ポゼッション
第1話
新藤は食事にそれほど興味がない。
しかし、彼にとって唯一の上司である、如月葵はそうではないらしい。とんでもない食欲の持ち主なのだ。
時々、奢ってやる、と言われて焼き肉の食べ放題に連れて行ってもらうことがあるが、そんなとき、彼女は時間ぎりぎりまで食べ続ける。これでもか、と言うほどに肉を食べ、最後にはラーメンやらビビンバまで食べて、時間切れになるから、仕方なく注文を終えるのだ。
その様は、まるで野生の肉食獣でも取り憑いたのではないか、というほどだ。それなのに、あの体型を維持しているのだから不思議で仕方ない。
そんな驚くべき如月の食欲は、頻繁に新藤を振り回す。あれが食べたいこれが食べたい、と言って、あっちだこっちだと新藤を出前のように使うのだ。しかも、きっちりと金を払ってくれるならまだしも、少額だからなのか、新藤に料金を出させて、そのままということも少なくはない。
そして、この日も彼は如月の指示でファーストフード店へ向かっていた。今度はハンバーガーが食べたいそうなのだが、その店の店員が微妙な知り合いだからと言って、新藤に買ってくるように申し付けたわけだ。
新藤は仕事に集中したかったし、ハンバーガーにも興味がないので、できればオフィスから出たくはなかったのだが、如月が
「うわー、ありがとう! 美味しそうだね、新藤くん」
と喜び、幸せそうに食べる姿を想像すると、仕方がない、という気持ちになるのだった。
「おい、兄さん」
面倒くさい気持ちと、如月の笑顔を見たいと言う気持ちで、頭の中をごちゃごちゃにしながら、信号待ちをしている新藤に、誰かが声をかけたらしかった。兄さん、という曖昧な呼びかけなので、自分とは限らないが、信号待ちをしているのは、新藤だけだ。
「そうだよ、兄さん。あんただ」
「僕ですか?」
新藤は振り返り、声の主を見た。そこに立っていたのは、自分とあまり年も変わらないような女だった。しかし、いかにもただものではない…と言うよりも、風変りな人間だった。
「ちょっと、道を聞きたいんだけどよ」
まず、初対面の相手に、この口調ということからして風変り、と言えるのだろうが、外見の方もそれに負けないくらいのインパクトだ。髪は眩しいくらいの金髪に染め、スカジャンを羽織り、ジーンズを履いている。どう見ても、チンピラの子分だ。
「は、はい」
昨今では見られないファッションに、少しばかり驚いた新藤だが、困っている人をできるだけ見捨てない、という彼の性分から耳を傾けてしまった。もちろん、無視をしていたら、もっと面倒なことになっただろう。
「あんた、等々力ビルって場所…知らないかい? この辺らしいんだけど、あたしは方向音痴でね」
「ああ、知ってますよ。少しだけ歩きますけど」
と前置きをして新藤は道を説明した。
「ありがとよ。この恩は絶対に忘れないぜ」
「そんな大層な。必要ありませんよ」
冗談と受け取った新藤は、笑顔を見せたが、その女はなぜか目を鋭くした。
「何だよ、あたしの義理堅さを疑っているのかい?」
「え?」
少し道を教えて終わりだと思っていたのに、何だか話が飛躍してしまった、と新藤は戸惑う。
「そういうわけでは…」
新藤は笑顔を引っ込め、とにかくこれ以上、相手を怒らせないようにしよう、と考えをシフトさせた。
「あたしはな、大した人生を送ってきたつもりはないが、義理堅さだけは、他の誰にも負けねぇって胸張れる自信があるんだよ。受けた恩は必ず返す。恩って言うのは大小じゃねぇ。もし、あんたが世界中を敵に回すような、とんでもねぇ状況だったとしても、つまらないことで使い走りにされたとしても、あたしは命を賭けて恩を返すぜ」
「それは、凄いですね。そのときは…ぜひ、お願いします」
「あぁ? やっぱり…その顔、あたしを信じてねぇなぁ?」
「いえ、そんなことは…」
「いや、お前は信じていない。顔に、そう書いてあるんだよ。良し分かった」
何を思い当たったのか、女は懐から紙とペンを取り出して、何やら書き込み始めた。
「ほらよ、取っておけ」
「なんですか?」
差し出された紙を受け取ると、そこには荒々しい字で、電話番号らしき数字と「乱条」と書かれていた。
「らんじょう?」
「あたしの名前だ。何か困ったことがあったら、ここに電話しな。一回だったら、どんなことだろうと手助けしてやるよ」
「す、凄い。小学生が用意する、お母さんへの誕生日プレゼントみたいですね。何でもお手伝い券とか…僕も作ったなぁ」
新藤の軽口に女…乱条は一睨みを利かせた。新藤は
「とにかく、ありがとうございます!」
と言いながら、その紙切れを大事そうにスーツのポケットに入れる。乱条はそれを見て満足したのか、微笑みを見せる。
「おう。そのときは…任せな。それじゃあな」
乱条は踵を返すと、新藤が今まで歩いて来た道を辿るように、去って行った。
「そう言えば…」
新藤は呟きながら、乱条との会話の中で、違和感があったような気がした。
なんだろうか。
しかし、それが何だったのか思い当たることがなく、新藤は首を傾げてから、信号を渡ってファーストフード店へと向かった。
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