第19話

 するとそこにはたった一言、四文字で「死にたい」とだけ書かれている。広輝の背中に嫌な汗が流れた。

 それとほぼ同時に信号が青になる。広輝は息が上がっていることに気が付く暇もないまま、再び全力で駆け出した。

 美咲の家に着くと、指が食い込むほどの強さでインターフォンのボタンを押す。やがて鍵が開けられ、エプロン姿である美咲の母が顔を出した。

 広輝は特に事情も告げず、「すみません」と頭だけ下げると、靴を脱いで勝手に家の中へ上がる。小さい頃から何度も遊びに来ている家なので、中がどうなっているのかは分かっていた。

 美咲の母の脇をすり抜けて、リビングの扉を潜りすぐのところにあるちょっと急な階段を上る。すると左手側に現れる扉が美咲の部屋だった。今日は外が暗く、窓から光が差しこまないせいか、二階の廊下が薄暗く不気味に感じられる。

 広輝は扉の前で一度だけ深呼吸をし息を整えると、ノックもせずに美咲の部屋へと突入した。

「美咲」

 部屋に入ると同時に、口が勝手に美咲の名前を呼んだ。

 しかし、返事はない。美咲の部屋からは静寂だけが返って来た。

「え?」

 広輝はその静寂にどこか恐ろしさのようなものを感じて、沈黙を埋めるように気づけば声を上げていた。

 後ろから美咲の母が階段を上って来る音が聞こえてくる。

「ごめんなさいね。さっきから美咲返事が無くて。もしかしたら寝ているのかも。何かあったのかしらね」

 美咲の母はそうやって階段を上りきると、広輝が扉を開けていることに気が付き、その肩越しに部屋の中を覗き込む。

「えっ」

 すると先ほど広輝とまったく同じような驚嘆の声を上げる。

 二人は部屋の入口あたりで呆然と立ちすくしたまま、しばらくの間部屋を眺めていた。状況が整理できない。

 部屋の中はもぬけの殻だった。

「美咲は家を出ていきましたか?」

 広輝が振り返って聞くと、美咲の母は首を横に振った。

「私は気づかなかった。今までずっと家にいたけれど美咲が出てった音なんてしなかった」

 いったいどういうことなのだろうか。広輝は分からなかった。ただ頭が混乱していて、焦燥感が今にも爆発してしまいそうなほど膨れ上がっている。

「美咲に何かあったの?今日突然、学校に行きたくないなんて言い出してとりあえず休ませていたんだけど………」

 美咲の母が心配そうな顔で広輝の事を見てくる。広輝は口で説明するのが面倒で、スマホの画面を開くと、先ほど美咲から送られてきた四文字のメッセージを見せた。

 すると美咲の母は、口を大きく開け目を見開いた。慌てていて口を手で隠すのも忘れているようである。

「とにかく、俺は近くを探して来ます」

 広輝はそう言うと踵を返し、ついさっき登って来たばかりの階段を駆け下りる。

「私も行くわ」

 すると美咲の母も負けじと階段を降りつつ、気づけばエプロンを外していた。そして美咲の母はスマホで手早くどこかに連絡したかと思うとすでに玄関に出ている。

 広輝も再び美咲にメッセージを送ったり、電話をかけたりしているのだが全く反応が無かった。

 やがて二人で家を出ると、美咲の母が扉の鍵を閉める。

「二手に分かれて、お互い心当たりのある場所を探しましょう」

 美咲の母の言葉に、広輝は頷く。

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