24:氷結した世界で

 第一弾を防がれても、フィルディス様の攻撃は止まない。


 今度は空を埋め尽くすほどの、圧倒的な数の氷柱が、めちゃくちゃな軌道を描いて――全方位から!


「――っ!!」

 ルーク様が悔しげに唇を噛む。

 いくらルーク様が優秀な魔法使いでも、こんな出鱈目な攻撃、防げるわけがない。

 ましてや、巨大な炎の壁を展開した直後では。


 絶望的な気分で四方八方から迫り来る氷柱を見つめる。


 そのとき、フェンリルが私たちを守るように飛び出した。


 ――バアンっ!!!


 凄まじい破砕音が鼓膜を劈き、氷柱が一斉に砕け散った。


《お前にその力を与えたのは誰だと思っている。私が誰かも忘れたか、馬鹿者め。親友や好いた女までも殺そうとするとは、救いようがない。お前は本当に馬鹿だ》


 フェンリルは嘆くように言って、身を低くした。

 攻撃態勢に入った狼の頭上で、パキパキと音を立てながら形成されたのは、二メートルはあろうかという三本の巨大な氷柱。


 その先端はフィルディス様の心臓を狙っている。

 皮膚が粟立った。直撃したらフィルディス様は死ぬ。


「待ってください!!」

 私はフェンリルに駆け寄ろうとし、凍結した大地に滑って転んだ。


 結果としてフェンリルに体当たりする形になったが、むしろそれは好都合だった。

 私の巻き添えを喰らって転倒したせいで集中力が途切れたらしく、三本の氷柱が消えた。


《何をする!》

 私に押し潰されたフェンリルは怒りながら跳ね起きた。


「ごめんなさい!! でも、フィルディス様を殺さないで!! 私たちは彼を殺すためじゃない、救うために来たんです!!」

 必死になってフェンリルに抱きつく。

 その間も絶えず襲い掛かってきている氷柱の群れはルーク様が対処してくれた。


 炎の矢を打ち出し、片っ端から蒸発させている。


《救う? 近づくことすらできぬのに、どうやってあの馬鹿を救うというのだ? いくらお前が大聖女であろうと、こんな遠距離から浄化はできぬだろう》


「それは……」

 確かにフェンリルの言う通りだ。

 浄化するためにはフィルディス様に近づかなければならない。

 この距離は完全に効果範囲外だった。


《見よ、ルークの息が上がってきている。魔人化とは人が人として生きるための制限を外す自滅の業だ。ただの人間が魔人化して力を増大させたフィルディスと対等に渡り合えるわけがない。このままではルークは魔力を使い果たして死ぬぞ。お前はフィルディスに親友を殺させる気か? それをフィルディスが望むと思うのか?》


「…………」

 言い返せない。


 どうしよう、どうすればいい?

 どうすればフィルディス様を救えるの?


 不安と恐怖と焦燥と――もう私の心の中はぐちゃぐちゃだ。


「ルーク。道を作ってくれ。それだけでいい」

 泣きそうになっていると、ギスラン様が静かに言った。


「道?」

 私は困惑した。でも、ルーク様には通じたらしい。


 いまこの瞬間も炎で私たちを守り続けてくれているルーク様は眉間に皺を寄せて「わかった」と答えた。


「フェンリル、五秒だけ守りを頼む!」


《了解した》

 私に抱きしめられたまま、フェンリルは金色の瞳で宙を睨み据えた。


 パパパパン、と飛来した氷柱が音を立てて砕け散る。

 ルーク様は右手をまっすぐに伸ばし、フィルディス様に向かって一直線に巨大な炎を打ち出した。

 走ることすら困難だった氷の大地が熱され、ただの濡れた大地へ変わる。


 ギスラン様が炎を追いかけて走り出す。疾風のような速さで。


 フィルディス様は即座に反応した。


 雨あられと私たちに氷柱を浴びせる一方で、迫り来る炎に氷柱の嵐をぶつける。


 氷柱のいくつかは炎を貫通し、ギスラン様の手足や胴体に突き刺さった。


 炎を通過したおかげで氷柱は小さくなっているが、氷柱に貫かれたギスラン様の姿は痛々しい。


 たとえどんな攻撃を受けようと、ギスラン様は一瞬たりとも足を止めなかった。

 氷柱が頰の肉を抉ろうと太ももに突き刺さろうとお構いなしに、全速力でフィルディス様に向かっていく。


 次々と彼の服に穴が空き、赤く染まる。

 傷ついた箇所からは黒い煙が――フィルディス様と同じ瘴気が立ち上り、どんな怪我も高速で治っていった。


 私はフェンリルに縋りついたまま、愕然とその様子を見ていた。

 道を作れとは、つまり、自己回復力に任せて突撃するつもりだったのか。


 氷柱では止められないと判断したらしく、フィルディス様が大地を蹴った。


 人間離れした跳躍力だった。

 一蹴りで中空に舞い上がり、頭上からギスラン様に襲い掛かる。


 フィルディス様はいまや瘴気の塊だ。

 常人がその身体に触れたら瘴気に侵され、良くて昏倒、悪ければ即死、最悪は魔人化という末路を辿るだろう。


 しかし、瘴気を内包しているギスラン様にその心配はない。


 ギスラン様は迷わずフィルディス様の腕を掴み、背負って投げた。

 彼の腰には剣があるが、この期に及んでも抜かないのは極力フィルディス様を傷つけたくないからに決まっていた。


 凍結した硬い地面に背中から叩きつけられたフィルディス様は息が詰まったのか、一瞬だけ動きを止めた。


 その隙を見逃すことなく、ギスラン様がフィルディス様を拘束して叫ぶ。


「来い!!」

 言われるまでもなく、私はルーク様やフェンリルと一緒に駆け出していた。


 ギイイイイイイィ――!!!


「!!?」

 怪鳥の鳴き声のような、金属を壁で引っ掻いたような、凄まじい音が辺りに響き渡った。


 音の発信源がフィルディス様だとはとても信じられない。人の出せる声ではなかった。


「……っ!!」

 堪らず、耳を塞いで足を止める。

 脳髄が痺れ、頭が割れそうだ。


 あまりの苦痛に絶叫しそうになったそのとき、急に音が止んだ。

 見れば、ギスラン様がフィルディス様の口に自分の左腕を突っ込み、無理やり音を止めている。

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