2-5 春の両親(前編)


 場所を廊下から移し、最初の目的地であった訓練室の扉の前へと来た四人。

 なぜ訓練室なのかというと、訓練室は使用中には外から別の人間が入れない仕様になっている。

 魔法を使った訓練中に知らずに部屋へと入り、ケガをするという事故を避けるためだ。


 訓練室は電子ロックとなっており、使用中の部屋に入るには中から開けてもらうか、総務課に行って訓練室の鍵を開けてもらうかの二つになっている。

 支部長がマスターキーのカードを持っているが、まず貸してもらえないので例外である。


 加えて星導市支部はその訓練室が全部で四つもあり、今は他の訓練室が空いているので他の人が入ってくることがまず無いということ。

 誰にも邪魔されず、聞かれたくないような話をするにはもってこいの場所ということだ。


 そして、春と耀は先程まで訓練していた十六夜と篝のように動きやすい格好に着替えていた。

 春は黒、耀は白を基調とした服であり、耀は篝のように髪を纏めてはいなかった。

 一応は訓練で使う場所であるため、形だけでもそう見えるようにした。

 話が終われば本当に訓練するので、そのためでもある。


「それじゃあ、私と十六夜君はしばらく外に居るから」


「二人でゆっくり話せ」


「ありがとう篝、十六夜」


「終わったら呼びに来るよ」


 春はそう言うと目の前の扉に向かって歩いていく。

 機械的な分厚い扉が左右にスライドしていくことで開き、春が中へと入っていく。

 それに続くように耀も中へと入っていった。

 室内は小さな体育館ほどの広さで、全面が白いコンクリートで出来ていた。

 特に物が置かれているわけではないため殺風景ではあるが、魔法も使って作られた部屋のため強度はしっかりとしている。

 話をするには大きすぎる部屋だが、今の二人にとっては大して気になりはしなかった。


 壁際を少し歩いて扉から離れると、春はゆっくりと腰を下ろして床に座り、コンクリートの壁に背中を預ける。

 耀も壁を背にして春の右隣へと腰を下ろし、隣に竹刀袋を置くと膝を抱え込むようにして座った。


「「………」」


 何も話さず、ただ黙って座る二人。

 春は天井の照明を眺め、何をどう話せばよいのだろうと思案する。

 耀は下を向いて何もないコンクリートの床を見つめ、春からの言葉を待っていた。

 少しして春は天井を眺めるのをやめて前を向くと、自分を落ち着かせるように息を吐く。

 そして、ゆっくりと話し始めた。


「俺さ、両親がしょうさんの時に亡くなってるんだ。病気とか、事故で亡くなったんじゃなくて………喰魔イーターに、殺されたんだ」


 辛そうにゆっくりと、いつもより小さな声で話す春。

 それでも、春の声は鮮明に耀の耳へと届いていた。

 春からの告白に耀は息を呑み、表情を暗くさせて辛そうに目を細める。


(やっぱり、春の両親は喰魔に………)


 異界へと連れ去られた被害者の話を聞いたときの反応から、なんとなく分かってはいた。


 家族を、恋人を、友人を喰魔に殺された。

 だから復讐のために、守るために魔法防衛隊に入った。


 魔法防衛隊の隊員にはよくある話であり、耀も魔法防衛隊に勤める中でそういう人とは会ったことがある。

 しかし、それでもこの後に続く春の言葉は耀の想像を超えるものだった。

 

「俺の………目の前で・・・・


「………ぇ?」


 喉から押し出されるように細い困惑の声が発せられる。


 目の前で両親が殺された。

 その残酷さに耀は言葉を失う。

 頭の中が真っ白になり、春の言葉が反響するように頭の中で鳴り響く。

 耀は春の様子が気になり、春の方へと顔を向ける。

 目を細めて辛そうに過去を思い出す春の姿に、耀の胸はかつてない痛みに襲われた。


 そして、春はあの日のことを思い出す。

 両親を失い、大きく人生を狂わされた日のことを。


「あの日のことは、今でもハッキリ覚えてる」







―――五年前


「母さん! 父さん! 早く早く!」


 癖のある黒髪が特徴的な男の子が、車を降りると元気よく走り出す。

 少し走ると後ろへと振り返り、付いて来ない両親に早く来るように声をかけて急かしていた。


 男の子の名前は黒鬼春。

 五年後、中学生で魔法防衛隊に入った黒鬼春の小学三年生の姿であった。

 中学生の春に比べれば背も低く、子供っぽい。  年相応の幼さと元気を持っていた。


「はいはい。分かったから、あんまり遠くに行かないの。戻ってきなさい」


「えー」


 春の呼びかけに反応したのは、茶色の髪を腰まで伸ばした綺麗な女性であった。

 その女性は春の母であり、名前を黒鬼一愛ひめという。

 一愛は楽しそうにはしゃぐ我が子に優しく微笑む。

 しかし、あまり遠くに行かれると迷子になるかもと危惧し、戻るように呼びかける。

 その呼びかけに春は車まで渋々戻り、再び一愛を急かした。


「早く行こうよー」


「もうちょっと待って。じゅう


「………ん。荷物なら持ったし、車の鍵もかけたぞ」


 一愛に呼ばれた男性、黒鬼重護は肩に大きな鞄をかけて答える。

 春とよく似た黒髪に、無表情で鋭いその目は怖い印象を相手に与えるだろう。

 重護の準備が整ったを確認した一愛はテンションを上げるために号令をかける。


「よし! じゃあ行こうか!」


「おー!」


「………おー」


 元気な母の号令に、春は右拳を突き上げて元気よく応える。

 楽しそうにしている我が子に合わせて重護も左拳を上げるが、無表情なうえに声と同じくらい控えめであった。


 この日、黒鬼一家は夏休みを利用してキャンプに来ていた。

 重護と一愛が息子である春に自然に触れてほしいと思い、今回のキャンプを決めたのだ。

 しかし、二人ともキャンプの経験など無く、今回はコテージを借りて泊まる簡易的なキャンプであった。


 受付で手続きを済ませ、三人は自分たちが泊まるコテージに荷物を置くと、釣りをするために川に来ていた。

 夏のジリジリとした暑い日差しを木々が遮っているため、暑い中での夏らしい涼しさを感じながら釣りに興じていた。


「うーん」


「あれ、どうしたの?」


「全然釣れない」


 不満げに自分の持つ釣竿を眺める春に、一愛は困ったように笑う。

 小学三年生に釣りの楽しさを教えるのは中々に難しい。

 実際に魚を釣り上げない限り無理だろう。

 このままでは釣りをやめそうな春にどうしようと一愛が頭を悩ませる。

 そのとき、父親としての威厳を見せようと重護が春に話しかけた。


「………春。釣りというのはな―――」


「あ! かかった!」


 重護の話の途中で春の釣竿が大きく揺れる。

 春は釣竿のしなりと引っ張られるような重さに魚が掛かったと判断し、思いっきり釣竿を引いた。


「よいしょー!」


 掛け声とともに竿を引き抜くと水面から水しぶきが跳ね、大きな影が現れる。

 春は釣り糸を左手で掴み、眼前まで持ってきてその正体を確認する。

 太陽の光を体の鱗で反射し、体を左右に揺らして釣り糸から逃れようとしている体長二十五センチほどの活きの良い魚であった。


「やったー! 釣れたー!」


「おー! すごーい!」 


 自分の釣った魚に大興奮の春。

 一愛も楽しそうにしている息子の姿に楽しそうに笑う。

 しかし、その奥でいつも通りの無表情のはずなのに、どこか寂しそうに釣りをしている重護の姿があった。


「あら、どうかしたの重護」


「………いや、なんでもない」


 一愛の問いにそう答える重護だが、本当は話が遮られたことがショックなのであった。


 釣った魚は昼食で塩焼きにして食べる。

 自分で釣ったからなのか、その魚は春にとって今まで食べた焼き魚の中で一番の美味しさであった。

 その後、春は自然の中に作られたアスレチックで遊ぶ。

 アスレチックのほとんどが木材を主体として作られており、自然の景観を損なわないように工夫されていた。


「よいしょ、よいしょ」


 木で作られたジャングルジムを登っていく春。

 軽い身のこなしで登っていく様は運動能力の高さが伺えた。

 春は頂上まで着くと下に居る両親に笑顔で手を振り、自慢げにピースサインを見せた。


「いえーい!」


 そんな息子に一愛は笑顔で手を振り、重護も珍しく小さく笑って手を振った。

 その後もロープウェイで遊んだり、水の上を木の板に乗ってロープを引っ張って渡るなど様々なアスレチックで遊んでいく。

 そんな中、さすがに一人は飽きてきたのか春が両親のもとに戻っていく。


「ねえねえ、二人も一緒にやろうよ」


「うーん、私はこういうのは苦手だからいいかなー」


「えーー」


 一愛に断られたことで春が不満の声を漏らす。

 目に見えてがっかりする春に重護が声をかけた。


「………春。俺が一緒に行こう」


「本当!? じゃあ、行こう行こう!」


「うおっ」


 一転して笑顔になった春が重護の手を引いて走る。

 引っ張られたことに驚く重護だが、すぐに春に合わせて小走りで走る。

 そして、二人が網目になったロープを使って上に登り、向かい側の別のロープから降りるアスレチックに挑んでいるときの事だった。

 一愛のところにチャラそうな二人の男が現れる。


「お姉さーん。もしかして一人?」


「俺達と遊ばない?」


「………えっと」


 金髪にピアス、そして軽そうなノリと口調。

 如何にも過ぎるナンパ男二人に、一愛は呆れると同時に明らかな嫌悪感を示した。


 女性が一人だけ、複数人でも女性だけでキャンプをするのは普通にある。

 このキャンプ場は家族連れも多いが友人同士でも気軽に来れるキャンプ場であり、この二人はそういう女性相手にナンパをしかけるマナーの悪い客であった。


「ねぇどう?」


「もしかして、友達と来てるとか?」


「いえ、家族と来てるので結構です」


「大丈夫だって。家族には友達に会ったとか言えばさー」


「そうそう」


「いえ、ですから結構です」


 しつこいナンパ男たちを冷たく拒絶する一愛。

 ここまでの会話が微妙に噛み合ってない気もするが、それもそのはず。

 この二人は一愛が結婚しているなど露程にも思っていないからだ。


 一愛の見た目は三十五歳にも関わらずとても綺麗で可愛く、若々しい。

 一児の母とは思えぬ容姿であり、一見すれば大学生くらいにしか見えなかった。

 二人は一愛の容姿ばかりに目が行き、左手の薬指に嵌めてある結婚指輪には一切気づいていない。

 そのため、一愛の言う家族を親や兄弟と勘違いしているのだった。


 そんなとき神のお告げとでも言うべきか、一愛の様子が気になった重護がロープの網に捕まった状態で後ろを向いて一愛の方を見やる。

 そして、見るからにチャラい男二人に絡まれて嫌そうにしている一愛の姿を見た。

 重護はそれを確認するや否や怒りの炎を燃やし、ロープから勢いよく飛び降りた。


「―――っっっ!!!」


「ええええ!? と、父さん!?」


 いきなり飛び降りた重護に驚く春。

 高さ三メートルから飛び降りたため、ケガでもして倒れているのではと落下先を見る。

 重護は両足でしっかりと着地しており、とりあえず無事なことに春は安堵した。

 周りの人たちが飛び降りてきた重護に驚く中、重護はそんな視線を意に介さず一愛めがけて走っていた。


「名前なんて言うの?」


「いい加減にしてください」


「そんなこと言わず………に」


 ナンパ男の言葉が詰まる。

 気色の悪いニヤついた笑顔が無くなり、表情も青ざめていく。

 そんな男たちの視線を追って一愛は後ろへと振り向く。

 そこに居たのは無表情のときでさえ鋭い目をさらに鋭くさせ、怒りの炎を燃やしながらナンパ男たちを睨み付ける最愛の夫の重護であった。


「重護………!」


 パァッと花が咲くように笑顔になる一愛。

 そのタイミングの良さに心の中で一人歓喜していた。

 重護は男たちを睨んだまま一愛の隣に行くと、誰のモノかを示すように右手で一愛の肩に手を回して自分へと引き寄せる。

 一愛は重護のその行動にドキッとし、仄かに頬を赤く染める。

 そんな一愛の様子には気が付いていない重護はそのまま目の前のナンパ男たちを威圧し、強い口調で話しかけた。


「俺の妻にナニカ?」


「え、妻………って?」


「おい! 左手………!」


 一人がそう言いながら一愛の左手を指でさす。

 もう一人が言われるがままに一愛の左手を見ると、その薬指には銀色の指輪が輝いていた。

 そこでナンパをした二人は理解した。

 自分たちがナンパしていた相手は人妻だということを。


「「マジか………!?」」


「オイ………!!!」


「「は、はい!!」」


 ドスの効いた重護の声に背筋を伸ばし、そこから一切動かなくなるナンパ男たち。

 目の前にいる重護の圧と顔の怖さに、抗う意思はすでに刈り取られていた。

 恐怖に震える二人に対して重護はゆっくりと口を開き、再びドスの効いた声で命令を下した。


「失せろ………!!!」


「「は、はいいいぃぃぃぃ!!! すみませんでしたああぁぁぁぁ!!!」」


 重護と一愛に背を向け、情けない声と共に慌てて逃げ出すナンパ男たち。

 そんな男たちの背をその場にいる全員が見ていた。

 そして、ナンパ男たちを撃退した重護は鼻から息を吐き、いつも通りの無表情に戻っていた。


「むふー」


「………もう」


 未だに肩に手を回して抱き寄せる重護の顔を見上げ、すぐに恥ずかしそうに下へと逸らす一愛。

 頬を赤く染め、不満げな声を上げる。

 しかし、困っているときに助けられたこと。

 肩に回された重護の大きな手と密着した箇所から感じるガッチリとした体に乙女心が刺激され、自分から離れるようなことはしなかった。

 少しして周りの人たちも興味を失い散っていく中、アスレチックから降りた春が二人に駆け寄っていく。


「おーい! ふたりとも大丈夫………みたいだね」


 心配そうな表情から一転。

 甘い空気感を漂わせている両親に安堵するとともに、人前でイチャつく二人に若干困り顔になる春。

 小学三年生の春には両親のイチャつく姿に対し、仲がいいなーだけで済ませる純粋さはもう無かった。


「うん。重護が助けてくれたから」


「まあ、無事でよかったよ。でも、父さんが急に飛び降りたときは本当にびっくりしたよ。心臓飛び出すかと思った」


「………一愛が絡まれてるのを見て、気づいたときには体が勝手に動いていた」


「重護………」


 甘ったるい蕩けるような声で、愛おしそうに重護の名前を呼んで顔を見る一愛。

 重護は何も言わないが鋭い目つきが柔らかいものへと変わり、愛おしそうに一愛を見つめる。

 依然として、重護は一愛を抱き寄せたままである。その状態で見つめ合う二人の姿は仲睦まじいものであった。


「………俺、アスレチックに戻るね」


 そう言って春は静かに、桃色のオーラを放つ両親から離れていく。

 黒鬼春、小学三年生。

 気遣いができるいい息子であった。







「肉、美味しかったー」


 日が落ちる寸前まで遊び、夕飯にバーベキューをした黒鬼一家。

 コテージの中で春は椅子に座り、バーベキューで満腹になったお腹を笑顔で擦った。

 自然の中で全力で遊び、楽しんだ。

 食したご飯もとても美味しく、夏休みの思い出としては十分過ぎるものだった。

 その充実感と満足感に春は浸たり、幸せそうな笑みを浮かべる。

 そんな春の向かい側に座る重護と一愛。

 これを見れただけで連れてきた甲斐があったと優しい笑顔を見せる。


 しかし、今日のイベントはこれだけではない。

 重護はチラリと壁に掛かっている時計に目を向ける。

 時刻は八時となっており、アレ・・が見える時刻になっていた。


「………一愛。そろそろ」


「そうだね。春」


「ん? なに、母さん」


「ちょっと食後の散歩に行かない? 春に見せたいものがあるんだー」


 そう言って子供のように笑う一愛に春は小首を傾げる。

 春としては思いっきり遊んでご飯を食べた後なのでゆっくりしようと思っていたのだが、この母の笑顔を前にそんなことは言えない。

 さらに見せたいものが何なのか気になり、春は首を縦に振った。


「分かった」


「よし。じゃあ行こうか」


 そうして春は両親に連れられ、コテージを出て行った。


 ―――もし、このときにコテージを出なければ。

 ―――そもそも、キャンプになんて来なければ。


 あんな悲劇・・が起こることは無かったかもしれない。

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