第4話

百地は帰った夫に、午前中の出来事を話したが、信じていないのか、興味を示さなかった。最終的には


「気のせいだ。少し疲れているのなら、旅行にでも行ったらどうだ?」


などと言うだけだった。


しかし、百地自身も恐怖から逃れたい気持ちから、旦那の言う通り、気のせいかもしれない、と思うようにした。


すると、不思議なもので何日かすると、そのときの記憶は薄れ始め、本当にあのときの女が、自分と同じ顔だったか、百地自身も疑うようになり、そのまま忘れて行ったのだったが……。


五日もすると、その女は再び百地の前に現れた。


今度は遠くから彼女の姿を認めたのではなく、百地が家を出た瞬間、玄関の前に現れたのだから、逃げ隠れする余裕はなかった。慄く百地に、その女は詰め寄った。そして、睨む付けるような視線を向けて言うのだった。


「見つけた」


「だ、誰なの?」


と百地は恐怖を抑えながら、何とか疑問を口にした。


「誰って…見れば分かるでしょ? 貴方に決まっているじゃない」


女の顔は分かりやすいほど、恨みと憎しみに溢れていた。異常なまでに白い肌は、彼女の不気味さを際立たせ、その視線は刃先のようである。


「何を言っているの…? どうして、私と同じ顔なの…?」


「だから、同じ人間だからに決まっているでしょう。良い? 私は絶対に許さないから。約束を破った貴方を…絶対に許さない!」


「や、くそく?」


身に覚えがなかった。

約束をした、ということは、やはり過去に自分と接点…いや、親しかった誰かなのではないか。


自分がもう一人いるわけがないのだから、他人であることは間違いない。だが、破って恨みを買うような、重要な約束を誰かと交わした覚えなんて、何一つなかった。


「そんなことすら覚えていないわけ? だったら、思い出すまで、貴方を苦しめてやる。私たちの恨みを…知りなさい」


そう言って、女はどこかへと姿を消した。百地は改めて恐怖した。得体の知れない、同じ顔の女。恨まれている自分。覚えのない約束。これから、良くないことが起こるとしか、思えなかった。


夫は妻の奇妙な話を信じなかった。


それどころか大事な仕事を抱えている、と言って相手にされなかったため、百地は迷った挙句、ある朝、陸を連れて警察へ相談に行くことにした。


警察署も近付き、大きな交差点で信号待ちをしていた時だった。何気なく、陸の手を離した瞬間、百地は背中に強い衝撃を受けた。一瞬、何が起こったのか分からなかったが、


誰かに背中を押されたのだ、と少し遅れて理解した。


道路に倒れ込みそうになったが、何とか手を付き、ほっとしたのも束の間、視界の隅に、それなりのスピードで迫る車が映った。


幸いドライバーが機転を利かせ、大事には至らなかったが、やはり自分と息子の身に危険が迫っていると感じ、背筋が凍り付いた。


百地は今度こそ、夫に帰ってきて欲しい、と強く懇願した。最初は面倒くさそうにしていた夫だが、百地の必死さに、異常を感じ取ったのか


「すぐに帰る」


と言った。しかし、夫はなかなか帰らず、夕方になった。


家の中で、陸を抱きかかえながら震えていると、インターホンが鳴った。


夫だろうか、と思ったが、彼ならば鍵を開けて勝手に入ってくるはずだ。


誰だろうか、と躊躇していると、またインターホンが鳴る。室内のモニターから、恐る恐る相手を確かめると、


そこには大柄な男がいた。


恐ろしい男の訪問に、百地は震えあがる。何度かインターホンがならされたが、百地は居留守を決め込んだ。


それから、一時間ほど経って、外の様子を見に行くと、ドアに一枚の紙切れが挟まっていた。そこには


「すぐに旦那と別れろ。大変なことになる」


と書いてあった。


十分か十五分もしないうちに、夫が帰った。百地は今日あった出来事を話すが、彼はそれほど関心がないように思えた。


「変なやつがいるからな。防犯カメラでも付けるか」


という程度である。


そうではない。

命が狙われているかもしれないのだ。


もしかしたら、明日…いや、今夜にでも誰かが乗り込んでくるのかもしれないのに。


ただ、夫は最後にどうでも良さそうに呟いた。


「同じ顔かぁ…ドッペルゲンガーってやつかなぁ」

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