11 隣人のささやき

――あの子は、いまどうしているのだろう。


「かや?」

 教室のドアの前で、アミが振り返った。昼休みでめいめいに寄せ合う机の脇を、かやちんが、ぼんやりと歩いてくる。「こら」

「――え、なに?」

「だから、このあと保健室、いく?」

「ああ……」

 かやちんはあいまいに笑った。「もちろんじゃん」

「じゃ、先に購買いこ」

 窓からの日差しで、リノリウムの床がまぶしかった。

 あー……油断した。いきなりジュリエッタの話が聞こえるんだもん。

 クラスの女子が、お昼を食べながらぽそぽそと話すのが聞こえたのだ。

――吉野さん、修学旅行こなかったなー。

――学校、戻らないのかな……やだね。

 うん。嫌だね。

 総菜パンを掴むと、茶色く揚がったパン粉が、袋の中に零れ落ちた。

 クラスの皆は、樹里が戻ってくるのを待ってる。

「なに買った?」

 壁に背をもたせかけて、アミが微笑む。後ろ手に持つプリンが、半分見えた。

 かやちんは袋を胸まで持ち上げた。

「もちろん、カレーパン」

 あたしも、樹里を、待ってる。



「修学旅行の引率お疲れさまでした」

 滝本が、テーブルにコーヒーを置いた。

「いやぁ、無事に終わってよかったです」

 関が、ゆっくりコーヒーをすすった。「でも、吉野は来ませんでしたねぇ。とりあえず、土産買って来たんですが」

 ハイビスカスとシーサーがプリントされた紙袋を揺らす。

「なぁんで吉野は学校にこないんですかねぇ」

 滝本は観葉植物に目をやった。関の重苦しいため息が聞こえた。

「別に、あれについては、吉野が責められるようなことはなかったんでしょうに」

「……なんのお話ですか」

「美術部員の自殺未遂の件ですよ」

 滝本はドアを一瞥した。生徒たちの笑い声が遠くから聞こえる。

「……関先生は今年度から赴任していらっしゃったので、ご存じないのかと思っていました」

「いやだな。赴任する高校のことくらい、多少は調べますよ」

 関は、片手をぷらぷらと振った。「校長も今年度からの赴任でしたでしょう。だから一緒に教頭先生にお話を伺ったんです。吉野は、同じ美術部の男子生徒と言い争いしたそうですね。でも、側にいた生徒によれば、むしろ吉野が責められていたそうじゃないですか。彼女は感情的になりはしたが、ただ言い返していただけだと」

「直接見ていないので、私はなんとも言えませんけど」

「よくある、口げんかくらいじゃなかったんですかね? なのに男子生徒の自殺を図ったから。それがショックで学校に通えないなんてねぇ。僕から言わせれば、吉野が気にすることなんてないのにねぇ。その彼は死んでないし、もう学校も辞めたんでしょう?」

「……そうですね」

「で、それに関して、僕ひとつ気になっているんですけど」

 関が、覗き込むように目を合わせてきた。「側で一部始終を見ていた生徒って、誰だったんでしょう?」

 滝本は黙って、関を見下ろした。

「まだ在学してるなら、僕、その子に話を聞きたいんですよ」

 背後から、けたたましい音が鳴った。

「失礼しまーす! ジュリエッタ来てますか?」

 関はきょとんとし、ははっ、と乾いた声で笑った。

「ざーんねん。来てないんだってさぁ」



――あの子はいま、どうしているだろう。


「おし、今月のノルマ達成」

 パレットに絵筆を置き、和美は背伸びをした。

 丸椅子に腰かけて煙草を咥える。結婚してからは止めていたハイライト。

 格子窓のむこうで、庭木がさわさわと揺れている。和美はゆっくり煙を吐いた。

「樹里、元気かなぁ」



――あなたはいま、どうしていますか。


 恭平と夕飯を食べていたら、テーブルで携帯が震えた。画面に表示された名前を見て、樹里は箸を置いた。


送信:こずえ

《樹里ひさしぶり! 元気? 今度の三連休、そっちに帰れそうなん。よかったら日曜日、いつものファミレスで会わない?》


「――あ、そういえば」

 唐揚げをつまみながら、恭平がつぶやいた。「俺、三連休の日曜日、用事があるから……」

 顔をあげると、樹里は一心不乱にメールを返していた。「家、空けるけど、別に居ていいぞ?」

「うちも用事できた!」

 軽快にボタンを押して、樹里はにっこり微笑んだ。「友達とお茶するんだ!」


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