第24話 あたしとあいつの関係について

イラつきよりも、悲しみのほうが大きいのかもしれない。いや、悲しいのか? 淋しいのか? 侘しいのか? 兎にも角にも、あたしの気分は落ち込み気味だった。


それもこれも、あの佐々田ささたなんちゃらが入部してからだ。あいつに対して、あたしはいまだに否定的だ。その理由は……


「よっす。どうした、珍しくブルー入ってるじゃん。」



あたしが自分の机で腕を枕にしながら考えごとをしていると、横から声がした。前の席にどかっと座ったその声の主——曼珠沙華まんじゅさやかは、このクラスで唯一と言っていい、あたしの話し相手だ。


青蓮せいれんと同じくらいにサラリと伸びた美しい髪は、けれどもあたしと同じく金色に染まっている。


髪が真ん中で分かれているから、不機嫌そうに垂れた眉毛と、半分ほどしか開いていない、重そうな瞼がよく見える。


それに加えて、いつも不織布のマスクを顎まで下ろしてつけているから、風邪の予防にすらなってないし、余計に柄が悪くうつる。


「……なんでもない。」


「ふーん、そっか。」


「え!? ちょっと!」


「なんだよ。聞いて欲しいならわざわざ1回引くな。惹きつけんな。」


「もー!!」


「ふっ。で? どしたん?」


見た目と口調こそあたしと、いわゆるギャルだが、ちゃんと他人に気をかけてくれるし、ノリも合う。そんな彼女でも、このクラスにあたし以外の話し相手はいないみたいだから不思議だ。


「昨日の部活ぅー。ムカつく1年が入ってきたのー。」


「なに? 男子?」


「そー。」


「へぇー。ナンパでもされた?」


「ううん。」


「あー、セクハラか。」


「あながち違くないけど、違う。」


「あながち違くねぇのも問題じゃね?」


彼女はまだまだ理由を探ろうと、考えている様子だ。まあ、本当は、佐々田なんちゃらにイラついてるってよりも、青蓮に言われたことのほうがブルーの原因だから、どんなに探ろうと意味は無いんだけど。


沙華とは、マジの悩み相談をするより、なにかひとつのものに対して一緒に愚痴るほうが楽しいから。


「あ、分かったわ。安藤あんどうを取られたのか。」


「……は?」


唐突に針の穴に糸が入ってきて、思わず口から声が漏れた。なんで? なんでそうなるん?


水仙すいせん、マジで好き過ぎだよな。安藤のこと。」


「は?? はァ!!??」


「うっるせ!? ちょっ、静かに!」


朝の教室にあたしの声が響くと、教室中のまばらな視線が、一瞬こちらに集中する。


その気配をイヤでも察知したあたしは、慌てて声を潜めた。


「ち、違うから。青蓮のことは別に……!」


あたしが弁明しようとすると、沙華も声のトーンを落としつつ、その分だけ顔をこちらに近づけて喋る。


「いや、もう何遍なんべんも言ってるけどさ。安藤を意識すんのは良いけど、隠すのヘタ過ぎんよ。毎回同じ反応だからコッチはおもしれーけど。」


「だ、だって本当に違うし。本当に違うから声を大にしてるのに! それで余計に疑われても、こっちは否定しかできないんですけど!」


「分かったわかった。もうイジんないから。ったく。」


沙華はマスクの位置を直しながら、呆れたように言う。でも、やっぱり顎より上にマスクを持っていこうとはしない。


「そ、そっちはどうなのよ? 部活。」


あたしが訊くと、彼女は「ん?」とこちらに視線を改める。


「美術部。新入生入ったんでしょ?」


彼女は見た目こそスケバンのようだが、成績の順位も毎回真ん中より上だし、部活動にもなんだかんだ毎日行っているらしい。


絵を描くのが好きらしい。描いたものを見せてもらったことはないが。


「あー。来てたな。ま、全員女子だったけど。」


「ふーん。」


美術部……あれ、なんか思い出し……うーわ。最悪。


「あ? なんだよその顔。」


「いや、なんでもない。やなコト思い出したわ。」


「……ん、分かった。その新しく入った男、元美術部とかだろ。」


彼女はやけに勘が鋭いときがある。しかも、そのほとんどがあたしにとって都合の悪いときだ。


「アタリ? アタリだな、その顔は。あっは!」


弾くように笑う彼女が、心底ウザい。


「へー、そっかー。話してみてーなー。」


「は? なんで?」


なにを言い出すかと思えば。


「水仙が嫌うときって、だいたい相手のほうがまともなこと多いからさ。」


「は? 意味わかんない!」


「だって、アタシのことも嫌いだろ?」


「……はぁ?」


彼女のその質問はあまりに巧妙だった。


『イエス』と答えれば、彼女のことを嫌いということになるついでに、彼女を『まとも』だと認定することになる。


『ノー』と答えれば、『まとも』じゃない彼女のことが好きだということになってしまう。


いや、好意は確かにあるけど。でも、この返答でそれを伝えてどうなるというのか。


ないない。ないわ。


つまり、あたしの答えは……


「ほう、沈黙と来たか。」


そう言うと彼女は、口もとまで上がってきたマスクの位置を正すと、「ドキドキ2択クイズ、とりあえず生き残ったな。」とよくわからないことを言って、身体からだを正面に戻した。


ちょうど、担任が教室に入って来たころだった。


毎朝、こんな感じの会話を繰り返しては不完全燃焼に終わるので、話題が尽きないというか、終わらないというか。


朝のHRホームルームが始まると、窓際の席のあたしは、憎らしいくらいに晴れ晴れとした外を横目で眺める。


……そうそう、佐々田なんちゃらの入部について、なんで否定的なのかっていうのを整理してたのよね。


あたしは安藤青蓮という存在が、とても、とても憎い。


なぜなら、青蓮はあたしの持っていないものを、手にしたいものを、全てを持っているから。


でも、それと同時に、あたしは青蓮に憧れている。それはもう、憎さと張り合うくらいに。だから、少しでも近づくために、少しでも知るために、青蓮と同じ部活に入った。


それを、旧知だか同中おなちゅうだか知らないけど、男である佐々田なんちゃらが、侵蝕してきた。


それが許せない。あたしの、あたしたちの聖域に踏み込んだあの男が。


……まあ、でも。その青蓮の怒りを買ってちゃあ、世話ないわね。


「はあ……。」


眩しくてたまらない青空に、小さくため息を吐いた。


前の席の沙華が、それにちょっと反応した気がする。本当に、他人の機微に敏感な彼女が親友と呼べる一人で良かった。


あたしはまた、ため息を吐いた。今度は、ふふんと鼻を鳴らして、笑いも一緒にこぼれた。


HRももうすぐ終わる。……よしと。さっさと切り替えて、部活に臨んでやる。


あたしはそう決意して、少し気が早いけれど、筆箱から筆記用具を取り出して、授業の準備をする。


「……あれ?」


消しゴム、どこだ?

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