第46話 クロの未練

 床に倒れ伏すクロの様子は明らかに普通ではない。


「白君?」


 クロが見えていない英さんは、突然振り返って黙り込んだ僕を心配したように見上げてくる。


「ごめん、ちょっとトイレに行ってくる」

「あっ、うん。いってら」


 急いでトイレに向かい、クロがやってくるのを待つ。僕の声は聞こえていただろうから察してここまでやっては来るだろう。


 クロを待つ間、頭の中で様々な考えが駆け巡る。

 思えば、クロは今まで自分のクズ自慢を楽し気に話してばかりだった。暗い過去なんてまるで匂わせたことなどなかったのだ。

 それが英さんと出会ってからというもの、大人な一面を見せたり、真剣な表情を浮かべることも少なくはなかった。


 そして、先ほどの反応である。

 未来で英さんと何もなかったなんて考える方が無理のある話だ。


「もしかして、クロの未練は……!」


 そこまで考えて、僕は思わず声をあげた。おそらく、クロの未練の正体。それは――


『……悪かったな』


 僕が結論に思い至ったとき、ふらふらとした足取りのクロがやってきた。


『心配すんな。幽霊ってのは不安定な存在だから、今までもお前の見てないところでこういうことはあったんだ』


 鼻の頭を掻きながらクロはそんな苦しい言い訳をし始める。その表情は、とてもじゃないけど見ていられないほどに痛々しかった。

 さんざん見てきたクロの癖。それは僕自身が英さんに指摘されて初めてわかった嘘の証拠だった。


「クロ。お前、最初に出会ったとき言ったよな。どうして自分が死んだのかわからないって」

『ああ、言ったな』


 僕は意を決して、核心に触れる質問を投げかけた。


「じゃあ、未来の英さんの死因は覚えてるのかよ」

『お前、どうしてそれを……!』


 僕が問い詰めれば、クロの顔が驚愕に染まった。


 どうやら、図星らしい。

 クロは鼻の頭を掻きながら言っていた。紅百合はただのセフレだ。死んだところで何か思うわけもねぇよ、と。

 あのときは、もう死んでいる自分が別に気に掛けるような相手じゃない、という意味だと思っていたが、死んでいたのが英さんということなら話は変わってくる。

 更にそれが嘘となると、未来では英さんは死んでいてクロはそのことを激しく後悔していたということになる。

 つまり、クロの未練とは英さんの死に関わることなのだ。


「……やっぱり、そうなんだね」


 本当は否定してほしかった。でも、今までの言動とクロの反応からそれが真実だと嫌でも理解させられてしまった。


『チッ、カマかけやがったのか』


 ただの肉体関係にしてはクロはやたらと英さんとの思い出を語りたがる。内容こそ下品なものが多かったが、どれだけ二人の仲が良いかは嫌というほどに伝わってきた。


 クロが未来の英さんを大切に思っていることなど、火を見るよりも明らかだ。


 僕は今まで気付かなかった。いや、気付きたくなかっただけだ。

 クロが抱えていた心の闇。それに気付いてしまった以上、もう見て見ぬ振りはできない。


「クロ、お前の未練は英さんを救えなかったことだろ」


 死因はわからないが、少なくともクロが死ぬ直前に英さんは亡くなったか命の危機に晒されていた。だからこそ、クロは自分の死を嘆き、過去に遡ってまで自分自身に憑りついたのだ。

 そのまま黙り込んでしまうクロだったが、やがてゆっくりと口を開いた。


『……わかったような口を利くんじゃねぇ』


 クロは鋭い視線で僕を見据える。

 僕はその眼光を真っ向から受け止めた。ここで目を逸らすことだけは絶対にできない。

 これはクロの問題であると同時に、僕自身の問題でもあるのだから。


『何も知らずに生きてきた野郎が偉そうな口を利くんじゃねぇ』

「だって何も教えてくれなかったじゃないか」


 クロは訳知り顔で何かを匂わせるようなことしか言ってこなかった。

 自分がどうしたいのかも、僕がどうすればいいのかも、明確な答えをくれたことなんて一度もなかったのだ。


『明確な未来を教えてこうしろって言ったら、何も考えずにお前はそれを実行する。昔から俺はバカ正直で考えることが苦手だったからな。自分のことは自分が良く知ってる』

「それは――」


 否定できなかった。

 素直といえば聞こえはいいが、裏を返せば何も考えずに相手の言葉に従っているとも言える。特に小学校の頃の僕はそうだった。

 だから、クロが自分の〝最低な未来の姿〟という認識になってからは、彼のようにならないように自分で考え、クロの言ったことにはとことん歯向かって行動していた。


 クロは僕が自分で考えて行動できるように促していたのだ――英さんを救うために。


『とにかく、今は俺なんかのことより紅百合とのデートに集中しろ』


 クロは僕に背を向けると、トイレから出て行こうとする。


「待てよ、逃げるのか」

『あぁ?』


 僕の挑発的な言葉にクロが振り返った。その目には明らかな怒りの色が宿っていた。


「全部僕に押し付けて、英さんが救われるのを横で見てれば満足なのか? 自分自身から逃げるなよ」

『お前に何が――』

「わかるよ」


 クロの声にかぶせるように僕は声を上げた。

 未来でクロがどんな気持ちで過ごしてきたかくらいは僕にだってわかる。


「だって、僕はお前だろ?」


 僕もクロも同じ白純つくもじゅん


 辿ってきた道は違えど、僕のことは僕が一番よくわかっているのだ。

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