《前期日程二日目・昼十三時過ぎ・大学食堂》(2/6)


「ああ、私もクラブで白河を見かけたことがある」


 黒澤さんがあっけらかんと言った。

 四時間目の哲学基礎で一緒になったから、隣に座ってそれとなく聞いてみたのだ。黒澤さんも白河さんの友達だし、なにか知っているかもしれないと思ったから。


「以前、隠れ転生者のガラを押さえるクエストを受けてな。半グレどものヤサをあたっていたのだが、そいつらのシノギがクラブの運営だった」


 ガラ、というのは身柄のことだそうだ。ヤサは拠点で、シノギは金儲けの手段を指すらしい。


「で、その時に一度、見た。踊ってはいなかったな。だれかと話し込んでいた。踊るよりは喋る派なのかもな」

「そ、そうなんだ……」


 うわあ。なんだかショックだ。クラブに行くのか、白河さんも。喋る派なのか。踊る派と喋る派がいることも知らなかったけど、踊る派よりは白河さんらしいか。

 哲学基礎の教室は大講義室で、常にだれかが小声で話をしている。ひそひそ話の群れが薄い喧騒になって空気に漂っているから、こっそり会話をするにはもってこいだった。


「白河さんでも、クラブとか行くんだ……」

「狸穴、貴様はあれか。処女厨か」

「ぶふっ」


 講義室でなんてこと言うんだ。噴き出した僕を、周りの生徒が半目で見る。薄い喧騒の中でも、大きな声が出れば注目されてしまうのだ。ごめんなさい。

 僕はさらに声を絞って、話を続けた。


「違うよ。ただちょっと、その……、僕、白河さんのこと、ぜんぜん知らないんだなって」

「それはそうだろう。たった一年間、語学の班で一緒だっただけの仲だ。挨拶はする。見かければ声はかける。学内でなら集まる。だが、その先へ進みたいならば、貴様が積極的になるべきだな。恋愛をしたいのならば、手も足も出して近づいていくしかないだろう」


 ちょっと、なにも言えなくなってしまった。


「なんだ、その驚きの眼は」

「いや、黒澤さん、恋バナとかするんだ……、と思って」

「たわけ。私だって女子だぞ」


 失礼ながら、すごく意外だった。クエストに追われる時間のない苦学生で、しかも拝金主義者だ。恋愛なんて毛ほども興味ないと思っていた。前世も高潔なエルフの祈祷師だし。「たわけ」とか言うし。


「ごめん、黒澤さんのこと誤解してた」

「なにより、リアルの恋愛事情は聴くだけならタダだからな。趣味としてこれほどコスパがいいものもあるまい」


 うん? コスパ?


「高校時代、同級生の田中さんがオトコを変えるたびに、みんなで何か月もつか賭けたものだ。つい二年前のことだが、いやあ、あれはいい稼ぎになった」

「祈祷師がそれでいいのか……」


 転生者は神を信じなくなる、とはよく聞く話だけど。地球というこれまでの常識にない別世界の存在は、多くの教義を否定してしまうらしい。僕にはよくわからないけれど。

 黒澤さんも、もしかしたらそれが理由で拝金主義者になったのかも、とか考えてしまう。


「いや、現金を賭けていたわけではない。法に触れるからな」

「え、じゃあ何を賭けたの?」


 いい稼ぎになったって言ったくせに。


「学食の食券をな」

「ほぼ現金じゃねえか」

「法の隙をついたグレーゾーンだとも」


 パチンコ屋みたいな理屈で法をすり抜けるんじゃない。


「それはそうと、ちなみになんだけれど、ただの興味本位に過ぎない会話の延長上の質問なんだけれども、白河さんがよく行くクラブの名前を知ってたりする?」

「狸穴……貴様、そこそこ気持ち悪いな」


 うるせえやい。けれど、黒澤さんは「ジュース一本奢るから」で情報を教えてくれた。安い女である。

 店名はレッド・ディア。白河さんがよく行くクラブは、赤い鹿のマークが目印らしい。


「もっとも、白河に限らず、大阪のクラブ慣れしているものならば、一度は行く店だ」


 と、黒澤さんは続けた。


「大型の箱で、フロアも客層も広い。社会人や大学生だけでなく、時折、高校生も紛れ込んでいるくらいだ」

「それ、いいの?」

「ディアは十八歳から入れるからな。学校にバレれば怒髪天だろうが、入るだけで酒を飲まなければ問題ない。……まあ、入るだけで済ませられるやつは、そもそも入らんが」


 地味に衝撃だった。そうか、高校生のうちからクラブに忍び込むひともいるのか。当たり前だけれど、同じ街に住んでいても、大阪には僕の知らない一面がたくさんある。


「……そういうところ、行ったことないや」

「行って楽しめるならばそれでよし。楽しめないならば、それもまたよし。人の趣味はそれぞれだ。衛藤のように」


 それはそう。あいつは午後の講義をぜんぶサボって、まだプラモデルと格闘中だし。


「ちなみに私は苦手だ。男どもがわんさか寄ってくるからな」

「それは、そうでしょ。黒澤さんなら」


 黒澤さんは、切れ長の瞳を持つ美人さんだし、ジッパーを閉めたパーカーの上からでもわかるくらい、メリハリのあるモデル体型だ。下心のある輩が大勢寄ってくるだろう。


「毎回、私を抱きたいなら一億円出せと言うのだが、なぜかみな冗談だと思うらしい。無理やり迫ってくる男をぶん殴るのも面倒でな。仕事以外で、クラブには行かん」

「……あのさ、僕が言う立場じゃないけど、自分のことは大事にしたほうがいいよ?」

「大事にしているさ。一億だぞ。重量にして約十キログラムの一万円札だぞ」


 そうじゃねえ。いや、実質的な断り文句になっているならいいのか? だけどコイツ、ほんとうに一億円積まれたら、躊躇なく抱かれそうなんだよな……。あと、一億円って十キログラムなのか。意外と一人で持ち運べる重量なんだな。いらない豆知識。


「だが、狸穴蓮。貴様の心配に感謝して、ひとつ教えておいてやる」

「……なに?」


 首をかしげる僕に、黒澤さんは淡々と告げた。


「昨夜、レッド・ディアで薬物所持の一斉摘発があった。例のクスリだ」

「あ……」


 衛藤から聞いた噂話。逮捕された先輩。レッド・ディアでの出来事だったのか。


「捕まったのは末端の末端で、捌いていたのはかなり水で薄められた粗悪品だったそうだがな。しばらくは営業停止だ。ポーションが出回っているうちは、いつ再開するかもわからん」


 そこで、教授がウォッホンとマイク越しに咳を入れた。教室中が一斉に雑談を止める。静かになった大講義室をじっくりと見渡して、また哲学の話に戻っていく。講義に集中しろ、と言いたいらしい。けれど、僕の脳内ではぐるぐるとレッド・ディアの名前が回転していて、哲学にはまるで集中できなかった。


 白河さんが出入りするクラブで薬物が売られていた。白河さんが手を出したらどうしよう。いや、白河さんは薬物なんかに手を出さないか。でも、本人が手を出さなくても、飲み物に混ぜられたりするんじゃないのか? 創作物でよく見る展開的な。


 いや、でも、創作はあくまでも創作。事実は現実より奇なりというけれど、現実はそんなに奇じゃない……、と思いたい。前世の記憶を持つ僕が奇じゃないとか言うのは変か。


 行ったこともないクラブの想像で悶々としている間に、いつのまにか講義は終わっていた。


「……まさか、知り合いの行動範囲でドラッグが蔓延してるなんて」


 真っ白なレジュメを前につぶやくと、帰り支度をしていた黒澤さんが半目になった。


「貴様のそれはスモール・ワールド現象だな」


 なにそれ。


「知り合いの知り合い、そのまた知り合い……、と辿って行けば、理論上はすべての人類と繋がれるんじゃないか、という仮説だよ。インターネットとSNSの普及で、人と人との繋がりはより多様になり、個人にとっての世界は相対的に小さくなったしな」


 黒澤さんはルーズリーフを揃えてファイルにしまうと、つまらなさそうに鼻を鳴らした。


「事件なんて、毎日どこかで起こっている。毎秒二人が地球のどこかで死んでいる。事件に巻き込まれた人間と、自分との関係が近いか遠いかの差があって、今回は近かっただけだろう。その差が重要だと思うのであれば、狸穴蓮。貴様が白河を守ればいい」

「……僕が?」

「緊急クエストだ。危険薬物の元を断てば、白河の元に届くことはなくなる」


 なるほど、と思う。大元を断てばいいのか。……でも、僕が? 無理でしょ。


「レッド・ディアも営業を再開し、貴様は白河をクラブに誘える。うん、てきとうに話し始めてみたが、これはいい案ではないか?」


 てきとうだったのかよ。真面目に聞いて損した。真っ白なルーズリーフをカバンに突っ込んで立ち上がろうとすると、黒澤さんが大真面目に言葉を続けた。


「そして、狸穴蓮。貴様はそこで白河に告白するがいい」


 びっくりして椅子から転げ落ちてしまった。肘を打った。痛い。


「いちいち騒がしいな貴様は」

「ななな、な、なんでっ? 告白とかそういう話になるのかなっ?」


 黒澤さんは「うむ」と頷いた。


「実は鈴鹿と賭けをしてな。一ヶ月以内に告白して玉砕したら私の勝ち、それ以降に告白して玉砕したら鈴鹿の勝ち。そういえば、このあとの必修講義、貴様、白河と同じクラスだろう。いざ玉砕。さあ玉砕。授業中に手を挙げて玉砕するのはどうだ、笑えるぞ」

「玉砕以外の想定はないんですかね……?」


 あと、ひとの恋バナで賭けないでほしい。ほんとうに。


「貴様も、まあ、相手が白河でなければ、ワンチャンあったのだろうが、なあ」


 白河さん相手だとノーチャンってことですか。黒澤さんが憐みの目で僕を見た。


「あいつ、生涯、すべての告白を断ってきたらしいぞ。貴様も『告白してきた大勢』の仲間入りをするだけだ。吹っ切れた貴様は鈴鹿あたりに夜遊びを習ってハッピー、そして私は鈴鹿に焼肉をおごってもらえてハッピー。どうだ、完璧ではないか」


 どこが完璧だよ。ていうか、うわあ、心臓痛くなってきた。みんなが僕の恋心を面白がっている。いや、面白がるのはわかるんだけど、なんだか居たたまれない。黒澤さんは、僕の心臓の痛みなどお構いなしに「いいか、一ヶ月だぞ。そうしたら私は半年ぶりに牛肉が食えるからな」と悲しい話を始めたので、僕はたまらず講義室から逃げ出した。

 勘弁してくれ。



※※※あとがき※※※

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