2-2 それ、間接キスだぞ


『えええええぇぇぇぇぇーーーーーー!!?』


 教室内に響く生徒と先生の驚きの声。

 叫び終わると全員、固まったように動かなくなる。

 だが、ゆっくりとではあるが現状を把握したクラスメイトは様々な反応を見せ始めた。


「お前どういうことだ黒鬼!」


「このあいだ、「彼女とかまだいいかなー」って言ってたよなぁ!?」


「裏切り者めぇぇぇぇぇ!!」


 目に怒りの炎を宿し、春へと詰め寄る男子生徒達。

 その全員が今まで恋人が居たことのない者、もしくは現在恋人の居ない者達であった。

 美少女が自分のクラスに転校して来るという漫画のような展開は、彼らに夢を見させてしまった。

 もしかしたら、漫画やアニメのように彼女と付き合えるかもしれないと。


 しかし、現実とは非情である。

 その美少女にはすでに恋人が居た。

 つい最近、彼女が欲しいという男子達の会話で「まだいいかな」などとぬかした奴にである。

 恋人のできない男子の嫉妬と悔しさと怒りが頂点に達するには十分であった。


「いやぁ、色々とありまして」


 目の前の怒り狂うクラスメイトにどう説明したものかと苦笑する春。

 殺伐とする男子達とは別に、女子達は恋バナに花を咲かせていた。


「うそぉーーー!? ホントに!?」


「いつから付き合ってるのかな!?」


「少なくともこの休みの間だよね! 先週までそんな話なかったし!」


「だから遠藤君が告白したとき、黒鬼君怒ってたんだぁ………」


 男子とは違う意味で盛り上がりを見せる女子達。

 転校生の美少女が転校先の男子生徒と付き合っているという、そうは起こらない展開に恋愛漫画を彷彿とさせ胸をときめかせる。

 やはりいつの時代、どんな世界でも女子は恋バナが大好きなのであった。


「くくッ………」


 小さな笑い声を漏らしながら目の前の光景を眺める十六夜。

 こんなに早いとは思っていなかったがどこかで二人が付き合っているのが露呈し、騒ぎになるだろうとは思っていた。

 春に詰め寄る男子達と苦笑して対応に頭を悩ませる春に対して十六夜は何も干渉せず、高見の見物へと洒落込むことを決めた。

 そんな十六夜を見て、篝は呆れた表情を浮かべる。


「もう、十六夜君ったら」


 しかし、その口元は小さくではあるが笑っていた。

 強く注意しないのは篝もまた、その光景を面白いと思っているがゆえであった。

 こういうギャグ漫画のような展開は、誰だって面白いものなのだ。


「………はっ! はいそこまで! 男子は席に着け―!」


 驚きから立ち直った先生が手を叩きながら、クラス全体に制止の声をかける。

 先生に従い、少しずつ声を小さくし会話をやめる女子達。

 男子達も渋々席へと帰っていくが、その際に春を睨みつけたり舌打ちを打ったりなど、態度は最後までひどいものであった。


 教室が落ち着きを取り戻し、静かになったことで先生は再び話し始める。


「ええーと。とりあえず、白銀さんの席は一番後ろの席ね」


 そう言って先生は春の列の一番後ろの空席になっている席を指で差す。

 その座席を耀も目視で確認した。


「分かりま―――」


「あ、先生ちょっと待って!」


 耀が返事をしようとしたとき、春の左隣の席に座る黒髪をツインテールにした女子がそれを遮る。


「私が一番後ろの席に行くからさ、白銀さんはここの席じゃダメかな?」


「「えっ?」」


 突然の提案に呆気にとられる春と耀。

 隣の席の春が慌ててその真意を問う。


「沢田!? お前どういう―――」


「いいじゃんいいじゃん。付き合ってるなら何かあったとき、黒鬼君の方が聞きやすいでしょ? それに私、後ろの席の方がいいし………先生に問題当てられにくいから」


「最後のが本音だろ………」


 ボソッと小さな声で呟いた沢田の本音を春は聞き洩らさなかった。

 転校生の耀をダシにし、目的を果たそうとする沢田に呆れたような視線を向ける。


「と・に・か・く! いいでしょ先生!」


「うーん、白銀さんはそれでいいかな?」


「はい! ぜひお願いします!」


 先生からの問いに耀は花が咲くような笑顔で答える。

 耀からすれば春の隣の席になれるのは願ってもないことであり、断る理由などなかった。

 耀の答えを聞くと沢田は荷物を持って後ろの席へと移動していく。

 それによって空いた席に耀が座ると、春は座った耀に顔を向ける。

 すると、耀も春の方を向いて幸せそうに笑いかけた。


「よろしくね、春」


「ああ、よろしく」


 春もまた、幸せそうに笑いながら挨拶を返すのだった。







 午前の授業を終えた春、耀、十六夜、篝の四人は昼食をとるために体育館裏へと来ていた。

 ここは昼休みに人が来ることは滅多になく、春達は天気の良い日にはここで昼食をとることが多かった。

 体育館から裏へと続く扉の前の石床に座り、弁当を広げる四人。

 十六夜は午前中に春と耀の二人のを中心として起こった出来事を思い出して笑っていた。


「本当に面白い午前だったな」


「ニヤニヤと眺めやがって………」


 十六夜をジト目で見ながら恨めしそうに呟く春。

 あまり強く怒れないのは十六夜が何か悪いことをしたわけではなく、本当に困ったときには力を貸してくれるのを分かっているからであった。


「でも、元を辿れば多少はお前ら自身のせいだぞ。教室であんなにイチャイチャしてたら、男子が嫉妬に狂うのも仕方ないさ」


「イチャイチャって………」


 十六夜にそう言われて午前のことを春は振り返る。

 それは授業が始まってすぐのことだった。







 春が教科書を開いて机の上に広げた瞬間、耀が春の左肩を優しく叩く。


「どうかした?」


 叩かれたことで春が左に振り向くと、耀は小さな声で話しかける。


「あのね、教科書見せてくれないかな? まだ貰ってなくて」


(あー、なるほど)


 口には出さず、心の中で納得するような声を上げる。

 転校してきたばかりの耀が教科書を持っていないのは仕方のないことだ。

 先生に言えば予備の教科書くらい持ってきてくれそうではあるが、必ずあるかは分からないうえに授業も始まっているので少し抵抗感があった。

 よって、春は耀に教科書を見せることにした。


「いいよ」


「ありがとう」


 笑顔でお礼を言うと耀は自分の机を春の机へと寄せる。

 春も机を耀へと寄せることで隙間がなくなり、出来上がった長い机の中間地点に教科書を置く。

 真ん中にある教科書を見ようとすれば自然と二人の距離も近くなった。

 すると、春は自分へと向けられるたくさんの刺すような視線を感じ取った。


(なんか、すっごく見られてる………)


 机を合わせて二人の距離が近くなったことで『授業中にイチャイチャしてんじゃねえよ』という男子の嫉妬の視線が春へと突き刺さる。

 その後の授業でもそれは続き、午前の授業は男子達の嫉妬の視線を浴びながら春は授業を受けることになった。

 春は呆れつつもよく続けられるな、と感心もしていた。


 さらに、授業の合間にはクラスメイトが耀へと集まり質問を始める。

 主に女子が質問をしており、その内容はいつ春と出会ったのか、どっちから告白したのか、など恋愛関係がほとんどであった。

 そうなれば必然的に近くの席の恋人である春も巻き込まれ、質問に回答しなければならなくなった。

 質問には十六夜と篝の二人も興味があり、他のクラスメイトと一緒になって話を聞いていた。


「好きだと思った瞬間は!?」


「出会った瞬間! 一目惚れです!」


「………一目惚れです」


『きゃあああああ!!!』


『ぐわあああああ!!!』


「アハハハハハ!」


 春は照れながら質問に答えていくのだが、耀は頬をにやけさせて堂々と質問に答えていった。

 当然、秘密にしたいことは伏せて話している。

 女子達は二人の回答に胸をときめかせ、黄色い歓声を上げる。

 同じく回答を聞いていた男子達はダメージを受け、断末魔のような悲鳴を上げて崩れ落ちていく。

 十六夜は地獄絵図とも呼べる光景に、腹を抱えて大きな笑い声を上げるのだった。







 午前のことを振り返ってみると、十六夜の言うように思い当たる節はあった。


「………確かにしてたかも」


「えへへへ」


 耀も一緒に思い返していたようで、嬉しそうな声を上げる。

 そういうところだぞ、とは思いつつも口にはしない十六夜と篝だった。

 そこでふと、十六夜は今日で一番災難だった人物の姿を思い浮かべていた。


「にしても、遠藤もある意味災難だったな」


「朝のホームルームから一時間目の終わりまで、顔が真っ青だったものね」


 顔を青ざめて深刻そうな表情で席に座る遠藤の姿を思い出し、同情する篝。

 篝の言う通り、遠藤は春と耀の二人が交際していると分かってからは顔を真っ青にして席にただ座ることしかできていなかった。

 クラスが騒ぐときは一番に騒ぐ男が騒がず、最初に男子達が春に詰め寄ったときも席に座ったまま顔を真っ青にして頭を抱えていた。


 遠藤はお調子者として周りに認知されているのだが、困っている人が居たら手を差し伸べるような善人であることも同時に知られている。

 知らないこととはいえ、友達の恋人に告白してしまったという事実に強く罪悪感を感じていたのだ。

 遠藤は一時間目の授業が終わった瞬間に春の元へ行き、深く頭を下げて謝罪していた。

 その姿勢と今にも死にそうなくらい青い顔をした遠藤を見た春は彼の謝罪を受け入れることにした。


「人の彼女かのじょに告白した遠藤が悪い」


「あら、遠藤君のことは許したんじゃなかったの?」


 不機嫌そうに話す春に篝はからかうように質問を投げる。


「まあな。でも、そんなすぐに笑い話にはできないって」


 確かに謝罪は受け入れたが、それですぐにこの話を笑顔で聞けるかとなればそう簡単にはいかない。

 この話を笑い話として話せるようになるには、もう少し時間が必要になるだろう。

 それは十六夜と篝も分かっているので、それ以上追及することはなかった。


「まあ、謝罪の後は他のヤツらと同じように春と白銀の惚気を聞いて撃沈してたけどな」


「ホント、せわしないわよね遠藤君って。そこが彼のいい所でもあるのだけれど」


 篝は笑いながらそう言うと楕円形の桃色の弁当箱から白米を右手で持った箸で掴み、口へと運んだ。

 他の三人も篝に釣られるように食事を進める。そこでふと、春は左に座る耀の弁当箱に視線を向ける。


「なあ、耀。その弁当って耀の手作り?」


「うん。そうだよ」


「へぇー、すごいな」


 四角い白色の弁当箱に、彩り良く敷き詰められたおかずの数々。

 とても中学生が作ったとは思えない見事な出来栄えであり、春はその弁当から目を離せないでいた。


「はっ!」


 春が自身の弁当を見つめる姿から、耀の脳裏に一つの妙案が閃く。 

 耀は弁当から卵焼きを右手で持った箸で掴むと、左手を受け皿のようにしながら春の目の前までそれを持っていった。


「あーん」


「………へ?」


 ほほみながら、甘く囁くような声で春へと卵焼きを差し出す耀。

 突然の行動に思考が止まる春だが、目の前に差し出された卵焼きの意味を理解するとその顔をみるみる赤く染めていく。


 目の前で並んで弁当を食べている十六夜と篝は面白い事態に箸を止める。

 十六夜はニヤニヤと二人を見守り、篝は春がどういった行動を取るのかドキドキしながら二人を見守る。


 春は二人っきりならいざ知らず、友達の前、それも十六夜と篝の前では恥ずかしいために何とか回避しようとする。


「いや、耀………さすがにそれは」


「あーん」


「えっと、二人も見てるし」


「あーん」


「置いてくれれば自分で食べ―――」


「あーん!」


 取り付く島もないとはこのことである。

 春が何かを言う度にあーんで黙らせる耀。

 もはや諦める他にないのだが、それでも春は回避できないかと頭を働かせる。

 耀もなかなか食べてくれない春に最後の手段を使う。


「………いや?」


「うっ」


 上目遣いで不安そうに尋ねる耀の姿に罪悪感を感じる春。

 昨日もこれでデートを了承したため、春には効果が絶大なのは分かっている。

 純情そうに見えて計算高い耀であった。

 そして、耀の思惑通りに観念した春は口を開け、耀の卵焼きに顔を近づけていった。


「あ、あーん」


 顔を赤くしながらも耀の卵焼きを食べる春。

 食べてくれたことで花が咲くように笑顔になる耀だったが、それも一瞬のこと。

 自分の卵焼きが春の舌に合うか固唾を呑んで見守る。

 そんな耀の視線には気づかず、春は卵焼きに舌鼓を打っていた。


 口の中に広がる卵の風味と卵焼きの甘みをしっかりと味わう。

 咀嚼した卵焼きを飲み込むと、口から零れるように感想を述べた。


「めちゃくちゃ美味しかった………!」


「―――っ!」


 美味しかった。

 その一言で耀の胸は高鳴り、顔は綻ぶように笑顔になっていった。


「よかったぁ!」


 笑顔で安堵の言葉を口にすると、そのまま春が食べた卵焼きと同じ卵焼きを弁当箱から箸で掴んで食べる。

 好きな人が美味しいと言ってくれた幸せを噛みしめつつ、この味が好きなんだとしっかりと自身の舌と脳に刻みこんでいく。

 そんなバカップルとも言える二人のやり取りを見ていた十六夜と篝は、目を見開いて驚いたような表情を見せる。

 そして、十六夜にしては珍しく控えめな声で話かける。


「お前ら気付いてるか?」


 十六夜の問いかけに、その意味が理解できない二人は首を傾げる。

 二人の様子に十六夜は笑顔でやれやれとでも言いたげなため息をつき、耀の箸を左手で指さしながらゆっくりとその答えを告げた。


「それ、間接キス・・・・だぞ」


「「………あ」」


「「やっぱり」」


 耀が使っていた箸で春は卵焼きを食べ、その箸で耀は卵焼きを食べた。

 そう、二人は間接キスをしたのである。

 だというのに、耀はともかく春まで無反応なことに十六夜と篝は驚いたのだ。


 案の定、二人は間接キスをしたことにまで気が回っていなかった。

 そして、そのことを十六夜に指摘されてようやく気が付いた二人は顔を赤くして固まる。


 春はともかく、耀は付き合いたてとは思えないほどに春に猛アタックしてきたというのに、間接キスで顔を赤くするとは予想だにしていなかった十六夜と篝。

 それが面白く思えた二人はたまらず吹き出した。


「そういうところは初心うぶなんだな!」


「まったくね!」


「………!」


「あ、あははは………」


 十六夜と篝の笑い声に春はより一層顔を赤くさせ、耀は恥ずかしさをごまかすように小さく乾いた笑い声を上げる。

 しかし、その表情はどこか嬉しそうにも見えた。

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