数多星の接触

あめはしつつじ

割烹にcouple

 世の中は、食うて箱して寝て起きて、さてその後は死ぬるばかりよ。

 単調でつまらない繰り返しの毎日。

 男は仕事に疲れていた。

 もう一踏ん張りすれば一休みできる。

 次の街灯まで、次の街灯までと、男は自分に言い聞かせ、冬の夜道を歩いていた。

 俯き歩く男の視界に、 街灯とは異なる、柔らかな光が入る。

 見上げると、数多星、と暖簾に染め抜かれていた。

 格子戸を引き、暖簾をくぐる。

 温かな光が、木の壁、天井、カウンターに反射して、満ちている。

「あら、お帰りなさい。お疲れ様でした」

 カウンターから、和服姿の女が、男の方に近づいてゆく。年の頃は男と同じほど、四十の後の方であろうか。

 女は、男の鞄を持っていた手を、両手で優しく握る。女の温かさで、男は自身の冷たさを知る。

「お寒う、ございましたね」

「え、ええ」

 男のかじかんだ手が緩み、女は鞄を手に取る。

「コート、お預かりしますよ」

 男はコートを脱ぎ、裏返そうとすると、

「そのままで、結構でございます」

 と、女は受け取り、コートハンガーに掛ける。

「上着もお預かりいたします」

 女は左手を、男の左の脇の下に、すーっと差し入れる。男の後ろにまわり、右手を、男の右肩にのせる。

 女は男の上着を脱がす。

 男の上着も吊りかけ、女は再び、男の前に立つ。

 女の右手が、ワイシャツの男の、左胸に触れる。

 女の左手が、男のネクタイの先を持つ。

 白く、細い、右手の指先の、一本一本が、男の左胸を、艶、と撫で、右手もネクタイを掴む。

 一度、女はネクタイを、きゅっ、と締め、

「ネクタイも……、そんなものを締められていたら、通る料理も通りませんので」と、

 女は男のネクタイを解く。

 鞄、コート、上着、ネクタイを預かった女の手が、男の腰元に忍ぶ。

 男は反射的に、ベルトのバックルに手をやる。

 しかし、女の手は、男の体を離れ、

「お好きな席にどうぞ」

 と店内を指した。


 店には、男と女の他、誰も居なかった。料理をするのも、注文をとるのも、女が一人で切り盛りをしているらしい。

「お飲み物は? 熱燗もすぐにお出しできますけれど」

「とりあえず、ビールで」

 つい先ほどまで、寒空の下を歩いていたというのに、男の体はなぜか火照っていた。

「はい、お待ち、どおさま」

 女はビールと小鉢を出す。

「これは?」

「牡蠣の酒蒸しです。疲労回復、滋養強壮。二日酔いにもなりにくくなるんですよ」

「ほう」

「精も、つきますよってに」

 少し、上体を男に傾け、女は説明をする。

 長襦袢の半衿からのぞく女の首元を、男は見た。喉が鳴るのをごまかすように、ビールを呷る。

「すっ、ぽん」

 女の唇が、結ばれ、弾ける。

「すっぽんなんかもご用意しているんですよ」

 男は店内を見回す。男の他には誰もいない。一口牡蠣を食べ、女に尋ねる。

「どうやら、私以外、客がいないようですが。まだ、そんなに遅い時間とも思えないのですが。いつも、いつもこんなものなのですか?」

 女は、疲れたように、ため息を一つ。

「いえ、ね。最近…………




 世の中は、食うて箱して寝て起きて、さてその後は死ぬるばかりよ。

 単調でつまらない繰り返しの毎日。

 当たるも八卦、当たらぬも八卦。だから人生は面白い。絶対に当たる、予定調和の人生なんて、面白くもなんともない。

 男は仕事に疲れていた。

 もう一踏ん張りすれば一休みできる。

 摂食による接触。

 男の仕事は、食あたり屋。

 腹を下して、地を上げる。

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