物件を紹介してもらえたのだ。


「いや、保証人はダメですよ!? もしものことがあったら正治さんが責任を問われるんですよ!」

「ははっ、そういうこと言う奴は大丈夫だっての」


 何とか人並みに暮らせるようになったのも正治さんのおかげだ。彼には感謝してもしきれない。

 その反面、正治さんに迷惑をかけているという自覚もあった。


 正治さんのおかげで俺は今、生きている。

 その恩を返せているかと問われれば、答えは否だ。


「とはいえ、何も返せるものがないんだよなぁ……」


 絶賛借金返済中の俺ができることといえば、こうして正治さんのバイト先である居酒屋で飲んで金を落とすことくらいである。


 まったく、情けない。

 大恩人に返せるものがこの程度のみみっちいい自己満足レベルのことでしかないなんて、穴があったら入りたいくらいである。

 正治さんはバスケが好きで、よく俺を誘ってストリートバスケに興じているが、それだって俺が誘ってもらっているだけ。

 俺から明確に何かを返せている気はまったくしていなかった。

 高校時代の部活に未練があるようだが、本人にもう気にしていないと言われてしまえば何もできることはない。


「つくづく俺って奴は……」


 自分のダメさ加減にため息が出る。

 そんなときだった。


「どうしたのお兄さん! そんな辛気臭い顔しちゃってさー!」


 酔っ払いの女に絡まれた。

 顔立ちは整っているが、痛んだ黒髪や肌の荒れ具合から地雷臭がプンプンする。

 経験上、こういった手合いとは関わらない方がいい。


「…………」


 ここは無視一択。見なかった振りをしてビールを一気に流し込む。


「ちょっとぉ、無視は酷くない?」


 だが、女は俺の横に座って馴れ馴れしく話しかけてきた。


「こらこら紅百合ちゃん。ダル絡みはやめなー?」

「えー、いいじゃないですかぁ」


 見かねた正治さんが紅百合と呼ばれた女へやんわりと注意をする。

 どうやら正治さんの知り合いだったようだ。


「正治さん、この酔っ払いと知り合いすか?」

「高校のときの後輩だ。悪いな、シロ」

「いえ、正治さんの後輩ならまあ……いいですけど」


 大恩人の後輩の女となれば邪険にするのは憚られる。

 たとえそれがどう見ても地雷女だったとしてもだ。


 このときはまだ、この酔っ払い――英紅百合と誰よりも深い仲になるなど、予想もできなかった。

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