第20話 その人を知りたければ 参

俺がなにに『怒り』を感じるか。


……しかし、改めて記憶をさかのぼってみても、なにかにいかりを覚えたことなんて滅多にない。


もし俺の中に、なにかに怒れるほどのエネルギーがあるとすれば、この部活に所属するなんてことも無かっただろう。要は、怒ることには体力と気力が必要で、俺はそれすらも『面倒くさい』と感じているのだ。


「……あんまり『怒り』を感じたことは無いかもしれませんね。」


正直に俺がそう言うと、一瞬、空気の流れが止まった気がした。次に、熊井くまい先生と青蓮せいれんの浅いため息によって、再び空気が流れを取り戻した。嫌なほうに。


「は~、まったく君ときたら。お年頃なのは分かるけれど、あまり格好良くはないと思うよ~?」


「えっ。」


先生がそう言うや否や青蓮があとに続く。


夏瑪なつめくん、その回答は私たちとのコミュニケーションを拒否していると受け取られかねないよ? 君も感情を持った1人の人間なんだ。怒りを覚えることのひとつやふたつ、無いほうが不自然だよ。君の外面がいくら善人であってもね。」


「うっ……。」


なんとも酷い言われようだった。別にカッコつけているわけではない……と言ったところで、それもまたカッコつけてると思われるだろう。


彼女らの反応から、思っていたよりもマジメな雑談会であったことが判明したので、渋々と俺は再考した。


青蓮の言う通り、これはコミュニケーション。会話とは等価交換だ。あちらが情報をくれるというのならば、こちらも相応の返しをせねばならない。


しかしながら、そういう信念を持っていたことをついこの瞬間まで忘れていたのは、高校生になってからまともに人と会話をしなかったからだと思われる。


「わ、分かりましたよ。ちゃんと考えますって……!」


すると俺の斜向はすむかいのほうから野次が飛ぶ。


「はじめっからそうしなさいよ。要領悪いわね。」


水仙すいせんの毒に対してはそろそろ抗体もできた頃だろうと思っていたが、なにぶんこの状況である。三方からダメ出しを喰らえば、さしもの俺とて……と思ったとき、ピンときた。これか。これが『怒り』か。


我ながら、まるで人と触れ合ううちに感情を獲得したロボットのようだった。


しかし、そうだな……。これをそのまま『水仙先輩に『怒り』を感じます。』と出力したところで、さらなる罵詈雑言ないしはこぶしが飛んでくることは目に見えている。


そのため、できる限りやんわりと、遠回しに、穏やかーな婉曲えんきょく表現でもって俺は話した。


「……そうですねー。まあ、他人ひとの心が分からない人に……ですかね。」


これは、一種のいましめだった。無論、この無神経なギャルに対してでもあるし、なにより自分に対しての戒めだ。


俺の怒りの対象は、煤牛すすうしと同じ、『自分の弱さ』なのだろう。水仙を見て怒りを感じたのは、どこか鏡写しのように、彼女に自分の弱さと同じものを見ていたのかもしれない。


しかしながら、煤牛が抱える怒りに比べてみれば、俺の抱えるそれなど、感情未満の、感想程度の、取るに足らない心の動きであることは、言うまでもない。


「ふーん、そんな人いんの?」


鏡を見ろ、このギャルは。


「なんだ、やっぱり『怒り』の感情あるじゃないか~。それにしても凡俗ぼんぞくだね~。」


「……ひと言余計では?」


たまらず俺は返した。


他人ひとの心が分からない人……か。」


青蓮はそう呟くと、目線を俺から少し下げ、どこか遠い目をして沈黙する。


なぜだかその光景が、悲哀を感じさせるようでいて、消え入りそうな儚い美しさもあるような、一枚の絵画にさえ見え、目が離せなかった。時間としては、ほんの2秒ほどであっただろう。


「……あの、


「さぁ、次は私の番ということで良いかな。ありがとう夏瑪くん。」


俺の言葉に被せるように青蓮は言った。


いつもの彼女を見ている限り、『他人ひとの心が分からない人とは、具体的にどんな人かな?』と、ラリーのひとつでも返してきそうなものだったが。


彼女はそれを拒否するように、見ないふりをするように俺を遮って喋った……少なくとも、俺には彼女がそういう振る舞いをしているように見えた。


しかし、今の俺には彼女の思惑おもわくを知り得ないし、知るよしもないので、それ以上の追及をすることはしなかった。後味は、良くは無いのだが。

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