16 かやちんの告解

 期末試験が終われば春休みだ。

 茅野かやのは、こたつで参考書をめくった。春休みに向かってがんばろうとするが、どうにも頭に入ってこない。

 茅野はシャーペンをノックした。伸びていく芯を眺めていたら、無意識に口から言葉がこぼれた。

「ジュリエッタ、進級どうなるんだろ……」



 樹里は、高校からの友達だった。

 アミは中学から一緒だったから、うちらのなかに樹里を引き入れた形になる。三人ともクラスが同じで、部活も一緒だったからすぐに仲良くなれた。

 クラスであたしは「かやちん」と呼ばれて、あたしも皆に愛称を付けた。「ジュリエッタ」なんて初めてだと、樹里は困ったように笑ってた。

……でも樹里は、あたしたちと友達じゃなくても、本当はよかったのかも知れない。


 昼休み、教室でマンガの話をしていたら、隣で別グループの女子がファッション雑誌を広げてきゃあきゃあ言い始めた。

 その中の一人が、座ったまま椅子を上下に揺らして、樹里の椅子とぶつかった。

「あっ、ごめーん」

 その子は、髪をかきあげながら頭を下げた。樹里はちょっと黙って、その子の袖口を指さした。

「そのカフスのボタン。素敵だね」

 彼女は一瞬ぽかんとして、

「……え、わかる⁉ これ、ちょーお気に入りなの!」

「その光沢、貝殻?」

「そうそう! なーんだ、吉野さんって、生真面目に制服着てるから、おしゃれ興味ないんだと思ってたんですけど」

「制服はオーソドックスに着るのが、いちばん綺麗に見えると思うよ」

 ええー、きびしー。といいながら、その子は顔をほころばせた。

「あたし、卒業したら、服飾の専門学校いきたいんだ」

 それから、その子はときどき樹里に絡むようになった。

 吉野さんってどんな服が好き? これってさ、どう合わせればいいかな?

 樹里の肩に腕を回して、自分達の輪に連れていく。そんなとき樹里はこっちを見て、申し訳ない顔をした。アミはそしらぬ顔をする。あたしは、「気にしないで」と手を振りながら、またマンガを読み始める。



「新聞の文化欄に載ってたよ。美術展で最優秀賞とったのって、吉野さんのお母さんなんだって?」

 美術室に響いた佐久間さくま先輩の声に、部員たちの動きが止まった。

 あたしは思わず美術用鉛筆の芯を折ってしまった。

 ちょうど石膏像のデッサンをしてて、ヘルメス像に向かって樹里とあたしと、佐久間先輩が並んでいた。少し離れたところにいたアミは、ちらりとも見てこない。

 佐久間先輩は構わず話し続ける。

「吉野さんのお母さんって画家なの?」

「画家……でしょうか。よく絵は描いてますけど」

「ふうん。売れてるわけじゃんないんだ?」

 どういう物言いだ。でも、佐久間先輩はいつもこんな感じだから、黙って聞いていた。

 だいたいさ、こんな時代、絵で食ってける人なんて日本で何人いるのかな。僕はこうやって絵を描くの楽しいけどさ、やっぱり部活で留めるべきかなぁって、思うんだよね。美大生の就職先って、すごく給料安いとこばかりだし。将来安定した収入が欲しいなら、堅実な学部選んだ方がいいよね。そもそも、美大に入るとプライドばっかり高くなって、社会人になっても適応できないとかよく聞くけど、ちょっと怖くない?

 最初はあいづちをうっていた樹里も、やがて返事しなくなった。代わりに鉛筆の音が加速していく。一人で笑っていた佐久間先輩も、ついに黙り込んで樹里のキャンバスを覗きこんだ。

「……めっちゃ上手いね」

 鉛筆を置いて、樹里はまっすぐに先輩を見た。

「将来が不安なときは、絵に集中すればいいと、母に教えられました」

「すごい」

 先輩の顔は、すこし歪んでいた。「吉野さんって、かっこいいね」

 樹里はしょっちゅう先輩に絡まれていた。当の本人はひょうひょうとして、それほど迷惑とは思っていなかったのかも知れないけど、そばにいたアミは先輩の毒舌に参っていた。

 部活中に先輩が近づいてくると、アミは樹里から離れるようになった。あたしはどっちつかずで、樹里たちの話に耳を傾けるしかなかった。

 

 夏休みが明けたころから、樹里は疲れた顔を見せるようになった。

「吉野さん、最近元気ないね」

「……少し風邪気味で」

「職員室で建明先生ともよく話してるよね。家庭の事情? それかクラスが居心地悪いの?」

 ほっといてあげてよ。樹里はいま、お母さんのことで色々大変なんだよ。

「そんなんじゃないですよ」

「……ねえ、これから昼はここで食べない? 談話室でもいいし。僕なら、吉野さんの気持ち判ってあげられると思うんだ」

 小さい子をあやすように、先輩は、樹里を覗き込んだ。「僕も、同じような気持ち抱えてるから。無性に、生きづらさを感じる事、あるでしょ? ヒエラルキーの上位にいるのに、周囲となじめない感覚」

「……ヒエラルキーって、なんですか」

「スクールカーストと似たようなものだよ。僕はこっちの方がしっくりくる。教師も、生徒も、表立っては言わないけど、察しがつくでしょ」

「――さあ」

「謙遜するのやめようよ。吉野さんって、いつも周りから注目されてるよ。金持ちで。美術の才能にあふれてて。威風堂々。天才肌。」

 くしゃみをするように、樹里が口に手をあてた。

「……すみません。笑いそうになりました」

「どうして」

「うちのどこを見て先輩がそう思うのか、ちょっと判らないです。注目っていうより、周囲からは浮いてるのかもしれないけど、特に気づまりなところはないし。先輩がいろいろ思うは別に構いませんけど……うちはそういうの、あんまり理解できないです」

 鉛筆が走る音だけが美術室に響いた。あたしも椅子の向きを変えて、絵具箱を開いた。

「――吉野さんさ」

 声音に、背中がぞくりとした。「俺の気持ちも理解できないって、どんだけ意識高いの?」

――あの日、樹里はなにか悪いことを言っただろうか。

 

 カーディガンを羽織る季節になった。あたしと樹里は、廊下から中庭の紅葉を眺めていた。

「アミまだかなー」

「今日も購買混んでそう」

「それでもプリンは外さないんだよねー」

 ふと、視界の端に、佐久間先輩が見えた。

「やあ」

「……お疲れ様でーす」

「なにしてるの?」

「友達を待ってるんです」

「吉野さんは?」

 言っている意味が判らなかった。樹里も眉をひそめている。

 小さくため息をついて、先輩はあたしたちの前を横切った。

「お友達ごっこも大変だね」

 空気に紛れて消えていくようなセリフだったけど、樹里は聞き逃さなかった。先輩のブレザーの裾を掴んで、強引に引き留めた。

「いまの、どういう意味ですか?」

「――だって、いつもたいして益にもならない話ばっかりして。吉野さんは、うんうん頷いてるだけじゃない。可哀そうだと思っただけだよ」

「不愉快です」

 どきっとした。声が震えていた。「そんな風に、うちらを見ないでください」

「僕はさ、吉野さんの才能が枯れないか心配してるだけだよ」

「……そんな言葉、嫌いです」

「なんて?」

「『才能』なんて言葉が、大嫌いです」

「――意外。吉野さんでも努力家みたいなこと言うんだね。友達に合わせすぎて感覚が鈍っちゃった?」

「奢った考えで、うちを見ないで」

 歩いていた生徒が一斉にこちらを見た。「ヒエラルキーとか! カーストとか! 判ったふうに言わないで。うちはそんなものに属してないし、誰かをそんな目で見るわけもない。友達は友達だし、話さない人はクラスメイトとは呼んでも、階級づけとか関係ない! 先輩の偏見で、勝手にうちの輪郭を取らないでください!」

 樹里が叫ぶのを見たのはこれが初めてだった。息を切らして、樹里は床を睨みつけていた。

「……まぶしー」

 乾いた音を立てて、先輩は笑った。「ほんと吉野さんって、まぶしすぎるわ」


――事件の後、佐久間先輩のいろんな噂を聞いた。小・中学校は県立大附属に通っていたのに、高等部には内部進学しなかった。成績上位者が選ばれる「選抜試験」に弾かれたそうだ。やむ負えなく高校受験をして、湊沢に合格した。絵が好きで、美術部に入ったけど、両親はよく思っていなかったらしい。

 父親は内科医で、母親は薬剤師。自宅の一階にクリニックを構えて、二階に先輩の部屋があった。自殺するために用意した睡眠薬は、一階の薬棚から持ち出した。

 中途半端な佐久間先輩。あんたは樹里にぼこぼこにされて、しょうがなかったんだよ。あのとき、樹里は怒っていた。きっと、色んなことに怒っていた。

 先輩は樹里を見誤っていた。樹里はただ、言いたいことを素直に言える友達思いの優しい子――それだけだったのに……。

 でも、最低なのはあたしも同じだ。

 アミが教室で泣いた日。少しだけ開いたドアから、樹里が廊下を走り去っていくのを見つけて――。

 あたしはなにもしなかった。



 シャーペンの芯が、こたつに転がる。

 じんわりと熱を持つ天板におでこをあてて、茅野は目を閉じた。

――ジュリエッタ戻ってきて。あたしと友達やめていいから、どうか、学校は辞めないで。



 

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