ダンボールに野猫

@asomichi

第一章

1 春はどんな季節?

 

 それは、運転の疲れをとるためにしたことだった。

 赤信号の間だけぼんやりあたりを眺めていたら、道路ぞいの看板に目がすい寄せられた。


『春はどんな季節?』


 ホームセンターの看板が、ポップな書体で問いかけていた。新生活にいりそうな、家電製品のフォトモンタージュ。バックには桜の花びらが舞っている。

「どうした?」

 助手席にいた森さんが、携帯から顔をあげた。

 水谷みずたにきょうへいは、苦笑しながら指さした。

「春は……どんな季節ぅ?」

 信号が青に変わる。看板はあっというまに流れていった。

 隣で、森さんの首が鳴った。

「そんなの、繁忙期以外の、なにものでもないよなあ!」

 そう。春は引越し業者にとって、繁忙期でしかないのだ。

「お。水谷、そこを右だ」

「了解です」

 ハンドルを切って、住宅地に入る。

 今日は搬入の仕事だ。トラックに積み込まれている荷物を、引越し先の部屋に運び込むのだ。

 目的のマンションが見えてきた。

 近隣の邪魔にならなさそうな場所に駐車し、安全を確認する。

 ドアを開けると、風が頬をなでた。三月半ばの春風は、まだ少し肌寒い。

 森さんが、バインダーを持ってお客のところへ向かう。

 恭平は、荷台のコンテナに回った。日差しに照らされて、コンテナの塗装が輝いている。ライトグレーの下地に描かれたふたこぶラクダ。「キャラバン引越しセンター」のシンボルマークだ。

 コンテナの扉を開き、ブルーの緩衝材を運び出す。

 マンションのエントランスドアを、養生テープで固定していく。

 エレベーターの全身鏡に映った自分を、プラベニヤで遮った。

 エントランスから部屋までの、あらゆる破損危険個所を補強し終わり、恭平もお客の部屋へ駆けつけた。

 玄関先で、森さんの背中が見えた。すると、若い女性がひょこりと森さんの肩越しに顔を出した。

 見積書に、十八歳と書かれていたのを思い出した。高校を卒業して初めての一人暮らしなのだろう。うきうきした様子が隠せないでいる。

「水谷です。今日はよろしくお願いします」

「はーい。どうもよろしくです~」

 お客は笑いながら挨拶した。しかし、もう恭平の耳には入っていなかった。

 帽子をかぶり直し、恭平は階段を見下ろした。

 腕時計を、ストップウォッチ機能に変える。

 森さんが軽く肩を回した。

「始めるか」

「はい」

 スイッチが入った。

 競り合うように階段を降りて、コンテナに飛び乗った。

 まず大型の荷物を運び出す。机、ベッドと搬入が終わり、続いてダンボール箱を持ち上げる。

 洋室8畳一間に、次々とダンボールが積みあがっていく。今回は荷解きをお客がするので、ひたすら荷物を搬入する。

「すっご……」

 部屋のすみで、お客のつぶやきが聞こえた。


 荷物が半分ほど運び出されたときだった。

 向かいのマンションに、仲間のトラックが停車しているのに気がついた。

 そういえば、3班も今日、この地区だったな……。

 すると、コンテナから工具箱を持った同僚が出てきた。

「お、水谷」

「お疲れ」

「そっち、もう終わりそうか」

「あと一時間くらいかな」

 同僚が、笑顔をひきつらせた。

「すまん。こっち、もたついてて……もしかしたら、手伝い頼むかも」

「分かった。終わったら電話するわ」

 助かる! 同僚は片手で恭平を拝んだ。

 同僚を見送り、恭平は再びダンボール箱に力を込めた。


 最後に、傘を玄関に立てかける。

「それではこれで終了となります。本日はどうもありがとうございました」

 森さんと並んで、恭平も帽子を脱いだ。間の抜けた拍手が聞こえた。

「ありがとうございました~。とーっても早くて感動しました~」

「恐れ入ります。では、失礼します」

 閉めたあと、森さんは、数秒ドアノブを握りしめた。「――よし、戻るぞ」

「はい」


「あー、暑ち!」

 助手席に着くと、森さんは作業着のチャックを全開した。ポシェットから塩ラムネを取り出す。

「ほれ」

「ありがとうございます」

 レモンの香りが口に広がった。奥歯でラムネをかみ砕きながら、恭平はスポーツドリンクを一気飲みした。車内に置きっぱなしだったから、生ぬるくなっている。

「……やっぱ、学生さんだと、気が回らないもんだよなぁ」

 森さんがこめかみの汗をぬぐった。「世帯用の引っ越しだと、たいてい奥さんが人数分のペットボトル用意してくれるんだけどな」

「向こうに自販機あったんで、ドリンク買い足してきますよ」

「いいよ。俺が行く。悪いけど水谷は、隣で作業中の3班の進捗状況を聞いてくれないか」

「あ、そうだった! さっき、手伝って欲しいかもって言われてました」

「こーら、報告せんか」

「すみません……」

「まあ、いつも手伝いを頼むあいつらもなんだかなぁ、と思うが。協力しないと回らんからな、この時期は」

「はい」

 腰をさすりながら自販機へ向かう森さんをサイドミラー越しに見ながら、恭平は電話をかけた。

『――はい……3班』

 同僚の声に交じって、携帯の向こうからけたたましい電気工具の音がした。

「お疲れさん。今どんな具合だ」

『ぜんぜん終わらん……ロフトベッドの組み立てに時間くってる。まだダンボール箱の搬入が始まってない……』

「俺がダンボール運ぶわ。スペースは空いてるか?」

『洋室の左奥が空いてるから、そこに積んでくれるか』

「了解」

 携帯をしまい、森さんに向かって声を張り上げた。「やっぱり人手が足りないみたいなんで、こっちの養生資材片したら、応援に行ってきます」

「こっちは俺がやっとくぞー」

「いいですよ。俺が設置したんですし」

 マンションに戻り、恭平は緩衝材を片付けて回った。

 エントランスドアの養生テープを丁寧に剥がす。剥がれる瞬間の音が、すがすがしかった。

 ひとつの仕事を、自分で終わらせられるってのは、すごく気持ちいい。

 恭平は生き生きと、テープを丸めた。


 コンテナに養生資材を戻して、扉の鍵を閉める。

 3班のコンテナに乗り込み、恭平は再びダンボール箱を力強く持ち上げた。

 その時だった。

 コンテナの前にいたサンダル履きの男子と目が合った。

 彼はロゴマークを撮っていたようだ。

 しかし、身体をトラックに向けたまま、気持ち悪いくらいこちらを凝視している。

 一礼し、恭平は足早に通り過ぎた。

「……いやー?」

 という声が、背中越しに聞こえた。


「加勢に来ました!」

「水谷、感謝!」

 3班の声が弾んだ。

 同僚はロフトベッドを完成させようとしていた。

「ここでいいか?」

 洋室の左奥にダンボールを置く。

 と、同時に悪寒が走った。

 玄関に、先ほどのサンダル男子がいる。

「あ、彼がお客様な」

 電子工具を片付けながら、同僚がささやいた。

 微笑んだまま、恭平は奥歯を噛んだ。

――俺は、この仕事が好きなんだ。

 その後も、男子はバードウォッチングをするように恭平の作業を目で追っていた。

 話したそうなそぶりを何度か見せたが、ダンボール箱を運び続ける恭平を呼び止めるまでは、できなかったようだ。

 やがて荷物はすべて搬入され、先輩がサンダル男子からサインをもらう段階になった。

 同僚と待機しつつ、早く挨拶が終わらないかと恭平は焦れた。

「それではこれで作業は終了となります。ありがとうございました」

 先輩の声に合わせて帽子を取り、全員で頭を下げた。

 ドアが閉まる。先輩が、恭平の肩を叩いた。

「水谷ありがとな! 助かった。片付けは俺らがやるから、そっちのトラックに戻ってくれな」

「いいっすよ。午後まで時間ありますし、手伝いますよ」

 軽い足取りで3班と連れ立っていこうとしたら、

「あの」

 内側からドアが開いた。サンダル男子が、おずおずと恭平を指さした。

 知り合い? 同僚が目で問いかけてくる。

 先輩が察して、同僚を連れて階段を下りて行った。

「……なにか?」

 顔を隠すように、自然と帽子のつばを掴んでいた。

 男子はサンダルをこすり合わせた。

「もしかして……水谷先輩っすか?」

 マンションのどこかから、笑い声が響いた。

「――あれ? もしかして、○○?」

「……うわあ! やっぱり先輩なんすね」

 中学校の後輩は、屈託のない笑顔で距離をつめてきた。「ほんとお久しぶりっす!」

「ほんとだな……」

 こんなとこで会うなんて、びっくりしたわ。そうですよね! いや俺、頭めっちゃ悪いでしょ。でもなんとか今年、大学受かったんすよ。いやいや、すごいじゃん。よかったな。いやー、取らなきゃいけない資格もあるから、これから大変っす。へー、すげえな、がんばれよ。

 喜々として話してくれているのに、ほとんど頭に入ってこない。このままやんわりと、ここから離れたい。ゆるゆると手袋を外していたら、後輩が声のトーンを上げた。

「でも驚きました。先輩、引っ越し屋でバイトしてたんですね」

 上腕二頭筋がぴくりと震えた。疲労が残りそうな震え方だ。

「……バイトじゃないよ。これでも正社員だぜ」

「え? でも先輩、バレー推薦で大学行ったんでしょ?」

「……行ってないよ。どこでそんなデマ? 俺はもう就職4年目だよ。高卒からずっと、この引越しセンターで働いてんだ」

「えっ……じゃあ――」

 そこまで言って、後輩の顔色が変わった。おどおどしている彼が、むしろ気の毒になった。

「……しまったなー。○○が客だって知ってたら、営業にもっと割引してもらうように頼んどいたのにな」

「いや、そんな……」

 もごもご言いながら、後輩は両手を前に出した。だけどそれは宙を掴んだだけで、ポケットの中にしまい込まれた。

「……じゃあ。またなにかあれば、キャラバントラックをよろしくな」



「終わったか」

 トラックに戻ると、森さんがお茶をくれた。「悪いな。休ませてもらってて」

「ありがとうございます」

「午後の作業場まで俺が運転するわ。水谷は寝てていいぞ」

「……すみません。じゃあちょっとだけ」

 シートを倒して、恭平はタオルを顔に被せた。

――あいつ、がっかりしてたな。

 別に珍しいことじゃない。学生時代の仲間と会えば、たいてい同じような反応をする。

 いや、もっと露骨なやつもいた。

 なんでやめたの?

 もったいなくない?

 もう一度がんばろうよ。

 ぶしつけに言葉を投げてくるのは、中学校のバレー部顧問だったり、親戚だったり……自分を少なからず評価してくれていた人たちだった。

 まあ、外野はなんでも言うんだ。試合中も、試合から離れても。

「……ばかだなー」

 半分寝ぼけていたのかもしれない。軽快に走るトラックに揺られていたら、ささやいてしまっていた。

 佐山、なんで同情のまなざしで俺を見る? 挫折して、不幸の真ん中にいるとでも思ったか。

 バレーを辞めて、俺はいま、めちゃくちゃ楽しいんだぜ。


――水谷恭平、21歳。

高卒で入社。勤続4年目の中堅社員である。

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