第66話 新たな道標
英さんが配信者になった。
あの容姿に加えて、ファンサも完璧にこなす姿勢も相まってなかなか人気のようだ。
何だか彼女が遠くに行ってしまった気分である。
「どうしたシロ、元気ねぇじゃねぇか」
「正治さん、今日は三限まで授業あるんじゃ」
「カードリーダー通して出席だけしてきた。あの授業、紙で出席取らねぇからな」
この人のことは出会う前から知っていた。
何でもクロが未来でいつもお世話になっていた居酒屋のベテランアルバイターが正治さんだったのだ。
クロの残したノートの信頼できる人物一覧にも彼の名前は載っており、その文章量からもどれだけクロが彼を信頼していたかがよくわかった。
それに正治さんはクロと雰囲気が似ている。
話し方や僕への接し方、どれもがクロを彷彿とさせた。
そして、気づいた。
正治さんがクロに似ているのではなく、クロが正治さんに似たのだと。
英さんや越後さん、吉祥院さんとばかり連んでいたせいで男友達がいなかった僕にとっても、正治さんは高校時代から頼れる兄貴分だった。
「どうだ、久しぶりに大軒園にでも行くか?」
「いいですね! またバスケしましょう」
「さすがシロだ。ノリがいいな」
僕は二つ返事で正治さんの提案に頷く。
彼とはこうして定期的に遊びに行く。
大抵の場合は、千葉県の市川市にあるアミューズメントパーク〝大軒園〟へ行くことが多い。
ここは関東最大のアミューズメントパークであり、スリックカートやバッティングセンター、ゲームセンターにカラオケ、バスケットコートもあるのだ。
「シロも今日はバイクだよな」
「僕がバイク通学なの知ってるじゃないですか」
「ははっ、だな。じゃあ行くか」
お互い駐車場に止めてある自分のバイクに跨り、大軒園へと向かう。
ここからバイクならばそう時間はかからない。何なら家より近いくらいである。
大軒園へ到着すると、さっそく僕達はバスケの1on1に興じていた。
「今日は随分と荒々しいな!」
「ちょうどストレス溜まってたとこなんで!」
「そんな調子じゃ、俺は抜けないぜ!」
ドリブルに緩急をつけてもまるで動じることはなく、余裕でボールを取られてしまった。
さすがは元バスケ部。高校で培われた技術は元より、卒業後も定期的にバスケをしているから腕は鈍っていないようだ。同じ元バスケ部でもやはりこの人には敵わない。
「シロは力抜いて自然体のときが一番怖ぇからな」
「そうなんですか?」
「ああ、絶妙にやりにくい」
やりにくいと言いつつも、正治さんは心底楽しそうだ。
「そうだシロ。この前、お前が予想してくれたやつ、三連単あたったぞ」
「ちょ、マジで買ったんですか!? 当てにしないでくださいよ。外れても責任持てませんって」
前に正治さんから競馬の順位予想を聞かれたとき、ちょうどクロノートにあった内容を思い出し、ついそれを教えてしまったのだ。
「安心しろって、外れてもシロを責めたりしねぇよ」
「そもそもやめましょうよ、ギャンブルなんて。ハマると抜け出せないですよ?」
「そりゃごもっともだ。ま、俺もこれっきりにするよ」
そう言って苦笑すると、正治さんはバスケットボールを指の上で回転させる。
「んだよ、雨か」
「梅雨ですもんね」
突然雨が降ってきたものだから慌てて近くの屋根がある喫煙所へと避難する。
フィルタのカプセルを潰して口に咥え、タバコに火を着ける。メンソール特有のスッとした風味とニコチンが脳に癒しを与えてくれた。
「シロ、ライター貸してくれ。オイル切れちまった」
「どうぞ」
「サンキュ」
僕が投げたライターを華麗にキャッチすると、正治さんは慣れた手付きで咥えていたタバコに火を着けた。
そのまま無言で紫煙を燻らせていると、唐突に庄司さんが告げる。
「それで、悩みってなんだ? ここ最近、ずっと浮かない顔してたろ」
一転して真剣な表情で問いかけられ、心臓が跳ね上がる。
ストレスが溜まっているとは言ったが、そこまでバレていたとは。正治さんに隠し事はできないな。
「相変わらず察しがいいですね」
「高校時代の俺みてぇな顔してたからな」
「ははっ、あのときは大変でしたもんね」
高校時代に思いを馳せながら
「シロ、お前には感謝してるんだぜ」
正治さんは煙を蒸かすと穏やかな笑みを浮かべた。
「お前がいたから俺は今も楽しくバスケをやれてる」
「買い被り過ぎですよ。正治さんはどのみちバスケはやってたと思います」
僕はただあり得たかもしれない未来においての大恩人を放っておけなかっただけだ。
正治さんだけじゃない。
クロのノートには、僕にとって大切な人や未来でクロが世話になった人達のことが記載されていた。
その人達に襲い掛かる不幸を取り除きたい。それが未来を知ってしまった者としての責任だと思った――それこそが何もない僕に残された道標だったから。
「僕、好きな人がいるんです」
「凛桜ちゃんか?」
「凛桜はただの友達ですよ。それにあいつは僕の顔がタイプじゃないらしいんで」
思えば、クロからは英さんのストレス原としか聞いていなかった凛桜ともかなり仲良くなった。
やっぱりバスケ部に入ったことが大きかったのだろう。
気がつけば、英さんと過ごす時間より凛桜と過ごす時間の方が多くなっていたくらいだ。
「凛桜とも友達だった女の子ですよ。元々は仲良かったはずなんですけどね。僕にはやるべきことがあるって自制していたんです」
未来を変えることは簡単じゃなかったのだ。
恋愛で浮ついた気持ちを封印して、僕はとにかくがむしゃらに奔走した。
「そうして一通りやるべきことを終えてみたら、いつの間にか彼女はもう手の届かないところに行っちゃったんです」
配信者になった英さんがそのまま専業でやっていけるかはわからない。
でも、クロのノートにはいずれ巣籠り需要の影響で配信者業界が活性化するとあった。
英さんなら就職せずとも配信一本で食っていける。
彼女が病まない未来のため、その道を応援したいと思った。
クロ曰く、女性配信者に男の影が少しでも見えれば炎上してしまうそうだ。配信者にとって恋人はデバフ。なら僕は彼女の傍にいない方がいい。
好きな女の子を自分の手で幸せにできないのは悔しい。けど、僕のちっぽけなプライドなんてどうでもいい。
大切なのは英さんが幸せになることなのだから。
「なるほどなぁ……一通り終わったとか言ってたが、その〝やるべきこと〟ってのは終わったのか?」
「いえ、まだ特大のが待ってます……あはは、やっぱり人助けって柄じゃないんですかね」
ここ最近は間隔が空いて落ち着いていただけで、未来を知っている僕が救うべき人はまだたくさんいる。
「なら、そのやるべきことと並行して自分も磨くべきだな」
「どういうことですか?」
「簡単なことだよ」
正治さんはいいことを思いついたとばかりにニヤリと笑った。
それと同時降っていた雨が止んで日差しが差し込む。どうやら通り雨だったようだ。
「好きな女が届かないとこに行っちまったのなら、もう一度手を伸ばせば届く場所まで行こうぜ?」
その言葉は僕にとって新たな道標となるのであった。
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