第7話
百地のドッペルゲンガーは、向かいの家の塀を支えにして、何とか立っているように見えた。
体調が優れないのか顔色も悪く、新藤に見つかってしまったことに気付いていない。新藤が接近すると、ドッペルゲンガーは顔を上げ、驚きの表情を見せた。
そして、危険を察知したのか、踵を返して走り出す。
「待って、百地さん!」
百地は自宅にいて、先程別れたばかりだ。だから、この女は別人であるはず。それを理解していながら、百地と呼んでしまうほど、ドッペルゲンガーは彼女そのものだった。
ドッペルゲンガーがすぐ近くの公園に逃げ込んだところで、新藤は追いついた。一気に距離を詰め、彼女の腕を掴む。
「離して!」
声も百地そのものだ。
「百地さん、僕だよ。新藤晴人!」
何とか逃れようと暴れるドッペルゲンガーだったが、その言葉を聞いて動きを止めると、確認するように新藤を見た。
「新藤…くん?」
二人はお互いを認め合う。
新藤にとっては奇妙なことだったが、彼女は百地以外の何ものでもないように思えた。
「どうして…新藤くんが、あの女の家に?」
「百地さんこそ…どうして彼女を? いや、彼女は百地さんではないの?」
新藤の言葉に、百地としか思えない女は、顔を伏せる。そして、呟くように言った。
「……離してくれる? 逃げたり、しないから」
「あ、ごめん。痛かったよね」
新藤は言われたまま、手を離した。百地と同じ顔の女は「大丈夫」と言って、掴まれていた部分を逆の手で少しだけさすった。
「あのときも…私が離して、って言ったら、離してくれた」
「……そうだったね」
女は過去を懐かしく感じたのか、微笑みを見せた。
想い出も一致している。
先程まで会っていた百地は、確かに百地だった。でも、今目の前にいる女も、間違いなく百地だ。
むしろ、今目の前にいる女こそ、新藤が良く知っている百地に近かった。笑顔を見ると、それを強く感じる。確かめなければならない。新藤は彼女に質問する。
「もしかして、百地さんは百地さんに会った…?」
「ややこしいから、優花梨で良いよ」
「優花梨…さん」
「はい」
と返事をしながら、優花梨が笑顔を見せた。
やはり、高校時代の彼女の姿が重なる。
「優花梨さんは、百地さんに会ったの?」
「……うん、会った」
続けて質問すべきところだが、新藤は迷った。何を聞くべきなのか。
百地から聞く、ドッペルゲンガー…
いや、優花梨は恨みを抱えて動いているようだったが、新藤の知る彼女はそういう人間ではない。それでも、百地に恨みを持つ、彼女と同じ顔をした人間が、さらに一人いることはないはずだ。
だとしたら、優花梨がどういう状況なのか、考えられることは一つだ。
「優花梨さん…もしかして、凄い困った状況なんじゃないかな?」
優花梨は少しだけ目を見開いた。
あまりにも意外な光景を目の当たりにしたように。
「僕…今、探偵の助手みたいなことをやっているんだ。厄介事に巻き込まれた人を助ける仕事でさ。特に異常な状況は得意分野なんだ。
だから、優花梨さんが困っているなら、役立てると思う。もし、困っていることがあったら…話してほしい。力になるよ」
驚きの表情を浮かべていた優花梨の瞳から、涙がこぼれる。そこから、彼女は顔を伏せて泣くばかりで、声が出せないようだった。
「……ごめん、なさい」
暫くして、落ち着いたのか優花梨が謝罪する。
「良いんだよ。何があったのか、話してくれれば。僕は君を助けたいんだ」
「ありがとう…でも」
と優花梨は迷うように口を噤んで俯く。
彼女が何を思うのか。
新藤はただ次の言葉を待った。
「でも、あのときみたいに新藤くんを巻き込んで、迷惑をかけたくない。また、酷い目に合うせちゃうよ…絶対に」
期待されていないのだろう。
新藤には分かった。
あのとき、新藤は彼女を助けようとして、ただ惨めな想いをした。
それを目の当たりにした彼女からしてみると、とても頼れるような人間ではないのだろう。
「でも僕は」
新藤の言葉を遮るように、優花梨の持つ携帯端末から呼び出し音が聞こえてきた。
「電話、出て良い?」
新藤は出かかった言葉を飲み込んで頷き、彼女は電話を取った。
「……うん。……うん。そっか。………ありがとう。…じゃあ、お願い」
電話は短かった。
優花梨は彼女の言葉を待つ新藤に笑顔を見せる。
「新藤くん、本当にありがとう。私…ここに来て、ずっと参っていたけど、少しだけ気持ちが落ち着いた」
「落ち着いた、って…せめて、事情を教えてくれないかな」
「大丈夫。私の問題は…私たちが解決しないと。新藤くんには、迷惑かけられない。でも、一つ…お礼をさせて」
「お礼? そんなものは…」
「お願い。目を瞑って」
「目を?」
優花梨は頷いた。
新藤は迷ったが、今の優花梨の気が少しでも晴れるのであれば、言うことを聞いても良いのかもしれない。
そう思って、目を閉じた。
何が起こるのだろう。
妙な想像が先行すると、心臓の音が早くなってしまう。何を期待しているのだろうか。そんなわけがない。だけど……。
新藤はそのように思いを巡らせたが、いつまで経っても、何も起こる様子はなかった。
「優花梨さん?」
と目を閉じたまま、彼女に呼びかけるが返事はない。
何が起こったのか、何となくだが理解する。ゆっくりと目を開けてみると、
やはりそこには誰もいなかった。辺りを見回してみても、誰もいない。
優花梨はその場から去るために、嘘を吐いたのである。新藤は何かを期待していたわけではない、と自分に言い聞かせながらも、肩を落とした。
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