I do all!
天音 ユウ
1st Season - Brand New Duo
第一話 ジュエリーガーデンプロモーション
夢がある。望みがある。だからこそ明日があって、未来がある。
世界は広くて、上を見上げれば果てしない。そんな中で上を、前を目指し続ける彼女たちのような者を、人は輝いていると言うのだろう。
これは、短い生のごく一瞬。刹那の時を、輝き放つ花盛りの宝石として生きる、少女たちの物語―――
☆
東京都内のスタジオ。灰色の内観に黒い機材が並ぶ中、真白のホワイトバックを背に、正面から眩いばかりの照明を受ける一人の少女を被写体にして、写真撮影が行われていた。丸く開いた目と小顔が明るげな印象を与える少女は、全身のカジュアルファションが映えるように、ハンドバッグを軽く持ち上げた立ち姿で自然な表情を見せている。
真剣な面持ちで少女と向き合う撮影スタッフの後方、入口近くの壁際にもまた、一人の少女がいた。穏やかで理知的な瞳と、スマートなラインの顔立ちが知性を感じさせる少女はノートとペンを手に、撮影されている少女の全身に目を配り、時たまノートを見返したり書き込んだりしている。
そこへ、入口からもうひとり少女が入ってきた。ラフなストリートスタイルのファッションに身を包み、つり目と長いまつ毛が目を引く若々しい少女はスタッフに会釈しながら小声で挨拶し、ノートを持つ少女を見つけると周囲の邪魔にならないよう駆け寄って声をかけてくる。
「ひとみ、お疲れ様」
「
弦音と呼ばれた少女は、ひとみと呼ばれた少女の問いに指で円を作ってばっちし、と答えると、その隣に並ぶようにして立ち、撮影を見学し始めた。
「ましろはファッション誌かー、端っことはいえサマんなってんね」
「うん。ましろのことだから表情作れるか心配だったけど……杞憂だったみたい」
視線を撮影中の少女、ましろに固定しながらも、ひとみと弦音は言葉を交わす。視線を手元と忙しなく移動させるひとみに対し、弦音は肩の力を抜いてラフにましろの衣装やメイクを見ていた。
「あれリップおしゃれじゃね? どこのだろ」
「さあ……そっちはメイクさんに聞いてみないと。今日下野さんじゃないし」
何気ない問答が終わるのと同じタイミングで、カメラマンからOKが出る。スタジオ各所に散らばっていたスタッフたちが集まり、写真の確認が行われた。複数人から肯定的な声が上がったあと、スタッフたちは次々と挨拶の声を上げ、頭を下げる。
「OKです、お疲れ様でしたー」
「お疲れ様でーす」
被写体であったましろもスタッフらに頭を下げ、挨拶するうちにひとみたちを見つけたらしく、ひらひらと手を振りながら笑顔で歩み寄ってくる。
「ひとみ、弦音」
「お疲れ様、ましろ」
「おつかれー、良かったよー」
応えるような笑顔で労いの言葉をかけたあと、真剣な表情に戻ったひとみがボールペンを握って聞く。
「ねぇましろ。撮影中、何考えてた?」
ましろは下を向き人差し指を顎に当て、視線を徐々に上へと持ち上げながら考える。やがて首が完全に上を向いた後、ひとみへ向き直って答えた。
「んーとね、こういう時はどういう気持ちになればいいのかなー、って考えてるうちに撮影終わっちゃった」
「なにそれ」
気の抜けた回答に思わず失笑する弦音に対し、ひとみは笑うことなくましろの言葉をノートに書き留めた。
それから三人はスタジオを後にし、メイクを落として着替えるましろを、残った二人が廊下で待つ形になる。その時間を使ってまたもノートを取り出し見返すひとみに、弦音が何気なく問いかけた。
「さっきの質問、どーゆーイミなん?」
「ん……ましろって、仕事の時に自分がどういう気持ちかっていうのを大事にしてるの。だから、さっきのはどんな気持ちであの表情作ってたのかなと思って」
「したら、なーんも考えてなかったと」
先刻のましろを思い出して肩をすくめる弦音に対し、ひとみは眉をひそめて答える。
「そう。何も考えてないのに、一発でOKもらったの」
その言葉を聞いて、弦音はやっとひとみが顔に浮かべる真剣さの意味を理解する。
今日行われていた撮影のうち、楽器のオンラインショップでモデルをすることになった弦音は、ファッション誌という別の仕事で来たましろよりも早く撮影が始まっていた。そのため、もしも一発OKであればましろの撮影開始にも間に合うスケジュールとなっていたのだ。
しかし、実際のところ弦音はOKをもらうまでに時間がかかり、終わって合流した頃にはましろの仕事も終わりかけというタイミングになっていた。
「そーいや確かに。あーしそこそこ時間かかったのに」
「私も。本職のモデルでもないのに一発なんて、今の私たちじゃとても無理。だからよく見て、本人の心持ちを聞けば何か掴めるかもって」
なるほどと頷きながら、弦音がノートを覗き込む。そこには綺麗な字が読みやすいよう整理されたレイアウトで書かれており、必要と感じたであろう場所にはぎこちないタッチの絵が描かれてあった。開かれたページを一通り見たあと、ある違和感に気が付く。
「ノート新品?」
「うん、三冊目。学ぶことばっかりで、いくらあっても足りないよ」
笑顔で返された言葉にひえー、とおどけるようなリアクションを取りながら、弦音は内心舌を巻く。ひとみの勤勉な性格は理解していると思っていたが、まだそうでもないようだ。
三人がアイドルとしてデビューし約三ヶ月。地道に活動する中で、広告の仕事を少しずつ与えられるようになってきた。地方公演ばかりの生活には、とても大きな刺激でありチャンスだ。
無論、弦音もこれを機に躍進できるよう全力で撮影や公演にあたっているが、それでも自分とは違う形で努力するひとみの姿には度々驚かされている。今日も、自分の仕事とは無関係な撮影に、見学として付き添ってきていたその勤勉さは筋金入りと言えるだろう。
自分も気を抜けないと思った矢先、廊下に人影が増える。スーツを来た二十代ごろの女性で、脱いだジャケットを腕にかけている。
「お疲れー二人共。ましろは着替え中?」
「前野さん。連絡、終わったんですか?」
現れたのは、マネージャーの前野。弦音とましろの撮影開始を見届けたあと、事務所から連絡があって一時的に離席していたのだ。
離席の理由を知っていたひとみの問いに頷いて、前野は問い返す。
「その話はましろが来たらするね。っていうか、撮影終わるの早くない?」
「一発OKだって。やばばじゃね?」
「一発! そう何回もやってないのに、もう撮られるのに慣れちゃったかー!」
誇張やオーバーリアクションでない素の驚きを見せる前野を見て、二人は拳をきゅっと握り締める。ついさっきまで見ていた光景が、自分たちよりもレベルの高いものであったことを改めて思い知らされた気分だった。
そこへ、メイクを落とし私服へと着替えたましろがやって来る。前野を見つけたましろは、まず挨拶をしてから順調な撮影であったことを報告した。
「それで前野さん、何か用事で離れてたんですか?」
「ああそうそう! 今日ひとみが付き添ってくれて良かったわー。このあとみんなスケジュール空いてるでしょ? 他のみんなも今頃は、蘭子が公演やって終わりかな。だから、一度全員事務所に集まって欲しいって。社長から大事な話があるから」
前野の口から飛び出した言葉に、ひとみと弦音は怪訝な面持ちになる。その一方で、ましろは大したリアクションもなく聞いていた。
「社長から、ですか」
「まさかあーしらまとめてクビに……!?」
「なんだろうねー」
それがどのような内容であれ、自分たちにとって重要な話が待っていることに違いはない。三人は思い思いの言葉を口にしながら、前野と共にスタジオの出口へ向かって歩き出した。
☆
関東某所の劇場。まばらに散った十数人が見守る中で、ステージに立つ少女は深く頭を下げた。年齢は十五歳前後、少女らしいポップな衣装と、それが映える大きな眼をした童顔が目を引く。
「ということで! 本日の公演、トリは
人数相当の拍手を受けながら、蘭子と名乗った少女は舞台袖に引いていく。その先には、先に演目を終えたであろう、年上らしき二人の少女が衣装のまま立っていた。うち一人は大学生くらいだろうか、ウェーブのかかったロングヘアと高身長、ハーフのような整った顔立ちがまるで人形にも見え、ヴァイオリンの入ったケースを背負っている。もう一人は高校生ほど、穏やかな顔から不思議と癒される雰囲気が漂っている。身長は蘭子よりやや低い。
「蘭子ちゃんお疲れ様、良かったわよ~」
「お疲れ様、蘭子。ちゃんと完成させられたわね」
「
緊張の解けた様子で、蘭子は長く息を吐く。その手を取って、千里と呼ばれた少女はゆっくりと歩き出した。
「立ち話しててもなんだし、楽屋に戻りましょ~。私もヴァイオリン置かないとだし、着替えないとおちおち歩けないもの~」
「どうぇ、お、おててはちょっと! 今ラン手汗がやばみの極地なので!!」
「どちらにせよ終わったんだから、早く着替えてスタッフさんに挨拶しないとでしょ。急ぐわよ」
「んどぅあ! みのっ、稔ちゃん背中におててが!」
顔を赤くして騒ぎ立てる蘭子を前後で挟み、千里と稔は楽屋まで歩いていく。年季を感じさせる建物の廊下を渡り、静かな楽屋へ戻ると、腰にメイク道具の入ったベルトを装備した二十代半ばごろの女性が中で待っていた。
「三人ともお疲れちゃーん、いいステージだったじゃんね」
「上条さん、ありがとうございます~」
「ありがとうございます」
「あっ、あの、二人共、そろそろおててを離してもらわないと、ランは地球もろとも大爆発寸前なのですが……!!」
事務所お抱えのスタイリストである上条に挨拶を返しながら、三人は自分の荷物が置かれた鏡の前でメイクを落とし、衣装を脱ぎ始める。
メイクを落としながら、ふと千里がどこか抜けた声で問いかけた。
「そういえば、稔ちゃんが言ってた完成した~っていうのは、どういう意味なの~?」
「Bメロに移る時の振りで、勢いあまって足を滑らせがちだったんです。ね、蘭子」
「あ、はい! 一人だと中々改善しなかったもので、稔ちゃんにちょっと見てもらってたんです。おかげで本番はばっちり!」
会話しながらも衣装を脱ぎ、丁重に上条へと渡して私服へ着替える。鞄にしまい忘れた私物がないかどうかを確認して、荷物を持って立ち上がる。最初に準備を終えた蘭子が、上条に向かって勢いよく敬礼した。
「準備完了! 菓蘭子、いつでも事務所に帰還できます!」
続いて立ち上がった稔も、蘭子にならって軽く敬礼のポーズをとり、わざとらしい口調で報告する。
「同じく
まさか真似されるとは思っていなかったのか、またも顔を赤らめて動揺する蘭子を見て、稔はいたずらに微笑み返した。
その一方で、千里は衣装を脱ぐのに手間取っており、二人のやり取りを聞いてゆっくりとした所作のまま慌てるというちぐはぐな状況になり始めた。
「ちょっと待って~! 私もそれやりたいわ~!」
「千里、ゆっ……くり脱いでるわ。うん、なんでもない」
急ぎ始めた千里を上条が諭そうとするが、所作の速度は変わらないことに気付き戸惑いながらも言葉を修正する。
数十秒後、千里も無事に衣装を渡して私服へと戻る。ポーズを取ろうとしてしばらく沈黙したあと、人差し指を顎に当てて振り向いた。
「そういえばどんなポーズか見てなかったわ~、もう一回やってくれる~?」
「え、あ、はい! こうです!」
千里の天然ぶりと蘭子の生真面目な対応に、稔と上条は思わず笑ってしまった。やっとのことで、千里もゆるく敬礼する。
「は~い、
「はいはい、でもちょい待ってね。後藤ちゃんがさっき電話来て離れてんだ」
上条の言う通り、本来この場にいなければいけない人物は一人足りていない。そう言えば、と三人が顔を見合わせていると、楽屋の扉がノックされ、開くと共にその当人であるマネージャーの後藤が姿を現した。
「はいお疲れー。電話しながらだけど見てたよ。らんらん足滑んなくて良かったね」
「後藤さん、お疲れ様です」
「後藤ちゃんおかえりー。仕事の連絡? カレシのラブコール?」
「社長から集合コール」
労いの挨拶を交わしながら、後藤と上条は軽快なやり取りで離席の理由を確認する。社長からの集合、という話にアイドルたちの視線は一気に後藤へと注がれ、和やかだった楽屋に緊張が走った。
しかし、当の後藤はそんなことも一切気に留めず話題を変える。
「あ、そうだ。さっきすれ違ったお客のお兄さん、ちさとんのこと気に入ってたみたいだよ、ヴァイオリンの子が良かったって言ってた」
「あら~そうなの? 嬉しいわぁ」
「って、社長の話はしないんかいっ!」
焦らすような話の転換と素直に喜ぶ千里を見て、蘭子が勢いよく左手を出しながら突っ込みを入れる。それを見た後藤は、満足そうに頷いてから話を戻した。
「今言っとかなきゃなと思ってさ。んで連絡なんだけど、今日このあと事務所に全員集合しろって。ここにいる三人以外はみんな都内だから、ちょい飛ばして帰るよ」
「全員集合……何かある、って考えるのが普通よね」
「みんな頑張ってるから、褒めてもらえるんじゃないかしら~」
詳細の見えない指示に何らかの意図を感じ取る稔に対し、千里は楽観的な予想を立てる。それがどういった意図の指示であるにせよ、今の彼女たちが取るべき行動は一つだ。
上条と後藤は手早い動きで荷物をまとめ、蘭子は指差し確認で自分以外が何か忘れていないかを確認する。
そうして撤収の準備を済ませると、五人は楽屋を後にした。
「挨拶だけパッと済ますよー」
「了解です!」
「は~い」
☆
東京都内、レッスンスタジオ。暖色の照明の下、一面が鏡張りになった部屋で二人の少女がダンスレッスンを行っていた。一人は鋭い目つきとスマートなボディラインが冷たい印象を与える少女、もう一人は快活ながらどこか大人びても見える顔つきをしている。
二人の動きはまるで正反対であり、方や滑らかな動きで扇情的に魅せる振りと、方や緩急のはっきりした動きで激しく主張する振り。まったく違う振りを、当然ながら合わせるわけもなく、己と向き合うように鏡の中の自分と対峙している。
やがて、振りがクライマックスに差し掛かり、最後の決めポーズを取る―――というタイミングで、少し離れた位置に置かれたスマホからアラームの音が響いた。二人は動きを止め、糸が切れたように姿勢を崩す。
「タイムアップ。お疲れ~
「お疲れ様、
アラームを止めスポーツドリンクを飲む恭香と呼ばれた少女に、月乃と呼ばれた少女は言葉を返しながら同じようにスポーツドリンクを口にする。恭香はボトルを口から離すと、大きく息を吐いて伸びをした。
「ん~~っ! まーね、ギター演奏だけじゃファンのみんなも物足りないだろうし、何よりアイドルは踊らないとだし!」
「そういうものかしら」
「そういうもんだよ。あとは私が体動かすの好きだから」
レッスンで体に走る痛みすら気持ちいいとでも言うように、恭香はストレッチを始め、追ってストレッチを始めた月乃と会話を続ける。
「そういや、最近誰かとオフで遊んだりしたー?」
「いいえ、特にないわ。稔が映画に誘ってくれたけど、休みが合わなかったし」
「なー、るほど、ね。私こないだ、
リズムよく前屈しながら発された言葉に、月乃は口角を下げ少し怪訝な顔つきになる。それに気づいてか気づかずか、恭香はそのまま話を続けた。
「途中ましろがガチャガチャ見つけて吸い寄せられちゃってさー、なんとなーくみんなで回してたら千五百円くらい使っちゃったんだよねー。いやー魔力魔力」
「……そう」
「んで、結局ましろがコンプするまで回して三千円もかけちゃったもんだから、途中から彩乃が必死で止めてさ。聞いてはいたけど……」
話しながらふと月乃の顔を見て、恭香は言葉と動きを止める。そして、何事もなかったかのようにストレッチを再開すると共に、少し穏やかな口調で話題を変えた。
「っていうか、レッスンの話しなくちゃ駄目か。月乃、さっきの振り見てて気になるとこあった?」
「急ね。私もちゃんと見てたわけじゃないけど、そうね。手持ち無沙汰みたいに腕がぶらついてるように見えるところがあったから、一度自分で撮ったのを見返して、意識する場所を変えてみたらどうかしら」
唐突に振られた話にも驚くことなく、月乃は顎に手を当てて数分前の恭香を思い出し、印象に残った場所から順に言葉を返す。その顔つきが変わったのを確認して、恭香は密かに微笑んだ。
やがて、ストレッチを終わらせた二人は汗を拭いながら、部屋を出るため荷物に向かって歩き出す。その途中で、恭香が思い出したように問いかけた。
「そうだ、月乃この後ヒマ?」
「ええ、今日はもう何もないけど」
その返答を聞いて、恭香は笑顔で月乃の顔を覗き込む。
「んじゃさ、二人でどっか食べに」
「お、二人共。レッスンお疲れ様」
そこへ扉が開き、スーツ姿の男性が姿を現した。歳は三十路前後といったところだろうか、脱いだジャケットを被せた鞄を小脇に抱えている。
予定になかった来訪者に、二人は不思議そうな表情で顔を見合わせてから挨拶を返した。
「左枝さん、お疲れ様です。何かあったんですか?」
「ん、ああ。社長直々に連絡があってね。悪いけど二人共、これから事務所に来てほしい」
「仕事の話ですか」
プロデューサーの左枝は、月乃の言葉に頷き返す。
「これから全員が事務所に集まるように、とのことだ。稔たちが地方公演に行ってるから、あんまり急ぐ必要はないけど、今から戻ってもらってもいいかな」
「わかりました。ちゃちゃっと着替えちゃいますね」
「ありがとう。ロビーで待ってるから、ゆっくり着替えてきてくれ」
短い会話で連絡を済ませると、左枝は荷物を持ってスタジオを出る二人を見送り、中に何もないことを確認してから扉を閉めた。
更衣室へ向かいながら、恭香は隣を歩く月乃に問いかける。
「社長直々に全員集合だって、なんだろね」
「さあ。何か大きな仕事でもあるんじゃないかしら」
「それだったら嬉しいなぁ、みんなで挑む仕事なんて絶対楽しいもんね!」
顔をほころばせる恭香に対し、月乃はどこか浮かない顔で少し間を開けてからそうね、と一言返した。
そのまま少し歩く速度を早め、先を行く彼女を見ながら、恭香は口角を下げて悩ましげに呟く。
「……やっぱましろかぁ。これは難儀だぞ」
☆
都内の一角に、七階建てのビルを一棟構える芸能事務所がある。ジュエリーガーデンプロモーションと名を掲げるそれは、建物の大きさとは正反対に昨年立ち上がったばかりの新設芸能事務所であった。
社員数も少なく、所属タレントは十人。更にそのどれもが新人アイドルという事情は、社屋ビルの前を通る人間に想像することはできないだろう。
そして、そのビルの裏手。所属タレントのために用意された三階建ての寮がある。現在は五人の少女たちが帰る家となっているその場所を、一人の少女が訪れていた。癖のあるロングヘアに包まれた顔は、不安を映したかのような薄幸げなものだ。
背筋を丸めた少女は、小動物のようにそそくさとロビーを抜けて階段を上がり、二階の廊下に到達するとある一室の前で止まる。
そして、手元のスマホとドア脇の表札へ視線を往復させると、恐る恐る手を伸ばし扉を三回ノックした。
「はーい!」
中から元気な声が返ってきたことを確認すると、少女は素早く一歩下がり、鞄の中からイルカのパペットを取り出し左手にはめた。それを顔の前に出したところで、扉が開く。出てきた少女は、ショートカットに活発さの見える顔つきをした、アイドルというよりもスポーツ少女といった印象の持ち主だった。
「あれ、
「『こんにちは、彩乃。事務所から連絡が来てたけど、見てる?』」
パペットのクーちゃんで顔を隠しながら、深冬と呼ばれた少女は腹話術で問いかける。対する彩乃もそれを全く気に留めず言葉を返した。
「え、うそ! ごめん音楽聴いてたから全然気付かなかったかも! みんな来てる感じ?」
「『うん。事務所にみんなで集合なんだって。みんなが来る前に準備しちゃおうよ』」
クーちゃんの言葉にありがとー、と手を振って返すと、彩乃は外へ出る準備のために一旦扉を閉めた。深冬は扉の閉まる音をしっかりと聞いてから、クーちゃんをはめた左手を下ろし、右手で胸を撫で下ろす。
「ふぅ……」
加速していた心拍が、少しずつ収まっていく。合わせて呼吸を整えて、緊張を徐々に和らげる。
大丈夫、うまく話せた。大丈―――
「お待たせー!」
「ひぇゅ!?」
「うお、あ、ごめん! びっくりさせちゃった?」
予想だにしない早さで開いた扉と、まったくの油断に大きな声をぶつけられたことで、深冬は目を白黒させて腰を抜かす。
彩乃としては、服装に問題が無かったため鞄を掴んでスマホをポケットに入れ、すぐに準備が済んだ、というだけの話なのだが、相手が悪かったようだ。深冬を刺激しないよう、労わるように手を差し伸べる。
「大丈夫、立てる?」
「は、ぁ、ぁう、すみ、すみましぇ」
「ごめんごめん、思ったよりすぐ出れる状況だったからさ。ほら、ゆっくりゆっくり。お尻痛くない?」
彩乃の右手を握り返してどうにか立ち上がると、深冬は絶え絶えの息を必死になって整える。数十秒かけて人心地を取り戻し、視線をあちこちに泳がせながら彩乃に謝った。
「あ、あの、すみま、せん、でした」
「あたしは大丈夫大丈夫! 深冬の方こそびっくりしちゃったでしょ、水とか飲む? っていうか、クーちゃんに話してもらわなくて大丈夫なの?」
言われて初めて気付いたらしく、深冬は慌ててクーちゃんを構え、先ほどのように流暢に話し始めた。
「『思ったより早くてびっくりしちゃったみたい。もう大丈夫』……です」
「そか。じゃあ事務所行こっか」
深冬の右手を握ったまま、彩乃は寮の出口へと歩き出す。深冬は少し驚いたのを顔に出さないよう努力しながら、彩乃に連れられていった。
「けど全員集合かー。何があるんだろね」
「え、あ、『うーん、なにか大きなお仕事かなぁ』」
寮を出て歩くこと一分。正面から事務所に入ってロビーを通り抜け、奥にあるエレベーターに乗る。他に誰か乗らないかと廊下を見渡していると、眼鏡をかけたスーツ姿の男性が見えた。男性もこちらに気付くと手を振りながら小走りでやって来る。
彩乃は「ひらく」のボタンを右手で押しながら左手で手を振り返し、男性が乗ってくると三階のボタンを押すと共に挨拶した。
「右城さん、お疲れ様です」
「おつっ、『お疲れ様です!』」
「ああ、二人ともお疲れ様。今みんなに連絡が行ってるはずだけど、蘭子たちが戻ってくるまで少し時間かかるかな? 少しゆっくりしてることになりそうだな」
プロデューサーの右城はスマホ片手に、現在の状況を確認しながら言葉を返す。彩乃もスマホを取り出すと、SNSのメッセージ欄を確認した。
「えーっと、ましろと弦音の撮影が終わって、今ひとみと一緒に帰ってる途中、だそうです」
「ひとみはまた自分から見学か……凄いな」
「自分がいないとましろがスケジュール忘れるって、こないだ言ってましたよ」
他愛もない会話を交わしているうちに、エレベーターが三階へと到着する。三人は廊下に出てしばらく歩き、途中に設置されたベンチの前で右城が立ち止まった。
この階の最奥には社長室があるが、人数も揃わないうちから入るわけにはいかない。
「よし。それじゃあ、もう何人か集まるまでここで待っててくれるかな? 自由待機ってことで」
「了解です!」
「は、いっ!」
敬礼と共に大きな声で返事する彩乃と、目こそ合わせないものの精一杯の返事を絞り出す深冬を見て、右城は頷いて懐から財布を取り出し、五百円硬貨を彩乃に差し出した。
「これで何か飲み物でも買って待っててくれ」
「え、いや悪いですよ! あたし財布持ってるし! ねぇ?」
「ひゅっ、は、え、『そうですね。大丈夫ですよ』」
驚いた勢いのままに話を振られ、深冬は目を白黒させながら狼狽えるが、なんとかクーちゃんを顔の前に出して事なきを得る。右城は困ったような苦笑をこぼして硬貨をしまうと、今度何か奢るよと言い残して先に社長室へと消えていった。
去っていく背中を見送りながら、彩乃は息をついて深冬へと目をやる。
「いやー、びっくりしちゃったね」
「は、ぁぅ、はい……で、でも、あの、ああいう、時、って……こ、断るのも、失礼、だっ……て、聞いた、こと、ぁ、あります……」
「え、マジ? あたし、もしかしてやらかしたかな……」
頭に手を置いてばつの悪そうな顔をする彩乃の横を通り抜け、ゆっくりとベンチにかけた深冬は限界とでも言うように深く息を吐く。それを見た彩乃は、顔を覗き込まないよう心がけながら、思い出したように言った。
「あ、なんか飲み物買ってこようかな。深冬とクーちゃんはいる?」
「あ……『僕は大丈夫。深冬には、お茶かスポーツドリンクをお願いできるかな』」
「おっけ! 超特急で買ってくるから任しといて!」
笑顔でサムズアップすると、彩乃は小走りでエレベーターへと引き返していく。廊下でひとりになった深冬は、小動物のような動きで周囲に人影がないことを確認してから、左手にはめたクーちゃんと向き合った。
「だ、だめだったかな? 『ううん、大丈夫。言うべきことを言っただけだよ』そう、だよね……彩乃さんも、わかってくれるよね『自信を持って。みんな優しい人なんだから』」
呟くような声で話していると、エレベーターの扉が開く。肩を跳ねさせて視線を移すと、彩乃と共に恭香と月乃がエレベーターから降りてきた。まず彩乃が小走りで彩乃に近づき、スポーツドリンクのボトルを渡してくる。
「はい深冬、おまたせ~」
「は、早かっ、た、です……ね。ぁりが、とぅ、ござぃ、ます」
ボトルを受け取りながら、小さな声で礼を言う。すると、続けて恭香が手を振りながら歩み寄り、隣に座ってきた。
「やほー深冬。早いね!」
「ぁう、『こんにちは恭香。月乃もお疲れ様』」
「ええ、お疲れ様。深冬たちはオフ?」
クーちゃんが胸ビレを振りながら挨拶を返すと、月乃も笑顔で対応し柱に背を預けた。その質問には、彩乃が嬉しそうに手を叩いて答える。
「はい! 深冬たち、ここ来る前に寮まであたしのこと迎えに来てくれたんですよ!」
「あら、そうなの。やるじゃない」
月乃が関心した様子で微笑みかけると、深冬は白い肌を少し紅潮させて目を逸らした。その隣で、恭香は足を組み膝に頬杖をついた姿勢で彩乃に訊ねる。
「彩乃は今日何してたの?」
「あたしですか? 普通に部屋で音楽聴いてました。夢中になってたら、右城さんからの連絡気付かなくて」
笑って答える彩乃と、それに笑い返す恭香に割って入るように、月乃が軽く釘を刺す。
「通知はしっかり確認しないと駄目よ。特に今日は緊急だったから、見逃してたら問題になるわ」
「すいません、気をつけます」
彩乃が少し頭を下げたのと同時、エレベーターの扉が開く。四人の視線が吸い寄せられた先に、ましろたち三人と前野が現れた。
まず初めに、弦音が彩乃へ手を振って駆け寄り、ハイタッチする。続いて恭香がましろに手を振ると、ましろも手を振り返しながら歩いてきて恭香の隣に腰掛けた。最後にひとみが挨拶を交わしながら月乃と深冬の間で立ち止まる。前野はというと、挨拶を交わしてすぐに社長室へと入っていった。
「ましろ、撮影どうだった?」
「楽しかったですよ。衣装も可愛かったし」
「そーそー! 聞いてよ恭香さん、ましろ今日の撮影一発OKもらったんだよ! やばばのばじゃね!?」
「一発か! やるじゃんましろ、やばばだねー」
興奮気味に話す弦音たちとは反対に、月乃は落ち着いた調子でひとみと言葉を交わす。
「ひとみも撮影だったの?」
「いえ、私は見学に。実際に現場で見ればわかることもあるかなと思って。それに、私が」
そこまで話したところで、何かに気付いたようなはっとした表情でひとみは言葉を切った。月乃と深冬が疑問を顔に浮かべるが、一拍の間を置いて話を再開する。
「……私が同じ仕事をする時、スタッフさんに迷惑かけるわけにはいきませんから」
「いい心がけね。あなたのそういうところ、私は好きよ」
満足そうに頷く月乃を見て、ひとみも微笑み返す。その様子を見て、深冬も密かに口角を上げた。
その一方で、恭香たち四人も楽しげに話を続ける。話題はましろから弦音の仕事に移ったようだ。
「でもいいなー弦音。私もギターの宣伝モデルやりたい」
「恭香さん、撮影苦手だもんねー」
「そうなんだよねー。弾いてるとこプロモ動画にする! とかなら喜んで受けるんだけど、じっとしてるとこ撮られるのはまだ慣れないなあ」
他愛もない話をしながら笑う恭香の横で、ましろが彩乃のスマホを見て指をさす。そのカバーには、小さな熊が座るようなポーズをとった、水色のキーホルダーが付けられていた。
「彩乃、早速それ付けてるんだ」
「うん! あたし、一応イメージカラー水色だし。せっかく同じ色当てたならって」
「似合うよー、わたしも今度付けて来ようかな」
柔らかな笑顔のましろと、エネルギーの垣間見える元気な笑顔を見せる彩乃。そんな様を見て羨ましくなったのか、弦音が彩乃に抱きついた。
「なんなん~、あーしも混ぜてよー。みんなでおそろすんの?」
「わっ、とと。黄色もあるよ、よかったらいる?」
「ま? いいって言うならもらっちゃおかなー♪」
「あ、じゃあわたしがあげるよ。黄色四つあるから」
ましろの口から何気なく放たれた言葉に弦音が違和感を覚え、彩乃と恭香がすっと目を逸らしたタイミングで、またもエレベーターの扉が開く。全員の視線を一手に受けながら、最初に廊下に出た蘭子がキレのある動きで敬礼した。
「お待たせ致しました! 公演組、ただいま帰還です!」
「おまたせ~。みんな待ったかしら~?」
「大丈夫大丈夫、安全運転でふっ飛ばしてきたから」
蘭子に続いて千里と後藤が姿を表し、更にその後ろから稔と左枝が現れる。一斉に立ち上がり挨拶の言葉をかけるアイドルたちに、左枝は簡潔に伝えた。
「みんなお疲れ様。一応、段取りの確認だけするから、もう少しだけここで待っててくれ」
「心配せんでもそう待たせないよ、ほい左枝っちキリキリ歩く~」
後藤に背中を押されながら、左枝もまた社長室へと消えていく。二人の背中を見送ったあと、暫しの沈黙を破ったのは弦音だった。
「結局、何の用なんだろね」
「うーん……何か大きな仕事とか、事務所全体のPRで何かするとかじゃない?」
「そうですね。まだ私たちも新人ですし、売り出すために何かイベントに出る、とか」
現在、ジュエリーガーデンプロモーションに所属するタレントは新人アイドル十人。それを厳密に分けると、一期生が七人とその前にデビューしたゼロ期生が三人。更に言えば一期生のうち六人がオーディション合格による採用で、残った一人とゼロ期生の計四人がスカウトされる形で所属している。
現在の暦は四月。今年の一月にデビューした一期生は、まだ三ヶ月しかアイドルとして活動しておらず、先んじてデビューしたゼロ期生の三人も昨年の十一月から、つまりまだ半年しか活動していない真っ新な新人なのである。
にも関わらず彼女達の双肩には、新設されたばかりの事務所を背負って立たなければいけない責任がのしかかっている。もし全員のプロデュースが失敗すれば、それはつまり事務所そのものの事業失敗につながってしまうのだ。
そういった事情まで含めて省みると、恭香やひとみの言った事務所の宣伝活動やイベント参加による知名度向上のために集められたと考えるのも自然なことと言える。
ひとみの次に言葉が発されるより先、社長室の扉が開き、左枝が顔を出した。エレベーターから降りてきた時とは正反対に、電流のような緊張感が十人の間に走る。左枝が普段と変わらない様子で扉を開けると、奥の社長室が見えた。
「それじゃあ、みんな入ってくれ。さすがに人数分の椅子はないから、立っててもらうことになるけど」
促されるまま、少女達は最奥の部屋へ足を踏み入れる。社長室とは言っても飾り気は少なく、一人用にしては少し大きな机と、おそらく普段はそこにないものであろうホワイトボードが目を引く。普段は来客用に使われているソファとテーブルは部屋の端へ寄せられ、十人が立つスペースが確保されていた。
机の右には右城と前野、左には後藤と扉を閉めて歩いてきた左枝が構え、その中心で一人の男性が猫を撫でている。
この事務所の社長である宝多と、そのペットのルビーだ。
「お疲れ様。まず唐突に呼び出してすまない。だが、今回のことはどうしても速やかに話しておきたくてね」
宝多は撫でる手を止め、笑顔でアイドルたちに語りかける。ルビーは何かを察したように、机から飛び降り誰にも見えない位置で体を丸めた。
「君たちに集まってもらったのは他でもない、仕事の話だ。私のツテで早いうちから確保した話なんだが、今年の末に新人アイドルを対象とした大型のオーディション番組が予定されているんだ。右城くん」
合図に合わせて、右城と前野がホワイトボードを回転させる。隠れていた面には、大きく『新人アイドル デュオユニットオーディション Brand New Duo』の文字が書かれていた。
「Brand New Duo……これを制したアイドルには、年明けの歌番組『新春うたフェス』でパフォーマンスする権利が贈られる予定となっている」
告げられた報酬に、息を呑む音が幾つか聞こえる。『新春うたフェス』と言えば、一月初旬に行われる大型の歌番組だ。当然、そのステージに立つには並々ならぬ話題性や認知度が必要とされ、アイドルで言うならば大型事務所の国民的アイドルばかりが出演するような場所である。その出場権がかかっているという情報は、オーディションがどれだけ大規模なものかを証明するに余りあるものだった。
「優勝すれば名前を売るまたとないチャンス、そうでなくても、準決勝の結果発表からは年の瀬にテレビや各種配信サービスで生放送される。これを利用しない手はないと私は思っている。だから君たちには、このオーディションに全員参加してもらう」
「ぜ……」
「全員……ですか」
十人全員での参加。それが意味するところは、今この場にいる仲間たちも打倒すべきライバルになるということ。
しかし、少女たちの懸念点はそこではない。大型イベントに大きな報酬、そこで名を売るための全員参加。そこまでは急な招集ということもあり飲み込めた。だが、ホワイトボードに書かれた文字は『デュオユニットオーディション』。
「そして、ボードを見てもらえばわかると思うが、このオーディションはデュオユニット……つまり二人一組でしか参加することができない。よって君たちには、これから二人組のユニットを組んでもらう」
緊張が走る。つまり、今ここにいる十人は、二人ずつ五つのユニットに分けられ、その状態で大型のオーディション優勝を目指さなければならない、ということだ。
誰か一人が味方になる。それを理解した者から、宝多に視線を向けていく。
「そしてユニットの組み合わせだが―――」
宝多はそこで一度言葉を切り、自分に向けられた視線をひとつひとつ確認してから再度口を開いた。
「君たち自身で決めて欲しい」
静寂。今の今まで真剣な表情を向けていた少女たちは、戸惑いを隠せない様子で固まってしまった。
通常、複数人のアイドルでユニットを結成するのであれば、その組み合わせは事務所側が決めるものである。それはただの少女にアイドルという箔を付けて売り出している事務所として当然の権利と責任であり、所属アイドルはその点において従う側だ。
「無論、こちらにも意見はある。仕事として、しっかりとオーディション優勝を狙っていけるようなユニットで無ければ結成は認めない。ただ、この事務所の方針として、今回だけは君たち自身に背中を預ける相手を選んでもらいたい」
その”方針”にどんな意図があるのか、意味があるのか。それを推し量るだけの余裕は、今の彼女たちにはなかった。予想外の要求にただ戸惑い続ける少女たちを前に、宝多は念を押すように言い切った。
「期限は八月末日。それまでに、最も輝ける相方を見つけて欲しい……期待しているよ」
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