可能性の神殿

スギモトトオル

本文

「昨日の話は、無かったことにして頂きたい」

 私の前で頭を垂れる彼は、殊勝に体を縮こませていた。

「昨日、と言われましても、いったい昨日のことでしょう」

 背後に並ぶ無数の抽斗ひきだしの収まっている棚を見やって、私はそう問い返す。


 ここには、ありとあらゆる可能性を孕んだ無数の昨日がある。


 並行世界の狭間の神殿。壁に並んだ棚には、あらゆる可能性の『昨日』が仕舞われている。きっと、ここに辿り着いた彼には、とても重い昨日への後悔があるのだろう。

 彼が望むのなら、私は彼の望む昨日を与えてやることが出来る。それが、この神殿を預かる私の使命でもある。

 私は与えられた仕事に従って、彼の望みを訊き出して、抽斗のひとつから袱紗ふくさに包まれた『昨日』を取り出した。

 受け取った彼の表情は、今は明るく希望に満ちているけれど。

 けれど、どうだろう。

 彼の去った後を眺め、代わりに受け取った、彼が捨てた『昨日』を別の引き出しに仕舞いながら、私は思う。

 その昨日の先にある明日へ至ったとき、彼の顔にはどんな表情がのぼっているのだろう。


〈了〉

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