19 こずえと井上 ――世話焼きたちの憂鬱①――

 削り節が、鉄板の生地の上でふわふわと踊る。

 窓から見える牡丹雪は、休みなく降り続いている。こずえは、冷えたふくらはぎを何度かさすった。

「雪が降ると、すぐ電車が遅れるから困るよね」

 テーブルの向かいで、井上がお好み焼きにソースをかける。

「大阪には帰れそうですか?」

「いんや、もう一泊することにした」

「諦めるの早くないですか」

 こずえは豚玉を切り分けた。

 初めて会った日――プラットホームで連絡先を交換した日――から、二人はたまに会うようになっていた。だいたい井上が帰省したときに、こずえを呼び出す形になっている。

 向陽高校の寮生活をしているこずえは、いそいそと外出許可を申請する。なぜなら、樹里が入り浸っている部屋の主――水谷恭平――の話が聞きたいからである。

「なー、樹里ちゃんと恭平って、最近どうなん?」

「それを聞きに来てるんですけど……あ、私が井上さんと会ってるの、水谷さんには言わないでくださいよ」

「言わない言わない。秘密っていいよねー」

 井上は満面の笑みでヘラを掲げた。こずえはお好みソースを逆さにして、生地にすいすいと線を描いた。

「まあ、樹里が言うには? ずっと水谷さんの部屋でデッサンしてるみたいですけど」

「え? それってどんなプレイ?」

「あほですか。スケッチブック見せてもらったけど、水谷さんちの家具がすごくかっこよく描かれてましたよ」

「ちょっとー、俺が聞きたいのはそういうのじゃないんだけど」

「水谷さんが淹れてくれるコーヒーは、とても美味しいそうですよ」

「老夫婦か!」

 同感。

 鉄板から立ち昇る揺らぎを、こずえはぼんやりと眺めた。

「……水谷さんって、昔からああいう――なんていうか、プラトニックな人だったんですか」

「ぜんぜん。高校の頃は彼女いたし。付き合ったらやばいよ、あいつ」

「……託す相手、間違ったかな」

「大丈夫。未成年には手を出さない。多分」

 そういうフォローが、余計に不安を煽るんだって。

「いや……どう見ても水谷さんは、樹里のこと嫌いじゃないでしょ」

「俺もそう思う」

 井上はつまらなさそうに、ハイボールを飲んだ。「でもそれ以上に、保護者みたいな立ち位置を意識してるんだよなぁ」

「樹里が部屋に行くのを、『ノネコが立ち寄る』って表現してますもんね……」

「そんな顔しなさんな。恭平なりの線引きなんだから」

「どういう線引きだよ」

「まあまあ。ほら、出会ったころの樹里ちゃんって、精神的に追い詰められてたらしいじゃん? そこで恭平と出会って部屋に呼ばれたはいいけど、警戒心からパニックになったらしいじゃん」

「いや、普通に警戒するところですよ。なんで部屋に呼ぶんですか」

「だから! そこんとこを俺も詳しく聞きたいんだって!」

 二人は飲み物を追加で頼んだ。

「ほら、メンタル弱ってるときって、いろいろ奇行を犯すじゃん。樹里ちゃんも危険だとは知りつつ、とりあえず休める場所が欲しかったんでしょ」

 井上はお好み焼きを食べながら続けた。「それで行ってはみたものの、途中ではっと気づくんだよね。まずい状況じゃない? って。だから、恭平は樹里ちゃんをそういう目で見てないって判ってもらう必要があったんだよ。『猫を拾うくらいにしか見てない』って言えば、安心してもらえると思ったんじゃない? どう考えてもおかしいけど」

「おかしいです」

「でも、努力は見て取れるでしょ」

「まあ……」

 こずえは箸を置いた。「……そうですよね、水谷さんって威圧感もないし、かなり魅力的ですもんね。そりゃ誘われたら、そういうことかな、って思っちゃいそう……」

「俺としゃべってるのに、恭平を褒めないでよ」

 スニーカーのかかとで、井上がこずえのブーツを小突いた。

「だってカッコいいもん……あ! 樹里からメールだ」

「俺と居て、樹里ちゃん優先?」

「なに言ってるんですか。あたりまえでしょう――」

「ぎゃ」っという悲鳴に、店員が振り返った。

「樹里、留年するって!」

「あら」

 感心した顔で、井上がジョッキを高く持ち上げた。

「水谷さん、どういうつもりなんですか!」

「なんで俺にかみつくの。別に留年は妥当なとこじゃない?」

「どこが!」

「だって、焦って進学するより、猶予ができるってことじゃん。いいじゃん。覚悟がいるとは思うけど」

「……そうかな」

「そうだよ」

 井上は笑った。「ともかく選んだ事をねぎらってやんなよ」

 こずえの目から、涙があふれた。

「どうした?」

 テーブルに突っ伏して、こずえは握りしめた拳を震わせた。

 井上が肩に突くと、首を大きく横に振った。振り乱した髪が、お好み焼きの皿に落ちた。ソースのたまりに浸って、こずえの髪がじわじわと色濃くなっていく。

「ちょい、髪……」

「なんで」

 絞り出すような声がした。「なんで……なんで私はいつも、肝心なときに樹里のそばに居てあげられないんだ」

 井上は黙って、テーブル下にある鉄板のスイッチを切った。椅子を持って、こずえの隣に座り直す。こずえは突っ伏したまま、肩をかすかに震わせていた。 

ソースで滲んだ髪をそっと持ち上げ、井上はおしぼりで吹き始めた。

 客の談笑と、店員のかけ声と、食器のぶつかる音が、まるで牡丹雪のように二人の上に落ちては消える。

 濡れた髪を、井上は撫でた。

「しゃあないって。親友ってのは、案外そういう役回りなんだから」




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