マイナス二話 Origin-貴宝院千里「幸せの鳥が巣立つ時」

 ―――人生って、決められたことばっかり。

 人は人を見るとき、どうしてもフィルターをかけてしまうから。

 そして幾重にも重なった固定観念は、いつしか鳥籠になってしまって。

 いつかそこから抜け出したい。これは、そんな私の人生の奮闘記―――



 ある国立大学の講堂。一人の学生が、集団を前にヴァイオリンを弾いていた。演奏の終了と共に、拍手が鳴り響く。

「いやぁ凄いな、十九にしてこの技量とは……」

「ありがとうございます」

 褒め言葉を受けて、笑顔で会釈する。しかし、その表情は次に投げられた一言で一変してしまうのだった。

「さすが、あの千世さんのご息女なだけある」



「んも~~~っ!! またママの話されちゃった!」

 二十分後、学食の一角で貴宝院千里は友人を前に声を荒げていた。怒り心頭ながらも大量の食事を上品な仕草で食べ進めるそのちぐはぐな様子に、友人らは苦笑しながらなだめる。

「まあまあ、仕方ないって」

「大概の人はそう思っちゃうもんだしさ」

「でも、違うじゃない! 私がヴァイオリン弾けるのも、ピアノ弾けるのもチェロ弾けるのも歌が得意なのも! 別にママの手柄じゃないのよ!?」

 頬張り、咀嚼し、飲み込む。ゆっくりとその動作を終え口を拭いから、今度は一転して憂うように声を絞り出す。

「自分で頑張ったことなのにぃ……こんなのおかしいわぁ……」

「いいけど千里さ、早く食べな? 注文の量と食べる速度合ってないよ」

 促されるまま、悲しそうな表情をしながら冷めないうちに食事を再開する。

 千里の悩み―――それは、有名オペラ歌手・ヴァイオリン奏者である母、貴宝院千世と常に比較され続ける人生にあった。

 海外を飛び回って活躍する有名歌手の娘。その肩書きを背負ってきた千里の人生は、何をするにも母の影がつきまとっていた。

 まったく影響を受けていないかと問われれば、確かにそうではない。ヴァイオリンを始めたのは母の影響で、オペラや演劇を好んで鑑賞するのも母の仕事を見ていたことが原因だ。

 しかし、仕事で忙しかった母にその技術を教えてくれる時間はなく、家庭教師に基礎を叩き込まれ、地道に練習を積み重ねて高いレベルの演奏ができるようになったのだ。そして、それを誇りたい千里にとって、「あの有名人の娘なのだから」というレッテルは、度し難く邪魔なものでしかなかった。

「それでね」

 ストレス解消のためのやけ食いを終え、千里は友人らに向き直る。

「そろそろ私も、身の振り方を決めようと思うの」

「まあ、大学入ったんだしね」

「色々と考えたんだけど~……ママとは絶対に違う方向性で、芸能界に入りたいの」

 強く言い切った千里の前で、友人は首を傾げる。

「えーっと、つまり……オペラ歌手とか、ヴァイオリニスト以外で」

「そう。舞台女優もナシで、芸能界で歌えるお仕事! ……何かないかしら~?」

「なにか、って言われてもなぁ……」

 にこにこと穏やかな笑顔を向けてくる千里に、友人たちは困り果てる。甘い考えだと言うつもりはない。幼少期から何度も大舞台に立っている千里にとって、芸能界を志したいというのは自然な欲求だろう。

 しかし、千里の持つ魅力の多くは母の影響で積み重ねてきたもの。それでありながら母とは違う道を歩みたいというのは、そう簡単なことではない。

「んー……ただタレントっていうのも違うよねぇ」

「歌えないものねぇ」

「なんだろ……いっそアイドル……いや千里にダンスは無理か……」

 口をついて出た言葉を、すぐに否定する。千里は、スタミナはあるものの基本的に早く動くのが苦手だ。ダンスパフォーマンスのスキルが問われるアイドルは厳しいものがあるだろう。

 ……しかし、当の千里はまるでその手があったかとでも言わんばかりに目を輝かせていた。

「そうよ! アイドル! 私、アイドルやるわ!」

「……マジ?」

「だって、アイドルなら歌えるし、ママとは全然違うし、楽器だって活かせるじゃない?」

 こうしちゃいられない、と千里は鞄とヴァイオリンのケースを掴んで立ち上がり、学食を出て行ってしまった。

「……どうすんのアレ」

「まぁ……いくらお母さんが有名人だからって、踊れない子を採用する事務所はないでしょ」



 一ヶ月が経過して、学食。千里はまたも大量の食事を食べながら怒っていた。

「もう嫌~~~! これで五社目よぉ~!」

「まさか合格ラインを自分から全部断るとは……」

「図太いんだか意志が堅いんだか……」

 アイドルを目指すと息巻いた千里は、とりあえず手当たり次第にオーディションに応募。しめて五つの事務所に赴いた。

 しかし、どのオーディションにおいても言われるのは母のこと。曰く共演すれば早いうちから人気が見込めるとか、打倒母親を掲げて対立路線で売り出したいとか、どうにかして千里の持つ血縁関係を利用したいという方針ばかりだった。

 そのため、じゃあいいですと採用を断り続けているのである。

「業界で悪目立ちしてると思うよ」

「うんうん」

「だって~、誰も私の主張をわかってくれないのよ~? ママとは無関係に、ただの新人として売り出してくださいって言ってるのに~……」

 そんなことを言っても、第三者からすれば千里の持つ血縁は大きな武器だ。まして芸能界に入るのであれば、その話題性を活用しないという選択肢は無いに等しい。

 むしろ、それを嫌がる千里の方が夢見がちな箱入り娘だと言われれば、まったくもってその通りなのである。

「ご馳走様~……ふう、次こそはなんとか受かるわ、きっと!」

「まだやるんだ……」

「次はどこ行くの?」

「大手は一通り受けたから~、あえて小さい事務所にしてみようと思ってね。今年できたばっかりの事務所に応募したの~」

 その行動力はどこから来るのか、と呆れる友人らをよそに、千里は一人気合いを入れる。目下問題は受かるかではなく、千里の方が受けるかにあるのだが。

 どうせまだ大学も一年次、年明けには諦めて目を覚ますだろう。そう断じて、友人たちはあえて何も言わずに千里を見守ることにしたのだった。



 翌々週、都内。千里は次にオーディションを行う事務所、ジュエリーガーデンプロモーションの社屋に来ていた。入ってすぐ建物の七階に案内され、並べられた椅子に座る。幼い頃からコンクールで演奏を繰り返してきた……ことはあまり関係なく、千里は天然で図太い性格のため緊張しないタイプだった。

 ―――今度こそ、大丈夫な気がするわ。

 一切根拠のない自信を胸に、楽譜を眺めながらその時を待つ。やがて、列の最前に座っていた中学生ほどの参加者が名前を呼ばれ、それを機に一人ずつ審査が行われていく。

 前半に並んでいた千里の番は、程なくして訪れた。

「では、貴宝院千里さん。お入りください」

「はい」



 元々の能力が高く、緊張しない千里にとって、問答やパフォーマンスの披露は大した問題にならなかった。これまで大手事務所で行ってきたオーディションにおいても、余裕でパスしたと言って差し支えない部分だ。

 最も大きな壁は、その動機。

「なるほど……ところで、履歴書には母と無関係に売り出して欲しいとありますが、これは?」

「はい。私、母が有名人なものですから、どこの事務所に行ってもそれを利用して活動しようって言われるばっかりで……母とは無関係に、ただの新人アイドルとしてデビューしたいんです」

「ふむ。お母様というのは貴宝院千世さん?」

 宝多と名乗った社長の言葉に頷く。これまでのオーディションでは見なかった反応だった。

 これなら期待できるかも、と口角を緩めた次の瞬間、宝多は表情を引き締めて厳格な声色になる。

「……うちの事務所からそういった方針で、と言って売り出すことはできます」

「本当ですか!」

「ですが」

 明るい顔で手を叩く千里の反応を遮って、宝多は言葉を続ける。

「私どもが何と言おうと、世間はその通りに動いてくれません。ご家族が芸能関係者であれば、どんな方であろうと少なからず話題にされるでしょう。特に雑誌やテレビ出演ともなれば、親子関係はあなたの持つ特徴のひとつとして必ず紹介され、トークの種になる。それは無名の新人としてデビューしても変わりません」

 語られたのは、現実。アイドルを売り出すという行為は、事務所と取引先の合意があってはじめて成立するものだ。当然、事務所側が千里の主張を通しても、利益を必要とする相手側が納得する可能性は非常に薄い。

 宝多は、試すかのように意味深な視線を千里へ向ける。

「事務所としては、ただの新人としてデビューさせましょう。ただ、実際の仕事ではお母様の話を求められます。それでもいいですか?」

「もちろんです!」

 即答。先ほどと変わらない笑顔で、千里は宝多の提案を肯定した。あまりに早い回答に、宝多の両脇に座っていたプロデューサーたちが驚く。

「なるほど。では、本日はこれで終了です。合否は一週間以内に連絡させていただきます」

「はい! これからよろしくお願いしますね!」

 ―――まだ合格とは言ってないんだけど。

 そう語るような視線を全く意に介さず、千里は上機嫌で頭を下げ部屋を出ていった。

 数拍遅れて、プロデューサーの一人が次の参加者を呼ばねばと立ち上がる。名簿を片手に扉へと歩く背中に、宝多が投げかけた。

「右城くん。今の彼女、どうする?」

 右城と呼ばれたプロデューサーは、しばらくうんうんと唸ったあと、真剣な表情で返した。

「要望こそ無茶ですけど、能力は非凡なものだし……何より、あのメンタルの強さは武器になります。僕は採用の線で押していきたいです」

「そう言ってくれると思ったよ、ありがとう。オーディションを続けようか」

 千里への合格通知は、次の日にすぐ届いたのだった。


 ―――私は私。他の誰でもない。

 けれど、一度そうでないと思われてしまえば、覆すのは難しい。

 だけど私は諦めたくないから。

 鳥籠を巣立って、行けるところまで羽ばたくの―――


「ジュエリーガーデンプロモーション、オーディション一期生。貴宝院千里、十八歳です。よろしくお願いします」

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