第10話 八方美人の良いところは悲劇のヒロインになれることよ
今日一緒に飲まない?
そんな風に呼び出されたときはたいていの場合、紅百合にストレスが溜まっているときだ。
ガチ恋客に迫られて嫌な思いでもしたのだろう。
「店を変える?」
「そ、キャストの子とトラブっちゃってね」
俺の予想は外れ、紅百合のストレスの原因は彼女の勤めているコンカフェの同僚とのいざこざだったようだ。
「毎回思うけど、紅百合みたいな八方美人が嫌われるってどういう状況だよ」
「誰にでも良い顔してると、善人面が気に食わない子から嫌われちゃうのよ。そんでもって嫌ってくる相手に優しくしたのも良くなかったのかもね」
「どういうことだ?」
テーブルに置かれたコークハイを傾けながら尋ねると、紅百合は肩をすくめて答える。
「純はいじめてる嫌いな相手が、いつまで経っても自分に優しく接してきたらどう思う?」
「うーん、こいつ何考えてるんだって思う」
「そういうことよ。いじめてる子からすればあたしは攻撃してるのにまるで効かない理解不能な存在ってわけ。頭がこんがらがってそれでどんどんヒートアップしちゃったんでしょうね」
そんなくだらないことで職場の雰囲気が悪くなるとか迷惑すぎる。そんな奴は辞めちまえ。そんでもって紅百合が店に残れば良かったんだ。
「でもまあ、八方美人の良いところは悲劇のヒロインになれることよ。おかげさまで、その子以外は全員味方で正義の袋叩き状態だったわ」
「じゃあ、何で紅百合が店を変えるんだよ」
「今回であたしに対するいじめ問題も三件目よ。さすがにあたしにも原因があるんじゃないかってみんなが疑い始める頃なの。悲劇のヒロインのまま気持ち良く店を変えたいってわけ」
そろそろ潮時だったということか。
紅百合が店を変えるのは俺との関係が始まってから二回目だが、今後もこの調子で大丈夫かは心配なところである。
「高校だろうとコンカフェだろうと女のやっかみってのは付き纏うものなんだな」
「高校?」
「ほら、前に言ってただろ。視野狭窄えちゴリラちゃん」
「そう、えちゴリラ! あははっ、懐かし! てか、よく覚えてるね」
「そんな面白いあだ名の女の話を忘れるわけねぇだろ」
えちゴリラとは、紅百合が前に話していた高校のときの同級生の子のあだ名だ。
高校時代、紅百合が所属していたトップカーストのグループのリーダー的存在であり、紅百合に嫌がらせをしてきたらしい。
その話を聞いたときはトップカーストのリーダーがそんなことをするのかと疑問に思ったが、紅百合があまりにも完璧美少女を演じ過ぎて嫉妬に狂ってしまったとのことだ。
要するに、マウントを取れなくなった女王様のご乱心というわけである。
「ホント、どいつもこいつも面倒臭いったらありゃしない」
吐き捨てるようにそう言うと、紅百合はグラスに残っていたコークハイを呷る。
「今まであたしに攻撃してきた子の中じゃ一番頭良かったけどね」
「確か自分の財布を紅百合に盗まれたように偽装したんだっけか」
「そ、ご丁寧にあたしを誘導してアリバイまで消そうとしてきたのよ。結局、あたしは先生のとこ行ってアリバイ作っといたんだけどね」
「カウンターパンチが過ぎる」
相変わらず紅百合は容赦がない。高校生のときは猫被りも徹底していたらしいし、オーバーキルもいいところである。
「それでも、こっちがそのアリバイ出すまではクラスメイト達に疑われたけどね。あんだけみんなのためにいろいろやってあげたのに、信頼って簡単に崩れ落ちるんだなーって、ちょっと虚しくなったわ」
ふと、零れ落ちた弱音。
紅百合が猫被りに疲れてしまったのはこういうことの積み重ねがあったからなのだろう。
これ以上、このことについて語らせていると無限に病んでいきかねない。
「ま、終わったことより、これからを祝おうぜ。今日の飲みは紅百合の転職祝いってことで俺が奢ってやるよ」
「マジで! やっぱ純しか勝たんわー!」
話題を変え、俺はとにかく今は楽しく飲もうと提案すると、紅百合もそれに賛同して気分を変えて盛り上がり始めた。
「はいはい……で、グラス空だろ、飲むもの変えるか?」
「じゃあ、モエシャン」
「てめ、ここぞとばかりに高ぇの頼みやがって……!」
毒づきながらも悪い気はしない。何だかんだで紅百合と飲む酒が一番うまいのだ。このくらいはサービスしてもいいだろう。
シャンパンを注文すると、厨房からよく見知った顔がすぐにシャンパンを持ってきてくれた。
「お前らはホント仲良いよな」
「正治さん、ちっす!」
定期的に美容師である俺に客を紹介してくれる恩人でもあり、しょっちゅうここで飲む俺達にとっては馴染み深い人物だった。
今日もいつものように厨房から顔を出して、ホールの様子を見にきたようだ。
「正治さんがこの時間までこの店にいるの珍しいですね」
「ああ、アキバの店が臨時休業になるらしくてシフトに余裕ができたんだ」
「いや、余裕ができたなら休みましょうよ……」
「何言ってんだ。まだまだ遊ぶ金稼がなきゃな」
シャンパンを派手に開けて、グラスに中身を注ぐと正治さんは厨房へ戻っていった。
「あの人ワーカホリックだよなぁ」
正治さんはこの店以外にもいくつものバイト先を掛け持ちしている超人だ。俺にはまねできそうもない。このくらいの勢いで働ければ借金も返せるんだろうが、そんな気力はない。
「何で彼女いないんだろうね」
ワーカホリックかつ趣味に全力で生きているから彼女なんていなくても幸せなのだろう。
そんな正治さんの生き様に尊敬の念を抱くと同時に、俺の中で何かが引っ掛かった。
「というか、純は彼女作らないの? 美容師で容姿も良い方だし、作ろうと思えば作れるでしょ」
しかし、そんな疑念は紅百合の問いかけによって霧散する。
「この歳で彼女なんて作ったら結婚とかいろいろ付き纏うだろ。遊びたいだけなら無責任に恋人なんて関係性は作るべきじゃねぇよ」
「変にちゃんとしてるよねー。ま、だからあたしとの関係が何年も続いてるんだろうけど」
そう言って紅百合は悪戯っぽく笑みを浮かべる。何だかんだで彼女もこの退廃的な関係を気に入っているのかもしれない。
「それに、紅百合以外の女を抱いても満足できなそうだ」
「あははっ、あたしら体の相性は最高だもんね」
俺と紅百合は笑い合うと乾杯した。
「ねぇ、これ飲んだら純の家いこっか」
「終電は終わってんだ。始発までゆっくり店で飲んだ方がいいだろ」
今日の天気は曇りだが、雨が降る気配はない。雨宿りと称して長居する理由もない。
「いいじゃない。あたしがいればタクシー代も安くなるし」
「せいぜい一割引き程度だろうが」
結局、紅百合に押し切られた俺はシャンパンを飲み終えたあと、限界まで酔った紅百合をタクシーで家に連れ込み、激しい夜を過ごすのであった。
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