第二話 ステップ・ワン・ゴー

年末に開かれる大規模オーディション、『Brand New Duo』への全員参加。そして、参加するためのユニットは”自分たちで”組まなければならない。

 そんな条件を与えられて二週間。暦が五月に差し掛かる頃になっても、ジュエリーガーデンプロモーションでユニットは結成されていなかった。

 この日も都内の通りに面したカフェの一角で、四人のアイドルが頭を悩ませている。

「つってもさ、どやって選んだらいいのかわからんよねー」

「うん。相性っていうのもそうだけど、事務所側も狙いがあってやってることだろうし」

 ノートを開いたひとみから見て時計回りにましろ、弦音つるね彩乃あやのの順でテーブルを囲んでいる。ましろとひとみが同じ制服を着ている一方で、彩乃と弦音はそれぞれ違う制服に身を包んでいた。

 数十秒前までケーキが乗っていた皿の並ぶテーブルに、両肘をついて溜め息混じりにぼやく弦音。そんな彼女に、ひとみはノートを睨みながら真剣な表情で返した。それを聞いて、彩乃がきょとんとした顔で聞く。

「事務所の狙いって、わかるの?」

「わかるってほどじゃないけど、そうだなぁ」

 星柄で彩られたペンのノックを顎に当て、暖色の照明と木製の装飾で飾られた天井を仰ぐ。悩んだ末に、彩乃に向き直ったひとみは推測だけど、と前置きしてから話し始めた。

「これって、セルフプロデュースの一環なんだと思う。例えば、ここにいる四人で仲がいいから組みます、なんて言っても認めてもらえない。仕事として、相性が良くて長くやっていけそうな相手を見つけなきゃいけないんじゃないかな」

「相性がいい、かぁ。弦音だったら、恭香きょうかさんとか?」

 彩乃が指と視線を弦音に向けて提案するも、当の弦音は手と首を素早く交互に振って答えた。

「ムリ! あーしと恭香さんじゃ音楽性が全然違うもん。出す曲のジャンルぐちゃぐちゃになるし、シュミが一致しないのは長続きもしないっしょ」

「そうなの? 結構似てると思ったんだけど」

 ね、と彩乃は二人に振るも、ひとみは首を傾げましろは生返事を返すだけだった。

 つつみ弦音は、元々ギターとベースを趣味としており、高校に進学したら軽音楽部に入るかバンドを組むつもりだった。しかし、友人から見せられたライブ映像でギターを演奏するアイドルを見たことで興味が湧き、そのままオーディションに応募したという経緯で現在に至る。パフォーマンスにおいてもダンスと演奏の比率は半々といったところで、彼女のファンはその日どちらが見られるのかを楽しみにして見に来るのだという。

 対してゼロ期生の音路おとみち恭香はスカウト組。元より人生において”楽しさ”を重視する価値観の持ち主である彼女もまた、ギター・ピアノ・ドラムと複数の楽器を嗜んできた人間である。ステージ上においてもほとんどがギター演奏をメインとしたパフォーマンススタイルをとっており、踊る彼女を見ることは珍しい。一見すれば弦音と良いコンビになれそうに見えるものの、恭香の方は音楽の方向性で言えばロックとジャズのような「格好いい音楽」を趣味としており、そういった意味ではJ-pop系統の「キャッチーでノリの良い」音楽を好む弦音とは合わないと言えるだろう。それを理解しているからこそ、弦音自身も恭香と組むつもりはないようだ。

「逆にひとみはどーなん? 一番情報持ってんじゃん」

 順を追うように放たれた問いかけに、ひとみは眉間にしわを寄せながらノートのページを遡る。そして、時間をかけて絞り出すように答え始めた。

「……すごく現金な見方をするなら、狙い目はゼロ期生。私たち一期生と比べて、活動期間が長い分既に獲得してるファンの数も多いし、レッスンに費やしてる時間も長い。それに、三人全員が努力を惜しまないタイプだから、単純な実力もかなり違う」

 名前を挙げられたのは、恭香たち三人のゼロ期生。全員がスカウトによるデビューであるにも関わらず、オーディションを勝ち抜いた一期生たちよりも基礎的なスペックがまず高い。そして、それを確かな努力で伸ばしていることもまた、ひとみに目をつけられた一因であった。

 明星稔あけほし みのりは、ミステリアスな雰囲気を纏う天才系アイドル。事務所の中では恭香と並び面倒見のいいお姉さんといった立ち位置にいるが、仕事として見ると事務所内で二番目の実績を挙げている実力派だ。ファンに対しても愛想よく穏やかに接するため、癒しを求めるファンを多く獲得している。自宅でも毎日一時間は発声や体作りのトレーニングを行うなど、持ち前の才能を細かな努力で伸ばすその姿勢は誰もが見習うところだ。

 そして、天宮月乃あまみや つきのは十人の中で最も高い成績を残している努力家アイドル。持ち前の完璧主義が妥協することを許さず、誰よりも長いレッスンとプライドの高さで実力を伸ばし続けている。キレのあるダンスパフォーマンスと、艶のある歌声から純粋な魅力で多数のファンを獲得しており、SNSのフォロワーも多い。振る舞いはクールであるもののそこがいいと言うファンも多く、一部ではネタ混じりに「月乃様」と呼ぶファンもいるようだ。

 今回ユニットを組む目的はオーディションでの優勝、それを踏まえれば高い実力を持つ相手を組んで勝ちを狙いに行くのは道理とも言えるだろう。

「まあ、月乃さんは完璧主義だし、稔さんもよく人を見てるから、あの二人はかなり相手を選んでると思う。それに、相方の実力が高いってことは、仮に組むとしたらそれを埋めるだけの努力が求められるってことでもあるし」

「なるほどねー。ましろはどーなん? 誰か目星ついてん?」

 ここまで自分から話していなかったましろに、弦音が顔を向ける。ましろは砂糖の入っていた袋を指先で弄びながらしばらく空中を見つめていたが、すぐに視線を戻すと共にどこか気の抜けた笑顔で答えた。

「誰でもいいかなぁ」

「うっそぉ!」

「言うと思った」

 素っ頓狂な声をあげて驚く彩乃とは対照的に、ひとみはペンのノックを額に当てて溜め息をつく。それからペンをノートに留めると、人差し指を突きつけてましろに迫った。

「あのねましろ、ましろは誰でもいいかもしれないけど、今回ばかりは一緒に挑戦する相方の仕事にも影響するんだから。一人の時とは責任が違うの、わかってる?」

「わかってるよ。どうでもいいんじゃなくて、誰でもいいの。きっと、誰と組んだって楽しくやれるもん」

 真剣な表情で話し始め、最後には笑顔になる。そんなましろの様子に、弦音と彩乃が呆気にとられる中、ひとみだけは言葉に詰まったような苦い顔をしていた。

 クラシック調のBGMに乗せて少しの沈黙が流れたあと、ひとみはペンを持ち直す。

「とにかく、ちゃんと考えないと。ユニットの結成は早い者勝ち、早く決まればその分の時間をレッスンに使える。逆に言えば、遅ければ遅いほど本番のオーディションで不利になるんだから」

 告げられた事実は、自分たちの行動する早さがそのまま結果に繋がるという、厳しい現実だった。またとないチャンスを掴むためには、それだけの行動力も求められるのだ。

 少女たちの悩む声が、カフェの隅に響き渡る。進展までには時間がかかりそうだ。

 その時、テーブルに置かれた彩乃のスマホがふいに震える。見てみると、プロデューサーである右城からの通知だった。


 一方のJGP事務所社屋。彩乃へのメッセージを打つ右城の元へ、前野がやってきて右手を上げる。それに右城は会釈で返した。

「右城くんどした? カノジョ?」

「違いますよ。レッスン内容の調整で、彩乃に連絡を」

「なんだ、言ってくれたら私がやるのに」

 企業の社屋内というには少し砕けた態度と口調で二人は話す。こちらの話題も、すぐにユニット結成のことへ移行した。

「ユニットの申請、まだ来ませんね。何か相談とか受けてます?」

「やー全然よ。高一組みんなで悩んでるみたい。やっぱ中々決めらんないよね」

 笑顔ながらも困ったように、前野は肩をすくめる。それを見て、右城も苦笑いで返した。

「いきなりですし、年頃ですしね。社長も結構な難題課すよなぁ」

「私らの仕事にも影響デカいもんねー。急かしたくはないけど、遅くなると困っちゃうよね」

 無論、この決断に納得はしているものの、まだアイドル一年生である少女たちに課すには難しい課題にプロデューサー、マネージャー陣も悪戦苦闘を覚悟していた。

 しかし、前野は何かを思い出したように手帳を取り出すと、ページを捲りながら呟く。

「けど、一人決まりそう……っていうか、方向性は固まってそうなのは、一人」

「え、誰です?」

 短いジェスチャーで許可を取って、右城は前野の手帳を覗き込む。そこには、前野がマネージャーとして触れ合う中で見えたアイドルたちのパーソナルデータが記載されていた。記された文たちの一角、「夢・動機」と書かれた場所を指でなぞりながら、前野は答えた。

「ひとみ、かな」



 都内の劇場。今まさに激しく踊りながら歌う恭香を、舞台袖から月乃が見つめていた。普段はギターを弾きながら歌うパフォーマンスで人気を集めている恭香が、珍しくダンスパフォーマンスを行うということから、ステージを見上げる三十人前後の観客のうち過半数を彼女のファンが占めている。単純なファンの数では月乃の方が上回っているということもあり、二人のステージとしては珍しい光景だった。

 鋭い目つきで、月乃は恭香の動きに目を配る。完璧主義者である彼女にとっては、新しいことに挑戦するとしても、今までやっていないからとダンスのクオリティが欠けることは許せない。無論ながら、それを他者に強要するようなことはないが、それでも自分の目に入る人間の努力を気にするのは、月乃にとって癖に近いものだった。

「仕上がってるわね」

「っ!?」

 背後から急に声をかけられ、飛び上がるほど驚く。全く気付かないうちに、稔が近づいてきていた。と言うのも、今日のステージに彼女が出演する予定はなく、少なくとも月乃が先に演目に入った時点では見学などで訪れてもいなかった。

 その場にいないはずの人間が急に現れたことで、月乃は胸に手を置いて少し震えながら対応する。

「……心臓に悪いわ」

「あら。アイドルたるもの、舞台ではどっしりと構えておくべきじゃない?」

 いたずらな笑顔で言い返され、月乃は不満げに口を尖らせる。それを意に介すこともなく、稔はステージで飛び跳ねる恭香を見て微笑んだ。

「偶然とはいえ、ユニットを組むってタイミングでダンスを見せる機会ができて良かったわね」

「そうね。本番の経験が少ないと足かせになりかねないし」

 二人は視線を恭香に向けたまま、話を続ける。楽器を使ったパフォーマンスをする特性上、彼女は他のアイドルたちと比べてダンスを披露する機会が少なく、それ故にレッスン時間にも差があった。

 無論、ギター演奏一辺倒というわけではないものの、同じタイミングでデビューした月乃や稔と比べると、明らかにレッスンの内容が違っている。それが二人組のユニットを組むうえで、恭香とその相方が考慮しなければいけない点であることは間違いないだろう。

 やがて、歌い踊り終えた恭香は満面の笑みで手を振り、舞台袖へと引いてくる。

「ありがとー! ダンスもギターも頑張るから、また見に来てくださーい!」

 視線を正面に戻して、恭香もまた稔の存在に気付く。控えていたスタッフからタオルを受け取り頭を下げると、観客へと振っていた手をそのまま二人に振りつつ、徐々に歩く速度を落とし二人の前で止まった。

「稔、来てくれたんだ」

「ええ。良かったわよ恭香」

 笑顔で応える稔と、恭香が立てたままの右手に慣れた様子でそっと左手を合わせる月乃。その後ろから客席側にいた左枝が歩いてきて、恭香に声をかけた。

「お疲れ様、恭香。良かったよ」

「ありがとうございます、私もすっごい楽しかったです!」

 しばし温かな空気が流れたものの、そこへ劇場スタッフがやってきて左枝に声をかける。何度か言葉を交わしたあと、左枝は恭香たち三人に向き直った。

「悪いけど、少しここの人と話してくる。先に楽屋戻って、下野さんと合流しててくれ」

「わかりました」

 頷く姿を確認すると、左枝はスタッフと共に廊下へ出て行く。それに続くように三人も廊下に出ると、反対の方向へ曲がって歩き出した。

 はじめは恭香が汗を拭っていたこともあり誰も言葉を発さなかったが、それが終わったことを確認した稔が問いかける。

「二人共、ユニット相手の見当はつけた?」

 ここ二週間、誰と一緒にいてもほとんどの話題はこのことだった。三ヶ月とはいえ、先んじて活動し始めた先輩という立場にいる都合上、”ゼロ期生の相方”というポジションを狙っている一期生も少なくないはずだ。無論、三人にとってもまたとない機会であることに変わりはなく、後輩たちを見る視線に熱が篭るようになっていた。

 そして、これまでの話し合いで三人は「ゼロ期生同士のユニットは組まない」という意見を一致させていた。当初より、月乃と稔はユニットとして相性が良いだろうと多くの人間が口にしており、当人たちもそう思っている。

 しかし、おそらく事務所側の意向としてユニット活動を通した人間関係の強化が図られていること、そして月乃と稔がお互いに負けず嫌いであることを考え、今回はお互いをライバルとして競い合う方針に決めたのである。

 そういった経緯があったことからも、稔はこの二週間で目を光らせ、後輩たちとレッスンの時間を被らせたり、オフには仕事やレッスンの見学に訪れるなど精力的に情報収集にあたっており、おそらく二人もそうであろうと睨んでいた。

 しかし、質問の答えは予想外の方向へ滑る。

「いいえ」

「全然!」

 あっさりと肩透かしを食らい、稔は思わず躓きそうになった。もっとも、涼しげな顔で答えた月乃に対し、恭香は笑顔ながらも眉を寄せた困り顔をしているため、そのニュアンスは些か異なるものだが。

 その反応から稔の懸念は読み取られていたようで、恭香は付け加える形で話を続ける。

「いやー、色々考えてはいるんだけどさ。なんか結局、誰とやっても楽しいんだろうなーってなっちゃって。もちろん、組みたい! って思ったらすぐ声かけるつもりだよ」

「安心したわ。何も考えてなかったらどうしようかと思った」

 冗談めかして返すと、稔は続いて月乃はどうなの、と問いかける。特に悩むこともなく、月乃は当然のように答えた。

「誰と組むか、は大した問題じゃないわ。どんなユニットになったとしても、十全な努力があれば勝てるでしょ」

「えーっと、それつまり……自分から誘うことはないって感じ?」

 恭香に聞かれ、月乃は少し黙ってからそういうことになるわね、と返す。それを聞いて、二人は密かに目を合わせた。

 ―――何も考えてないってことね。

 天宮月乃という人物を語るうえで外せないのが、持ち前のハイスペックさと、そこに付随するプライドの高さだ。学校では成績優秀な優等生、クールな雰囲気と高い身長からアイドルとしても目につきやすく、それ故に人気も高い。しかし、そういった評価を受けながら育ってきたためか、許せないことはとことんまで許せない性格の持ち主なのだ。加えて言えば、自分のイメージを大切にするタイプでもある。

 そのため、稔と恭香は薄々感づいていたものの、「誰かにユニットを組もうと頼む」という行為は、彼女にとってプライドが許さない……ようだ。

「一応聞くけど月乃。あなた、それで誰にも誘われなかったらどうするつもり?」

 稔が当然の懸念を口にすると、月乃は見るからに不機嫌そうな顔でその顔を一瞥する。一応は月乃も考えているようで、暫し黙ってから口を開いた。

「別に、全く誘うつもりがない訳じゃないわ。トップを取れそうな相手が見つかったらちゃんと声をかけるわよ」

 明らかに今考えたであろう言い訳を口にして、月乃は歩く速度を早める。楽屋に着いたこともあり、そのまま扉を開けた。

 中には、二十代半ばごろの女性―――事務所スタイリストの下野が控えており、顰め面で入ってきた月乃を心配するように声をかける。

「月乃ちゃん、お疲れ様です。大丈夫、疲れてない?」

「お疲れ様です。大丈夫です」

 努めて平常であろうとした月乃だったが、その返事には不機嫌が隠しきれていなかった。

 続いて楽屋に入った二人も下野に挨拶し、月乃と恭香はメイクを落とし始める。稔は下野の隣に立ってスマホを取り出すと、メモ帳にこっそり「月乃はちょっと拗ねてるだけです」と書いて見せた。下野もそれを見て理解したようで、頷いて返す。

 そこへ、メイクを落としながら恭香が問いかけた。

「そう言えば、稔はユニットの相手決めたの?」

「ええ。まだ確定って訳じゃないけど、目星はつけてるわ。向こうが誰かに声をかけないなら、こちらから行くつもり」

 自信を含ませた顔で言い切る稔に、下野が嬉しそうに手を合わせる。

「いい感じみたいだね。誰にするつもりなの?」

「ふふ、まだ秘密です」

 和やかな空気を漂わせる二人とは対照的に、月乃にまとわりつく雰囲気はまだ刺々しいままだ。

 それを見てか、稔は着替えを始めた二人へ話題を振る。

「二人は、ユニットの相手に何を求めたいかって決まってる?」

 恭香は衣装を脱ぎつつも、月乃に視線を送る。すると目が合った直後、月乃がどうぞと言わんばかりに目を閉じた。

 それなら、と恭香は悩みながらも話し始める。

「ん~、やっぱ一番は楽しくやれる相手だけど……私の場合はそうだな、割と音楽ジャンルは気にするかも」

「そうね。恭香と、弦音と千里ちさとさんなんかは音楽性で売ってるものね」

「そうそう。だからさ、こう、かっこいい系の曲でもイケそうかどうかは大事にしたいかなぁ」

 悩ましげに呟く恭香の言葉を受け、頷いた稔と下野は続いて月乃へと視線を向ける。

 少し考えるように視線を動かしたあと、月乃は向き直って言った。

「まあ当然、努力ができるかどうかよね」

「だよねぇ」

 自分の主義を人に押し付けるようなことはしない、というのはあくまでソロ活動をしている現在の話。ユニットを組み、自分と二人一組になるのであれれば話は変わる、ということらしい。

 それなら、と稔が人差し指を立てる。

「月乃の基準に当てはまるのは、蘭子らんこかひとみあたりかしら?」

「そうだねー、二人とも勤勉そのものって感じだし」

 栞崎かんざきひとみは元より勤勉な性格で、成績は常に上位、クラスではあまり目立たない方だという。十年付き合った親友であるましろがアイドルになることを受け、自分も同じオーディションを受けるという経緯を経てこの事務所に所属している。

 一見すればましろの付き合いや便乗にも見えるが、その熱意は間違いなく本物、否、傍から見ればましろよりも遥かに熱を持ってアイドルという仕事に向き合っていると言えるだろう。他者のレッスンや仕事の様子を事細かにノートにまとめ、それを自分の仕事に活かそうと日々努力する様子を、事務所の全員が知っている。オフの日であっても余裕があればましろたちの仕事についていき見学を行うなど、その姿勢は仕事先のスタッフや関係者からも高く評価されている。

 一方、このみ蘭子は五歳の頃から九年間続く、筋金入りのアイドルオタクという特徴の持ち主。他の九人と比べ幅広い知識があり、それにより目指す場所が明確だからこそ、揺るがぬ努力を続けている。元より推しアイドルのパフォーマンスをコピーする趣味があったこともあり、十人の中で二番目に幼いながらも、所属時点では誰よりもスキルの平均点が高かった。

 ひとみ同様、他者のレッスンをノートにまとめるなど細かい情報収集を怠らず、また気になる点があれば先輩相手であっても臆せずアドバイスしに行くということもあり、年上ばかりの事務所内でも一目置かれ可愛がられている。

 そんな二人であれば、月乃が相手でも食らいついていけるのではないか、という稔の見解に恭香も同意する。

 当の月乃も、その二人の名前が出たことが満更でもないようで、目に見えて顔色が良くなった。

「確かに。あの二人なら、私が相手でも尻込みすることは無さそうね」

 機嫌を持ち直して衣装を渡してくる月乃に、下野は優しく微笑みかける。その様子を見て、稔と恭香は顔を見合わせて笑った。



 ジュエリーガーデンプロモーション、タレント寮一階リビング。所属タレントが食事したり集まって談話したりする大広間のようなこのスペースに、今は三人のアイドルがいた。

「う~~~ん、悩ましいわよね~。誰と組んだらいいのかしら~」

 浮かない顔で溜め息をつきながら、千里は六人がけの大きなテーブルに置かれた大量の惣菜を次から次へと口に運んでいた。やけ食いのような光景でありながら、ひとつひとつの所作は丁寧であり、育ちの良さを感じさせる。

 そんな様子を前に、深冬みふゆはクーちゃんを強く抱きしめながら、隣に座る蘭子におずおずと視線を送る。それを受けた蘭子は気まずそうに目をそらしながら、ゆっくりと重い口を開けた。

「ち、千里ちゃん、そろ……そろ食べるのやめないとお体に障るのでは~、とラン思っちゃったりするんですけども」

「そうよね~食べ過ぎはダメよね~。私、昔から困ったこととか嫌なことがあるとね、食べるのが止まらなくなっちゃって~」

「割と普段からすごい量食べてる気がしますが……」

 思わずこぼれた突っ込みは耳に届かなかったのか、千里は一旦手を止め、口元を拭いて膝に手を置く。しかし、我慢できそうにないのかすぐにそわそわと肩を震わせ始めた。

 このままではすぐに食事が再開する、と悟った蘭子と深冬は、何か手を打たなければと思案を巡らせるものの、期限当日で安売りしていた約五人前に相当する惣菜をこのまま放置する訳にもいかず、微妙な表情で固まってしまう。寮の食べ物を買い出しに行っていた千里と蘭子にレッスン終わりの深冬が同行したのだが、気づけば千里が大量の惣菜を買い込んでおり、会計後だったためにどうすることもできず今に至っており、解決策としては他の寮生が帰ってくるのを待つくらいしかない。

 すると、何か思いついたのか千里が手を叩き、明るい顔で言い放った。

「そうだわぁ! ね、蘭子ちゃん。みんなの分析してノートとってるでしょ、それのこと聞かせてくれないかしら~!」

「どぅおぇ!? ぇあ、は、了っ解です! 今用意しますんで少々お待ちを!」

 突然の提案に驚きつつも、鋭い敬礼で返した蘭子は席を立ち自室へと小走りで駆けていく。残された深冬がどうしたらよいかわからず視線を泳がせていると、千里は柔らかな笑顔で語りかけた。

「深冬ちゃんも食べていいのよ~、アイドルは体が資本だもの~」

「あ、ぅ、『深冬、少食なんです。今食べたら晩ご飯が入らなくなっちゃう』」

「そうなの~? それなのにあんなに動けるなんて、深冬ちゃんすごいわね~」

 クーちゃんの言葉に、千里は関心したように返す。褒め言葉を加えられたことで、深冬は雪のように白い顔をほのかに赤らめた。それに気づかれないようクーちゃんが胸ビレを広げ、話を続ける。

「『千里は、運動するの苦手?』」

「苦手、っていうわけじゃないのよ~? これでもスタミナには自信がある方だもの~。ただね、私っておっとりしてる方でしょ~、ダンスとか機敏に動くのが苦手なの~」

 困った、というには間延びした口調で、千里は左頬に手を当て溜め息をつく。日本人離れした顔立ちも相まって、所作のひとつひとつが絵画のように端正に見えた。

 そこへ、息を切らした蘭子が慌ただしい動きで戻ってくる。顔を真っ赤にして息を整えてから、可愛らしい装飾の施された厚めのノートを掲げた。

「ぅおぉ待たせしましたぁ! 不肖菓蘭子、ノート持参で帰還ですっ!」

「あら、お帰りなさ~い。そんなに急がなくても、深冬ちゃんとお話してたところよ~」

 勢いたっぷりの蘭子と対照的に、柔らかな笑みを崩さない千里。そんな二人を交互に見比べ、深冬はクーちゃんの後ろで密かに微笑んだ。

 テーブルについた蘭子はノートを広げ、息巻きながら千里に問う。

「さ、どんなことでも聞いてください! わかる範囲ならお答えしますっ!」

「そうねぇ~。蘭子ちゃんから見て、今の有望株は誰かしら?」

 千里の質問に、蘭子はうっと声を上げる。それから、露骨に視線を泳がせて気まずそうな声を出した。

「その~、ですね? いえランは確かにドルオタなんですけども。それでも贔屓とかではなくてですよ? でも~、なんというか~、全員有望株~、ですかねぇ……」

「あらぁそうなの~? みんな頑張ってるものね~」

 望み通りの回答を出せず、申し訳なさそうに背を丸める蘭子に対して、千里は全く気にしていない様子で手を合わせる。

 しかし、自分で納得がいかないのか、蘭子は力の篭った目でノートを凝視しながら特筆事項を探る。

 その過程で、無意識の一言がこぼれた。

「千里ちゃんも、お家の話がなくたって狙いどころだと思うんですけどね」

 その言葉に、千里は何か引っかかるような物憂げな表情を見せる。

 貴宝院きほういん千里がアイドルをしている理由は、その家柄にある。彼女の母親、貴宝院千世ちせは世界的に有名なオペラ歌手・ヴァイオリニストであり、その一人娘であるということから、千里には何をするにも母の影がつきまとっていた。

 彼女自身、歌や楽器、観劇を好むのは母の影響が大きいことは確かだとわかっている。しかし、興味を持った原因がそれだとしても、数ヶ月に一度しか顔合わせをしない母から教わったものなど無く、音楽の腕は家庭教師をつけてもらい自身の努力で磨いてきたものだ。だからこそ、それらを全て母の成果であるように言われることが我慢ならなかった。豊かな家に生まれたことが大きな差につながったとしても、努力を環境のせいにされることが嫌だった。

 そうして母とは違う自分を探し続けた結果、十九歳にしてアイドルの世界に飛び込んだのである。それも、複数の事務所でオーディションを受け、血筋や環境の話をされようものなら願い下げるという実に豪胆な振る舞いを繰り返し、結果今の事務所に落ち着いた経緯を持つ。

 しかし、そういった特異な経緯や事情、非常に天然で図太い性格であることを省みても、なお釣りがくるほどの歌唱・楽器演奏のスキルがあることもまた確かだ。蘭子の言う狙いどころも、ここに起因する。

今でこそ無名の新人アイドルとしてデビューできたとはいえ、まだその関係に言及されたくはないのだ。

 悲しげな顔を悟られないよう、千里は静かに話題を逸らす。

「私の話はいいのよ~? そうね、深冬ちゃんはどうなの~?」

 唐突に名前を出されたことで、深冬は肩を震わせて驚く。蘭子は慌ててページを捲り、深冬についてまとめた箇所を開くと息を巻いて語り始めた。

「はい! 深冬ちゃんの魅力は、キャラクター性とパフォーマンスの正確さにあります! お話をクーちゃんにやってもらう不思議っ子な一面は、キュートな妹系のお顔と相まって高い人気の元となっていて、それでいていざパフォーマンスを始めると曲の世界に自分もファンも引きずり込む正確無比で洗練されたダンススキルというギャップ! アイドルとして必要なものを取り揃えていながら、他にない魅力も兼ね備えた将来有望なアイドルです!」

「ぁぅ……」

 矢継ぎ早に褒められ、感情がオーバーヒートしたのか深冬は声にならない声を上げて俯く。

 愛内あいうち深冬は事務所内で最年少の十四歳。彼女もまた、一風変わった動機からアイドルになることを決意していた。というのも、彼女は人と話すことが極端に苦手なのだ。人の目を見ることに恐怖してしまい、混乱してうまく話せない。そんな深冬が小学生の時に編み出したのが、パペットのクーちゃんに代わりに喋ってもらうことだった。

 普段の自分とは違う何かに没頭することで、苦手な会話もこなすことができる。しかしそれは、クーちゃんの存在が許される場合の話だ。パペットを持ち込んではいけない場所では、深冬はまた一人に戻ってしまう。それに何よりも、深冬自身が早く一人で話せるようになりたいと切に願っていた。

 そんな中、SNSで偶然見つけたアイドルの「人と話せない性格がアイドルになったことで変わった」という投稿をきっかけに、荒療治としてアイドルを志したのだった。JGPに来たのも、他の事務所のオーディションで口を開けずリタイアしてしまったところを、仕事で訪れていた左枝にスカウトされるという異例の経緯となっている。

 しかし、その動機はどうあれ、深冬の持つ能力は非常に高い。クーちゃんから着想を得て「周りの全てを意識からシャットアウトし、ただパフォーマンスに集中する」という方法で行う表現は、蘭子の言う通り自分自身を中心に曲の世界を展開すると言っても過言ではない独特の美しさを持っている。

 アイドルに向き合う姿勢も自分の成長のためといった部分が多く、そういった面が月乃や稔からも強い信頼を得ていることもまた、彼女の美点と言えるだろう。

 興奮気味に語った蘭子だが、そのまま続けると深冬の方が限界に達しそうなのを見てとり、またも急いでページを捲る。

「あと、寮生で突出したスキルがあると言えば彩乃ちゃんですね。さすがスポーツ一家の末っ子、ダンスのコツを掴む早さはピカイチです! お喋りになると可愛いところが見えるのも萌えポインツ、お年頃成分も多分に摂取できる良いアイドルです」

 拝むように両手を合わせながら、蘭子は噛み締めるように言う。

 出羽いづは彩乃は父親が元体操選手で、その影響を受けた兄二人と姉も様々なスポーツでプロ選手となって、あるいは志している。しかし、そんな家に生まれた彩乃自身は家族と何か違うことがしたいと考え、体力勝負でありながら全く違うジャンルのアイドルを選んで今に至っている。そういった環境で育ったこともあり、運動は大の得意とは本人の弁。中学時代は特定の部活動に属さず、友人らに頼まれて助っ人として練習相手や数の埋め合わせをやっていた、というくらいには体を動かすことも好きらしい。

 当然ながら、その持ち味は運動に対する理解と順応。十人の中で誰よりも動きのコツを掴むのが早く、また体力や敏捷性においても抜きん出たものを持っている。おそらく、誰と組んだとしてもそれに合わせたパフォーマンスが可能だろうという見込みがある分、彼女もまた有望株と言って差し支えないはずだ。

 千里もうんうんと頷いて、特に関心した様子で同意の声を上げる。

「彩乃ちゃんは凄いわよね~、私からじゃどう踊ってるのか全然わからないもの~。やっぱり、アイドルってあれくらい踊れなくちゃダメかしら~?」

「そんなことはないです! アイドル得手不得手というものがありますから、千里ちゃんは千里ちゃんに合った形でパフォーマンスしていくべきです!」

 立ち上がって力説する蘭子に、千里は顔をほころばせる。その様子を見ながら、深冬も密かに微笑んだ。

「うふふ、ありがとう蘭子ちゃん。他には誰かいるかしら~?」

 促され、蘭子はまたもノートを見返す。しかし、ページを捲るその手が途中で止まった。表情も少し引き締まり、これまでとは違う雰囲気を醸し出す。

「……あと、ダークホースが一人」

「『ダークホース?』……ですか?」

 眉間にしわを寄せながら呟かれた言葉に、深冬とクーちゃんが反応する。

「ましろちゃんです」

 告げられた名前に、二人は首を傾げることも、表情を変えることもしない。それは、蘭子の言うことにある一定の理解を示していることの現れだった。

「これ、月乃ちゃんに言うとすごく怒っちゃうと思うんですけど……ましろちゃんは、間違いなく才能の塊、それも暴力的なくらいに「人に好かれる才能」の持ち主です。一見すると天然でふわふわしてますけど、その実努力することをなんとも思わないし、言われたことをすぐに直せるくらいダンスも上手です。それでいて性格は明るく話し上手で現場スタッフさんからも好評、と……まるで主人公みたいって、ひとみちゃんも言ってました」

 蘭子の口調は今までと打って変わって落ち着いており、ましろに対する不確定要素を物語るようだった。

 悠姫ゆうきましろは、天然でどこか掴めない雰囲気の持ち主。しかし、その一方でアイドルとしての才覚は目を見張るものがある。明るく友達も多い普通の少女でありながら、その心には熱い情熱を秘めており、誰よりも高い場所を夢見て努力している。

 笑顔を絶やさないながらも確かな努力を重ねていることから、一期生の中では高い成績を打ち出している。普段の様子だけでは想像がつかないことから蘭子もダークホースと、そして、そんなましろと十年連れ添ったからこそひとみは主人公と称したのだろう。

 盛り上がりを見せていた空気が、少し温度を下げる。少しの沈黙が流れる中、深冬がぽつりと呟いた。

「でも、きっと、ユニット、って……自分が、納得、できるか、どうか、だと……思い、ます。その、才能、とか、より……長く、仲良く、とか」

 視線は足元に向けたまま、あまり大きな声ではなかったが、二人はしっかりとその声を聞いた。

 千里は口角を上げ、もう一度音を鳴らして手を叩く。

「そうね~、仲良くやっていける相手を選びましょ~。さ、食べなくちゃ期限が切れちゃうわ~」

「って、食べちゃダメですって! せめて彩乃ちゃんたち帰ってくるまで待ちましょう!」



 その日の夕方、事務所の廊下で缶コーヒーを話す前野と後藤の元に、ひとみがやってきた。

「お疲れ様です」

「おーひとみん、おつおつー。どうかした?」

「お疲れ様、ひとみ。スケジュール? 仕事の話?」

 丁寧な所作で一礼するひとみに、二人は手を挙げて返す。しかし、再度上がったひとみの顔は引き締まっており、それを見た二人も上げていた口角を下げた。

 ひとみは普段のノートとは違う手帳を取り出し、後藤に向けて訊ねる。

「後藤さんに確認したいことがあって」

「アタシ? ってーと……目星はついたってとこかな?」

 冗談めかして不敵な笑みを浮かべる後藤に、ひとみは「確認事項」を明かす。そして、返ってきた答えをメモにとってから、もう一度頭を深く下げた。

「ありがとうございます」

「お誘っちゃう感じー? その道は険しいぞー」

「やっぱひとみが一番乗りかな? がんばってきなよ!」

 二人に激励の言葉をかけられ、ひとみは強気な笑顔で頷いた。

「はい、誘ってきます!」

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