第4話

 渡り廊下を引き返していると、大量のビブスの入った籠を抱えた美咲とすれ違う。

「どこ行くの?」

 と聞いて来る美咲を無視して、広輝はそのまま校舎の中へ向かう。そのまま昇降口に行き、自身の下駄箱にスパイクと着替えをぶち込むと、広輝はさらに廊下を進んだ。

 やって来たのは美術室である。するとちょうどドアが開いて中から白髪を生やした小柄な美術の先生が出てきた。

「やぁ、古意資くん」

 広輝が息を荒くして黙っていると、先生は続ける。

「今日も準備はしてあるよ。私は職員室に戻るから、好きにすると良い」

 そうやって先生は後ろ手を組み、広輝の横を通り過ぎていく。広輝は先生に頭を下げて、美術準備室に入った。一面を窓、残りを棚に囲まれた窮屈な部屋。その中央にイーゼルが肩を竦めるようにして置かれている。そこにはすでに広輝が書きかけていた水彩画が固定されており、パレットや絵の具の準備もしてあった。先生はまるで今日広輝が来ることが分かっていたかのようである。

 広輝は心の中でもう一度先生に頭を下げるとイーゼルの前に腰かけた。筆を執り、別の紙で絵の具の色合いを確認する。それから絵に向き合った。すると一瞬にして、水彩画紙の中の世界観に引き込まれていく。

 広輝は美術部員でもなければ、美術選択という訳でもない。だが絵を描くことは昔から大好きであり、入学早々どうしても学校で絵を描きたくなったので先生に頼み込んだところこの準備室を貸してもらったのである。そのとき描いた絵を気に入ってくれた先生は、時折こうして準備室や諸々の道具を貸してくれるようになった。

 広輝は薄暗い部屋の中、筆を進めていく。描いているのは背景部分だ。春の穏やかな花々に囲まれて休む小鳥の絵。その草花の部分を描いていた。

 そこで準備室の扉が開く。そこにはジャージ姿の美咲がいた。広輝はチラッと視線を動かし、美咲であることを確認すると、また水彩画紙に意識を戻す。

「相変わらず上手いね」

 美咲が後ろに回り込んで肩越しに描きかけの絵を覗き込んでいる。

「静かにしてろ」

 広輝がそう言うと、美咲はパイプ椅子を引っ張り出してきて部屋の隅に座った。そこから、広輝が手を動かすさまを眺めている。

 広輝はいつものことなので気にすることもなく、作業に没頭した。こうしているときだけは何もかも忘れることが出来る。時間も嫌な気持ちも、自分がなぜここにいるのかという理由も全て考えなくて済む。だから広輝は絵を描くことが好きだった。

 黙々と水彩画紙の白い部分に色を与えて一時間ほど経った頃、広輝は満足して筆をおく。まだ絵は完成していないが、今日はこんな所で良いだろう。いつもよりも短めだったが、かなり気分が落ち着いた。

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