革命前夜
HASUO
革命前夜
師は全ての学問に深い知識を持ち、優れた人格者で柔和なことこの上ない。そして何より革命への滾る情熱がある。師だけが世界を変えられる。そう思えるのだ。腐った現世を消し去り、何人も悲しむことのない新世界を私たちに与えて下さることだろう。
運命の日は一ヶ月後に迫っていた。師が示されたのは二〇三二年五月三日月曜日、憲法記念日。この日に政府を転覆させ、新憲法を制定するべく我々は日夜動いていた。時計の針が零時零分を指した瞬間に計画は各所で実行される。政府機関の占拠と、日本全国のオンラインネットワーク掌握が目的だ。それが成し遂げられた暁には師の教えが直接国民に共有されることとなる。
これはまだ不確かな情報だが、最近内部で少々怪しい動きがある。一部の信徒が師の教えに疑問を抱き始めているのだ。芽が小さいうちに対処しなければと思い注視しているが、何より悲しいのは、これまで共に修行に励んだ同志であり、親友と言える存在のカワサキがその一人とされていることだった。革命の瞬間を夢見ては語り合ってきたというのに…何故こうなってしまったのだろう。ここ数週間、めっきり彼の姿を見ていなかった。
四月六日火曜日、私は教会本部シェルター(師に護られていることからそう呼ばれる)内の食堂で、ひとり夕食を取っていた。今日は夜の会議で師からお言葉を賜ることになっている。私もチームを率いる身として現況報告を求められるだろう。木目の長テーブルでカレーを口に運びながら、キッチンの鍋から立ち上る湯気をぼんやり眺めていると、通り過ぎる人の気配を背後に感じた。同志のコシノだった。
「コシノじゃないか。準備は順調か?」
振り返った彼の顔には、疲れの色が出ていたが、その眼だけは大儀に燃え爛々としていた。
「おお、タカナシか。久しぶりだな。万事順調だ。武器はたっぷり用意するさ」
彼は武器調達係として、ヤクザはもちろんロシアや中国からの密輸に奔走している。
「そっちはどうだ。首相官邸チームのリーダーに抜擢されたらしいじゃないか」
「聞いていたか。責任重大だが、革命に貢献できて本望だ」
私自身にとっても、教会にとっても、大事な時期に来ている。やはり私はあの件が気になっていた。
「そうだコシノ。カワサキのことなんだが…しばらく姿を見ていなくてな。お前、会ったりしてないか?」
「カワサキか?それこそ昼に廊下で姿を見たぞ。一瞬だったけどな」
「本当か!どうしても話がしたかったんだ。恩に着る」
「そうか。まだ中にいるんじゃないか?会えるといいな。あいつ、すぐ消えるからな」
久々にカワサキの情報を手に入れた。彼はまだここに出入りしていたようだ。カレーを急いで掻き込むと、私はカワサキ探しを開始した。
食堂を出て一階の廊下を歩きながら、部屋を覗いてみる。皆準備で出払っていて、どこも人気がない。階段を上り二階、三階と探し回っていると、息が切れてきた。建物にエレベータなどはなく、壁や床の黄ばみが過ぎた年月の長さを物語っている。残す四階を目指し、重い足で階段を上り始めると、上から足音が近づいてきた。見上げた踊り場に姿を現したのは、なんとカワサキだった。髪は伸び放題で無精髭を蓄えていたが、間違いない。
「カワサキ!探していたぞ!今までどこにいた」
「タ、タカナシ!今は話してる場合じゃない!そこをどけ!」
「どこへ行く!カワサキ!おい!」
腕を掴もうとした私の手は空を切り、遠ざかる彼の慌ただしい足音だけがそこに響いた。私は一瞬呆気に取られていたが、すぐに我に返り後を追った。手遅れになる前に彼と話さなければならない。一階まで駆け降りたが、カワサキの姿はもうどこにも無かった。私はすぐに建物の外へ出た。
シェルターは山中を切り拓いた土地にあり、道路を除けば周囲は全て深い森だ。陽は山に沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。人の姿を探して周囲を見回していると、北西方向で小さい光がちらついたように思った。最初は遠くを走る車のライトに見えたのだが、目を凝らすとそれが人の持つ懐中電灯だと分かった。光はすぐに消失したが、私は迷うことなくその方角に足を踏み出していた。
実を言えば私には向かう先に心当たりがあった。カワサキはそこへ行った気がしてならなかった。数年前偶然見つけ、二人して休憩した場所。そこはかつてマタギの小屋だった。草木に埋もれ廃屋と化していたが、それからさらに時が経ち、状態がより悪くなっていることは明白であった。
雑草が纏わり付く暗い足元に苦労しながら歩みを進めていると、とうとう小屋が確認できるところまで辿りついた。崖下付近だったという記憶を頼れば、その所在は思いのほか見当をつけやすい。外観は想像通りで、苔むした木材の腐食は進行し、支柱の一本は折れ曲がって屋根部分を少し傾斜させてしまっていた。
気配を悟られないように小屋から距離を置き、静かに周囲を一周してみたが、人が居る様子は見られない。それでもジリジリと小屋に近づいていくと、微かだが囁き声のような音が漏れ聞こえてきた。やはりカワサキはここに居る。そう確信すると、緊張から心拍は勢いを増した。
「…です。いや、それは………ませんよ」
彼は盗み聞きを恐れ、最低限の声量で誰かと話しているようだった。外部の人間だろうか。玄関口横の壁沿いで片膝をつき、淡い月明かりに照らされながら、私はカワサキを信じていたい気持ちと、革命の足枷は全て排除するという使命感の狭間で揺れた。やはりこのまま帰る訳にはいかない。私はひとつゆっくりと深呼吸をした。そうだ、何にせよ会話の内容を知る必要がある。
玄関口の引き戸の隙間からそっと中を覗くと、狭い土間の奥には六畳程度の座敷があった。カワサキはそこで話しているようだ。土間と座敷は戸で仕切られている。その死角を利用しながら、私は土間へ静かに侵入した。すると彼の言葉が耳に流れ込んできた。
「革命が実行されたら、恐ろしいことが起きます。日本…世界が危険に晒されます」
「そうです…既にその瞬間は訪れていたのです…」
「絶対に阻止します。この命に替えても。すぐに仲間と行動を開始します」
無線機で通信するカワサキが、私にはもはや別人に思えた。そして残されていた少しの信頼は、呆気なく崩れ去った。これは教会だけでなく私個人に対しての裏切りでもあった。なぜだ…なぜこんなことを…悲しさと怒りで胸が締め付けられた。そしてそれに相反するように揺るぎない決意が漲るのを私は心の内に感じた。絶対に革命を成し遂げてみせる。私こそ命を賭してきた。すぐ師に報告し、反逆計画など捻り潰してやる、と。
そっと玄関口へと移動した私は、最後に座敷を振り返った。そしてカワサキがまだ通信していることを確認するや、小屋から抜け出そうと玄関の引き戸の隙間に身を差し込んだ。しかしその時だった。不覚にも私は足元を見誤り、引き戸につま先をぶつけてしまったのだ。ガタッという音が鳴り響いた。
「誰だ!そこを動くな!」
間髪入れず怒号が座敷から聞こえてくる。私はなりふり構わず駆け出した。森に入り、草をかき分け、ひたすらシェルターへ走った。足を止めることなどできなかった。カワサキが殺す覚悟で追いかけてくることを分かっていたからだった。息を荒げ、汗を滴らせながら、私は命からがらシェルターに転げ込んだ。会議前の今、師はご祈祷なさっているはずだ。何事かと驚く守衛係のムロイに、決してカワサキを入れるなと伝え、私は一階にある祈祷室に向かった。そこに通じる扉の前には二人の警備係が立っていた。
「大至急、師に伝えたいことがある!通せ!」
そう言いながら扉を開こうとすると、慌てて一人が制止した。
「今は大切なご祈祷の時間です。タカナシさんでもお通しできない」
「ふざけるな!革命に関わる一大事だ!今すぐお伝えしなければならないのだ!」
「誰ひとり絶対に通すなと言われています。どうかお引き取りを」
「馬鹿野郎!」
私は我を忘れ、腕を掴んできた警備係を思い切り殴りつけた。吹き飛んだその男は、脳震盪を起こし失神してしまった。それを見たもう一人の警備係は、怯えた表情で固まっている。私は彼を横目に通り過ぎ、急ぎ扉を開いた。中は薄暗く、うなぎの寝床のような廊下が続いていて、点々と置かれた蝋燭の灯が厳粛な雰囲気を醸していた。廊下を最奥まで行くと、彫刻で装飾された木の扉があった。この向こうに師がおられる。呼吸を整える間すら惜しんで、私はすぐにノックをした。
「タカナシです。急ぎの報告がございます」
いくら待てども、師からの返答はない。聞こえていないのだろうか。扉には鍵がかかっている。
「師よ、聞こえますでしょうか!大切な報告なのです!」
扉を拳で叩いても物音ひとつないその様子に、嫌な予感がした。考えたくはないが、有能なカワサキなら既に手を回していてもおかしくない。事態は一刻を争う。恐ろしくなった私は、距離を取ると、全力疾走して扉に体当たりした。バキッという騒音と共に、扉は弾けるように内に開いた。
痛めた右肩をさすりながら視線を上げると、そこにはSF映画のような光景が広がっていた。二十畳ほどの室内の壁面はプロセッサ、メモリ、サーバのタワーで埋め尽くされ、それらが発する光は照明の代わりとなっていた。冷却ファンの無機質な音がかえって静けさを際立たせている。部屋の中央には椅子が一つ横向きに置かれていた。そして、そこにもたれかかる〈何か〉の姿を認めた私は、驚きと恐怖で声さえ出せずにその場に立ち尽くした。
「シンギュラリティが来たんだ、タカナシ。ここだけじゃない。AIが人類を滅亡させる。頼む。力を貸してくれ」
私は血の一滴もなしに割れ開いた頭骨と、そこに接続された数多のケーブルを呆然と見つめたまま、いつの間にか追いついていたカワサキの言葉を反芻した。その〈何か〉は、師の姿をしていたのだった。
革命前夜 HASUO @hash0014
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