木戸は優花梨に再会してから、今まで以上に精を出して働いた。笑顔も少し増え、同僚や先輩から、最近の木戸は良い、と言われるようにもなった。すべて、優花梨が傍にいてくれるおかげだった。木戸は今度こそ、彼女のために、真面目にコツコツと人生を歩もうと決めた。


「ヒロ、明日…一緒に来てほしいところがあるの」


ある日、帰るなり優花梨にそう言われた。次の日は休みだ。優花梨の頼みを断る理由など、何一つない。聞いたところによると、優花梨はこの一週間、何人もの知り合いに会っていたそうだ。中には自分を知らない、という人もいたし、仲の良いはずだった友人から


「もう二度と顔を出さないでって言ったはずでしょ?」


と冷たく言い放たれてしまうこともあったらしい。


だが、根気強く、自分の状況を知ろうと、一人一人に会って話しを聞いたり、自分の現状を話したりした。そこで、彼女は理解したそうだ。自分はここにいるはずのない人間だと言うことに。


木戸はいまいち優花梨の主張を理解できなかったが、次の日、それを目の当たりにして、自分が想像していたよりも、はるかに彼女が奇妙な状況にいることを知った。


「ねぇ、ヒロ…あれが誰だか分かる?」


そう言って、優花梨が指をさしたのは、閑静な住宅街を子供と手を繋いで歩く、百地だった。


「あれ、どう見ても私だよね?」


木戸は答えられなかった。彼にとっても、あまりに衝撃的だった。木戸にとって唯一の存在である百地優花梨が、自分のところへ来てくれたと思っていた。それは彼女にとって、自分が唯一の存在になるチャンスが、まだ残っているからだ、と思っていた。


しかし、彼女自身が唯一ではなかった。二人いたのだ。


何が起こっているかは分からない。自分が何をするべきなのか、目の前にいる優花梨に、何をしてあげるべきなのか…そんなことを考えると頭がおかしくなりそうだった。


「ヒロ…私のために、何でもしてくれるって言ってくれたよね?」


木戸は頷いた。


「私ね、あの女が許せない。あいつは約束を破ったんだ。それなのに、あんな風に幸せそうに笑えるなんて…私には信じられないよ」


約束というものが何なのか、木戸には見当も付かなかった。だが、目の前にいる優花梨から、凄まじい意志を感じた。木戸の記憶の中では、いつも優しく笑っていた彼女が、これだけ負の感情にまみれている。きっと、彼女にとってこの世界は、針の山を進むような、痛々しい場所なのだろう。


だとすれば、それを取り除いてやらなければならない。木戸にとって、それを叶えてやる方法は、たった一つしかない。だが、同時にそれを使ったところで、世界は何一つ変わらないことを、彼は学習していた。それなのに、優花梨が木戸に提案したのは、彼が知る、その唯一の方法だった。


「ヒロに痛めつけて欲しい人がいるの。三人…ううん、四人。全員を酷い目に合わせて、あの女が間違った決断をしたって分からせてやろう。これができるのは…私たちだけ。私たちだけが許された復讐だと思うの」


優花梨が言っていることの意味は、少しも理解できなかった。それでも、木戸は頷く。同意した。彼女が願うのなら、彼女がやりたいと言うなら、木戸はそれに従うまでだ。それを遂げるまでだ。


木戸は職場に退職届を出した。

これから自分がやることは犯罪だ。


職場に迷惑をかけるわけにはいかない。それに、自分一人がいなくなったところで困ることはないだろう。さらに言えば、きっと自分みたいな厄介者がいなくなった方が、同僚たちは喜ぶに違いないと思った。しかし、木戸の想像とは違い、木戸の退職届を見た上司は言った。


「いや…考え直してくれないかな? 木戸くんのこと…頼りにしていたんだよ、俺は。それに最近、君は人当たりも良くなってさ。これから君はもっと成長して、会社を支えて行く人間になると思っているんだよ。何か訳があるのは分かるよ。君の意志を尊重してあげたい気持ちもあるけど…どうか、踏み止まってくれないかな?」


誰かに必要とされている。

誰かに期待されている。

誰かに自分と言う存在を認めてもらう。


それは木戸にとって、初めての体験だった。この社会で生きていても良い。そんな風に自分が肯定される日がくるとは思いもしなかった。


それでも、木戸はここから離れなければならなかった。彼はもう優花梨の所有物だ。道具だ。彼女の意志を遂げるためだけに、動くと誓った。今更、それを裏切るつもりはなかった。上司は納得してはくれなかったが、木戸の意志を尊重してくれた。


最後に「頑張れよ」と声までかけてくれた。

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