古傷 04
「――だからのう、結局のところ歴史なんぞはほとんど捏造なんじゃ」
鈍い音と共に酒杯をテーブルへと叩きつけて、デーグはそう管を巻く。隣の席の旅人が、嫌な席に座ってしまったとでも言いたげにちらりと見たが、デーグもワズも周りに興味が無いので気づかなかった。
ワズがデーグの店に通うようになって数日が経った。
ネデリスは他にも用事があるらしく、店に居る時もあれば居ない時もある。今日は居ない日だったので、日が落ちてリュトレンゼの屋敷に帰ろうとしていたワズは、デーグに首根っこを捕まえられて食事をする店に来ていた。胃袋を殴りつけるような豪快な料理が出てくる、大衆向けの酒場だ。ネデリスはとしごろの女なのでこういう店には連れて来ないらしい。理由を問えば、危ないからだという。よく分からないが、デーグが言うのでワズもそういうものなのかと納得することにした。
「完全に悪でしかない人間もいなければ、完全に善である人間も居らん。政や戦にとっても同じことよ。受け取る人間一人一人にとっての利益不利益があり、善悪があり、好悪がある。それをもっともらしく書いたのが歴史書なんじゃ」
皿の上の大きな肉をフォークで突き刺し、老人は豪快に齧り付く。咀嚼するとその口元を覆う白い髭がもさもさと揺れるが、不思議とそこには汚れ一つついていない。気になるのか、先程の旅人がちらちらと見ていた。
「何でそんなことをする?」
「書くのが人間である以上、どうしたって個人の視点や価値観で歪みは出てくるもんじゃ。完全に歪みを持たん人間なんぞ、産まれたばかりの赤子くらいじゃろうて」
ワズも真似して肉に齧り付く。案の定脂まみれになった口元をそのままに話を聞いていれば、拭け、と話の合間に布を投げつけられた。酒を呷ったデーグが話を続ける。
「特にわしの専門は魔術史じゃからの。それこそ偏見まみれじゃ。300年近く前に古い魔術大国が滅んでからは、魔術士、特に魔女ではない流れ者への風当たりは強い」
「かぜあたり?」
「魔術士にとって生きづらい世になったということじゃ。かの国が滅んでから、魔術士には後ろ盾が無くなった。特に魔術士の減少が明らかになって以降は、どの国も手段を選ばす躍起になって魔術士を手に入れようとした。おかげで今では各国の魔女くらいしか知られている魔術士はおらず、他の魔術士にあまりいい印象はない。自分勝手に力を振るう粗暴者としてな。そう国が印象操作したんじゃ。まあ、魔術士なんぞ今じゃほとんど滅んどるがな」
「そうなのか」
「まったく、けしからん話じゃ! なぜ力があるからといって必ずしも他人のために振るうことを求められる? 自分の力を自分のために使うことなんぞ、人間の常だろうに」
苛立ちをぶつけるように肉に齧り付いたデーグは、それを酒で流し込んだ。大きく息を吐いて声のトーンを落とす。
「……魔女という制度も、わしはいいとは思っとらん。魔術士一人に国を背負わせるなんぞ何を考えとる。散々に頼っておきながら、挙句の果てには国の不始末を押し付けて罪人扱いなんてこともある話じゃ。全くけしからん」
「何で声を小さくした?」
「表立って言えることではないからじゃ。この国は比較的寛容ではあるが、誰がどこで聞いているとも限らんからの」
そこまで言って、デーグは腕を組み目を閉じる。先程までの勢いが嘘のように大人しくなった老人を真似して、ワズも目を閉じてみた。他の客の話し声、食器のぶつかる音、足音、料理の匂い、温い空気。目を開ける。
「どうして魔術士は人間よりも強いのにやり返さない?」
「……さあな。それこそ、魔術士たちに聞かねば分からんじゃろうて」
残りの酒を喉奥に流し込み、老人は席を立った。
***
「やり返す? 何の話だ?」
寝台の上に寝そべっていた少女は、ワズの質問に目を丸くした。
「歴史書を読んだ」
「………………ああ、なるほど」
手の中で弄んでいた術式を消して、ユーアは伸びをしながら身を起こす。寝台から白い足を下ろし、少女は彼の隣に並んで座った。
「どんな名前の本を読んだんだ?」
本の題名をいくつか並べると、定番だなと返された。意味がよく分からずに首を傾げるが、ユーアは構わず言葉を続ける。
「魔術士はやり返さないわけじゃない。だが、やり返すだけの力を持つ魔術士の記録は残らない。魔術の痕跡を読み取れるのは魔術士だけだし、たとえ目の前で起こったとしても目撃者は記憶を弄られるか殺されるかだからな」
「……その考えはなかった!」
「うわ」
謎が解けた興奮のままに伸びてきた両腕に捕えられ、ユーアはいつも通り膝の上に抱え込まれる。
「もう寝たいんだが」
「寝ていいぞ。おれが朝まで抱えてる」
「リュトレンゼにお前ごと燃やされそうだから嫌だ」
放せ、と軽く手首を叩かれ、ワズは拒否を示すように抱きしめる力を強めた。
「最近ユーアはリュトレンゼとばかり一緒に居る。おれにも構え」
「子供か」
呆れた声には答えず、ワズは猫か何かのようにぐりぐりと項に額を押し付ける。しばらくそうしていれば、肩を竦めたユーアが先程よりも強めに手首を叩いた。
「わかったから、一度放せ」
「……」
渋々と腕を解けば、少女はワズの膝から降りて振り向いた。その手で彼の顎を掬いあげて、水底と同じ色をしたワズの目をじっと覗き込む。背後にある窓から差し込む月明かりが、その目を銀色に光らせた。
「……まだ早いか」
「何がだ?」
「気にするな。ほら、来い」
少女は寝台に上がって両手を広げる。目を輝かせたワズがそこに飛び込めば、二人分の体重を支える寝台が軋んだ。大きな体の下敷きにされて思わず呻き声を洩らしたユーアは、注がれる期待の眼差しに気づくとその頭に両手を伸ばす。犬のようにわしゃわしゃと撫でくり回されて、ワズは顔を綻ばせた。
「……やり返さないというのもあながち間違いじゃない」
手をとめないままにぽつりとユーアが呟く。蕩けた頭で少し考え、さっきの話の続きだと分かった。
「今の魔術士は昔に比べればずっと大人しくなった」
「何でだ?」
「時代が変わったから。魔術士の時代は終わり、人間の時代がやってくる。私たちはやがて消えていく。私たちはそれを理解している」
いつの間にかユーアの手が離れていたことに気づく。ワズがこちらを見たことを確認してから、少女はひらひらと手を振った。
「終わりだ。私は寝る。お前も寝ろ」
「ユ、」
目の前にいた少女の姿が消える。きょろきょろとユーアを探せば、ここがワズに宛てがわれた屋敷内の一室だと気づいた。どうやらワズの方が転移させられたらしい。あまり話を聞かないと怒られるので、ワズは大人しく寝台に横たわって眠るふりをする。
眠気を知らない彼の頭の中には、ユーアの言葉がずっと木霊していた。
***
「ワズさんは明後日の予定は空いていますよね!?」
部屋へと足を踏み入れるなりそう声を掛けられ、ワズは目を丸くした。その両肩をがっしりと掴むネデリスは、にっこりと笑っているが妙に圧力がある。
「ね? もちろん空いてますよね? ね?」
「ネデリス、せめてまともに説明せんか」
「先生に断られたから切羽詰まってるんですが!?」
いつもの椅子に座るデーグに窘められ、彼女は渋々と手を離す。大きく深呼吸をして椅子に座り直したネデリスは、ワズにも座るように促して話し始めた。
「私の保護者は貴族の家系の方なのですが、仕事が随分と忙しいらしく、代理として明後日の式典に出てほしいと言われているんです。ただこの国では公式の場には男女一組で出る不文律があるそうでして、本当は先生に出てもらいたかったんですが……」
一度言葉を区切り、ネデリスは隣の老人に視線をやる。デーグは紙束に何かを書きながら口を開いた。
「貴族のなんちゃらに付き合ってられるか。そんな暇があったら研究するわい」
「と、いうわけなんです。なので代わりに出てくれませんか?」
「しきてんって何だ?」
「明後日に城で開かれる建国記念式典です。建国を祝うのは形としてだけであって、実際は貴族や王族の交流の場という面が大きいそうですが」
「……?」
知らない言葉で知らないことを説明されたので、何から聞くべきかとワズは腕を組んで考え込む。その姿に、ネデリスは慌てて手を振った。
「と、とりあえず、ワズさんは私の近くに立っていてくれれば大丈夫ですよ! 出席さえすればいいと言われていますから、長居するつもりもありません。ああいうの好きじゃないですし」
「立ってればいいのか?」
「立ってるだけです! だからどうか……その」
ネデリスはそこでこれでもかというほどに顔を顰める。
「……ワズさんが無理だと、私の……お、弟を頼るという最悪の事態になってしまう可能性が低からず存在しまして……」
「弟がいるのか」
「あんなのが血縁なんて認めません! 私にとって歴史は人生そのものです。それを、それをあの男は……っ!」
「ネデリス、今度物を壊したら一月出入り禁止じゃぞ」
「壊してません」
ギリ、と歯ぎしりをしていたネデリスは、デーグに注意されると両手を膝の上に置いてすっと表情を消した。平静を取り戻すためなのか、目を閉じてゆっくりと深呼吸をしている。それを横目にしばらく考えていたワズは、ひとつ頷いて口を開いた。
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