4 引越し作業員、女子高生を乗せる



 吉野邸の引っ越しから2週間が過ぎた。

 繁忙期も終わり、時間に余裕が出てきたある日。

 午前の搬出を済ませ、同僚と営業所に戻るときだった。

「水谷、昼なに食べる?」「なににすっかなー」

 運転しながら話していたら、ふと、路側帯を歩いてくる女子高生が視界に入った。

 右肩に大きなスケッチバッグをかけて、やや身体を斜めにして歩いている。

 遅刻か。

 別に珍しくもなかった。トラックのスピードに合わせて、女子高生は視界の端へと流れて消えた。

「――あ」

「ん?」

 同僚が顔をあげた。

「いや……うどん」

「あー、うどんいいね」

 短い前髪。

 大きなラウンドメガネ。

 あの子は吉野邸の「樹里」ではないか?

 気づいた時には、すでにその姿は見えなくなっていた。



 次の日。勤務中に、またも一人で道を行く女子高生を見かけた。

 同一斜線の路側帯で、今度は背中を向けて歩いている。

「あそこ」運転していた後輩に、恭平は声をかけた。「歩行者がいるから、ちょっとスピード落とそうか」

 後輩は頷いた。緩やかな速度を保ち、トラックは女子高生の脇を走り抜けた。

 後ろに束ねた黒髪。

 背中に担いだスクエアのリュック。

 そして、肩にかけたスケッチバッグ。

 うつむき加減のその顔は、「樹里」に間違いなかった。

「どうかしました?」

 後輩が一瞥してきた。

「え、いや、なんか暑いなー、って」

 恭平は慌てて窓を開けた。

 バックミラーの中で遠ざかっていく「樹里」は、おぼつかない足取りをしていた。

 吉野邸のアトリエが、不意に脳裏に浮かんだ。



 そして、休みを挟んだ週明け。

「じゃあ、行ってきます」

「はいよ。気を付けて」

 浅野さんに見送られ、恭平はライトバンに乗り込んだ。今日は朝から一人、営業所10キロ圏内の家々へ資材回収にまわるのだ。

 繁忙期が過ぎて依頼件数が減ってくるこの時期、引っ越し済みのお客からダンボール回収の電話が相次ぐのである。


 どんよりとした曇り空で、今にも雨が降りそうだった。ライトをつけ、制限速度を守って走る。駅前の商店街を抜け、近所の高校を横切った。

 そして見晴らしの良い一本道に出たときだった。進行方向の歩道に、また、大きなスケッチバッグが見えた。

 三回目!

 思わず恭平は目をそらした。ハンドルを握る手のひらに汗がにじんだ。

 いや待て、落ち着け。

 これは……話しかけるチャンスか。

 でもなにを話すって言うんだ? 

 前方の信号が黄色に変わった。こんなに嬉しい黄信号は初めてだった。ブレーキを踏み、サイドブレーキもしっかり引いた。

 犬と散歩する老人が、のんびりと歩道を渡っていく。

 いやいや。マジで話しかけようとか、なに考えてんだ、俺!

 恭平は、手の甲で眉を押さえた。

 でもなんだ、すごくもやもやする。なにかしないといけないような。確かに、差し入れのお礼が言えなかったのは心残りだったけど……なんだろう、気になるのはそこじゃないだよ。

 てゆうか、なんでこうも頻繁に、道端で出会うんだ? どんだけ遅刻してんだよ。

 路側帯で、うつむき加減に歩いていた樹里の横顔が目に浮かんだ。

――遅刻?

 あの道は、高校からずいぶん離れていた。そうだ。今だって、学校から遠ざかるようにして歩いて……

 その瞬間、心臓が跳ねた。

 赤いランプ。進行方向にある公園の入口に、パトカーが停まっている。

 職務質問か。婦人警官が二人、ベンチに座った女性と話していた。

 不意に、警官の一人がこちらを向いた。視線の先に、樹里がいた。

 唾が、音を立てて喉を下った。

 信号が、青に変わった。

 恭平はゆっくりとライトバンを発進させた。

 樹里の背中が大きくなってくる。

 警官が、顔を寄せ合う。

 恭平は、アクセルから足を離した。

「こんにちは!」

 樹里が、びくりと肩を震わせた。

 恭平は素早く彼女の真横にバンを停めた。助手席の窓から頭を下げる。

「覚えてます? キャラバン引越しセンターの者なんですが」

 眼鏡の奥で、樹里が目をしばたたかせた。

「……あ。この前の」

「覚えててくれてよかった! えっと、今日は遅刻? それなら別にいいんだけど」

「……なんでそんなこと聞くんですか?」

「婦警さんが、こっち見てるよ」

 樹里が目を見張った。「ほら、あそこ。道を挟んだ向こう側に立ってるよね? 公園にパトカーも停まってるでしょ」

 樹里の顔から、血の気が引いた。

「大丈夫?」

 スケッチバッグを握りしめる両手が震えている。 「……学校じゃなくて、どこかに行く予定だったんなら、近くまで送ろうか?」

 首を傾げるように、樹里が振り返った。その目は、明らかに困惑の色を帯びていた。

「送る?」

 もういちど聞いた。

 迷った様子だったが、樹里は唇を噛んだまま俯いてしまった。

「えっと、どうする」

 いつもなら余裕で待てるのだが、いまは数秒の沈黙に耐えられなかった。「俺も仕事の途中だからさ、早めに決めてくれると嬉しいな。このままここに停車して、俺まで警察に声かけられたらすごく面倒だし。どっちにするか、いま決めて」

 樹里が、怯えたように一歩下がった。抑えたつもりだったが、語尾が強い口調になってしまった。

 だが次の瞬間、助手席のドアが力強く開いた。

 乗り込んでくる樹里に圧されるようにして、恭平は運転席に戻った。

 シートベルトを締め、樹里はぐっと顎を引いた。

「どこに行く?」

「ここをまっすぐ走って……左に曲がった先の、海の近くの郵便局まで」

「よし」

 セレクトレバーをⅮに動かし、恭平はウインカーを出した。

 ハザードランプを消し、アクセルを踏み込む。


 パトカーは、ライトバンを追いかけてこなかった。

 町屋が並ぶ通りを走り、交差点を左折する。助手席の窓から、潮の香りがした。海鳥の鳴き声が響いた。漁船が停泊している海が現れた。

「海だな……」

 手が震えているのに気が付いた。

――ロゴマーク付きのトラックに乗ってなくて、マジよかった!

 ハンドルを握りしめ、恭平は心の中で叫んだ。




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