13 断罪のテーブル

「そっち狭くないですか?」

「余裕余裕。あ、荷物だけそっち置いていい?」

 井上がボストンバッグをソファに降ろす。

「よいしょ」

 両手に持ったグラスを、こずえはテーブルに置いた。

 樹里と恭平は、ファミレスの廊下で呆然とするしかなかった。

「……友達とお茶するって、ここだったのか?」

 樹里と一瞥すると、彼女はぎくしゃくと頷いた。


 さかのぼること二十分前。

「餌付けやん」

とつぶやいたこずえは、おもむろに顔をあげた。

「まじで水谷さんとは、近いうちにぜひごお会いしたいわぁ……」

「……こずやん。そんなお礼参りみたいに」

「水谷さん、今日、仕事なのかな?」

「さ、さぁ」 休日だが、予定があると言っていた。

 こずえの目が鋭くなった。

「メールで呼び出してみるか?」

「ええ!」

 恭平とは普段からメールしないので、単純に送っていいのか、判らない。

「樹里……」

 急に、こずえがしゅんとした声になった。「お節介なのはわかってる。入り浸れる場所があるっていいことだよ。気の置けない間柄なんて、すごい良いじゃんね。でも――佐久間さくまのときみたいに、またなにかあったら……また、樹里が傷ついたらって思うと――」

 言い切る前に、こずえは背中を丸めた。

 その名前を、他人から聞くのは久しぶりだった。

 でもこずえだからなのか、「佐久間先輩」の話を聞いても、それほど辛くなかった。

 それよりも、怒気が混じったこずえの声に、心臓が跳ねた。

「そう思うと、あたしはもう、事件も起こらないうちから、水谷さんを恨んでしまいそうなんよ!」

「理不尽」

「とりあえずメールしてみて! 水谷さんちって、そんなに遠くないんっしょ? もしかしたら来てくれるかも」

「いやいや、無理だよ」

「今夜からまた寮に戻らないといけないんだよ。次に会えるのは年末年始だよ。だから、ね! 頼む!」

 絶対に折れないぞ、という目で、こずえは両手を合わせた。

「――返事こなくても怒らないでね」

 送信ボタンを押すまで、こずえは樹里の携帯から顔をあげなかった。

 なんだかどっと疲れた。

「……飲み物とってくる」

「あたしもこれ飲んだら足しに行くわ」

 樹里はグラスを持って廊下を進んだ。来店したときよりも席が埋まっている。ウェイターが忙しそうにテーブルを回っていた。

 ふと、ファミリー席に座る男性二人組が視界に入った。二人とも背の高くて、他のお客より目立っていた。

 一人は全身スポーツウェア。

 もう一人は、一心不乱に携帯を触っている。彼がふいに顔をあげた。

 悲鳴が出そうになった。

 恭平!

 向こうも叫びそうになったのか、口に手をあてている。

「え、なに。どした?」

 もう一人の男性が振り向いた。

「どうしたの、樹里?」

 こずえが、肩を叩いた。ファミリー席で固まっている二人組に眉間を寄せる。「――まさか、これが水谷さん」

「ちょっと」これとはなんだ。

 こずえが服の裾を引いた。

「え? で、どっち?」

「……もしかして、樹里ちゃん⁉」

「井上!」

 椅子が鳴る音で、客の視線が集まった。お構いなしに、彼は手を差し出してきた。

「恭平から聞いてるよ。なんだ、可愛いじゃん!」

「あ、そっちが水谷さんか。よかった……」

 右往左往している恭平を見て、こずえがほっとする。

「隣のお友達はクール系美人だね。辛口なのもいい感じ!」

 あっけらかんとして、井上はこずえにも握手を求めてきた。こずえは、がしりとその手を掴んだ。

「初めまして! このまま自己紹介したいんですけど……」

 空のグラスを左右に振った。「ここで立ち話はまずいですよね。よかったら、こっちのテーブルに相席してもいいですか?」

 恭平の顔が引きつった。

 こずえは恭平を見据えて満面の笑みを見せた。。

「あたし、水谷さんと色々お話したかったんです!」

 

 そしていま、ファミリー席のソファーに樹里とこずえが、その向かいの椅子には恭平と井上が腰を下ろす。なんだかお見合いみたいじゃないか。

「改めまして。樹里がお世話になってます」「

 こずえは深々と頭を下げた。「戸塚こずえと言います。樹里とは小学校からの付き合いです」

「いや、ご丁寧に……」

 恭平はしどろもどろに頭を下げた。

「そちらは?」

井上浩一こういつです! どうぞよろしく」

「樹里も会うのは初めてだよな。井上は中学校からの友達なんだ」

「お二人とも背が高いですね。体格もいいし、なにかスポーツしてるんですか」

「あー、バレーボールしてて」

「井上はⅤリーグに所属してるんだ。俺はもう樹里から聞いてると思うけど、引っ越し業者に勤めてます」

 恭平はテーブルに紙片を置いた。

「名刺だ!」

「え? 樹里はもらってないの?」

「もらってない。こずやん、いいな……」

「樹里には渡す必要ないだろ」

 こずえは名刺をいそいそとしまった。

「井上さん、バレー選手なんてすごいですね」

「こずえちゃんもスポーツしてる? スラっとしてるね」

「あたしは陸上部に入ってます」

「そうなんだ。二人とも同じ高校?」

「いえ、残念ながら」

「こずやんは、北部の高校に通ってて、いまは寮暮らし。スポーツ特待生なん! ……です」

「すごいじゃん。北部のなに高校?」

向陽こうよう高校です」

 恭平の目じりが、ぴくりと震えた。

 井上が手を大きく叩いた。

「あー、知ってる知ってる。あそこは陸上部も強いんだね」

「タイムを落とさないように、毎日必死です」

「がんばってるこずやんは凄いよ。カッコいい……!」

「樹里ほめすぎ」

「いいねー、仲良しの女子高生見てるの、大好き」

 恭平の肘が井上を突いた。

「特待生だと、大会と授業の兼ね合いとかってどうしてんの?」

「あ、それはですね」

 井上とこずえは、すっかり意気投合したようだ。二人だけのマシンガントークが始まった。

 なんかよかった……。

 樹里は胸をなでおろした。ジュースに手を伸ばしたら、疲れ果てた恭平と目が合った。



 ファミレスを出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。

「ごめん樹里! あたしこのまま電車に乗らないと」

 こずえが携帯を見て叫んだ。

「こずやん大丈夫? 暗いし駅まで一緒に……」

来浜きはま駅まで来てもらったら、樹里んちが遠くなるやん」

「こずえちゃん、俺も電車だし、駅まで一緒に行こうか」

 井上が微笑んだ。隣で恭平がはらはらしている。

「んー、じゃあ、お願いします! でも、ほんと時間ギリなんで、間に合いそうになかったら、あたしだけ走って行きますね」

「いいねー、俺も走るよ」

 二人はあっという間に競歩で交差点まで行ってしまった。

「はっやー……」

 恭平が感心して眺めていると、赤信号でこずえが振り返った。

「水谷さーん! さっきは強引に相席してすみませんでした! ……樹里の事、よろしくお願いしまーす!」

 唖然としていたが、恭平は帽子をとって、こずえに一礼した。

「樹里―! またねー!」

 夕闇で表情は見えないけれど、こずえの声は明るかった。信号が青に変わり、二人は駅に向かって消えていった。

 しんとした駐車場に、ドアベルが小さく響いた。

 恭平がおもむろに首をさすった。

「まあ、なんだ……送るよ。車で来てるから」

「え、悪いよ」

「でも暗いだろ」

 思わず吹き出してしまった。

「過保護すぎるよ」

 恭平が、真顔になった。

「……なに」

「竹を割ったような性格の友達だな」

「こずやん?」

「あんないい友達がいるのに……」

 言いかけて、恭平は足元に視線を向けた。「いや……あの子がいるから楽観的なところも持ち合わせてるんだな。樹里は」

 胸の奥から、熱が込み上げてきた。

「――こずやんが違う学校に行って、本当はすごく寂しかった」

 恭平が、黙って背中をかがめた。

「でも、今は違う。向こうの学校で陸上がんばってるのを聞くたびに、すごく嬉しくなるん」

「大事な友達なんだな」

「うん……大事。こずやんは、一番大事な友達」

「お前、好きな人ほど、わがまま言えないんだな」

 目線の高さを合わせたまま、恭平がにやりと笑った。「でも、俺には結構わがまま言うよな」

「……言ってた?」

「まあな」

「そんなに?」

「いいんだよ、別に樹里は俺の親友じゃないんだから」

 みぞおちが、ちりっと痛んだ。

 目を細めたまま、恭平が手を伸ばした。大きな手のひらが、頭にふわりと触れた。

「言ったろ。樹里はノネコなんだから、気ままに来て、気ままにじゃれて、そうやって、いつも俺にわがまま言ってくれたらいいんだよ」

 頭をなでる恭平はとても穏やかで、ノネコが可愛くて仕方がないという顔をしていた。

 なぜだか喉元が詰まった。

 頭にある恭平の手を、樹里は両手で持ち上げた。そのまま彼のポケットに、ぐいぐいと押し込んだ。

「なにしてんの」

 笑うので、なんだか悔しくて、わき腹を叩いてやった。

「ぐっは」

 恭平は大げさによろめいた。

 すかさず、腹筋にパンチした。かすれた笑いが夜空にとけた。

 どこまでも優しいこの手を失いたくないけれど、どっぷり甘えるわけにもいかないのだ。



「こずえちゃん待って」

 競歩のまま改札口に飛び込もうとしたこずえは、寸前で足を止めた。

「……まだなにか?」

 交差点を過ぎたあたりから、こずえはもうなにも話さず、ひたすら駅まで歩いていた。

「連絡先交換しようよ」

 井上は電光掲示板を指さした。「まだ時間あるでしょ」

 こずえは黙って掲示板を睨んだ。

「――そうですね」

「電話番号とアドレス教えて」

 こずえはプロフィール画面を井上に見せた。「ありがと」

 井上が手入力するのを、こずえはじっと見つめていた。

「親友って感じ」

「は?」

「樹里ちゃんとこずえちゃん」

「――大好きです」

「ファミレスでさ、ずっと心配してたよね」

 画面から目を落としたまま、井上は微笑んだ。

「……すみませんでした」

「なにが?」

「井上さんとふざける振りして、水谷さんの事を根ほり葉ほり聞き出そうとして……」

「ぜんぜんいいって。それで、あいつのこと、少しは判った?」

「人のいいラクダのお兄さんとしか」

「完璧じゃん」

 こずえの顔が曇った。

「水谷さんって、なんていうか……そういうこと、しなさそうなのに……」

「ほんとだよね。ノネコ扱いで、女子高生の世話するなんてさ」

 こずえが携帯を後ろ手に隠した。井上の三白眼がゆっくり動いた。獣のような眼。

「なんで樹里にちょっかい出すんですか」

「それは俺に言われても。とにかく気になっちゃったんだろ。琴線に触れたというか」

 いつの間にか拳が震えていた。

 井上が肩を持ち上げた。

「恭平はいいやつだよ。樹里ちゃんを悪いようにはしないよ」

「……そうでしょうか」

「多分ね」

「……井上さんは、意地悪です」

 井上が、片方の口角を上げた。

「だって、これが俺だもん」


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